喪失
使えることと使いこなせることは、まるで別の話である。
そして、使いこなせる、というのにも当然一定の段階が存在する。
例えば山水の生徒たちは、ある程度山水の真似ができる。しかしそれは、自分たちが圧倒的に優位な条件下で、自分たちの想定を出ない範囲での真似である。
もちろん、それはそれで問題はない。しかしさきほどの山水が不意を食らって緊急離脱したときのように、想定外の状況でも最善の行動ができるかと言えば否であろう。
技を使いこなせるようになるには、それこそ膨大な時間を必要とする。
素振り一つとっても、全身の筋肉や骨格が正しく動いているのか、きっちりと把握しなければならない。
そのうえで、それが無意識に、しかも姿勢が崩れても姿勢が崩れた中でも最適でなければならない。
その理屈で言えば、山水は不止と乱地を使えるが、使いこなせてはいない。
他の縮地に比べて難しいこともさることながら、そもそも練習期間が短すぎる。
つまり、他の縮地のように一切前触れなく発動させ、次の行動にも速やかに移れる、というわけではない。
そのうえで、山水はそれらを使うことこそが、最適であるとも考えていた。
(さて、そろそろか)
当たり前だが、山水もロイドも、強敵を相手に勝つつもりで戦っている。
ことここに至って、相手がバカで間抜けで、簡単に倒せる相手だとは思っていない。
だからこそ、互いに危険な行為であると知っていても、身の安全を確保しながら戦うことはできなかった。
はっきり言って、これが『決闘』でなければ、最適解は決まっている。
ロイドは全方位を防御で固めるべきであるし、山水は縮地で大幅に距離をとるべきである。
己の命を守るというためなら、態々危ういことをする意味がない。
しかし、これはそういう戦いではない。それは双方承知であるし、だからこそ読み合いが成立する。
(他の連中がこっちに来てるな……その前に、決着をつける)
ロイドにとって一番困るのは山水が懐に飛び込んでくることであるが、しかし逆に言えばそうでもしてもらわないと山水は回避に徹してしまう。
かといって、このまま上下の関係を作っていれば、山水はどうしても一手も二手も遅れてしまう。
ロイドは上下の優位を保ったままに、山水を誘わなければならなかった。
「攻陣、四舞!」
あえて、遠距離攻撃用の宝貝ではなく迅鉄道による遠距離攻撃を仕掛けた。
空対地による、上空からの射出。
歯車をかみ合わせたことによる高速攻撃ではないが、それでもそれなりには早かった。
そもそも、最高速度で発射しても山水には意味がなかったので、それは今更である。
「縮地」
山水は、それを縮地で回避する。
必要最小限の回避ではない、ロイドの視界から一瞬で消えている。
上空にいるロイドでも、見渡して見つけられなかった。
しかし、ロイドはどこに隠れたのか、もうわかっている。
攻撃をする前から、もうわかっているのだ。
「このまま、地を這え!」
放った四枚の歯車の軌道を変える。そのまま、明らかに迷いなく向かわせる。
放つ前からわかり切っていた。山水はまず、ロイドの視界から消えなければならないのだから。
そして、上空の相手から隠れるには、一番手っ取り早いのが森に潜むことであろう。
秘境セルは、それなりには広い。
広いからこそ岩山もあるし、それなりに大きい森もある。
多くの天狗たちが修行しているその場所へ、ロイドはためらわず攻撃を放っていた。
目で見たからではなく、推論である。しかし、正しかった。山水は確かに森の中に隠れていた。
流石にスイボクの過ごした森ほどではないが、それなりに広い針葉樹林のなかで彼は気配をひそめていた。
(やはり、ここまで読んでいたか)
如何にロイドの放つ歯車が強力であり、それこそ木々を軽々と切り落とすことができたとしても、それでも森に潜んでいる山水に当てることはできない。
とはいえ、森の木々をすべて切り落とせばそれはそれで隠れることができなくなるし、そんな悠長なことをする暇は双方にない。
山水は切り落とされた木をつかみ、ロイドに向けて投擲する。
切り落とされて尚枝の生い茂った、それこそ人が隠れてなお余りあるまっすぐな木を投げていた。
(やはり、こうくるか!)
それを見ると同時に、ロイドは攻撃に用いていた歯車をすべて消した。
そして、改めて自分の周囲に四枚を生み出す。自分の足場に一枚使っているので、これにて五枚である。
そのうえで、人間が隠れることができる木へ攻撃する。
人間が隠れることができないほどに、切断する。
当然、その中に山水はいない。
一応念のため、という可能性を排除したうえで、ロイドは後ろ側の下を見た。
そこには、無音で上昇してくる山水の姿があった
(アレに隠れている可能性がないでもなかったが、やはり囮! あの木を投げた後に縮地で森の外に出て、こちらの背後に移動し軽身功で上昇した! このまま縮地で移動できる高度まで上がる気か!)
ロイドは足場の歯車を緩やかに上昇させることで時間を稼ぎつつ、自分の頭上に向けてなにかを放った。
空中で炸裂したそれは、大量の黒い糸をまき散らしていく。
宝貝、絡新婦。女の髪を材料としている、使用者以外に触れると絡みつく拘束型の宝貝である。
欲を言うのなら近距離で投げて、不意を突いて絡ませたいところだが、流石にそれは無理だと判断する。投擲とはそれなりに予備動作を必要としており、接近戦で山水を相手にできることではないからだ。
(これはこれで問題ない、絡新婦の効果範囲に私もサンスイも入っている。縮地で接近しても牽牛で引き寄せても、攻防をしている間に山水は絡みつかれる。もちろん山水はここで引くこともできるが、師の名誉が関わるこの戦いで、引くとは思えん)
上空から飛散を始めた絡新婦は、当然山水にもロイドにもまだふりかかっていない。
まだ数合、戦闘ができるだけの余地が残っている。だからこそ、誘いになる。
これによって山水は、今の手以外の方法を探りつつ仕切り直すか、絡新婦に絡みつかれるよりも早くロイドを倒すか、という選択肢しかなくなってしまった。
そして、ロイドの読み通りに、山水は前者を選んでいた。
(やはり、拘束に適した宝貝があったか。それも、網のような煙のような、広範囲にわたるもの。一番厄介なものだ……そして、拘束してしまえばそのまま迅鉄道の攻撃をすればいい。それでこちらは終わりだ)
拘束されたままでも、山水も姿勢次第である程度戦えるだろう。
しかし、縮地が使えない状態で、迅鉄道の攻撃を回避しきれるとは思えない。
何よりも、迅鉄道の攻撃力は魔法以上。拘束しているものがどんな性質であれ、苦も無く破壊し人体を切断できる。
(しかし、引く気はない。押し通す)
「気功剣法、十文字。発勁法、鯨波」
右手で木刀を大きく振りかぶり、右上から左下へ袈裟に切る構えをとった。
痺れる左手は、開いたまま前に置く。発勁の準備にする。
無構えではなく、動作を明らかにした構え。
その姿勢のまま、上昇していく。
上から黒い糸が降り注ぎつつある状況下で、二人は再度対峙していた。
そして、正真正銘最後の攻防が始まる。
(読み通りだ)
(読み通りだ)
(ここから、サンスイを凌駕する!)
(ここから、ロイドを一手超える!)
両者ともに、互いにとって想定外の切り札を準備し、相手を超えようとする。
そして、最初に動いたのは山水だった。
通常の縮地を知るロイドにとってはありえないことに、縮地をしないまま木刀を振り始めたのだ。
(バカな、縮地は移動後に静止する! 振り始めても、意味がない! 仮に当てるだけで意味がある術を使うとしても、木刀を介さずに左手で使えばいいだけだ!)
そして当然、山水が木刀を振るうことを視認できても、それに対処できるわけではない。
一旦降り始めてしまえば、ロイドの思考能力で最適な行動はできない。
(まさか、先ほどのように数珠帯で木刀に着けた何かを飛ばすつもりか?! 縮地と違い、どうしても遅くなるはず。こちらに当たるころには、もう絡新婦が全体を覆うぞ!?)
そして、過去の映像が脳裏を駆け巡る。
先ほど山水が、木刀を空振りすることで石を投げたことを、連想して想像し、思考してしまう。
(いいや、とにかく防御だ!)
迅鉄道の防御ではなく、身に着けている宝貝と体術の防御。両腕を高く上げて、体を固く硬直させる。
迷走した思考は、とにかく体を固くさせることしかできなかった。
「水墨流仙術」
使えることと、使いこなせることは、別の話である。
しかし、当然ながら『使える』ことと『使えない』こともまた、まるで別の話である。
近接戦闘中に、とっさの判断で使用できるほどに使いこなせていないとしても、事前に数秒間準備ができれば当然使用は可能である。
「縮地法、不止」
そして、そもそも不止はどう極めても予備動作を絶対に必要とする技である。
仮に相手の背後を取って、完全に不意打ちができるという状況ならともかく、相手と対峙した状況でそのまま不止を使っても、むしろ悪手であろう。
なにせ不止は止まらない縮地、攻撃の動作を目の前でしなければならないのである。
仮に、縮地というものをある程度知っている人間の前で、遠くに立つ山水が木刀を振りかぶって攻撃動作をし始めたとする。
その場合、相手は確実に『縮地をするつもりだ』と判断し、体を固くするか回避を行うだろう。
スイボクが目指した縮地は、あくまでも『予備動作が一切なく、いつでもどこにでも移動できる』というもの。
それ故に有効性は極めて高いのだが、スイボク独自の仙術である不止はそれこそ、フウケイが使うような一般的な縮地よりもさらに分かりやすい。
だが、それは単独で使った場合に限る。
相手が深く読み、戦術を固めている状況で、しかも縮地に対して理解が深かった場合。
すなわち、普通の縮地以上に予備動作が大きいことが、結果として相手の虚を突ける場合。
そして、相手に全力で防御して機能する鯨波を併用している場合。
「ぐぅあ!?」
不止は牽牛や織姫ほど優秀ではない。
しかし、それでもこの状況では最適な技の選択と言えるだろう。
大きく予備動作をし不意を突いたがゆえに、山水の木刀をロイドは腕で受けてしまった。
すなわち、鯨波の餌食である。
(なんだ?! この手ごたえは!)
(これは鯨波か。だが、動ける!)
ロイドは長そでの服を着ていた。それは当然、宝貝である。
その袖の下に手甲を付けていた。それも当然、宝貝である。
しかし、それで受けたとしても、四器拳と違い発勁を遮断できるわけではない。
ロイドが腰につけている宝貝、小木人。
消費が大きいので短時間しか使えないのだが、起動させると装着者への単純な打撃や仙術攻撃をある程度受け流すことができる。
原理としては、水墨流仙術軽身功法絶招、『問答三昧』と同じである。
軽身功は己の重さを周囲へ分散させる術なのだが、それをスイボクは応用して己への運動エネルギーや仙術攻撃を分散し無効化できる。
セルはそれを宝貝に組み込むことができており、短い時間装着者への運動エネルギーや仙術攻撃を分散することができていた。
(動ける!)
流石に、無効化とはいかない。
しかし、それでもロイドは動くことができていた。先ほど接近された時とは違い、正気のまま反撃が可能だった。あるいは、防御行動も可能だった。
既に山水の頭には絡新婦が触れており、そのまま数秒で全身に絡みつくはずだった。
(それまで凌げば……!)
まだ勝機がある、と認識したロイドはまず山水の退路を完全にふさぐべく、自分の周囲に四枚の歯車を生み出して包囲した。
既に虚刃を出しており、脱出するには上へ回避するしかない。しかし、上には絡新婦がある。
そして、ロイドにはまだ三枚、完璧に操作できる歯車を生み出すことができた。
(この手ごたえ、特殊な防御手段があると見た。つまり……全力で殺しに行っても問題ない!)
虚を突きあった両者は、しかしだからこそ差が現れていた。
山水は完全に不意を突かれた。鯨波で動きを止めたと確信していたがゆえに、行動されたことが本当に意外だった
だが、だからこそ、そこから継ぎ目なく行動できる山水の強みが活きる。
手ごたえの違和感を感じた時点で、山水は既に木刀から手を放しながら間合いをさらに詰めていた。
(動きが鈍い、つまり完全に無効化しているわけではない!)
万全な右手で、相手の腕をすり抜けながら頭部をつかむ。
発勁。
視界を奪いつつ、頭部へ直接の攻撃を当てる。
(こちらの退路を断とうとした、接近戦で歯車を使おうとしなかった。つまり、迅鉄道はそもそもこの間合いで戦うことを想定していない、あるいは緊急的な事態としていて、周囲の歯車で俺を斬る技がない)
考えて、感じて、動く。
それに一切継ぎ目がなく、迷いがない。
だからこそ、不惑の境地。
(相手の視界をふさぎ、相手の頭部へ打撃を入れる。そうすれば、相手は頭のすぐそばに手があることもあって、まず俺の右手へ攻撃しようとするはず!)
山水の想定よりも、ロイドの行動は早かった。
両手に歯車を生み出し、そのまま山水の右腕へ打ち込んでいた。
それはさほど頑丈とは言えない山水の右腕に食い込み、肉をえぐる。
そして、ロイドが安全のために両手を山水の手から離した瞬間に、虚刃によって切り落としていた。
(とった!)
(間違いだ!)
山水は、痺れている左手でもロイドの腹部に触れていた。
(お前は、間違えた! 右手ではなく、左手を切るべきだった!)
山水がこの術を使うには、数瞬の予備動作を必要とする。
それこそ織姫よりも、長い時間相手に接触しなければならない。
「水墨流仙術、縮地法、乱地!」
瞬間、ロイドの視界が反転した。
力を失った山水の手が落ちて、その切断面からあふれる血を見ていたはずだった。
しかし、山水を見失う。
彼は、自分の出した足場、歯車に頭を触れていた。
相手の立っている方向を操る縮地、乱地。
それは天地上下さえ操作する。
「震脚!」
その歯車を鈍器として、顎を踏みながら渾身の発勁を、山水は打ち込んでいた。




