八段
人間は、必ずしも戦う必要はない。
食物連鎖の頂点に君臨するのみならず、食用の植物を栽培し、食用の動物を飼育する。
そんな人間は、人間同士との闘いこそ必要ではあっても、『野生』の動物と違って常に戦い続ける必要はない。
まして、決して侵されることのない隠れ里で生活する人間たちにとって、戦闘技術とはただの伝統芸能に近い。
里の天狗たちは口々に語る。
「お前たちの先祖は、あのスイボクに手傷を負わせた」
「おそらく、あそこまで追いつめたのは奴だけだっただろう」
「神の領域から剣を持ち帰った化け物を相手に、腕を一本もぎとったのだぞ」
そんな者が本当にいるのか、居たとしてまだ生きているのか。
そもそも里の天狗たち本人が、実際に何百年も何千年も生きているのか。
疑うというよりも、どうでもいいと思っている面々がほとんどだったであろう。
そう、数年前にフウケイが現れるまでは、誰もがそう思っていたのだ。
「宝貝職人、大天狗セル殿ですね。ここに、スイボクが現れたと聞きました」
初めて見る邪仙だった。
天狗たちと異なり年齢を重ねている容姿の男は、威圧感を放ちながら里の天狗たちに頭を下げていた。
「さぞご迷惑をおかけしたでしょう、同じ師を仰いだものとして謝罪いたします。また、貴方の作品を奴と戦う際に破壊してしまいました」
邪仙、という言葉が不適当に見えるほど礼節をわきまえていた。
その彼は、大天狗を前に己の心中を明かしていた。
「なぜ花札を、いや、今は大八州だったな。なぜそこを出た?」
「スイボクを討つためです」
「……そのために、ずいぶん修行を積んだようだな」
痛ましいものを見る目で、長老であるセルは彼を憐れんでいた。
「同門であるお前には言うまでもないが、アレは一種の……冗談だ。儂もお前たちの師よりもさらに長く生きてきたが、あんなモノを見たのは初めてであった」
「存じています。その奴を倒すために、超えるために三千年費やしましたが、負けるはずがないと思いつつ、心の中に勝てるという確信が持ちきれずにいます」
「それで挑むなら、流石に止めるぞ。普通なら己の中の影を大きくし過ぎていると励ますところだが、あの化け物に関してはその限りではない。およそ、戦って勝てる者など想像もできん。パンドラを用いて運にゆだねるつもりか」
「パンドラではなく、ヴァジュラを使います。今は、それを求めてさまよっています」
「そうか」
それ以上聞くことなかった。
正直に言えば、仙人や天狗の長い話に興味はなかった。
ただ、そのあとにフウケイと迅鉄道の使い手たちが立ち会った。
その時のことを、誰もが憶えている。
「花札とつながりのある大天狗殿の里の者を相手に、もしものことがあれば立ち会うことなどできるわけも……」
「こいつらの先祖は、エッケザックスを持っていたスイボクの腕をちぎったことがある」
「! そ、そんなことが?!」
「驚いたか? どうだ、戦ってみたくないか?」
「そういうことであれば、私も修行の成果を確かめさせていただきます。ですが、つい高ぶってしまうやもしれません」
「よいよい、気にするな。とはいえ流石に集気法を極め、その先に地動法を極めた仙人が戦えるほど、この秘境も広くはないのでなあ。場所は表になるが」
そして、まさに天変地異を見た。
土がえぐられ、弾丸のように殺到する。
大岩が持ち上がり、大山さえ揺るぐ。
不動であるはずの大地が傾き、ひっくり返り、回転する。
正に世界そのものが敵に回ったかのような光景を、迅鉄道の使い手も巫女道の使い手も、修験道の天狗たちも見た。
「スイボクを見たときも驚いたが、今のお前にも同じように驚いている。その術の名は?」
「風景流仙術、集気法絶招。“斗母元君”我龍転生。これこそは地脈と一体化し、常に無尽の仙気を受け止め、不滅の肉体を得る術であり、大地を意のままに操る術であります」
「スイボクは虚空の彼方で神の座にいたり、お前は大地に根差し星とつながるか。あの鼻たれ坊主の弟子どもは、どいつもこいつも化け物ぞろいよなあ」
定められた寿命の中でしか生きられない彼らは、改めて己たちの里を治める大天狗へ畏怖していた。
大地を意のままに操る男が、完全に目上として平伏しているのだから。
「……まだ、勝てないと思っているか」
「その恐怖が、私にヴァジュラを使わせてくれると信じています」
不滅の肉体に大地を操る術。
それらに加えて武勇を持つ彼が、どうしても勝ちを確信できない相手とは何者か。
その場の誰もが想像し、断念した。
まさに想像を絶する強さを持った男がフウケイであり、その彼が勝利を確信できない相手。
想像を絶する強さの、さらにその先。
それこそまさに、想像することさえ恐ろしい存在だった。
※
今更ではあるが、スイボクは生真面目な男である。
誰にも負けたことがなく苦戦したことさえほとんどないのに、千年も修行した。
倒したい竜がいるわけでもないのに、五百年の放浪の果てに神の座へ向かった。
それから千年間世界中を網羅して勝ち続けて、それでもさらに強くなるために神剣さえ捨てた。
そこからさらに千年修行し、いくつもの奥義を生み出しつつそれを捨て続けた。
もはや度を超えた愚直さであるが、当然誰もがそれを成せるわけではない。
目標がなければ、人間は必死になれない。必死にならなければ、限られた寿命の中で強くなることはできない。
当代の迅鉄道の使い手たちは、目標を得た。フウケイさえ恐れるスイボクに、己たちの先祖は一太刀浴びせた。であれば、自分たちも同様のことができるはずだった。
「秘境セルの戦士、迅鉄道八段、ロコモ・ロイド」
スイボクの弟子であるという山水は、迅鉄道の使い手が修練を行う場所でこの地の戦士と戦うことになっていた。
スイボク本人の戦うところを見てみたい、あるいは戦ってみたい。そう思っていた迅鉄道の戦士たちは、弟子である山水との闘いにも我こそはと名乗り出た。
そのなかで選ばれたロコモ・ロイドは年齢にして中年手前であり、身体能力そのものは全盛期からやや衰えていた。
しかし、戦闘力そのものはここ数年の鍛錬によって磨きがかかっており、里の中でも一番であろうと目されている。
「スイボクが弟子、アルカナ王国四大貴族ソペード家武芸指南役総元締め、白黒山水」
迅鉄道に段位が存在することに驚きを感じつつ、山水は周囲から注目されながら彼らの目の前で金丹を呑んだ。
それが錬丹法の初歩も使えない未熟物であることを示すことだとは分かっていても、それでの生のままの己を示しつつ木刀を中段に構えた。
「スイボク殿の武名はこの里に残っている。その彼が認めたという弟子である貴殿と戦える、それがうれしい」
「その期待に沿えるように、未熟なりに全力を尽くします」
「私は以前にフウケイ殿が術を使うところを見たことがありますが、貴殿はその域に達しているのですかな」
既に、戦いは始まっていると言ってよかった。
少なくとも、山水よりもロイドは宝貝を知っている。それ故に、山水が金丹以外に仙人が作った道具を持っていないであろうことは、たやすく看破できていた。
もちろん、仙術を使える仙人にとって仙術を再現する宝貝は、あくまでも補助的なもの。それでも、宝貝を持っていないこと自体を、彼は理解していた。
同様に、山水もまたロイドのことを観察していた。
着ている服がまず宝貝であり、装飾品も宝貝であり、彼の体内からは芳醇な気血の充実を感じ取っていた。おそらく、蟠桃も人参果も食べている。
そのうえで、おそらく武器になるであろう宝貝は装備していないと分かる。もちろん、自分が知らない武器はあるのかもしれないが、少なくとも剣や槍などの武器は装備していない。
それだけで、わかることは多い。
(武器が木刀だというのなら、同門であってもフウケイ殿と同じに考えることは危険だな。この閉鎖空間でも万全に戦える自信があるのなら、天候や地形を操作する術はないな。おそらく、縮地を主体にした術理と見た)
(体は鍛えているが、手足の鍛錬具合から言って武器を使うこともないし、素手で相手を攻撃するわけではないようだ。となると、魔法と同じで術そのものが攻撃手段になるタイプか)
想定しても想定しても、想定外のことは起きる。
だが、減らすことはできる。
初対面の両者は、贅沢な時間を楽しんでいた。
「お察しの通り、剣術を流儀としております。仙人としては、未熟もいいところでして」
「ならば、剣術こそが本領ということですか。それは怖いですね……」
強い。
それを、互いの姿を見ただけで悟っていた。
山水は己の師の腕をちぎった戦士の子孫を前に敬意を示し、ロイドはスイボクの前座としてではない山水に警戒を抱いていた。
(縮地対策は万全だ、接近戦こそ望むところ)
(いくつか用途のわからない宝貝が見える。人参果を抜きにしても、一太刀をきれいに当てても倒せるとは思わないほうがいいな)
セルとスイボクは、遠くから並んで見守っていた。
この闘いこそ、両者にとって二千五百年ごしの代理戦争ともいうべきものだからだ。
争いではなく、競い合い。
だからこそ、とても微笑ましい。
「迅鉄道……」
ロイドは両手を前に出した。
そのまま手を広げ、『猛威』を使用して迅鉄道を発現させる。
師から一切聞いていなかった山水は、どんな術であっても驚かずに対応するつもりだった。
しかし、それを見たとき、明らかに目を見開いて驚いていた。
「実輪、単、守陣、大八連!」
それを見たのは、この世界で初めてだった。
元の世界ではとても普及しているそれを、彼は五百年ぶりに見ていた。
ロイドの周囲に浮かんでいるのは、輝く歯車だった。
軸もなく穏やかに回転している八つの歯車は、ロイドの身を守るように囲んでいる。
(法術が壁や鎧を作るように、迅鉄道は歯車を作り出して防御や攻撃に使用するのか? 確かに巨大な歯車が回転しながら人体に当たれば、攻撃手段には十分。加えて四方に配置すれば防御手段にもなるだろう。だが、それよりも……)
山水はロイドを視認している。輝く歯車に囲まれても、しかしロイドの姿はその隙間から見えている。
しかし、気配を感じることができなくなっている。それこそ、この秘境の内部から外部を察知できなくなっているように。
(あの歯車は、空間を遮断できるのか? だとしたら、あの内側に縮地で移動することはできない)
常に気配を察知しているからこそ、察知できなくなったこともすぐにわかる。
それは山水にとって、最大のアドバンテージを失っていることを示していた。
(縮地法が空間を移動し、虚空法が空間を歪めるのなら、人間技で空間を切断することができても不思議ではないが……歯車そのものは、壊せるかもしれないな。俺ではなく、祭我なら)
山水は攻撃力そのものが低い。重身功ならある程度は補えるが、それでもそこまで強力ではない。
おそらく、自分では歯車を破壊できないと踏んで、そのうえで戦いを組み立てていく。
(とはいえ、酒曲拳ほどじゃない。近づくだけで倒されるアレと違って、あくまでも防御ないし迎撃と見た。接近や回避には縮地も使えるだろう)
歯車の合間から、相手の表情をよく見る。
この術も、所詮は人間技。であれば、人間の限界を超えることはないだろう。
知っている術との共通点や差異から、攻略法を探っていく。
(あの歯車からは意識を感じられる。おそらく、かなり自由に動かせるがその分制御が難しいな。とっさの緊急回避で数個出すことはできても、戦闘中に意識するとなると、八個がベストとみた。顔の表情から、余裕はあるが遊びはないしな。トオンの影降ろしと同じタイプの術か)
山水は、中段の構えを解いた。
そのうえで、無構えとされる構えに移行した。
右手に剣を握ったまま、左手は何もつかまないまま、だらりと下げた。
最適な構えだと確信している一方、師匠から極力使わないように言われていたことも思い出す。
達人は構えないらしいですけど、師匠は構えるんですね。
ぬ? やろうと思えばできるぞ。
クラウチングスタートなど最たる例だが、「構え」とは次の行動を相手に教えてしまう上に、違う行動をする場合遅れるという弱点がある。
見た限りでは棒立ちでも、達人ならばあらゆる行動に繋げられる、最適な構えとなる。
しかしな、できるようになっても、あまりせん方が良い。
なんでですか?
相手が怒る、手抜きと勘違いさせてしまうのでな。
礼儀として好ましくない、という構えのまま、山水はゆっくりと歩いていく。
目の前の相手には、この構えこそがふさわしいと信じて。
「転陣、三連」
結果的に、正しかったと言える。
「攻陣、対転。射車、単」
歩みよってくる山水に、ロイドは遠距離攻撃をしかけた。
「虚刃」
「縮地」
山水はロイドの後方へ、大きく回避する。
相手へ向き直り、左手の指先で自分の胸を撫でた。
「なるほど」
べったりと、赤い血が服を濡らしていた。
「歯車かと思ったら、ネズミ花火だったか」
己の出血を気にすることなく、山水は迅鉄道を理解した。
なるほど、強い。




