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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
神の帰還と竜の侵略
270/497

前座

 強弱に善悪はない。

 もしも弱いことが悪だというのなら、食べられることが弱いことである以上、食物連鎖の頂点に立つ人間は全員が善ということになる。

 言ってしまえば、人間という生物は単に食物の連鎖の頂点に立っているだけであって、ただの動物でしかない。

 フウケイが自分のことを忘れるのでもなく見捨てるのでもなく、力を蓄えて復讐する道を選んだのも、結局は強者としての生き方を選んだだけ。

 たとえるなら猿の群れの頂点に、別の猿が挑んだことと変わらない。弱者として生きていくのではなく、強者を打倒する道を選んだだけのこと。


 であれば、自分というさらなる強者に敗北するのは、自明の理でしかない。

 正義も悪もなく、ただ強弱の果てがあっただけのこと。

 そう割り切れないのは、やはり主観として後悔があるからなのだろう。


 そう、結局のところ千年も付き合いがあったのだ。

 悪いところばかりではなかったのだ。

 彼の存在のすべてを疎んじていたわけではないし、彼のすべてを軽く見ていたわけではない。


 あの森で千五百年過ごした間、ずっとフウケイの言葉を思い出していた。

 それは決して口だけだったわけではない。自分は、彼の『言葉』を思い出していた。

 彼の心理や目的はともかく、言葉や行動は常に正しかった。

 であれば、自分は彼の正しくあろうとする姿勢を見習うべきだったのではないだろうか。


「おい、スイボク。お前はまさか、天道法の練習中なのか」

「その通りだ」

「この花札の中でも一番高い地で瞑想を初めて、もう何日だ?」

「下らんことを聞くな、フウケイ。何日かなど数える意味がない」

「そ、それはそうだが! 私はあくまでも、お前の身を案じているのだ!」


 三千年ぶりに出会った時、我が友と呼んだのは、決してあざけりではなかったのだ。

 彼からどう思われていたとしても、千年間同じ師の下で過ごしたのだ。

 それで、いい思い出が一つもなかったわけがない。


「本当に、できるまで座り続けるつもりか」

「当然だ。天道法、天を己が意のままに操る術。それを学べば、俺はさらなる高みに達することができる」

「お前は、覚えた術が多ければ多いほど強くなれると思っているのか? それが偉いと思っているのか?」

「もちろんだ。偉くなりたいわけじゃあないが、たくさん術を覚えているほうが強いに決まっている」

「……お前、まだ強くなるつもりか」


 同じ空を仰いでいた。

 同じ夜を過ごしていたのだ。


「はっきり言って、お前はもう豪身功も瞬身功も硬身功も覚えている。もう十分強いんじゃないか?」

「足りない、もっと強くなりたい。学べることは全部覚えたい」

「そんなに強くなってどうする? 私にはお前が理解できない」


 仙人になってからの時間を、彼と過ごしていた。

 彼と師こそが、自分にとって兄と父だった。


「私はお前がそこいらの俗人を相手に、学んだ仙術を誇りたいだけかと思っていた。仙術を悪用して、邪仙に堕ちるのかと思っていた。だが、違う。お前はもう、十分強いはずだ。偉ぶるだけなら、な」

「足りない、全く足りない」


 彼が自分を怖れていたことを、畏れていたことを、自分はよく憶えている。

 自分に嫉妬していた、畏怖していた彼のことを憶えている。

 彼がそれを羞恥ししていたことを、憤慨していたことを憶えている。

 悦に浸った自分のことを、憶えている。


「月を、斬る。手が届かないところなど何もない、何でも斬れる最強の男になりたい」

「月を、斬る? 何の冗談だ!」

「本気だ」

「ならば、誇大妄想だ! お前は間違っている、絶対に正しくない!」


 仙人と仙人が、正しいかどうかを武力で決めるなど愚の骨頂であろう。

 それでも、今にして思えば。

 ああ、今にして思えば、お互いの醜さを知りながら、それでも同じ師の下で過ごした時間は、やはり美しかったのだ。

 それが自分の独りよがりだったとしても、自分にとってフウケイは友だったのだ。


「お前は最強になれない! 私が倒すからだ!」

「無理だな」

「無理なものか! お前がどれだけ術を学んでも、お前がどれだけ術の修業をしても! 私は正しき仙人としてお前を討つ!」


 月を切るとほざいた、傍若無人なる若仙。そんな修行時代の己と張り合ってくれたのは、他でもない彼だけだったのだ。


 今でも、憶えている。

 千年間、ずっと自分から離れずにいてくれた彼のことを。

 彼との時間が、彼にとってどれだけ苦痛で屈辱だったとしても。

 それでも、自分は彼のことを心のどこかで慕っていたのだ。


 その彼を殺して、そのままではいられない。

 故郷へ帰らなければならない。きっと、師匠が待っている。



「それで、その弟子の仕上がり具合はどうだ? 剣士としてはわからんが、仙人としてはずいぶん仕上がっていると思うが」

「私は故郷で千年の修業を積み、神剣を求めて五百年さまよい、神剣を得てより千年戦い続け、一人森で千年修行を積み、剣仙一如の境地に達しました。その折りにこのサンスイを、エッケザックスを授けてくださいました神より紹介され、五百年稽古をつけました」


 隣に座る、若き仙人をスイボクは自慢げに誇る。

 それこそ、己のことなどよりも、よほどうれしそうに紹介する。


「もはや、五百年前の私さえ超えた剣士。我が境地を俗人にさえ指導できる、一人前の仙人でございます」


 それこそ、少年のように無邪気な笑顔だった。

 何も憂いはないと、とても自慢げだった。

 己が手塩にかけて育て上げた弟子を、人生の総決算として先人に示していた。


「……神から紹介された、か」


 虚空法を修めているセルは、当然神の座を知っている。

 知っているからこそ、そこへ生身のまま達したスイボクのでたらめさが理解できる。

 その反応を見て、改めて山水は己の師匠のでたらめさを認識していた。


「神をして、この世で生まれた知己などお前ぐらいなものだ。ああ、つくづく化物だな」

「我ながら無謀でした」

「本当に、良く死ななかったものだ。あの虚空を抜けて、神の座に達し帰還したなど、それこそ死んでからよみがえることよりも難しいのだぞ」

「本当に、若気の至りでした。ですが、それによってよき剣を得ました」

「手放してよくも言ったもんだ。それで強さがさらに跳ね上がっているから、手に負えん」


 山水は、ソペードの剣職人を思い出していた。

 国一番の剣士が、それこそただの木刀しかもっていないことを嘆いていたことを。

 世界最強の剣士が、木刀で十分と断じた。

 それを、世界最高の宝貝職人はどう思っているのだろうか。


「確かに、あの日のお前は剣に甘えていた。エッケザックスを過信するあまりに、腕を失った」


 それは奇しくも、祭我が山水を相手に三度戦った時のそれだった。

 武装が整っているからこそ、己の心が弱くなる。

 想定が甘くなり、相手を軽く見て、己を大きくしてしまう。

 その結果が、敗北に直結することもある。


「あの日の教訓は、胸に焼き付いております」

「人参果を食っていなかったお前は、怪我をその場で治すことができなかった。そのうえで、出血で死ぬより先にアイツを切り殺した」


 エッケザックスは確かに世界最強の剣だった。

 しかし、当時のスイボクは今の水準からほど遠かった。

 手傷を負うこともあったし、油断することもあった。

 それを戒めたからこそ、今のスイボクがいて山水がいる。

 だとしても、未熟だった時期でなお、スイボクは最強だった。


「あの時の、鬼気迫るお前を忘れたことがない」


 敗北が脳裏をよぎった。

 人生で初めて死に至る傷を負った。

 最強の剣を手に入れて得意の絶頂で、その慢心を突かれた。


 その時初めて、スイボクは死力を賭した。

 死ぬことよりも、負けることを怖れた。

 負けてたまるかと迅鉄道の死中に身を投じ、それを完全に捌いて凌駕して見せたのだ。


「……あの時のお前より、お前の弟子は強いのか」

「はい、サンスイこそ私が目指した最強の剣士でございます」

「そう来なくてはな」


 そう言って、セルは己の膝を叩いた。

 その顔には、少年の無邪気さがあった。


「儂が二千年前にお前を見て奮起したことは言うまでもあるまいし、儂の里の者もフウケイと戦い破れて、ここ数年奮起しておる。お前の弟子と、儂の里の者。どちらが強いのかを比べてみようではないか」

「その言葉、待っておりました」

「……ああ、そうそう。一応言っておくが」


 セルは山水を見て、意地悪気ににやりと笑った。


「この里の者は、当然仙人を良く知っておる。五百年と言えば俗人にとっては永遠に思えるであろうが、この里のものからすれば若年もいいところ。まして、フウケイをも凌駕したスイボクがいると知れば、其方と戦いたがるのは当然の帰結!」


 なるほど、と山水は納得した。

 確かに己はスイボクの弟子であり、さぞ興味を持たれるであろう。

 しかし、スイボク本人がいるのであれば、態々弟子と戦いたがることはあるまい。


「お前を倒せば、スイボクと戦える。そういっても構わんか、サンスイよ」

「もちろんでございます」


 弟子など前座、そういわれることを山水は了承する。

 正座をしたまま、視線を逸らすことなく断じた。


「この山水、己の師の名誉のためにも死力を尽くしましょう」


 己こそ、スイボクの弟子にしてスイボクの理想。

 死出の旅に赴く己の師匠を送り出すためにも、勝たねばならない。


「よく言った! それでこそ、スイボクの弟子だ!」


 己の里の者も負けてはいない、と大天狗は不敵に笑い続ける。

 雪辱を晴らすべく作り上げた宝貝を、己の里の者に使わせる。

 それによって、今度こそ勝って見せる。


 山水だけではなく、スイボクにさえも届かせて見せる。

 彼もまた、修行のすべてを剣士たちに見せるつもりだった。


「では、後程。二千年ぶりにスイボクとの試合にしゃれこもうではないか!」

短くて、申し訳ありません。

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