秘境
「ふむ、この子が村の大人を打ち殺した子か……」
「師匠、仙気を宿していますが……」
カチョウ師匠とフウケイにあったのは、この時である。
千年間迷惑をかけ通しだった相手には、それこそ出会った時からずっと迷惑をかけていた。
「師匠、私ももう五百年間修行を積みました。であれば、新しい段階としてですね!」
「フウケイ、お前まさか、この子を己の弟子にするつもりか?」
「私にお任せください! 立派な仙人に育てて見せます!」
おそらくではあるのだが、この時点で既に師匠は『自分』のことを見抜いていた。
いまだに自分は未熟で、客観というものができていない。だからこそわからないのだが、己の弟子である山水も、仙人として一定の段階に達したときから自分を見る目が変わっていた。
アレは、彼我が全く異なるものであることを、直感的にではなく根拠をもって確信していた証拠ではないだろうか。
「フウケイよ……お主には、この子がまともな人間に見えるのか?」
「必ず矯正して見せます!」
「不遜な……嵐に首輪をはめるようなものであるぞ。まったく……この子は儂が預かる。お前の弟弟子じゃ」
「……そ、そうですか、私はまだ未熟ということですね」
「いや、そういう問題ではないのじゃが……まあ、未熟という認識は間違っておらんな。この子を測れておらん。さて、儂はカチョウという。この花札で修業を積んでおる仙人じゃ、これよりお主の師となり、お主に『仙術』を教えよう」
またしても、今にして思えばではあるのだが。
師は自分を立派な仙人に育てるとは言わなかった。ただ、仙術を授けようとだけ言っていた。
普通に考えて、仙人が弟子を取るのであれば、仙術を教えようとは言わない。
仙人とは仙術を修めた者である以上に、仙人という生き方を選んだ者だ。
我が弟子であるサンスイも、仙術こそ未熟ではあるが剣仙一如の境地に達しており、俗世に染まり切ることなく生きている。
であれば、俗人が望むように仙術を教える仙人、というものはいない。いるとしたら、それは邪仙だ。
俗人に癒しの技を施し、あるいは生活の術を教える仙人はいる。しかし、仙人として育てるのであれば、仙術を教えるなどとは言わないだろう。
師匠はわかっていたのだ。その時点ですでに、『自分』という男が自分の手に余る存在だと。
「仙術を学べば、僕は強くなれますか」
「な、仙術はそんな下等なものではない! よいか、我が弟弟子よ! 仙術とはな、俗世と断絶された世界で生きる仙人の営みの一部なのだ! それを争いに使うなど……!」
「またんか、フウケイ。相手は子供じゃ、そう居丈高になるでない」
本当に、我が師には感謝しかしていない。
当時の自分を、本当にうまく御してくれていたのだから。
「そうさな、その手に持っている鉄の剣で、儂に切りかかってみよ。さすれば……」
その言葉を聞いた時点で、自分は切りかかっていた。
大地を蹴り、跳躍し、頭をカチ割ろうとしていた。
しかし、跳躍した自分は、そのままカチョウ師匠を飛び越えていた。
触れるまでもなく相手を浮遊させる、天道法の一種であった。
「おおお……さすが我が師! 素晴らしいです! それから、貴様! いきなり切りかかるとは何事だ!」
「儂が斬れと言ったのだが?」
「そ、それはそうですけども……」
「フウケイよ、相手を威圧することで従えようとするなど、あってはならぬことであるぞ」
「! も、申し訳ありません!」
今にしてではあるのだが。
血気盛んな相手を殺さずにあしらい、無力化するというのは、それこそ今の自分が到達した境地ではある。
当時の粗野な山猿であった己にはわからぬ筈であろうが、それは答えであったのかもしれない。
ただ、そのうえで、言うだけ無駄だとは分かっていたのだろう。
「儂はお前こそが心配じゃ」
悠久の時の後にフウケイがどうなるのかを、我が師は既に『視認』していた。
今にして思えばではあるが、既にゆがみがあったのかもしれない。
もちろん、それを抜きにしても、自分の行動は大概ではあったのだが。
「スイボクよ、お主も今日から儂の弟子じゃ。儂のすべてを、お前に授けよう。慌てることなく、学んでいくがよい」
自分が戦いを求めていることを、いかなる形であれこの花札を出ていくことを、師匠は既に予見していた。
そう、考えてみれば、思い返せば、長く生きるとはそういうことだったのかもしれない。
今の自分が、そうなれているかは疑問ではあるのだが。
「ではまず、瞑想から始めるとしよう」
「ええ、仙術は基本が大事ですからね!」
「はい、わかりました」
「はっはっは! スイボクよ、瞑想を簡単に考えるなよ!」
「フウケイ、お主はまず己のみを重んじよ。相手を下に見て己が高みにいると思うのは、浅ましいぞ」
ともあれ、良き師に巡り合うことができた。
今の我が弟子が、自分を良き師として敬ってくれているのは、やはりよき見本となる人がいたからなのであろう。
しかしそれはあくまでも自分だけの話であって、同じく弟子であったフウケイのことも含めて、余人にとって幸運だったかどうかはわからない。
いいや、確実に不幸なことだったのだろう。
※
「うむ、ここじゃな」
「ここですか」
スイボクは明確にここである、とあたりをつけていた。
その一方で、山水は些細な違和感しか感じ取れなかった。
なるほど、理外の状況が発生しているようである。
スイボクがここ、と言った場所はさほど深くもなさそうな、狭い洞穴だった。
雨風もしのげそうにない、何の価値もない洞穴である。
だからこそ、わずかに違和感もあるのだ。
「確かに、人の足跡が多く残っていますね」
「そういうことであるな。出入りが激しくば、とてもではないが隠しきれるものではない。だからこそ、たまに場所を変えるわけである。俗人は、ほれ、秘密基地、とかいうものが好きでなあ」
「そ、そうですね。昔の私もそうだったと思います」
「むろん、中に仙人しかおらんのなら、それこそ一々出入りなどせんで済むのじゃが、普通に人の子がおればそうもいかぬ。耕作をするにも限度があるわけであるしな」
当たり前だが、限られた土地の中で生活をするとなると、実りはある程度偏る。
豊作もあれば凶作もあるし、なによりも日常生活で必要なものを限られた共同体の中ですべてそろえるのは不可能だ。
具体的には、鉄製品が賄えない。既にある鉄を加工するとしても、何千年も持つわけがない。
であれば、外に買いに行くしかないわけで。
「外との取引となりますと、やはり何かを売るのですか? 工芸品など」
「昔はそうしておったが、まあ売れるにも限度はあるしのう。所詮素人が農作業の合間合間に作るものであるし」
超一流の職人が、世間へ売るために作る逸品。
なるほど、売れそうである。問題は、そんな専門家が小さな共同体で成立するか、ということであろう。
手間暇をかけた作品というのは、必然時間を食う。それに材料などを選別する必要もあり、結果的に時間もとられるのだ。
「では、戦うのですか」
「テンペラの里はそうであったな。しかし、この里ではそうもいかん」
「……強いのでは?」
「無論である。迅鉄道はおよそ最強と言ってよい」
二人はなんのこともなさそうに、狭い洞穴の中へ入っていく。
不思議と奥行きがあり、長い道の中を歩いていくことになった。
「しかし、長く戦えるものではない。それに、セルはあまり己の里の者を戦わせたがらん」
「……長く保護しているのですね」
「然り。古い約束で、巫女道と迅鉄道の血筋を守っているそうな」
「それなのに、師匠は戦ったんですね」
「決闘と戦争は違う、そうではないか?」
暗い道の中でも、師弟は一切危うげなく前に進む。
仙人は周囲の環境の変化に強いのである。
「まあ……セルも里の者も、エッケザックスを得た儂と、宝貝を使う迅鉄道の使い手と戦わせたかったのやもしれんな」
「そうですか……」
「まあ、当時の儂は断っても無理やり戦うように頼んでいたかもしれんな」
「……そうですか」
通りにくい通路の先に光が見えてきた。
常人なら目がくらむところであるが、二人は仙人なのでなんのこともない。
「ともかく、たまにセルの作った宝貝を世間に売るらしい」
「……売っちゃうんですか?!」
「儂の宝貝とはわけが違う。それこそ、超一流の職人が悠久の時を費やして作った逸品であるぞ。芸術品として高値で売れるらしい。もちろん、使っても強いがのう」
「日本刀みたいな話ですね……」
確かに、市場価値は高いだろう。
宝貝は仙術の効果を発揮できる『魔法の道具』である。
工芸品としての価値があり、実用性もある道具。
さぞ高値で取引されているに違いない。
「日本刀は知らんが、儂が三千年以上前に壊した宝貝よりも、二千五百年ほど前にセルが使わせておった宝貝の方が性能が良かった」
「つまり、その二千年後である現在はさらに性能が良いと」
「違いあるまい。あのセルめ、エッケザックスで宝貝を壊したときは、それはもう悔しがっておったからのう」
こいついつも他人に迷惑かけてるなあ、と感心する弟子であった。
さて、通路を抜けた二人の前に異郷が広がる。
そこは地底世界と呼ぶに値する、閉ざされた楽園であった。
「おおお……」
「これが虚空法による異郷である。珍しい術であるがゆえに、よく見ておけ」
どこに光源があるのかわからないが、それこそ真昼のように明るい場所だった。
球の内側のように地面がぐるりと天井まで続いており、そのすべてが『下側』に向かって重力が働いている。
おそらく、これも空間を歪曲させた結果であろう。
「天井にも家がありますね、側面には森があり、水田まで。これは……まさに閉ざされた異郷」
「然り、懐かしいのう。昔はエッケザックスとともに訪れたが……何も変わっておらんな」
悠久の時を超えて、懐かしむべき旧知の地へ訪れた。
何も変わっていない、というだけでスイボクは感慨深くなっていた。
「雨も降るのですか?」
「しかり、基本的には出口のある場所と気候は一致しておる。昼夜もそれに沿う」
「なるほど、完全に隔離されているわけではないと」
師弟は既に、自分たちに向けられている殺意に気付いていた。
そのうえで、何も恐れずに前へ歩いていく。
「お、お、お久しぶりです!」
そうした気配を牽制するように、巫女道の使い手である少女たちが走ってきていた。
その顔には、明らかに焦燥が宿っている。
そう、彼女たちは聞かされているのだろう。この地でも猛威を振るった、他でもないスイボクのことを。
「サンスイ様、スイボク様! ようこそ、セルへ!」
「大天狗様がお待ちです、どうぞこちらへ!」
「間違っても、いきなり暴れださないでくださいね!」
ある意味間違っていない反応をしながら、十人ほどの巫女道の使い手たちは、湖に囲まれたそそり立つ岩山を指さした。
なだらかな球形をしているこの地に唯一ある、突起した地形。
この地の中心にある山へ、一行は案内を始めたのだ。
「そ、その! 間違ってもあいつ等と戦わないでくださいね!」
「殺気とか感じ取ってますけど、絶対にダメですよ!」
「無抵抗で殺されてください!」
「もしくは何もさせずに殺してください!」
巻き添えを食らいたくないのか、巫女道の面々は慌てていた。
一定の距離を保ちつつ、しかし逃げ出すことができずにいた。
「む? 昔のことを散々聞かされておるのか?」
「え、ええ……」
「その、荒ぶる神とも称えられる大天狗殿ですから」
「以前は、その、ひどかったと聞いております」
「そうか……うれしいような、恥ずかしいような」
己の師匠よりもはるかに年長であるという仙人。
フウケイと会うことができなかった山水にとっては、初めての体験であった。
それ故に、周囲の殺気よりも、この地の中心に座する気配への畏敬を抱きつつ、少女たちの案内に従っていた。




