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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
神の帰還と竜の侵略
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虚空

 ずっと、あこがれていた。

 普通の子供のように、大人が振るう剣を見て憧れていた。

 あの鉄の剣、強くて硬くて鋭くて、どんな敵でも切れる剣が欲しかった。


 大きくなって、初めて剣を握らせてもらった。

 鉄の剣ではなく、木の剣だった。

 不満だったものの、大人からは鉄の剣を使わせてもらえなかった。


「僕は、鉄の剣が使いたい!」

「ははは」

「ははは」

「ははは」


 大人はみんな笑っていた。

 昔はバカにされているとしか思っていなかったが、実際には違うことだった。

 つまりは、誰もがそう言っていたからだ。

 子供だった時は、大人の真似をしたがるもので、だからこそ大人は昔の己と重ねて笑うのだ。

 確かに当時の自分には、鉄の剣は重かった。おそらく、筋力的にも体格的にも、鉄の剣を使うことはできなかっただろう。


「お前にはまだ重い」

「お前にはまだ大きい」

「お前はまだ小さい」


 もちろん、大人たちは全員が止めた。

 子供に鉄の剣を持たせたら、確実に危ない。

 怪我では済まない、大きな傷を負うかもしれない。

 もしかしたら、人を死なせてしまうかもしれない。

 だから駄目だよと、大人は思っていた。

 しかし、当時の自分は、ただバカにされていると思っていた。

 それこそ、普通の子供同様に。


「よし、じゃあその木の剣で打ち込んでみろ」

「そうだぞ、相手をしてやろう」

「さあ、かかってこい」


 結果から言えばではあるのだが、当時の自分には鉄の剣を持たせるべきだった。

 確かに鉄の剣を、当時の自分は使いこなせなかった。

 軽めである木の剣なら、ある程度は使うことができた。

 子供用の軽い剣だった。

 だからこそ、自分でも使いこなすことができていた。


 流石に仙人になる前の話なので、うろ覚えではあるのだが、確か大人は三人だった。

 周囲には、自分以外にたくさんの子供がいたと思う。


 息をせずに地面に倒れている大人と、泣き叫んでいる子供たち。

 そして、初めての殺人で高揚している自分がいた。


 子供というのは、自分の万能性を疑わない。

 どんなことでも、誰かがやっていることなら、自分でもできると思うものだ。

 普通は、そんなことはない。

 大人と子供の差、人間とそうではない者の差、性別の違いや体格の違い、才能の有無と費やした修練の差。

 それらによって、子供は自分にできないことがあるのだと、癇癪を起しながら学んでいく。

 できないことがあるのだと学びつつ、しかしできないことができるように学んでいくのだ。


 しかし、悲しいかな。

 自分はその時点で最強だった。

 初めて木の剣を握ったその日、自分は大人を三人殺していた。


 自分は強い。

 大人でも簡単に殺せる。

 その事実を喜んでいる自分、それはとても昔のことで。

 そして、割と最近まで改められることがなかった、自分の原点だった。


 大人を殺した子供、というのが寝込みを襲うぐらいなら、共同体はその子供を殺すことで済ませようとするだろう。

 油断しているとはいえ、互いに木の剣を持っていた状況で、それで打ち殺されたのだ。

 周囲の大人が、自分を殺そうとすることはなかった。


 この子は人間じゃない、手に負えない。

 そうして、自分は共同体から排除された。

 そして、仙人の弟子になる。



 スイボクと山水は、ほんの半月ほどでマジャン上空に差し掛かっていた。

 空路を行く場合の有用性は、速度云々以前に一直線で移動できることにある。陸路であれ海路であれ、一直線に目的地まで向かうことはできない。

 まして、荷物を大量に積んだ馬車で移動するとなると、それこそ通れる道は限られてくる。また、如何に馬車を使っているとはいえ、馬も動物。餌を食べる時間も必要であるし、走らせ続ければつぶれてしまう。

 であれば、半年もの間移動し続けることも、仕方がないといえば仕方がない。

 天道法を用いた、雲での移動。それは当然朝も昼もなく移動し続けており、休憩の必要もない。

 また、山水もスイボクも仙人である。双方ともに、一切飲食をしない。よって、補給のために地上に降りることもなかった。


「……やっぱり仙術ってずるいですね」

「であるな。俗人の努力には頭が下がる」


 文字通り天から人の営みを見下ろしている二人ではあるが、自分たちがすぐれた存在であるとは思っていない。

 努力していることや困難なことをこなしている姿勢を、あざけるような考えは二人にはないのだ。

 どちらかと言えば、普通の人たちが必死になって頑張っていることを、軽々と『ずるいこと』をしてこなしている自分たちが悪人であるかのように感じるほどである。

 じゃあ歩いて往復するのか、ということになるが、それはそれで時間がかかりすぎるのでやはり有限な人間の感覚に沿うものではない。


「さて、この辺りであるか」


 集気法の一種である、周辺の状況の把握、仙人特有の知覚能力。

 本来瞑想などによって集中しなければ発動しないそれを、この師弟は常時発動させながら戦闘さえこなせる。しかし、当然ながらスイボクの方がその有効範囲は広い。天空に浮かんでなお、地上の広い範囲を把握できるのだ。

 彼はその能力を生かしながら、秘境セルの入り口を探っている。


「弟子よ、縮地の上位に座する虚空法に関しては、見たことがないはずじゃったな」

「はい」

「アレは地道法同様に、発動までの時間を要する気の長い術。ゆえに、そうそう見ることなどできん」


 仙術は、人間が操る術の中で最も効果範囲が広い。

 まさに神の如き、大自然そのものを操作する、非常に強大な術である。

 しかし、それはとんでもない時間を要する術でもある。

 地道法、天道法、錬丹法。それら上位に位置する術は、本当に長い時間をかけて発動させる術である。

 スイボクが広大な森をたやすく浮かべたり移動させていたことは、つまりはスイボクが千五百年かけて仙気をその森に満たしていたからに他ならない。

 よって、虚空法もまた同様に、何十年も費やす術だというのなら、それはそうなのだろう。


「どんな術なんですか?」

「世界そのものを隔離する術、である。世界を伸び縮みする布と思え。その布の上に重石を乗せると、たわむであろう?その重石をさらに押し込み、へこんだ部位を紐などで結べば、そこは俗世とは無縁の世界になる」


 もちろん、虚空法を用いると地面にめり込む、というわけではないのだろう。あくまでも、比喩の話である。

 なんとなくではあるが理解した山水は、ふむふむと頷いていた。


「隠れ里、と呼べるほどの場を作るには、何十年もかけてその『布』をへこませて行かねばならん。あまり慌てると、『布』が破れてしまうのでなあ」

「破れると、どうなるんですか」

「布そのものはすぐに直る。しかし、布の上に在った『物』は、良くてずたずたに破壊される」

「良くて、ですか……」

「悪ければ、この世界に残ることもない。布の外とはな、布の上での常識が通じぬ世界じゃ。いや、世界と呼んでいいのかもわからんな。まず、世界の外であるし」


 経験があるらしく、懐かしそうに思い返していた。


「そこには音もなければ光もない。匂いもなければ触れるものもない。勘でどうにか切り抜けられるということもない。そこで当てになるものは……ただ、虚空を把握する能力のみ」

「……そんな世界があるんですか」

「縮地の場合は、あくまでも布の上を移動するだけ。それならば、それこそお主のように集気の段階でも不自由はない。しかし、虚空法の先、布から出た世界では……まあそうもいかぬ」


 なんでもなさそうに、世界最強の男は言い切った。


「普通は死ぬ」

「そ、そうですよね」

「虚空法を修めるものは、感覚の目を布の外へ向ける。あくまでも覗き込むだけであって、己が身を投じるわけではない。そうして布の外、世界の外を認識し、結果として布そのものを深く把握できるようになるわけである。しかし……そうしていると、あることに気付く」


 そういって、己の弟子を見た。

 神から紹介状を預かってきた、己の弟子を。


「神のいる場所が、虚空の彼方にあると気づく」

「……」

「八種神宝たちが神に生み出された、と自ら言っていることから、我らこの世界で生まれた者は神が実在すると知っておる。無論、一々気にかけて過ごしているわけではないが」


 久しぶりに、山水は自分がこの世界で生まれ育ったわけではないと思い知っていた。

 この世界のことを、己の師匠が大真面目に語ることで、それを痛感している。


「そのうえで、我ら虚空法を学んだ仙人は、神のいる場所を知っている。それこそ、俗人も星や月を見ても赴けぬように、仙人もまた神の座に至ることはない。儂以外はな」


 最強とは、大量の競争相手がいてこそ成立する言葉である。

 最強などよりもはるかにすさまじい、唯一の達成者にして到達者。比喩誇張抜きで空前絶後の偉業を成した男は、それをなんでもなさそうに語っていた。


「師匠は、そうして神のいる場所にたどり着いたんですか」

「うむ。アレは……無謀であったな」


 最初の五百年は、エッケザックスを求めての放浪だった。

 探せるだけ探して、今はこの世界にないと確信したスイボクは、神の座へ赴いたのである。


「当時の儂は、千五百歳。未熟も未熟であり、血気盛んであった。ただ己を妄信あまりに、余人が不可能と諦める愚行に手を染めた。いいや、誰がどう考えても危険である、という死地に身を投じ足を踏み入れたというべきかもしれん」


 他の誰かなら無理でも、自分ならできる。自分は他とは違うのだ。

 その傲慢さゆえに、その当時のスイボクは神の座を目指すべく、『布』を破って布の外へ出た。

 それで何とかなったあたり、スイボクというのは大概なのだろう。


「命からがら神の座に至った時は、本当に驚いておったな、あの神めは」

「そりゃあ驚いたでしょうねえ」

「慌てていたのか、何やら大量のロウソクをじゃなあ……」

「あ、師匠。それはいいです」


 何やら、スイボクと神が『ついうっかり』で大量の死者を出していることを、山水は知りそうになっていた。

 偉大過ぎる師匠の、知りたくない罪がまた増えるところである。


「まあとにかく、頼んだところもらえたわけじゃな。エッケザックスを」

「凄い話ですね」

「エッケザックスの奴は、それはもう喜んでおった。アレは克己心の強い者を求める、気位の高い剣であったからのう。最強の剣である己を求めて、神の座にまで至った儂をたいそう嬉しそうにみておった」


 それでも、別れは訪れた。

 千年後、スイボクはさらなる高みを目指して、神の座にまで探し求めたエッケザックスを手放した。


「その時、神めは儂のことを見て……うむ、呆れておった。今にして思えば、神めも儂のことが理解できなんだのであろう」

「そうでしょうね……話を聞いているだけで、師匠がその時点でも相当強かったのは、よくわかりますから」

「うむ、ダインスレイフも言っておったが、神の座に手が届くほどの強さを持つ儂が、その上神剣をもつのだ。過剰が過ぎる、とな」

「祭我も同じ状態になってますよ」


 強い武器であるがゆえに、強い使い手であるがゆえに、殺すわけでもない相手と一対一で戦うには過剰であり使う必要がない。

 スイボクも祭我も、自分から積極的に軍隊と戦うことがないため、正直に言ってエッケザックスは必要性が薄いのだ。


「祭我はまだ良い。お主という師であり敵がおるからのう。儂の場合は、ほれ、他に誰もおらなんだ。だからこそ、ノアを地の果てまでも追い詰めた」


 これは、自分には必要がないものであり、切り捨てるべきものだ。

 そう気づくまでも、多くの相手を傷つけ過ぎた。スイボクは、それを悔いている。


「うむ、サイガはよい。アレ本人も強くなっておるが、周囲によき友がいる。羨ましい話であるな」


 エッケザックスを持っていなければ勝てない相手がいる。

 エッケザックスをもってしても勝ちきれない相手がいる。

 そんな相手と殺しあわずに済んでいる。

 それは、スイボクにとっては羨ましい話だった。


「それは、師匠が俺を鍛えてくれたからですよ」

「そうであれば、うれしいが……。ともあれ、本来布の外はそうそう移動できるものではない。真価を発揮したノアは、別の布からこの布へ人間を運び込んだという。つまり、対人仕様ではない神宝でなければ、超えることはできぬのじゃな」

「そう考えると、あの神って本当にすごいんですね……」


 神に会ったことがある山水であるが、まるで尊敬していなかった。

 しかし、少なくともその力は、人間をはるかに超えているのだと理解できる。

 

「ということは、仙術が使えれば旧世界にも行けるんですか?」

「理論上はな。しかし、儂が言うのもどうかと思うが、相当な難事であろう。布の上から、別の布を探すところから始めねばならん。神の座は目立つゆえに探るなど難しくない。たとえるなら、白昼の太陽である。しかし、他の布となると、それこそ昼に星を探るようなもの。悠久の時を生きる我らでも、熱意をもって探さねばならぬ。そして、儂が言うのもどうかと思うが……普通の仙人は、そんなことをせん」


 自分が普通の仙人とは行動原理が違う、ということを理解したうえでスイボクはそう言い切っていた。


「俗人ならともかく、なぜ仙人がそんなことをせねばならんのだ」

「よっぽどの事情がないと、そんなことはしないと」

「然り。そんなことなど、そうそうは起きぬ。あえて止めはせぬが、お主も別の世界など目指すな」


 深く、含蓄のある言葉を口にした。


「答えは常に、己の内にある。どこか別の場所に行けば、何かが変わるかもしれぬ、というのは若さゆえの妄念にほかならん。場所が変わっても、己は己。己自身の宿業からは、決して逃れられぬのだ」

「そう、ですね……ですが俺は、神が師匠に会わせてくれたことに、師匠が俺を鍛えてくれたことに感謝していますよ」

「……失言であったな。我が弟子よ、お主には当てはまらぬことであった」


 移動していた雲を、スイボクは止めた。

 それと同時に、雲から降りて重力に身をゆだねる。


「己の答えは、己で見つけるべきである。儂が見つけた答えが、お主に当てはまるわけではない、か」


 己の老いからくる愚かさを戒めつつ、スイボクは秘境の入口へ落ちていった。

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