師弟
対策を練る、というのも武である。というよりも、楽しい武である。
少なくとも、何も知らない敵を大量に切り殺しまくるのは、あんまり楽しい武ではない。
同様に、反復練習をして技を覚える、というのも初心者には苦痛だろう。
一対一で互いの手の内を知っているうえで、如何に戦い倒すか。それを考えて実行することこそ、戦闘の醍醐味である。
昔はともかく今となっては、正蔵がやるように景気よくぶっ飛ばして悦に浸る、というのはどうかと思っている。
弱い者いじめは趣味じゃない、とかいうキャラは傲慢だとか恰好をつけすぎていると思っていたが、少なくとも弱い者いじめが好きな奴よりは好意的に思えるようになっていた。
少なくとも俺は、弱い者いじめが嫌いである。一国を攻め落とすとか、本当につらかった。
なんで大真面目に国を守ろうとしている兵士たちを、一々切り殺さなければならなかったのか。
「そういえば我が弟子よ、お主は先日一国を攻め落としたそうな」
「はい、主命ですので」
「であれば良い、儂のようになるなよ」
いや、良くはない。
師匠が一国を滅ぼすのって、それこそ周辺の気候変化などによるもので徹底的に人が住めなくなるとかそんな感じだけども、普通に攻め落としたこともあるらしい。
個人的な理由や、あるいはうっかりミスで滅ぼすのと、主命で滅ぼすのはそんなに変わらないような気もする。
「儂は今までそれなりの国と付き合ってきた。その中でも、アルカナ王国は一番良い国と言っていい。いや、それどころかアルカナ王国以外の国は、儂のことを最終的に物扱いしようとした。利害の不一致、というよりは……欲に目がくらみ過ぎたのであろうな」
そのあたりは、既に俺がアルカナ王国と良好な関係を構築していたことが大きい。
まずソペード家にしてみれば、俺のように目立つ格好をした子連れの刺客がいるわけがないと思い、加えて当時の当主と次期当主をまとめてあしらったことが大きかった。
これだけ強ければ、奇策を練らずに堂々と暗殺できる。それをしていないのだから、この子供は敵ではないし悪意もない、という認定をされた。
そのあとはお嬢様の護衛という任務で信頼を重ね、かつレインという『人質』もいたことでそれなりに重用された。
そのあとに近衛兵全員と戦って殺さずに治めたことで、ようやく俺が国家でも手に負えないほど強いと認識されたわけである。
おそらく、それまでは精々近衛兵の統括隊長ぐらいだと思われていたのだろう。
実際には、剣術限定なら師匠クラスであるが。
「その点、お前は主に恵まれた。うむ、最悪皆殺しにするであろうと思っておったが……」
主が理不尽な要求をしてきた場合、皆殺しにするとか嫌な子連れ仙人である。
その場合、どちらか一方が悪いのではなく、両方が悪いと思われる。
「ええ、本当に出会いに恵まれましたよ」
ともあれ、そんな俺がひたすら『師匠はもっと強いです』と言っていて、他にも四人の切り札がいて、彼ら全員が各々の主に忠義を誓っていたからこそ、師匠のこともアルカナ王国は受け入れたのだろう。
勝ち目がないと正しく理解して、全面的にあきらめていたともいう。
アルカナ王国の姿勢は単純で、師匠が差し出したものを受け取って、してほしいことや教えてほしいことがあれば普通に頼んで、無理だったり断られたことはあきらめた。
うむ、実に普通である。
しかし、その普通を、今までの国ではしてもらえなかったのだろう。
人間は良く知らないものには幻想を押し付けがちで、よく考えればそんなに都合がよく世界が回るわけがない、ということを考えられなかったりする。
俺もそうだったし、祭我もそうだった。人間とは、できないことを知っていくのが成長なのである。
「で、あればである。およそ、最後になるやもしれん修練の時間を、こうして無駄にするわけにもいくまい」
そう言って、師匠は雲の上で立ち上がった。
おそらく、なにがしかの術を授けてくれるのだと思う。
なんのかんのいって、牽牛とか織姫を習ってからもう二年ぐらい経つ。
本来ならありえないことだが、俺が基本的な縮地を過剰なぐらいちゃんと修めていることもあって、応用技を覚えるのもとても早いのだ。
つまりは、また新しい術を教えてもらえるわけである。
「儂の独創した術を授けよう。つまりは、水墨流仙術であるな」
「……え」
「しかり、察したように『剣、交えるまでも無し』に至るまでの術である」
その技は、師匠に何度か見せてもらったことがある。
師匠が到達して捨てた、一番理想から遠い技である。
「いうまでもないが、アレを使うにはお主は若すぎるし、そもそも憶えたくないと思っている技を習得できるとも思えん。これから授けるのは、あくまでもその前段階になる術じゃ。当然牽牛や織姫よりも難しい」
そう言って、師匠は剣を振るう。
もちろん、理想的なフォームによる理想的な剣の素振りだ。
「さて、縮地の弱点は当然知っておろう?」
そう言って、師匠は剣を振っている最中に縮地をした。
雲の上を細かく移動したところ、縮地の前には動いていた剣が止まっていた。
「はい、動いていたものを縮地させると、止まってしまうことです」
「しかり、もちろん必ずしも悪いわけではなく、有用に働かせることもできる」
つまり剣を振るっている途中で相手の前に縮地をしても、剣を当てることはできても降りぬくことはできない。
縮地で近づいて敵を切るには、『まず縮地する』『次に剣を振る』『切る』という感じになる。
これが『剣を振る』『縮地する』だと剣が一度止まるのだ。ものすごく雑に言うと、野球でいうところの強振がバントになるようなもんである。
なので走っている相手を牽牛で引き寄せた場合、走っている姿勢のまま静止することになるので、場合によっては転んだりする。
「とはいえ、儂はこれを改良した」
「凄いですね」
「うむ、我ながらようやったと思っている」
そう言って、師匠は剣を振りながら縮地をした。
今度は縮地の前後で動きが連続しており、剣がそのまま降りぬかれている。
「水墨流仙術縮地法”不止”。止まらぬ縮地というわけである」
これだって大概な技である。今までは縮地を使う場合発勁を主に使っていたのだが、今後は気功剣でも問題がないのだから
発勁は触るだけで技になるので、殴るなどと違って縮地と相性がよかった。しかし、やはり威力不足は否めなかったわけで。
「もう一つ教えよう。これは牽牛や織姫と同じで、自分ではなく相手に作用させる縮地である」
そう言って、師匠は俺に触れた。
直後、師匠の姿が俺の視界から消える。
常人なら師匠が縮地で移動したと思うところだが、そこは流石に師匠の弟子である俺だ。
俺の背後に師匠がいることを、師匠がその場から動いていないことを、俺は把握している。
「水墨流縮地法”乱地”。相手の位置ではなく方向を変更させる縮地じゃ」
つまり、師匠は俺に触れた後、前を向いていた俺を縮地させて後ろを向かせたのである。
方向転換させる縮地、ということだろう。わざわざ触れてやる割には、地味な成果である。
牽牛や織姫よりも難しいのだとしたら、習得する意味合いが薄く感じられる。
もちろん、俺や師匠以外の場合では、だが。
「これで、戦闘の幅が広がりますね……ところでその、師匠」
「なんじゃ」
「これ、祭我やラン、トオンと戦う時には使ってなかったですよね」
「お前に教えるつもりがなかったからのう」
相変わらず、師匠は凄いなあ。
弟子に教えるつもりがない術は、使わずに済ませることもできるのか。
それだけ術の引き出しが多く、応用の幅が広いということでもあるのだろうが。
「もちろん、いきなり完璧に使える、ということはあるまい。戦闘で使うには、数拍遅れるか事前の準備が必要であろう。少なくとも、しばらくは体にしみこませねばならん。術の選択肢が増えると、応用が広がる分迷いも生まれる。術におぼれて弱くなる、ということがないようにせねばな」
いよいよ、これが最後の教えになるのかもしれない。
そう思うと、胸にこみあげてくるものが確かにあった。
師匠が故郷に帰ると言い出す前は、レインたちと死別しても師匠にまた稽古をつけてもらえると思っていた。
たくさんの土産話をして、俗世で学んだことを語って、さらなる精進を誓うつもりだった。
五百年森の中で過ごしたように、それから先もずっと師匠に稽古をつけてもらうのだと、疑ったことがなかった。
「師匠、その、水墨流の仙術ですが」
「しかり、お主に伝えねばそれで断絶であるな」
既に、一番肝心なことは教わっている。
あの森を出るときに、もう俺は師匠から太鼓判をもらっている。
だがそれはそれとしても、師匠は俺に自分の名前を刻んだ術を、改めて教えてくれている。
それが意味するところとは、つまりは。
これが最後になるかもしれない、ということだった。
「……はい、ちゃんと学ばせていただきます」
もちろん、師匠を止められるわけがない。
師匠に死なないでください、と俺は言えない。
四千年生きてきて、武を極め、それを弟子に伝え終えているスイボク師匠を、弟子である俺が止められるわけがない。
師匠はけじめをつけるために故郷へ向かうし、場合によっては自然に帰るのだろう。
俺が居なくてもそうしていただろうが、未練なく死ねるのは俺がいるからだ。
「うむ、帰った時に驚かせてやるがよい。ソペードの当主殿に、己が最強であることを示し続けるためにも、強くなって帰るのだぞ」
仮に、師匠が死んだら。
俺はレインたちが死んだあとも、自分一人で強くならなければならない。
今の師匠に勝るとも劣らぬ術理を編み出し、それをまた誰かに引き継ぐのだ。
もちろんそれができるとは限らないが、それを目標にするべきだろう。
ああ、でも。
もしもそうなったら、俺は一人なのだ。
師匠はあの森で、千年間孤独の中で過ごしていた。
腐ることなく老いることなく、ひたすら鍛錬をこなしていた。
だが俺は、それができるだろうか。
スイボク師匠という目標があるとはいえ、それを目指して鍛錬に没頭できるだろうか。
今更ながら、師匠が遠い。
「はい、よろしくお願いします」
だからこそ、俺は師匠に教えを乞うのだ。
今までのように、今が続く限り。




