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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
人生の墓場、国家の葬式
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離脱

 そもそも、人生とは楽ではない。

 スイボクが語るように、人間らしい生活とは辛く苦しいものである。

 山の中で暮らす生活が楽しく充実しているのなら、それこそ人間は態々町など作らないし国など形成しない。

 当たり前ではあるが、町ができて国ができたのは、単にそちらのほうが人間が暮らしやすいからである。

 もちろん国家を形成するには税金という仕組みが必要であるし、加えて生産活動に従事しない人間も生まれる。いわゆる既得権益であるが、仕方がないとしか言いようがない。


 確かに社会とは強者が弱者から効率的に搾取するための仕組みではある。

 態々生産者の元へ行って暴行し搾取するのではなく、定期的に搾取できるのなら、それはとても楽な話だ。

 しかし、だとしても社会がなければ搾取されないのか、という話に成る。もちろん、強者は搾取する。

 社会がなかったとしても、弱者は当然搾取される。


 そもそも『人間らしい暮らし』とは自分が嫌なことをしたくないというだけで。

 もっと言えば『人並みの暮らしができればいい』といっても最底辺や最低水準や、あるいは本当の意味での平民の暮らしをしたいわけでもない。


 結局人間は、そんなもんである。

 自分がまずそういう人間であるにもかかわらず、全くの他人にも同等の期待をするのもたいがい間違っているのではないだろうか。


「はっはっは! まったく、ボロい話だな!」


 この町の人間は、自分たちのカネによって稽古場を建てた。

 それなりに手間暇をかけて、それなりに自慢できる設備を作ったのである。

 その投資を回収し切る前に、荒くれ者たちが上がり込んで好き放題にしていた。


 この商売は明らかに詐欺だ、そう嗅ぎつけた無法者たちが人数を揃えて町を襲ったわけである。

 つまり、道場破りが常駐している状態なわけである。

 当然、町の人間は怯えて後悔してた。こんなことなら、稽古場など立てるべきではなかったと。

 そして、無法者たちは好き勝手に振舞っていたわけである。


「ここの連中を、領主も武芸指南役も見捨ててる。っていうか、ぶっちゃけ俺達のことを報せることもできない」

「そうだな、だが俺達はこれで失礼する」


 一応剣の稽古をするために建てられた稽古場の中で、荒くれ者たちが酒盛りをしている。その中で、数人の男達が戦利品を抱えて立ち去ろうとしている。

 もちろん、この稽古場を維持するために準備されていた予算であり、町から奪った自分たちの分け前である。


「おい、もう行っちまうのか?」

「当たり前だ、長居は無用だろ」


 そもそも、この町はさほど裕福ではない。

 だからこそ、この町をたやすく占拠できたわけであるが、しかし手に入るカネが少ないことも意味している。

 長々いつく間に、カネが増えるわけもない。つまり、さっさと撤収するべきなのだ。

 にもかかわらず、残るのは……結局、大きな顔をしたいからだろう。


 人間は、誰かを虐げたいと思っている。

 他人に対して優位に立ちたいという本能を抱えている。

 もちろんそれを表に出しすぎれば、他人から迫害されるわけではある。

 しかし、相手より強く、相手に負い目があれば継続は可能だ。

 そして、それが満たされるのは気持ちが良い。

 彼らが残っているのは、そういう理屈だろう。


「それに、切り札には関わりたくねえ」

「おいおい、ここは切り札の弟子の、その故郷だぞ? 全然関係ないじゃねえか」

「そうだな、だがそれでも切り札の関係者だ。はっきり言って、関わりたくねえ」

「まさか、切り札って連中が、噂通りに強いとでも思っているのか?」


 ここから去ろうとしている男達は、ここに残る男達に呆れた目を向けていた。

 はっきり言って、愚鈍さに呆れさえ感じていたのだ。


「俺達は、ディスイヤで『考える男』を見たことがある」

「ああ、噂の?」

「その『考える男』が、数人のチンピラに町中で絡まれてな」


 今でも思い出す、あの時のチンピラの表情を。

 町の中ではパンドラを使えないからと勝ち誇っていた彼らのことを、よく覚えている。


「で、どうなったんだ? まさか、本当に噂通りに強かったのか?」

「んなわけねえだろ、パンドラが発動していたら、俺だって死んでるよ。あいつ自身は戦わなかった。だがな、そのチンピラどもは、ディスイヤの『治安維持隊』に囲まれてた」

「なんだよ! 結局貴族様に守られてるのかよ!」


 その場は、大いに盛り上がった。一同、大爆笑である。

 なにせ国家に匹敵するという人物が、結局国家に守られているのだから。

 これではこけおどしであると宣伝しているようなものである。

 しかし、他でもなく実際に見ていた彼らは、笑うどころか思い出すだけで生気が失せていた。


「悪名高き治安維持隊が、何人でそいつを守っていたと思う?」

「知るか、多くても十人ぐらいだろ?」


 治安維持隊。

 悪所と呼ばれるディスイヤで、相応の手口で治安を守る精鋭部隊。

 もちろんそれだけ治安が悪い証明でもあるのだが、しかし彼らの恐ろしさはディスイヤがその地を平定している証でもある。


「百人以上だ。いいか、ディスイヤの当主は、それこそ全力でその『考える男』を守ってるんだよ」


 思い出すだけで寒気が走る。

 あの時、得意満面で考える男を襲おうとしていたチンピラ。

 かなりガタイがよい荒くれ者たちが、数人で囲んでいた。

 その彼らを十倍以上の数で、さらに屈強な男たちが包囲していた。

 自分たちが『誰』に手を出したのか、ようやく理解したときの彼らの顔は、今でも瞼に焼き付いている。


「そ、それがどうしたんだよ」

「切り札が強いか弱いかなんて、俺たちにはどうでもいいことだ。だけどなあ、切り札を持っている奴のことまでどうでもいいと思っているわけじゃないだろうが」


 この国の権力者たちが抱える五人の切り札。

 その彼らの噂は眉唾ばかりだが、しかしいくら何でも、この国の最高権力者たちのことは、誰もが疑っていない。


「成功すれば一生遊んで暮らせる金が手に入るわけじゃない。もしもそうなら、それこそ俺たちだって協力するさ。だがな、こんな田舎町で威張り散らすために長居するなんて、冗談じゃねえ」


 残る誰もが、去る面々が何を恐れているのかを理解する。

 実際にどれだけ強いのかもはっきりしない、実在も怪しい切り札を恐れているのではない。切り札を己の武力として宣伝している、四大貴族や王家こそを恐れているのだ。


「いいか、命が惜しかったら切り札には手を出すんじゃねえ。考える男に手を出したチンピラは、そのまんま治安維持隊に連れていかれて、そのまま次の日には魚のえさになってた。お前らもそうなりたくなかったら、とっととここを出るんだな」


 賢明、ということだろう。

 確かに切り札の生徒のそのまた故郷という程度の場所であり、しかも詐欺を働いていた町である。そこのインチキ道場をならず者が占拠している程度で、切り札や四大貴族が動くとは思えない。

 それに、町の連中も表立って領主たちに報告することもできないだろう。自分たちの行動が犯罪すれすれであり、領主の名誉を傷つける行為だと理解しているからだ。


 だが、いざとなればするだろう。

 もしかしたら既に、領主へ恥を忍んで罰を受ける覚悟で、連絡をしている誰かがいるのかもしれない

 物理的な閉鎖を行っているわけではない以上、何があっても不思議ではない。


「切り札が来なくても、領主あたりが軍隊引き連れてくるかもしれないだろうが。そうなったらお前ら、それこそ普通におしまいだぞ」


 確かにならず者とは、反社会的な集団である。

 しかし別に、国家へ反逆を企てているわけではない。

 もちろん口でそんなことを言っている、志が高いふりをしている賊もいないではないだろう。

 しかし、この稽古場を占拠している面々に、そんなお題目などあるわけもない。

 国家どころか、領主さえも相手に回すなどありえなかった。


「……けっ、怖いから逃げるってのか?!」

「そうだって言ってんだろうが。元々、この稽古場の小銭を手に入れるまでの約束だっただろう? 終わったからとっとと出ていくだけだ」


 切り札がどれだけ強いのか、確かめる気も起きない。

 切り札が動くということは、つまりは国家から敵視されているということであり、全力で追いかけまわされるということなのだから。


 指名手配、どころの騒ぎではない。

 それこそ全力で殺しに来るだろう。

 切り札の名誉と、他ならぬ己たちの名誉を守るために。

 そのためなら自分たちのごときチンピラを見せしめにするぐらい、平気でやるだろう。

 

「ああ、そうかよ! じゃあとっとと出ていきな!」


 酒の勢いや、周囲への見栄もあった。

 この稽古場を襲おうと言い出した男は、止めるのをやめていた。


 結局、人数こそが力である。

 稽古場を襲うことに成功しても、相手に抵抗されて怪我でもすればつまらない。

 だからこそ、相手が諦めるほどの数を準備するために、近くの街で『勇士』をつのっただけなのだ。

 仲間、というほどでもない。もう去っても、全く問題ない。


「ああ、そうするよ。じゃあな」


 去る側も同じだった。

 本気で忠告したわけでもないし、全力で全員へ警告したわけでもない。

 ただ、一応言っておいた程度だった。


「ただなあ、噛みつく相手を間違えるなよ。そんなに身の入りがいいわけでもないんだからな」


 どのみち、こんな占拠は長続きしようがない。

 町の食糧にも予算にも限度はあるし、庶民でも下剤を酒に混ぜるぐらいはするだろう。

 追い詰められればネズミでも猫を噛む。しかもこちらは猫に見せかけているだけで、実際には少々大きい程度のネズミなのだから。


「けっ、どこへでも行きやがれ!」


 このままでは、さらに離脱者が出るかもしれない。

 そうなれば、自分が王様気分を味わえる時間も減ってしまう。

 それを恐れた彼は、自分が君臨している集団の輪を守るために、彼らを追い出すしかなかった。

 それは、彼が頭では自分の行動が、どれだけ愚かなのかわかっているからにほかならない。


 しかし、そんな理屈で動けるのなら、最初から悪党に身を落とすことはなかっただろう。

 どのみち、残った面々も去る面々も、末路は決まっているようなものなのだから。


 そして、少なくとも、残っている面々の命運はもうすぐ尽きようとしていた。

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