問答
「……頭ではわかっているんです。俺は正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかではなく、ああしなければならなかった」
結婚式の後に、祭我はスイボクの元へ向かっていた。
もう十分甘えて慰めてもらったのだが、それはそれとして思うところがあったらしい。
本来なら山水あたりに愚痴を言うところであるが、今回は山水も参っているのでスイボクに言いに来ていた。
もちろん、スイボクも微妙に嫌そうである。
「一番優先するべきはアルカナ王国の利益であり、次にバトラブの利益、そして他の四つの家の利益。俺の個人的な考えやオセオって国のことなんて考えちゃいけない」
それでも、中々割り切れない祭我は、素直に心中を明かしていた。
「今回、俺達は完全に奇襲しました。アレが一番効率がいいのもわかっていますし……右京が言うように、俺達がどんなに最強でも、もう既に死んだものや壊れたものはどうにもならない」
頭ではわかっているが、心では納得できていない。
青臭い理屈だと思うが、それでも苦痛を感じていた。
「……今回は山水もかなり無茶をしました。貴方のような仙人からすれば、俺達人間の戦争や諍いなんて馬鹿馬鹿しいと思うでしょうが……俺達はこうしないといけないんでしょうか」
「そうであろう?」
何を当たり前のことを、わざわざ森の奥まで来て自分に言うのか、と不思議そうに尋ね返していた。
スイボクは心底わけがわからない、という顔だった。
「え」
「人間が愚かと……いったい何処の誰と比べてどう愚かなのだ」
「ああ、いや、その……人間が勝手に国境とかを作って、その境を挟んで敵対して、不要な血を流すとか、食うわけでもないのに殺すとか……」
「毎度思うのだが、どうしてこう俗人は儂ら仙人へ自虐をするのだ?」
森の中で腰を下ろして話しあう二人。
しかし、スイボクは祭我の言う『人間の愚かさ』がまるで理解できなかった。
「そもそもだ、戦争などというが、要は縄張り争いや食料の奪い合いであろう? そんなこと、森の獣でもよくやっているぞ?」
「え、それは、まあそうでしょうけど……」
「森の獣が愚かというのならそうであろうが、では賢い生き物とはなんだ」
「そ、その……」
「お主は人間を特別に考え過ぎじゃ。人間がやっていることなど、他の獣もやっていることであろう」
ふう、と溜息をつく。
どうやら今までの人生で、こういうことがままあるらしい。
「それともなにか、サンスイがああだこうだ言ったのか?」
「いえ、それは……嫌そうでしたけど」
「それは仕方あるまい、アレは仙人故になあ……お主らの苦しみを芯の部分で共有できん」
仙人はダメな人間である、というダヌアが言っていたようなことを、スイボクはしみじみと言っていた。
「良いか、別に人間に限ったことではないが……土地に草が生え、それを草を食う獣が食い、更に肉を食う獣がその獣を食う、というものがあるわけであるが……」
それは、祭我もよく知る食物連鎖だった。
「土地に差す日の光に限度があり、それ故に生える草に限度があり、それ故に草を食う獣にも縄張りがあり、肉を食う獣にも必然限度がある。わかるな? 縄張りとは人間に限ったものではない。人間に限らず、生き物には縄張りがある。そうではないと、生きて行けぬからだ」
「そ、そうですね」
「その辺りのことを、まるでわかっておらん人間のなんと多いことか……実際に農耕や狩猟や漁業に関わらん人間ほど、己の食い扶持を得ることがどれだけ難しいのか想像もしておらん」
自然の恵みとはけっして無尽蔵ではない。
地下資源が無限ではないように、地上で循環する資源も確実に有限である。
山菜であれ果実であれ、人間が食えるものは他の生き物も食べるものである。
であれば、安定して食料を得るなどまったく現実的ではない。
「偶にあるのだ、儂が山にこもっていると『社会で暮らしていくのにつかれた』だの『人間らしい暮らしがしたい』だの言う人間が、儂の近くで住んで何やら親しげに擦り寄ってくることがな」
「あ、そ、そんなことあるんですか……」
「実際のところ、儂もサンスイも飲み食いが一切必要ない仙人だからこそ剣を振るう余裕があったのだ。飲み食いが必要な人間が、いきなり山で暮らせばいっときはどうにかなっても一年だの二年だの持つわけがない」
「で、ですよね〜〜」
「仮にどうにかなったとしてもだ、病や毒に倒れるか、怪我でもすればそれまでであろう。そのまますぐ死ぬぞ。それに、なにもかも順風に進んでも老いて衰えるぞ。それでそのまま死ぬことをよしとするのなら潔いが、たいていそうではないしなあ」
「ま、まあそうですよね」
「儂には社会の中で疲れるだとか人間らしい暮らしというものもまったくわからん。山の中で暮らせば山の中での暮らしに疲れるだけであるし、人間らしい暮らしというのならたいていの人間は人里で汗水たらしながら必死で過ごしていると思うのだがなあ」
つくづく、仙人とはインチキな生命である。
飲み食いが不要で暑さ寒さに左右されず、病や毒に脅かされることなく、何よりも老い衰えることがない。
そんな彼らだからこそ、山の奥深くにこもって長く鍛錬をすることが出来るのだろう。
「話が逸れたが……とにかく縄張りを持つ生き物は人間に限らん。特に肉を食う獣は顕著でな、相当広い土地を縄張りにしなければすぐに飢える。だからこそ縄張りに臭いをつけて他の獣を牽制するのだ」
「あ、はい……」
「そして縄張りを他の獣に奪われた場合どうなると思う? 彷徨ってまた別の縄張りを奪うか、あるいはそのまま死ぬかだ。もちろん、群れそのものがそうなる」
「だ、誰も縄張りにしていないところとかないんですか?」
「あると思うか? いいか、土地というものは広ければそれでいいわけではない。土があればどんな木や草でも生える、というわけではない。それなりに条件というものがある。人間も家を構えるにはそれなりに条件があるであろう? 草を食う獣も肉を食う獣も同じだ、どこでもいいわけではない」
少しむずかしい言葉を使うなら、環境収容力というものである。
一定の条件を満たした一定の広さの土地には、恒常的に暮らせる生物の数があらかじめ決まっている。
それより増えた場合、食料などが足りず飢えて調整されるのである。
「田畑を耕すにしても、水源云々を抜きにしても条件はあるのであろう? 儂も二千五百年ほど彷徨ったが、基本的に良い条件のところにはもう人が暮らしておるぞ」
「ま、まあそうだとは思いますが……」
「つまりだ、田畑の広さに応じて、土地の広さに応じて、縄張りの広さに応じて暮らせる人間の数は決まるのであろう。それよりも増えれば他を襲って奪うのは当然で、他の群れに奪われまいとするのは当たり前ではないか」
飲み食いが不要なスイボクは、今回の行動を全面的に肯定していた。飲み食いが必要で、しかも家族を抱えている祭我が、今後も家族を食わせていくための行動は正しいと認めていた。
「でも、その、スイボクさんの理想は……その、戦って高め合う事では?」
「であるから、それは儂の理想でありサンスイに引き継いだ最強である。飲み食いが不要な仙人の寝言である」
三千五百年かけて到達した境地を、スイボクは寝言と言い切っていた。
その開き直りぶりに、祭我は空いた口がふさがらなかった。
「およそ、世にあって戦うとは目的ではなく手段である。最強を志すのは食うに困らん人間の趣味であり、ただの暇つぶしである」
「……」
「それともなにか、お主は妻が飢えて子が飢えて自分が飢えても、それでも最強を志すのか?」
「それは、違いますけど……」
「であろう、であれば何を引け目に思う? ウキョウが言うように、縄張りを守るために出来ることを尽くしたまでであろう。へたをすれば縄張りを奪われて、家族を飢えさせたのかもしれんのだろう? なぜそこで最強のあり方にこだわる」
相手の国へ罪悪感を感じるかどうかはともかく、自分に罪悪感を感じる意味がわからない。
スイボクは本気でわかっていないようだった。そして、言われてみると祭我も自分がここにいる意味がわからなくなってきた。
「大体、お主は結婚式で自分の妻のことも侮辱されたのであろう。そこでなぜ同情する」
「それは、その……」
確かに祭我は以前にソペードの当主から挑発されて、とんでもなく怒っていた。暴力に訴えることはなかったが、それでも四大貴族の当主に向かって大概な態度をとっていた。
「実際に拷問されているところを見ると、そこまでしなくても、という気分に……」
「随分ぬるいな……お主は」
「いえ……その、俺は」
正直、誰にも言えないことだった。
「もしかしたら昔の俺は、ツガーっていうかわいそうな女の子を守っている俺、に酔っていたのかもしれません」
「昔そう思っていたとして、今ツガーとやらが侮辱されるか、命を狙われれば守らんのか」
「守ります」
「では良かろう」
肝心なことがわかっているのなら、それでいい。
それでなぜ満足しない。それがスイボクには分からない。
「もちろん儂も五百年前までは七転八倒しながら過去を悔いつつやってきたが、それは儂が無駄に回り道をしたからであり、無駄に回り道ができたからにすぎん。儂は守るものもなく日々の糧も不要で、ただ強さだけを求めていた。それで手前勝手に苦しんでいただけじゃ。そんな儂に人道を問われても困る」
祭我は今更思い出していた。
そう、この男はついうっかりで特に意味もなく、術の修行で国を滅ぼしていたりしたのだ。
今でこそ尊敬できる御仁であるが、昔の行状は最悪である。
なにせ、三千年も根に持たれるほどだったのだから。
「であるから、そう気にせんで良い。儂もサンスイも、縄張りを守るための戦いであれば嫌とは言えんよ。我らがそれに文句を言えば、それこそ恥知らずに他ならん」
「縄張りというか……メンツといいますか……」
「同じであろう、儂も若い頃はメンツにこだわっておったし、メンツがなくば四方から叩かれるのが世の常である。儂も弱そうに見えたせいで四方から叩かれたものじゃ」
手段を選ばずに叩くことも、その理由がメンツであることも、そんなに気にしなくていいと彼は言う。
生きるために何も必要としない仙人は、生きるために多くのものを必要とする人間を肯定してた。
「どうやら、少しは気が楽になったようであるな」
「あ、はい……」
スケールが大きいというか、尺度や視点が異なる相手から認められると、それなりに心が軽くなっていた。呆れたとも言う。
それを感じ取って、スイボクも安堵しているようだった。
「そうそう、サイガよ。近々サンスイが結婚式をするが、それにお主は出席するのか?」
「あ、はい」
「そうかそうか、儂も呼ばれておる。アレの子を抱き、結婚式に出席できるとは、人生わからんものである」
にこやかに、未練を残していない顔の仙人は、己の剣を継いでいる男へ笑いかけていた。
「それが済み次第、儂は故郷に向かう」
「……その、フウケイさんのことですか」
「然り、である。儂もいよいよ年貢の納めどきであるな」
悔いはあるが、それでも確かに残せたものがある。
それを一部であれ受け取っている祭我は、それを止めることができなかった。
「故郷に帰るのに帰らぬ旅とはこれ如何に、といったところであるが……まあ見届け人としてサンスイも連れて行くつもりである」
「そうですか……正直、寂しいです」
「儂はその寂しさが嬉しい。うむ、今後も精進するが良い」
世界最強の剣士は、己の命運が終わることを受け入れていた。
「サイガよ、エッケザックスのことをよろしく頼む」
「はい、わかりました」




