帰途
結局、つつがなく結婚式は行われた。
まず暴行を受けたオセオ・ブラックの暴言を、多くの人が聞いていたことが大きい。
誰がどう考えても、完全に宣戦布告のようなものだった。程度はともかく、ドゥーウェの指示は正しい。
仮にアレを肯定した場合、自分の国であれをされても文句が言えなくなってしまう。それは問題である。
まあドゥーウェの行動を肯定すると、それはそれで似たようなことが起きたとき糾弾できないのだが、結婚式で花婿を力の限り罵倒する、という前例を踏襲するのは相当難しいだろう。
加えて、その時点では山水がオセオへ赴いたことをそこまで信じていなかった。
強いのはわかったが、本当に文面通りに戦って帰ってくるとは、結婚式に参列している時点では思わないだろう。
もちろん、戻った時はとんでもなく驚いたとは思うのだが。
また、ドミノを併合したことで余裕がない、というのも正当な理由だった。
アルカナ王国はドミノの国土に指一本触れていなかったが、元々ドミノは長年の圧政で疲弊していたし、ほかならぬ右京が徹底してドミノを荒廃させていたので、奪うに値するものがほとんど残っていなかった。
国土がほぼ倍になったのに、国力はさほど増えていないのだ。
それで他の土地に手を伸ばす、ということがあまり現実的ではなかったのだろう。
そして、最大の問題はオセオがさほど有力な国ではなく、ドミノを併合したアルカナが非常に強力な国だったからだろう。
確かに今回の行動は野蛮というか過激ではあったが、長期的に見て強大な国になったアルカナの機嫌を損ねるような真似をしたくなかった。
アルカナ国王の言葉を信じるかどうかは別にして、とりあえず結婚式には出る。
なにせ、今いきなり全面的に敵対する理由が、他の国にはなかったのだから。
オセオ・ブラックが思うほど、他の国は危機感を感じなかった。それが大きいだろう。
確かに山水の強さとソペード家当主の振る舞いは恐怖を伴った。しかし、恨みや怒りと違って恐怖はそう長く続かない。
確かに怖かったが、オセオ・ブラック以外は一切損をしていないのだ。それで恐怖が持続するなどありえない。結婚式で全面的にケンカを売った相手を打ちのめし、その母国へ抗議した、という『常識的』な行動をしたアルカナを、世界共通の敵とはできなかったのだ。
実際のところオセオ・ブラックが想像するように、アルカナ王国も近隣諸国から戦争状態になることや嫌われることを恐れている。
だからこそ今回の結婚式でも、ご祝儀の数倍に当たるほどの宝物を返礼として送ることをあらかじめ約束していた。
まあ、手っ取り早く言えばオセオ・ブラックと違って大抵の国は大人なのである。
嫌いな奴に対して嫌いだと言うことがどれだけ損なことかわかっているし、一度敵対関係になると修正が難しいということも知っている。
まだ自分の国とはっきり敵対するかもわからない国に、明確な対決姿勢など示さなかったのだ。
「オセオへ帰る」
結婚式が終わって数日後、熱にうなされながらもブラックはそういった。
当然だが、ここアルカナでオセオの影響力などまるでなく、侍女たちにできることと言えば肩身の狭い思いをしながらアルカナへ手紙を渡しオセオへ送ってもらうしかないわけであるが……。
それでも、仮にアルカナ王国が適切な輸送をしてくれたとしても、片道で半月はかかるだろう。
そこからオセオが迎えの兵を送ってくれるとしても、どう考えてもひと月はかかる。
であれば、無謀以外の何物でもない。
「お前たちは、無能か……金さえ払えば、人なんていくらでも集められるだろうが!」
誰がどう考えても、オセオ・ブラックは正気ではない。
確かに金さえ払えば、人を集めることはできるだろう。
しかし誰がどう考えても、目が見えない一国の王子とその侍従だけの一行を、そのままはいわかりましたと送ってくれる人がいるわけもない。
いや、居ないわけではないだろう。ただ、居たとしてもごく少数であり、それを見分ける力が侍女たちにあるわけがない。
あったとしても、王子の身の安全を考えれば、正規兵以外にはありえない。
自分たちの身を守る意味も含めて、ありえないことだった。
とはいえ、今の王子を思えばその気持ちはわかる。
今彼の中には怒りしかないのだ。
それで前向きにまともな思考ができるわけもないのだ。
願いをかなえたいと思う彼女たちに、手を差し伸べたのはある意味当然アルカナ王国だった。
帰国したい旨を伝えたところ、アルカナ王国は皮肉にも正規兵による護送隊を編成し、彼らをオセオへ送ろうとした。
「ご安心ください、必ずやオセオへ送り届けます」
王家と四大貴族の連合軍、というほどの数ではないが、一国の王子を護送するには十分すぎる兵力がブラック王子の馬車を守っていた。
当然、普通ならオセオ・ブラックはそれを許容しなかった。
だが、今の王子は周囲のことなど言われなければわからない。
よって、侍女たちは彼にやさしい嘘を言わねばならなかった。
「王子、多くの護衛を得ることができました」
「さあ、オセオへ帰りましょう」
「ああ、わかった……よくやった、帰国次第、奴らのこともねぎらってやらねばな」
※
アルカナ王国の道中は、肩身が狭いものの安定したものだった。
痛烈なほどの皮肉を込めて、アルカナ王国の用意した宿は最高級であり、道中では過保護なほどに法術使いによる治療が行われていた。
あと少しでオセオへ帰れる、その日程を聞いて彼女たちもようやく王子へ本当のことを語れる、そう思っていた。
「そ、そんな……」
山水が破壊した関所を見るまでは。
「……まさか、本当にあの剣士が?」
侍女の誰もが、オセオの関所を見て絶望していた。
破壊されて真新しく、ほとんど修理されていない廃墟が、他でもないオセオの最前線だというのが信じられなかった。
「ふふふ……どうだ、オセオの者は私の帰還を喜んでいるだろう」
「……はい、殿下。関所の責任者が、見舞いの言葉を献上しておりました」
「今回の非運を、誰もが嘆いております」
「そうであろう……オセオの民の怒りは甚だしいはずだ」
それからの道は、まさに地獄の道だった。
オセオに入ってから、王子の護衛を引き継いだオセオの正規兵はごく少数で、しかも若い者ばかりだった。とても疲れており、明らかに酷使されているようだった。
また、道中で腐臭が漂っていた。
なにがあったのかと聞けば、この道路でアルカナの兵士が一人で軍勢を皆殺しにし、それを片付けることがまだできていないのだという。
幸か不幸か、ブラック王子は鼻も利かなくなっていたため、それでも異常を感じることはなかった。
「こ、これも……これも、サンスイという男がやったのですか?」
「……はい、そう聞かされております」
城壁に囲まれた、堅牢な都市。
そこもまた、戦災の過ぎたような景色を残していた。
それこそ、道中に立ちふさがるすべてを切り裂き、あらゆる建造物を破壊していったようだった。
「殿下をこの街でお休みさせることは心苦しいのですが……」
「そうです、次の街へ急ぐことはできませんか」
侍女の願いは、力ない否定によって届かなかった。
兵士曰く、王都に至るまでのすべての街で壊滅に近いことになっており、何よりも王都や王城さえ兵士の死体が片付け切れていないという。
加えて、国中の関所や橋が落とされているという。
皮肉にもここから王都への道に支障はないのだが、それ以外の道路交通網が破壊しつくされていて、復興どころではないという。
それが、オセオ国内の革命家によるものだという怪文書がばらまかれているが、しかし起きた時期から考えて、侍女たちにはアルカナ王国の仕業としか思えなかった。
だが、国内の不満や不安は最大に高まっており、実際に王家を打倒するべく暴動も起きているという。
加えて、周辺諸国が国境へ軍隊を集めているといううわさもある。もちろん、確かめることなどできないのだが。
「殿下、今日のところはこの宿でお休みください」
「おお、我がオセオの宿であるか」
「はい、最高級のベッドでございます」
もちろん、それを王子に言えるわけもない。
侍女たちは己の国の未来を嘆きながら、しかしそれでも献身的に王子を支えていた。
それからも、道中には嘆きと破壊と殺戮しか残っていなかった。
絶望を通り越して、諦念だけがあった。
※
唯一の救いは、オセオ・ブラックが快方に向かっていることだった。
怒りによって己を奮い立たせていた彼は、道中でも脅威的な回復を見せた。
もちろん悪血を宿しているわけでもない彼は、自分の体を復元できたわけではないのだが、それでもなんとか立ち上がり、自分の足で歩けるようになっていた。
そして、王都に到着し、王城に達した。
「殿下……陛下がお会いになるそうです」
「当然だ……私のことをご覧になっていただかねば……」
自分の跡を継ぐ息子が、ここまで苛烈な目にあったのだ。
であれば、父がアルカナへ感じる感情が怒り以外であるわけもない。
己の国の誰もが怒りによって立ち上がり、苛烈な攻勢を行うはずだった。
目が見えぬまま、耳がろくに利かぬままに、幻想に守られていた王子は謁見の間へ侍女に支えられながら入っていった。
「……よくぞ帰ってきたな、息子よ」
「はい、父上……」
「アルカナから謝罪の文をもらったが、何があったのだ? 余は、おまえの口から聞きたい」
その時、侍女は王の顔をみて絶句していた。
一国の王であるホワイト王の顔に、明らかに暴行を受けた痕があったのだから。
流石にブラック王子ほどではないが、あまりにも痛ましい。
「私はこの国の代表として、かのアルカナへ赴きました。そして、愚かにも王家や貴族の血に蛮人を混ぜようという結婚式という茶番へ出席したのです」
その言葉を、急遽王城へ集められた兵士たちも聞いていた。
既に、王子以外の全員が察していることを、避けられないのだと覚悟していた。
「かの茶番は、見るに堪えないものでした。己が世界の覇権を握っていると勘違いをした輩が、掌中にある宝を下品に見せびらかし、蛮人の衣を身に着けた女が誇りを捨てた振る舞いをしておりました」
その言葉を聞いているだけで、国王は怒りに震えていた。
「もはや、堪忍ならんと、私はオセオの意気を示しました。その私に対して、アルカナの蛮人は文化的とは程遠い残虐なふるまいを私にしたのでございます」
「そうか」
「陛下、私はまだ負けておりません。確かに光を失いましたが、それでも魂は屈しておらず、血は煮えたぎっております」
「そうか」
「陛下、私への蛮行は多くの国々が知るところでございます! どうか、檄文を! 諸国の力を集めて、アルカナへ鉄槌を下しましょう!」
国王、オセオ・ホワイトは最後まで聞くと、現実を突きつけた。
「アルカナとは、手打ちにした。お前はもう寝ろ」
「……なんと?」
「お前の顔など、見たくもない。とっとと出ていけ」
「へ、陛下?!」
「お前は! まだわかっていないのか!」
オセオ・ホワイトは憤怒に燃えながら怒鳴りつけていた。
「お前は、戦争の準備もできていないのに宣戦を布告したのだぞ!」
「……そ、それは……」
「お前は、猛獣の檻に腕を突っ込んだ、虎の口に手を入れたのだ!」
「で、ですが……! ですが、私が、一国の王子がこのような目にあって、それで許すというのですか!」
「お前は、何もわかっていない! いいか、よく聞くがいい! もうこの国は滅亡寸前なのだ!」
ここで、ようやく彼は真実を知る。
自分のうかつな言動が引き起こした、あまりにも過酷な現実を。
「……そんな、バカな」




