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地味な剣聖はそれでも最強です  作者: 明石六郎
人生の墓場、国家の葬式
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健康

 人間の体には破壊されると死ぬ、という器官が多く存在する。

 例えば脳、例えば心臓、例えば肺。

 人体という複雑な『化学工場』を維持するために、多くの部位が正常に働く必要がある。


 しかし、極論すれば。

 手足という重要に思える部位は、絶対的に必要というわけではない。

 行動をするのに必要ではあるが、生存には絶対に必要というわけでもない。


 眼球の喪失は光を失うが命を失うわけではないし、鼻が切除されても致命傷にはならない。

 耳たぶなど特に不必要だ。聴覚において耳たぶは、ただ効率よく音を集めるためだけのもので、耳の穴の奥にこそ本当に必要な器官がある。

 とはいえ、男性の部位にはそれなりに肉体全体への影響があり、切除されれば軽くはすまない。


 と、迂遠な話をした。

 もちろん、皮肉である。



 徹底して痛めつけられたブラック王子は、アルカナ王国内部で治療を受けていた。

 アルカナ王国には法術使いの血統であるカプトが存在しているため、周辺諸国の中では一番医療に優れた先進国である。

 その王宮には多くの優秀な法術使いが在籍し、彼らが極めて迅速な治療を行ったことにより、王子は感染症などにかかることもなく生きていた。

 しかし、人体とは繊細である。如何に『不必要』とはいえ肉体の部位を多く切除されれば、発熱は避けられない。

 痛々しい包帯によって顔を隠され、下半身にも厚く巻かれている彼は、最高級のベッドの上でうなっていた。

 その看護をするのは、他でもないオセオからついてきた侍従である。

 如何に護衛が山水の手によって全滅したとはいえ、護衛だけがオセオからついてきていたわけではない。王子の身の回りの世話をしなければならない彼女たちは、今まさに何もできなくなっていた彼を看護していた。


「おいたわしや……」

「王子様、かわいそうに……」


 結婚式を祝いに来ただけなのに、もはやオセオの人間にとってこの国は敵国だった。

 華々しい結婚式が行われている最中、彼女たちは身を寄せ合いながら重傷を負った王子を世話していた。

 もちろん、可能ならば王子を安全な場所へ連れ出したかった。できることならオセオへ連れ戻したかったし、そうでなくともアルカナ王国からは脱出させたかった。

 しかし、悲しいかな。既に戦闘員は全滅しているし、彼女たちには馬一頭動かすこともできない。


 加えて、ここはアルカナ王国の王宮。あらゆる意味で、一番外国から遠い場所にある。

 首都と言えばあらゆる意味で国家の心臓であり脳なのだが、これが他の国や海などから近いか遠いかは国によって異なる。例えば海に近ければその分首都への守りが薄くなるが、平時では物流がとても簡単になるなどのメリットも多い。

 しかし、アルカナ王国は王家直轄領の真ん中に王都があり、さらに王家直轄領を四大貴族の領地が囲んでいる。ある意味では最も防御が硬く、ある意味では最も外国との交信が難しい土地である。

 はっきり言って、この地形的な『封鎖』こそが、アルカナ王国が連合王国と揶揄される最大の要因であろう。今回の結婚式によって、実質的にアルカナ王家はドミノ共和国を丸々掌中に収めたわけであるが、今回のようなことがない場合、王家はほとんど領地を広げることができない。

 もちろん外国から攻撃を受けにくいというメリットもあるのだが、はたから見れば包囲されているようにしか見えないだろう。


 と、そんな奇異な内情はどうでもいい。

 重要なことは、とにかく現在地がオセオからひたすら遠いということだった。

 彼女たちが王子を国外へ連れ出すには、それこそまずは王宮を脱し王都を脱し王家直轄領地を脱し……さらに四大貴族の領地を超えなければならない。

 はっきり言えば、王子の護衛が五人ほど残っていれば、それだけで突破は可能だった。

 律義に皆殺しにしてから突破しようとして成功させた山水は相当極端な例ではあるが、引退する前のブロワやトオンでも、単独で関所を超えることは不可能ではない。

 とはいえ失敗すれば普通に死ぬし、いくら精鋭であっても一人で敵国へ無理に潜入してもできることなどない。アルカナでもオセオでも、それほどの希少な人材を単独で危険な任務に投じることなどあり得ない。

 とはいえ、今回は王子を脱出させることが目的だった。であれば人材の消費もやむを得ないだろう。だが、その精鋭は既に役目を終えていた。

 一国の王子を世話する彼女たちである、当然その仕事の腕はとてもいい。しかし、彼女たちに戦闘能力などかけらもある筈がない。

 

 一つの道を究める、というのはとても難しくて大変なことである。

 いいや、難しくて大変というのは適切ではない。単純に時間が必要だった。

 スイボクのように膨大な時間をすべて鍛錬に注いでいるのなら、それこそ適性がある分野に関しては必要な分だけ習得が可能である。

 しかし、普通の場合はそうではない。一度習得するだけでも濃密な時間が必要で、その技量を維持するにも多大な努力を必要としている。

 現に一線を退いたブロワは、現役時代ほどの武勇は持ち合わせていなかった。

 王子の世話をしつつ、しかも王子の命を狙うような輩を相手に戦えるだけの技量を持つ。そんな離れ業ができる女性が、この世にそう何人もいるはずがない。

 戦える侍従も執事も必要ない。その手のことは、専門家に任せればいいだけなのだ。

 加えてもっと言えば……戦闘能力がある女性が自分の周囲にたくさんいる、という状況はあまりにも面白くないだろう。


「うう……」

「王子様?!」

「殿下?!」


 寝込んでいた『彼女』が、わずかにうめいた。

 熱に浮かされた体のまま、何とか起き上がろうとする。

 それを、侍従たちは全員で止めていた。はっきり言って、彼はまだ寝ているべきである。たとえ、寝ることですべての傷が癒されるわけではないとしても。


「なんだ、なにがあった……」


 一応、声を聴くことはできる。

 自分がよく知る侍女たちの、その声を聴くことはできる。

 しかし、何も見えないし呼吸もつらい。何よりも体が熱く、下半身も感覚がおかしかった。


「一体、何が……」


 包帯で包まれた顔に手を当てる。

 それが、とんでもないほどに致命的だった。

 眼窩が空洞で、鼻がなかった。

 自分の肉体が、どうしようもないほどに欠損していると、彼は理解してしまっていた。


「あ、あああああああああああああああああああああああ!」


 『王女』は暴れた。大いに暴れた。

 なまじ両手両足が健在なだけに、力の限り両手両足を動かしていた。


「で、殿下! お気を確かに、怪我に触ります!」

「気をお静めください!」


 介護であれ看護であれ、正常ではない人間の相手をするのは単純に重労働である。

 正常な人間なら無意味に暴れることはないし、理性的な人間なら自分に治療を施してくれる人に攻撃などしない。

 しかし、今の『彼女』にそれを期待するのは、あまりにも酷だろう。


「ああああああああああああああ! があああああああああああああ!」


 もはや王子にとって、この王宮の中では唯一の味方である侍女たち。

 その彼女たちはなんとか王子を抑えようとするが……やはり、どうしても難しかった。



 この現実という強敵を前に、オセオ・ブラックは打ちのめされていた。

 仮にオセオの技術が躍進し、それによって周辺諸国を征服し統治したとして、アルカナを服従させることができたとして。

 それで、彼の心身が癒されるわけがない。

 

「なんという、愚かなことを……!」


 癒されるわけではないが、それでも怒りが静まるわけがない。

 というよりも、ここまでされれば恐怖で震えるか怒りで震えるしかない。

 目を閉じることも開くこともできない彼は、頭の中で夢想するしかなかった。


「他国の王子を招いておいて、ここまでやるとは……!」


 自分が無礼をしたのは認める。

 しかし、あれだけ多くの国々から客が来ている状況で、一国の王子へここまで直接的な攻撃をするなどありえない。

 普通に考えれば、自分に何を言われても強がって悔しがるか、あるいは自分の行いを正当に認識して恥じるべきではないか。

 ほかならぬ自分こそが最も『大人』から外れた行為をしながら、しかし彼はそれでも断固として自分の非を認めなかった。


「許せん……必ずや相応の報復を!」


 怒りで燃える彼は、まさに自分の世界に閉じこもっていた。

 彼は憤慨し、執念を燃やしていた。いかにしてこの国を滅ぼすのか、そのことにだけ頭を回していた。


「如何に優れた剣士がいても、所詮は一人! 何のこともないはずだ!」


 彼が見たものは、己の命を守る精鋭が苦も無く葬られる場面だけだった。

 幸か不幸か、それ以上のことは見ていない。


(私にこれだけのことが起きたのだ、オセオとの友好国が黙っているわけがない! そうとも、まずは他の国との連携を行わねば!)


 怨恨や憤怒は、そう簡単に消えるものではない。

 アルカナ王国はオセオ王国に対して非道極まる行為を行ったのだ、それを許すなどありえない。


(普段から親密にしている国だけではない、今回のパーティーに出席した方々なら、この国の暴虐ぶりは骨身にしみたはず。どれほどの強国であっても、世界中から叩かれれば長く持つはずがない!)


 オセオ・ブラックにとって己こそが世界の中心であり、己に牙をむくすべてはオセオの敵であり世界の敵だった。

 ましてや、自分へここまでの不当な暴力をふるったソペードは、邪知暴虐の魔王に他ならない。

 世界中のすべてが自分の体験に恐怖し、自分を憐れみ、義憤に燃え、もしも自分の家族がこうなればと恐怖し、互いに手をとってアルカナへ攻め込むはずだった。

 そのために、何をしなければいけないのか。無明の中で、彼は思い描いていた。


(そうとも、アルカナの命運は尽きたのだ! この目にできぬことは残念だが、この恨みは奴らとその家族全員に同じ苦しみを与えることで晴らしてやろう!)


 今のオセオ・ブラックを見て、ああはなりたくないと思うのがふつうである。

 それこそ、上から下までありとあらゆる層の人間が、彼の健康状態に対して哀れみを向けるだろう。

 ドゥーウェのことを愚かだ、と言ったオセオが、まさに体を張って彼女の暴虐ぶりを明らかにしたのである。


 ドゥーウェ・ソペードは、正当な理由さえあれば如何なる暴力をも命じる。


 矛盾しているように聞こえるそれは、以前からささやかれていた些細な噂だった。

 もちろん、アルカナ王国の内部やソペード領地では特に有名だが、他の国であればそういう女がいるらしい、という程度だった。

 今回の件は、まさに化けの皮を剥ぐ行為だった。顔を剥がれたのは、オセオ・ブラックであったが。


「お前たち……今回の結婚式は、もちろん中止されたのであろう?」


 心が燃え盛り、しかし体も熱で動けない彼は、己の侍女にそう尋ねていた。

 それは、確信を込めた期待の潜む言葉だった。


「一国の王子の目をえぐり耳と鼻をそぎ、男子たる部位をそぎ落とした蛮族の結婚式に、諸国の貴人が列席するはずもない……誰もが蛮人をののしり、足早に去り、倒れている私へ慰めの言葉を送ったに違いない」


 侍女たちは硬直していた。

 今まさに、とても派手な結婚式が行われているからだ。

 各国の貴人たちは、ブラックのことなど忘れたかのように、あるいは触れたいと思っていないかのようにふるまっていた。


「ええ、王子様。その通りでございます」


 それでも、彼女たちは真実を言えなかった。

 今の王子には、現実が残酷すぎる。


「そうだろう」


 現実と乖離した情報を聞いて、ようやく彼は満足した。


「そうだろうとも、こんなことをする国の祝い事など、成功するわけがない!」


 オセオ・ブラックの脳内にはある前提がある。

 アルカナ王国は、世界の覇権を目指している、というものだ。


 少なくとも、世間一般から言えばそれはそう嘘でもない。

 なにせ現実に同規模の国土を持つドミノを属国として従えているし、今回の結婚式もそれを強化するものだ。

 であれば、首脳陣がどう思っているとしても、他の国の面々がどう思うのかなどわかり切っている。

 同様に、国民もそれを望むだろう、とも思っていた。上の人間があれだけ野蛮なのだから、国民はもっと野蛮であるに違いない。であれば、きっと国民も領土の拡大を願っているに違いない。

 それも、そこまでは間違っていない。 


 しかし、逆説的に言って、首脳陣はそれを恐れてもいた。

 だからこそ既に、多くの国の重鎮たちと色々な話を済ませている。

 こういう時に、五人も『最高指導者』がいれば話は早いのだ。

 もちろんオセオの侍女たちがそれを知っているわけはないのだが、とにかくオセオ・ブラックの期待に反して各国の貴人は説得もあってか普通に出席していた。


 というのも、そもそも今回の結婚式は普通にドゥーウェにとっても晴れ舞台である。

 オセオが暴言を吐く前に彼女にあいさつをした貴人たちは、ドゥーウェが心底から嬉しそうに笑っているところを見ている。

 その彼女があえてオセオ・ブラックにだけ無礼な態度をとり、あえて暴言を引き出して暴力の正当性を演出した、とは考えられなかった。


 暇つぶしに山賊を殺させる、という風聞は確かに気分がいいものではない。

 しかし、程度はともかく裕福な貴族は大抵暇で、加虐に走る者も少なくない。

 また、自分の領地を焼いたとか、そういう『世間一般から言って犯罪』ということも聞いていない。


 つまり今回の騒動でのドゥーウェは『普段は荒いことをしている姫が、結婚式で暴言を吐かれたので激高した』という、同情の余地がある認識だった。

 というよりも、出席した貴人たちも同行していた妻や娘に『結婚式で自分の婿が猿と呼ばれたらどうするか』と聞いて『目をえぐる』『耳をそぐ』『鼻をちぎる』『去勢する』という返答があったので、彼女がやりすぎであるとは思っても異常だとは思わなかった。


 そう、やり過ぎたことだけが問題だった。

 ドゥーウェが怒るようなことをブラックが言ったのは事実だが、それはそれとしてやりすぎである。

 つまり、普通に考えてブラックが悪いのだが、それはそれとしてやり過ぎているからドゥーウェも悪いというのが、あの光景を見た人間の一般的な認識だった。


 そこへ、アルカナ王国は対処した。

 いまだ彼らにはわからないことであるが、とにかくこういったのである。


『我らはドミノの併合に手を焼いている』

『これ以上領地拡大する体力はない』

『よって、オセオに手を伸ばすことはない』

『それは、今後の我らの行動で証明いたしましょう』


 オセオが『内紛』によって交通網を失い、まともな国家として機能していないという状況を、彼らは祖国へ帰った後で知った。

 そのうえで、アルカナ王国はこの『好機』を前にむしろ謝罪文さえ送っていることを知った。

 そして、本当に一切侵攻をしようとしていなかった。

 

 それで、周辺諸国がオセオに対して何をするのか。

 それは今のオセオ・ブラックには過酷な現実である。

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