節度
「結婚式を前にしてようやく、アルカナ王家の切り札として行動できたと思っています」
「成果の是非はまだわからないが……ともあれ、よくやってくれた。息子よ、これでようやく他の家へ示しがつく」
沈黙しているステンドを含めて、アルカナの王とドミノの主が語り合っていた。
奇妙な親密さと、奇怪な距離感が、双方の間で歪んでいるようにも観える。
その辺りが微妙なもので、他の家とその切り札の関係とは、王家と右京は明らかに違う。
ある意味では、同じ一国の主であり。
ある意味では、雇用関係であり。
ある意味では、対等であり。
ある意味では、上下関係である。
王家は明らかに右京に期待をしている。他の四つの家の切り札と同等以上の働きをすることで、王家全体へ貢献することを。
その期待に答えられない場合、ドミノへの援助は少なくなり、アルカナへの献上は多くなるだろう。
今回の一件はたしかに裏の仕事ではあるが、少なくとも上層部には右京の強かさが伝わった。
それだけでも、ある意味では十分だろう。少なくとも、一個人としては溜飲が下がっている。
「もしも君を引き入れることができなければ、私はいつまでも悔しい思いで苦い酒に逃げていただろう」
実利的な面を抜きにしても、国内の有力者が切り札と呼ぶに足る戦力を保有している。
それが如何に国益に貢献するとはいえ、王家だけが蚊帳の外というのは嫌だった。
確かに右京は他の四人と毛の色が違う。
しかしそれでも、今回のように有用性を示すことができたのだ。
「恩人である貴方の酒が美味くなるのなら、それだけで頑張ったかいがありますよ」
「そうかね」
時刻は夜。およそ酒を飲むに早い時間ではないが、それでも三人は茶を飲んでいた。
それは、これからの話が酒気のないものであるべきだからだろう。
「……気楽に聞いて欲しい。ある意味では、君には関係のない話だからだ」
気楽、とは程遠い思いつめた顔をして、国王は右京へ尋ねていた。
彼は切り札との付き合いが甘い。長い時間をかけて信頼関係を構築したわけではない。
国を背負う者どうしの利害関係、それ以外にはない。
だからこそ、逆に右京のことは信じられる。しかし、他の切り札達に関してはなんとも言えない。
「今回の作戦は、はっきり言って君以外の切り札たちには、好ましくなかったのではないか?」
それは、極めてまっとうな危機感だった。
切り札たちは、誰もが規格外の力を持っている。だからこそ切り札、場に出せば勝利が確定する個人ではある。
だがそれは、国家が制御しきれない個人という事でもある。
もしも切り札達四人のうち誰かが、今回の作戦を不満に思い反発すればどうなるだろうか。
もちろん、各家の当主はそうならないと信じている。だからこそ、国王は許可を出したのだが……。
「もちろん、嬉しく思っているのは俺ぐらいでしょうねえ」
気楽に、とは違う静かな返答をする。
右京は決して、その恐怖を笑わなかった。
自分はエリクサーによって生存がある程度保証されているが、目の前の国王は違うのだから。
「ですが、それは普通では? 誰もが望む仕事だけを出来るわけではない」
「もちろんそうだ。だが、だからこそ……だからこそ、人は道を逸れることがある」
例えば料理人になりたいと思ったとする。料理人として調理場に就職したとする。
いじめがあるとか、自分に才能がないとか、そういう些細な問題ではなく調理ではない仕事をしなければならないこともある。
例えば皿洗い、例えば厨房の掃除、例えば材料の手配、例えば接客。
これらの仕事は調理そのものではない。もちろん無関係ではないが、それでも面白くはないだろう。
とはいえ、それらは必要だから『仕事』なのである。
別にまったく無意味な労働を嫌がらせとして課しているのではなく、単にそれを誰かがしなければならず、それをさせるのが一番仕事のできない新人であるというだけで。
そもそも、調理場に就職したからと言って、仮に出世したとして。それで、調理だけを出来るわけもないのだ。
そんな現実を知って、調理場を去る人間も少なくあるまい。
「国王陛下、貴方の仰りたいことはよくわかります。ですが、大丈夫ですよ。貴方の臣下である四大貴族の当主の方がよしとしたのであれば、問題はありません」
右京は切り札全員に会った。その上で、そう保証する。
「こう言ってはなんですが……貴方は最強という物に夢を見すぎている」
「そうかもしれないな……いいや、私だけではなくどの家の当主も最強に幻想を抱いている」
国王のそれは、一人の男として当然の嗜好だった。
「私達は、強い男が好きなのだよ」
五百年修行したという山水のことも、あらゆる資質を持つ祭我のことも、最強の魔力を持つ正蔵のことも、五つの神宝を持つ右京のことも、パンドラと完全に適合する春のことも。
好みこそあれども、最強の個人に憧れを抱いている。そんな彼らを従えていることに、一種の優越感を覚えているのだ。
「君は国家の主だ。最強だとしても、国家の責任者として振舞わねばならない。だから私に使われることも理解できる。だがね……他の四人は、なぜ裏切らないのだろうか。いささか、忠実がすぎると思うのだよ」
誰にでも、好き嫌いはある。
嫌な仕事を嫌がって他人へ押し付けたり、あるいは全面的に断ることもある。
もちろんそれは傲慢なことで、余り好まれることはない。
しかし、最強であるはずの彼らが、拒否をしないのはどういうことなのだろうか。
「俺と一緒ですよ。彼らもそれなりには、この世界のことを知ってきてますからね」
右京は思い返す。
昔の己が、どんな結果にたどり着いたのかを。
「ダヌアで出した料理を食べればご理解していただけると思いますがね……俺達の故郷はそれなりに生活水準が高い。言い方は悪いですが、この国の平民と同じ暮らしをするとなると、慣れるまではしんどいでしょう」
ひたすら俗であるが、彼らも生活水準を守るために戦っているのだろう。
数回野宿する程度なら新鮮な気分で楽しめるだろう。何日かあばら屋で過ごすなら我慢できるだろう。
だが、その生活が一生続くとなると、心理的に負担になる。
「言い方はなんですが……この国やこの世界では、百倍強いからと言って百倍いい暮らしが出来るわけじゃないでしょう」
そう、それは少なからず失望したことだった。
長期間人里離れた場所で生活していた山水の場合はまた別だが、他の面々はこの世界に冒険者ギルドだのダンジョンだのがないことにがっかりしていた。
はっきり言って、この世界は魔法があるだけで、そこまで地球とかけ離れているわけではない。
「それは、まあそうだろうが……」
「俺達は昔、最強に対して幻想を抱いていました。最強ならば、何をしても許されると」
その勘違いを現実でも繰り返して、当然の結果を招いていた。
そう、オセオ・ブラックはたしかに愚かだ。だが、それは稀有な愚かさではない。
自分だって同じようなことを、同じような相手に言っていたのだ。
特に何の根拠もなく、自分は凄くて世界の中心だと思っていた。
周囲が自分をもてはやせば、それだけで満足して成功を疑わなかった。
悪人は無能で、味方は優秀で、自分は最強なのだと疑っていなかった。
実際、そんなことは一切なかったのだが。
「最強ならば、やりたいことを好きなだけできる。偉くなって地位を得て、皆から褒められて名誉を得て、好きなことだけやってお金持ちになって……女を抱き放題だと思っていましたよ」
文章にすると、本当に情けない。
「あるいは、のどかな場所でのんびり過ごして、面倒な人付き合いのない生活をして、のびのび生きていく。最強の力があれば、それが出来ると思っていました」
「最強であっても、できないと?」
「アルカナ王国の全てを統べている、国王陛下。その貴方が、それをいいますか?」
アルカナ王国の国王に、夢などない。
少なくとも本人や、四大貴族の当主たちは、それをよく知っている。
「八つの神宝と五人の切り札を保有する貴方が、それをいいますか?」
「……」
「地位があって名誉があって、財産があって権威がある。その貴方でさえ多くの不満を抱えているのに、最強というだけの俺達が、そんなに楽しく過ごせるわけがないでしょう」
「私の力は、所詮は国家の力だ。好き勝手に使えるわけではない。しかし、君たちは個人の力だ」
「ですから……個人が突出して強かったとしても、それで突出した暮らしが出来るわけがないんですよ」
強大なモンスターをやっつけて、その死体を売って一生遊んで暮らすとか。
ダンジョンに潜って貴重な宝を得て、それを売って大儲けとか。
そんなことが、この世界ではまったくない。
であれば、今のように権力者に囲われるしかない。
「俺達はそれがもう分かってるんです。ですから、せめて俺達を尊重してくれる人に雇われたいんです」
「だとしてもだ、今回の作戦は信義にもとる行為だったのではないか?」
「そうでもありませんよ。そりゃまあ、何処からか女をさらってこいとか、宝を奪って来いとか、略奪の限りを尽くせとか。そういう貴方達を得させるための作戦なら、それこそ嫌がっていたかもしれませんがね」
今回の作戦は、周辺諸国への影響も考えてアルカナ王国が一切得をしない計画だった。
国家としても、個人としても、である。それが結果として、切り札たちからの失望を得ないものになっていた。
「だいたいまあ……最低じゃないですか、嫌だっていう理由で仕事を断るなんて」
「最低、かね」
「俺達はスポーツ選手として雇われているわけじゃあない。俺達は実際に使える戦力として雇われている。その俺達が、国益のための作戦を、嫌だからといって断れるわけがない」
俺は最強である。
最強なので、他の人よりもいい暮らしが出来る。
最強なので、嫌な仕事は断ることが出来る。
最強なので、普段は好きなことを好きなだけしていられる。
最強なので、誰も自分へ文句を言うことができない。
最強なので、家事を他の人に任せられる。
最強なので、些細なことは他の人に押し付ければいい。
最強なので、カネを払う必要がない。
本当に最強であればそれも通るのだろうが、それはただの寄生虫でしかない。
「俺達は、貴方達が立派な為政者だと知っています。決して仲が良くない貴方達が、国益のためであれば力をあわせて協力するのに、その貴方達に仕える私達が嫌だからといって断るのは違うでしょう」
自分たちは強いからいい暮らしが出来るのではない。
自分たちの働きを必要としている人がいるからこそ、いい暮らしができている。
必要とされた仕事をきっちりとこなせば、国家への利益に成る。
そうでなければ、自分たちの意義がない。
「俺達にしかできない仕事はそうしょっちゅうはありません。たまにしか御恩に報いることができないのに、断っていればそれこそ周囲から嫌われるでしょう。俺達は切り札、カードです。自分の判断で勝手に場に出ることを嫌がる、なんてダメすぎませんか」
最強であることが価値なのではなく、実際に活躍できてこそであろう。
「特に祭我と正蔵と春は戦うことしかできない。その彼らが、戦うことを断るはずもない」
山水は剣術の指導が出来る。
右京は政治によって普段から仕事をしている。
祭我はバトラブの次期当主だが、今のところは殆ど政務に関わっていない。
正蔵は何もできず、それこそ引きこもっている。
春も、それこそ……。
「俺達は最強ですよ。ですが……スイボクさんとは全然違う。一番強い、というだけです」
一番偉い国王が、それほど好き勝手にできないように。
一番強い切り札たちが、それほど好き勝手にはできない。
ただ、それだけの話なのだ。
「国王陛下」
改めて、革命が得意というだけの男は一国の王に頭を下げる。
「ご息女を、女性として幸せにできる自信がありません。ですが……貴方の国王として判断が、間違っていたと後悔させないように全力を尽くします」
昔の己は、強大な権力に対して、下手にでない自分に酔いしれていた。
国に対して一歩も引かない自分は凄いと思っていた。
そんな自分が大好きで、特に争う必要もない相手にケンカを売ってしまっていた。
「俺の国を、ドミノを、今後もよろしくお願いします」
ないがしろにされたステンドは、しかしうれしそうに笑っていた。
この男の花嫁になれることがうれしい、それ以上に誇らしい。
同様にして、アルカナ国王も安堵していた。
己の掌中に収まった英雄が、自分のことを必要としていることに、どうしようもなく安堵していたのだ。
それが、双方にとってとても幸運だったことは、言うまでもないことだろう。




