専門
当たり前だが、ファンは俺にとって初の実子であるが、ウィン家にとっては初孫でも何でもない。
第三子であるブロワが、第一子のシェットお姉さんとそこそこ歳が離れていることもあって、レインぐらいの孫はいるらしい。
もちろん、ヒータお兄さんにも子供がいるので、ブロワの両親からすれば次女が子供を産んだというだけなのだが……。
当然のように、ファンはかわいがられていた。俺も大歓迎されていた。
「はっはっは! お役目は大変だったでしょう! どうぞくつろいでください!」
「ええ、もうここで暮らしてもいいんですのよ?」
「いえいえ、指導の任務がありますので……」
何度も言うが、このご両親はとても普通でまともだ。
貴族としては自分の娘がソペードの当主お気に入りの貴族に嫁入りしている、というだけで大喜びである。
親としても、護衛に送り出した娘を守ってくれた剣士が、夫になって社会的にも金銭的にも今後保証してくれるのだから、まあ悪い気はするまい。
そんな俺との子供である。悪い要素が一切ないので、とても大喜びだった。
「そうでしたな……ですが、当分はお役目もないはず」
「そうですわ、当家でごゆっくりしてくださいな」
それにしても、相変わらずこの家にはあきれるほど裏表がない。
ご両親もそうだが、仕えている人間からも後ろ暗いものがない。
例えば影でぞうきんを絞ってお茶に混ぜているとか、俺の娘のベビーシッターがなんか虐待しているとか、そういうことが一切ない。
もちろんいいことなのだが、正直海千山千の貴族の中でやっていけているのか、とても不安である。
そのあたりのことを二人っきりの時に口にすると、ブロワは心底から呆れた声を出していた。
「お前な……二人っきりなんだからもう少し色気のある話をしろ。私の実家のことなんて気にするな」
「そうだな……うむ、未熟未熟」
「相変わらず、素直過ぎるな。そういう子供っぽいところは、昔から見た目相応だったが」
そのうえで、俺の誤解を晴らすべく説明を始めていた。
考えてみれば俺もこれからは貴族なので、ちゃんと説明したほうがいいとブロワも考えたのだろう。
「確かに、貴族同士の足に引っ張り合いはある。だが、それはソペード中枢だとか、あるいは王都の貴族のことだ。私の実家のような地方領主にはほとんど関係ない」
「そうなのか?」
「逆に聞くが……自分は自分で領地があってそこを経営しているのに、隣と仲を悪くする意味はあるか? もちろん水源の奪い合いとかもないではないが、そういう領地の死活問題は、王家や四大貴族が権限を握っている。競争主義のソペードで、水源に関して口出ししようものなら領地は没収だぞ」
なるほど、本気でシャレにならないことに関しては、最初からトップが権限を握っていると。
それじゃあ隣と張り合う意味はそんなにないのだろう。
「この家に陰気さがないのは金銭的な余裕があるからだ。給料がよくて人数も足りていて、仕事もそこまで過酷ではないのなら、陰気になる人間はいないだろう。いたとしても、首にすればいいだけだ」
けっこうひどいことを言うが、まあそうかもしれない。
この場合の陰気とは、つまり職場で不和や不正を引き起こすことだ。
確かに希望者は多そうだし、特定の技術が必要というわけでもないし、面倒なら変えてしまえばいいだろう。
「私やお前とは、また別だからな……こういう仕事は。誰でもなれる分競争率は高く、お互いに面倒を嫌って距離もとっている。もめごとが起きれば両方切る、というのが当たり前だからな」
「それはそれで嫌な話だな」
「普通で当たり前で当然だろう。双方の事情を一々確認する手間が無駄だ」
雇用者の権利が強いなあ……。
まあ貴族だし、多めの給料を払っているし、そういうものなのかもしれない。
「それにしても……誰にでもできる仕事か……」
「当たり前だろう? そんなに高等なスキルを地方領主が求めると思うか?」
そのあたりは、俺もソペードの本家あたりが基準なので、常識をあんまり知らないのかもしれない。
あんまり祭我のことを強く言えないなあ……。
「確かにソペードの本家では、メイドたちも超一流で、ほとんど貴族のような教育を受けた人間をそろえているがな。それは例外というか……頂上の風景だ。雲の上の人の話だよ」
「なるほど……」
「そうした人間には、それこそ相応の給金を払わねばならん。もしも一地方領主がそんな専門家を大量に雇えば……家が傾いて破産するな」
なるほどなあ……と思っていたのだが、よく考えたら俺やブロワもその一員である。
ソペードの本家が雇う専門家、その中でも一流中の一流が、お嬢様の護衛を務めている二人に他なるまい。
なんか仕事がアレ過ぎたので、そんなに自覚がなかった。
いかんいかん、自分が客観視できていない。
「とにかく……ある意味では上位の地方領主こそが、一般の平民が理想とする『いい暮らしをしている貴族』なのだろう。それより下なら暮らしが立ち行かん貧乏暮らしだし、それより上なら心休まる暇もないだろうさ」
「……やっぱり、俺って名目だけの貴族のような気がしてきた」
「それでも大したものだとは思うがな。貴族のような暮らしをしている商家も多いが、貴族になるのは簡単ではない。とはいえ、お前ぐらいの実力者なら、当然の待遇かもしれないがな」
世間知らずだなあ、俺。
自分が厚遇してもらっているのは知っていたが、他の人には目がいっていなかったんだなあ。
やっぱり剣術しか取り柄がない人間だと、いろいろ不具合が起きそうである。
「俺も祭我に偉そうなことを言った手前、ちゃんと勉強しないといけないな」
「いや、私もお前に偉そうなことを言った身ではあるが、そういうことに気を回す必要はないと思うぞ」
「なんでだ?」
「……お前が今から、剣術以外のことを勉強するのは時間の無駄だと思うのだが」
「ひどいな」
「サイガ様とお前では立場が全然違うだろう。お前はソペードの筆頭剣士で、武芸指南役の総元締めだ。面倒なことは全部当主様に任せて、剣の指導やお嬢様の護衛にだけ心を配るべきじゃないのか?」
それは、どうなんだろうか。
確かにそれはありがたいが、好きなこととか楽しいこととか、できることしかやらないというのはどうなんだろうか。
面倒なことは人任せ、というのは怠惰な気がする。
「う~ん……」
「人の手配や財産の整理なら、それこそできる人間は腐るほどいる。だがお前はスイボク殿の下で五百年剣術を学んだ、ソペードの切り札だ。何か命じられたならまだしも、自発的に新しいことをする必要はないだろう。むしろ、するな」
まあ、そうではある。
なにせ、俺に寿命がないとはいえ、一日は二十四時間しかないわけで。
如何に飲食や休憩が不要とは言え、限られた時間の中で指導したり自分の稽古をしないといけないのだから、あんまり現実的ではないのだろう。
しかし、それはどうなんだろうか、とも思ってしまう。
確かに剣術を認められてお嬢様の護衛になり、指導力を認められて武芸指南役になったわけであるが、貴族になってもずっとそれというのは、いかがなものか……。
「まあ、気持ちは私もわかる。なにせ今まで多忙というか、命をはって戦ってきて、鍛錬にいそしんでいたからな。一気に何もする必要がなくなって、気が抜けきっているよ」
そういうブロワは、出産を抜きにしても老け込んでいるようだった。
そのあたりは、才能があるといっても義務で鍛錬していたが故だろう。
トオンは才能があって向上心があったが、ブロワの場合は仕事から解放されたらやる必要性が一気になくなったわけで……。
でも、他に趣味もなく、やることがなくなったと。ファンの世話は乳母がするわけだし、他の家事も全部やってもらって当然だし、そもそもブロワはどっちもできまい。
もしかして俺が一番気を使うべきは、今のブロワへのフォローなのかもしれない。
「とはいえだ、お前もよくわかっているだろうが……仮にお前が勉強してそれなりにこなせるようになったとしてもだ、それらの雑務をお前本人がやっていたら、結局時間がかかるんだぞ」
「そうだなあ……」
「お前は剣術の専門家だ。他のことは全面的に人任せにするのが正しい」
要は今まで通りか……。
剣術の修業をして、剣術を評価されて、剣術を教えるようになって、それを少し不満に思っている自分がいる。
それもこれも、今の俺が剣術を好きになっていて、好きなことだけしているという後ろめたさがあるからかもしれない。
しかし俺は、本当にそれしか取り柄がないのだなあ。自分が剣術しかできないことを、再確認して少し情けなくなっていた。
「俺も師匠から宝貝の作り方でも習っておけばよかったか……」
「いやいや……習得に時間がかかりすぎるだろう……」
師匠は『最強』なうえに、やろうと思えば何でもできる。
しかし俺は『最強』なだけで、他に一切取り柄がない。
昔は主人公たちが戦闘以外にいろいろとスキルを習得していくところをバカにしていたが、今にして思えば戦闘しかできない男の方に問題があるのだなあ。
もしも師匠が故郷に帰った後も生き続けて、ブロワやレイン、ファンの人生にも『区切り』がついたら、俺も剣術や戦闘以外のことも習いたい。
そんな『老後』を、俺は夢想するのであった。
「パパ! ブロワお姉ちゃんともうちょっとちゃんとお話ししようよ!」
隠れていたレインが、ぷりぷり怒って出てくる。
うむ、確かに『新婚』のような二人が話すことではなかった。
しかし、俺もブロワも、基本仕事人間なので面白いことなど話せないわけで……。
「なあブロワ、レイン。もうこの際仕事の話をしないか? どうせ次の仕事はお嬢様の結婚式への出席だし」
「……それもそうだな、そっちのほうが楽しそうだ。その……私たちの結婚式にも関係するしな」
「さんせい! そうだね、どんな結婚式なんだろうね!」
そうして、話をしているのだが……なぜだろうか、俺もブロワもレインも、言い知れぬ不安が心中をよぎっていた。
なぜだろうか、あのお嬢様が結婚式をするのに、なぜかお兄様の就任式を思い出してしまうのである。
近衛兵全員と戦うような、そんなことになったりしないだろうか。




