名前
さて、ようやく俺は自分の子供と面会できた。
いや、自分の子供と面会、というとレインが自分の娘ではないような表現になってしまうので、そこは赤ちゃんと対面できた、という方向で一つ。
ともあれ、俺はもうけっこう大きくなっている子供を抱えることができた。
そりゃあそうだ、俺が往復一年ぐらいかけてマジャンへむかって、マジャンで半年ぐらい過ごしたので、
十か月で出産したとして生後八か月ぐらいだろう。
なるほど、もうだいぶ大きいわけである。
「こういっては何だが……ちっともお前に似ていなくてな……それに、宿しているのが魔力だから、お前の子供だと証明できる要素がどこにもないというか……」
心配そうなブロワであるが、何を恐れているのかもわかる。
少なくとも、この世界ではDNA鑑定どころか血液型さえ判定できない。
母親の方は自分が生んだんだ、ということで自分の子供だと証明できるのだが、父親の方はそうもいかない。
つまりは、俺がいない間にブロワが不貞をしたのではないか……と疑われることを恐れているようだった。
俺がそんなことを疑わないのはわかっているとしても、邪推する奴はいるだろう。そのあたりを恐れているに違いない。
もちろん、ダインスレイフを使えば血族判定もできるのだが……そんなことをするつもりもなかった。
だいたい、対人関係があんまり強くない俺でも、この状況でどう動けばいいのかはわかる。
そう、ここで大げさに『いやいや、俺に似ているよ』というのはだめだ。
もちろん、『そんなこと気にするなって!』と否定するのもだめだ。
なんだかんだ、俺とブロワは結構付き合いが長いので、そのあたりの機微は心得ている。
「ブロワ……初産は大変だっただろう。そんなときにそばにいてやれなくて悪かったな」
「サンスイ……」
「元気な子供を産んでくれてありがとう、俺はうれしいよ」
「ううう……」
また泣いてしまったが、悪い涙ではあるまい。
安堵の涙を流す彼女を、俺は抱きしめていた。
それにしても、本当にブロワそっくりである。赤ん坊ではあるが、俺に似ている要素がどこにもないぞ。
今は籠の中に入れられていて、レインがそのほほを指で突っついているが……。
髪の色と言い目の色と言い、俺の要素が本当にどこにもないな。
「えへへへ。パパ、私お姉ちゃんだよ!」
「ああ、そうだな……」
自慢げなレインを見ていると思うのだが、この子って結婚相手はどうなるのだろうか。
まだ赤ん坊だが、流石に男女の見分けはつく。
健康ならどっちでもよかったのだが、赤ん坊は女の子だった。
果たしてこの子は、どんな相手と結婚することになるのだろうか。
「どうした、サンスイ。娘を見て、そんな悩ましげな顔をして」
「いやなに……この子にどんな縁談を用意すればいいのかと悩んでいてな」
「お前な……少し気が早いんじゃないか?」
「いやいや、出産前から決まっていることもあるらしいし、俺も貴族だから気にしたほうがいいと思っていてな」
もちろん大事に育てて品行方正なお嬢さんにするつもりではあるが、この子がシェットお姉さんのような典型的な貴族の女性にならないとも限らない。
言うまでもないが、シェットお姉さんだってそうそう悪い人ではない。俺の身近にはあんまりいないタイプだったが、珍しいわけでもないし。ちょっと極端な気もするが……。
とにかく、結婚相手次第で人生に浮き沈みがあることも事実だ。そんなことで一喜一憂する女になってほしくないわけではあるが、なっても不思議ではないし。
「それに……言っちゃあなんだがレインと差がつき過ぎるのも良くないと思うしな」
最近忘れそうになっているが、レインは右京が滅亡させたドミノ帝国の、皇族唯一の生き残りである。
そのため後々のことを考えて、レイン本人かその子供を右京の子供と結婚させる予定があるのだが、レインの結婚相手は最上級ということになる。
なにせ、レイン本人が右京の子供と結婚した場合は、属国とはいえ一国を統べる家系に嫁ぐことになる。しかも、右京の結婚相手はステンド・アルカナ様なので、必然アルカナ王家とも親戚になる。
レインの子供を送る場合になっても同じだ。なにせ、そんなとんでもない相手に子供を送ると決まっているので、変な相手との間に子づくりなんてできるわけがない。当然、アルカナ王国内でもかなり上の相手と結婚することになるだろう。
だが、俺とブロワの間に生まれたこの子は別だ。
なにせ、ソペードの直臣の間に生まれた、というだけの子である。
ブロワは地方領主の娘だが、既にヒータお兄さんが継ぐと決まっているし、そのお兄さんには子供がいるらしい。
俺は土地とかをもらっていないので、武芸指南役総元締めという役職しかなく、ソペードの競争主義によって俺の娘や息子が継げるわけもない。
つまり、俺と血がつながっていないレインは最上級の相手と結婚することが決まっていて、俺と血がつながっているこの子はあんまりいい相手と結婚できないことが分かっているのだ。
それだけ差があったら、流石に仲たがいをしても不思議ではあるまいし。
「お前な……その気持ちはわかるが、流石にもう一つ先に確認することがあるだろう」
「そうだよ、パパ」
呆れたブロワからの冷めた発言を聞いて、俺は確かにまったく聞いていなかったことを思い出していた
「そうだな……この子の名前を教えてくれ」
「うむ……私に似ているのでな、シロクロ・ファンと名付けた」
……こんな言い方はどうかと思うが、女の子の名前がファンってなんだろう。
シロクロ・ファンって響きはなんかいい感じだが、女の子らしくはない。
いや、それを言い出したらブロワとかシェットとかライヤとか、ちっともかわいい要素がない。
俺は割と適当に『女の子だからレインでいいだろ』とかで決めたのだが、レインはそれなりにはかわいいと思うしなあ。
でもアルカナ王国的には普通の名前なのかもしれない。よく考えたら、お嬢様だってドゥーウェだし。
テンペラの里の連中は、もっとひどかったしなあ。
「素敵な名前だな」
「そうだろうそうだろう! 私が昔からずっと温めていた名前なんだ!」
「私もいいと思う!」
そうか、アルカナ王国的には『ファン』は女の子の名前なのか。
レインも喜んでいるし、そういうことなのだろうと、納得することにした。
「そういえば……パパは私が結婚するのが嫌じゃないの?」
「全然、とっても嬉しいぞ」
「それはそれで嫌だな……」
レインが不満そうなのはまあわかるが、お兄様やお父様ぐらい極端に嫁にやらん、という姿勢もどうかと思わないか?
まあほどほどに嫌がってほしいのではあろうが
「言っちゃあなんだが……俺はお前が結婚したら、それでとりあえずひと段落のつもりだったしな」
「まあ、パパはそうだよね……お嫁に行きたくなくなっちゃうよ」
「いや、元々の予定でも、一度別れたら二度と合わないなんてつもりじゃなかったんだが」
「それでも、嫌だなあ……」
結婚したら、それはちゃんと一人前であろう。少なくとも俺や師匠の価値観からすれば、親元を離れて一人前になったという認識である。
ソペードに仕官して長くお世話になるまでは、レインが結婚したら一度森に帰って師匠に報告しようとは思っていた。そのあとは今の師匠がやっているように、森と人里を往復するつもりだった。
もちろん、今はそんなに薄情なつもりではないのだが。
俺は大きくなった両手で、少し拗ねている二人を抱き寄せていた。
「十年ぐらい先の話をして、暗くなってどうする。それこそ、ファンが泣くだろう」
「サンスイ……そうだな、先のことを気にしすぎるのも、良くないな」
「そうだね、パパ」
感動的な一幕の中で、俺はファンと目が合っていた。
さて、思うのだが……もしも『彼女』が元日本人の転生者だとして、ファンという名前を付けられているとして、変えてほしいと思っているだろうか?
少なくとも俺が女の子だったら嫌だと思うが、流石にそんなことは気配を感じてもわからないしわかりたくないなあ。
そう考えると、やはりこの世界へ赤ん坊からやり直し、ということにならなくてよかったと今では思うわけで。
「まあとにかく、俺はファンの父にもなった。これからも頑張るから、二人とも安心してくれ」
……いや、でもファンは男の子っぽいような気がする。
娘をファンと呼ぶことに慣れるまで、俺はけっこう時間がかかりそうだった。
というか、切り札の面々からはそう思われそうである。
異なる文化を理解することは、なんとも難しい。




