支援
ソペードは武門の名家。であれば、戦場の習いも残っている。
たとえば既に婚約を交わしている女がいる騎士が、これから長期の戦場に赴くという。
その時に『もしもの為』や『当然の情熱』によって燃え上がったとしても、それは不義とも手順を間違えたともされない。
今回山水は、遠い異国へソペードの前当主と当主の妹を護衛する、側仕えをするという長期に渡る重要任務である。それを前に何をしたとしても、何を残したとしても全面的に許されていた。
つまりは、アルカナ王国に残るブロワのお腹に何が宿っていたとしても、家名に傷がつくということは一切なかった。
今彼女はレインと共に実家へ帰り、大喜びの両親に迎えられながら穏やかな日々を過ごしていた。
「まったく……お前が子を宿すとは夢のようだ」
「ええ、本当に……いつ葬式になるのかと思っていたのに……」
ドゥーウェ・ソペードの護衛という大任を負っていた身としては、決して大袈裟ではない両親の喜びようを受け止めながら、改めて自分がドゥーウェの剣ではなく山水の女になったことを実感しながら、当分帰ってこない夫を待ちつつ大きくなる『お腹』を抱えていた。
今まで国交がなかった国へ行って帰ってくるのである、普通ならそのまま帰ってこないかもしれないと案じるところだが、相手が相手。世界最強の剣士が認めるほどの剣士である山水なら、自分と違って危険ということはないだろう。
帰ってくることは、論理的には疑っていない。ただ、感情的な寂しさはなんとも言えなかった。
今まで散々人を殺してきた身ではあるが、子を宿すのは初めてである。
いくら法術使いや産婆が屋敷に常駐しているとはいえ、普通の女性同様に不安は拭えなかった。
あるいは、緊張感がない生活に慣れていないのかもしれない。
「ねえねえ、名前は? 名前は? ちゃんと考えてる?!」
「顔を見てから、と思っているよ」
自分の妹が生まれる、ということでレインはひたすら喜んでいた。
血のつながり云々に関しては、最初からそこまで気にしていないようである。
わだかまりがないのはともかく、テンションが高すぎて正直引いているほどである。
「あらあら、レインちゃん。ブロワお姉様が困っているわよ」
「ライヤお姉ちゃんは嬉しくないの?!」
「正直、姪や甥にはなれているし……おめでたいとは思っているわよ」
大人びたライヤは、あまり年齢の変わらないレインを諌めていた。
興奮に水をさすのは気が引けるが、妊婦をいじめるのは良くない。
その辺り、きっちりと線を引いていた。
「ブロワお姉様の退屈を紛らわせるのはいいけど、あまりうるさくするものではないわよ」
「そうだけど……」
「お姉さんになるのだから、心に余裕を持って相手を気遣えないとね」
「私……お姉ちゃんだ!」
「妹か弟が生まれて大きくなった時、貴女がうるさくしていたと告げ口するわよ」
「……うう、わかりました」
元々ソペードで聞き分けよく育てられたレインである。ライヤの言葉を受け入れて、ブロワの部屋からとことこと出ていった。
やや未練がましそうだが、それでも一応指示に従っていた。
「ブロワお姉様……やっぱり退屈?」
「そうだな……退屈というか、虚脱しているというか……」
やや残念そうな顔をしているブロワは、弱音というか愚痴を口にしていた。
「私は嬉しいし喜んでいるが、サンスイはそこまで喜んでくれないだろうなと思ってしまってな」
「……まあそうでしょうけど」
山水は金丹によって欲を取り戻していた。しかし、それで劇的に性格が変わるという事はなかった。
なにせ五百年かけて今の性格になったのである。欲を取り戻しても、そんなに性格が変わるわけもない。
というか、本人にしてみればその程度で性格が変わるようなら、修行が足りないというところだろう。
「年齢が離れていることを承知で結婚したが……そう思うと複雑でな」
「まあそうかもしれないけど……」
まあただのマタニティーブルーである、と言うだけだった。ライヤはきちんと汲み取っている。
非常に些細であるし、ありふれているといえばありふれているし、しっかりケアすれば問題がないと思っていた。
まず第一に、夫婦関係が良好で悪くなる要素がないこと。
良くも悪くも、山水は天涯孤独で師匠であるスイボク以外には、レインぐらいしか身内がいない。
であれば、ソペード傘下であるブロワの実家と関係が悪化するわけもない。
加えて、山水が浮気やら心変わりをするわけがない。そんな甲斐性があるのなら、ブロワはこんな心境になっていない。
また、山水もブロワもソペードの当主にとても気に入られている。
金銭面で不安がないという事は、おおよそ過半の問題が解決しているといっていい。
世の平民のように出産直前直後でも労働する必要がないし、たいていのことは専門家を雇って対処してもらえばいいだけである。
つまり、それこそブロワの感傷だけに気をつければいいだけだった。
そんなことは、放置さえしなければ問題ないのだ。
「ブロワお姉様……」
「ブロワ!」
と、話しかけようとしたライヤを遮る形で、シェットが入ってきた。
その顔には、有り余るほど図々しさがあふれている。
「シェットお姉様……」
「あの、お姉様」
「せっかく、せっかく、スイボクさんの所で合宿をしたのに……もう肌が……」
生活習慣を強制的に変えて、長期間に渡り体質を改善した。
それが辛く苦しいものだったことは察しがつくが、元の生活に戻れば徐々に元へ戻っていくのも当然である。
普段の生活が大事なのに、元の生活に戻ればそうなるのは仕方がない。
「それにね……スイボクさんが他の方にも処置をして、私が目立たなくてね……学園では定期的に募集しているけど、一度受けた人は選ばれないらしいの……」
妊婦にそんな事いってどうするんだ、という話題を臆面もなく切り出していた。
「ねえ、なんとかならないかしら」
「シェットお姉様……ちょっとお母様に話をしてから、その話題をふっていいか確認してから、もう一度来て」
「え」
「いいから」
ここにいるな、と言い切ったライヤの迫力に押されてか、長姉は何が悪いのかもわからずに去っていく。
そのしばらく後に、母親の大きな絶叫が響いていた。
「貴女は! 母親の癖に! 妊婦に優しくするという事を知らないの!」
「ご、ごめんなさい……」
「もしものことがあったらどうするの! そういうことだってあるのよ!」
「ごめんなさい……」
「貴女という子は……せっかくブロワが帰ってきたのに! 実家で死なせるつもりなの! しかも姉である貴女が!」
「……」
「夜ふかしするな、お酒やお肉を摂り過ぎるなと、スイボク様から言われていたのに、守っていないのが悪いのでしょう!」
「う……う」
「そもそも、夫と子供はどうしたの! さっさと帰りなさい!」
その説教のあと、人の気配が一人分減っていた。
「お母様はこうやって使えばいいのね」
「ライヤ……適正な判断だが、言葉は選べ」
「お母様の前ではちゃんとするもの」
平凡な父親と母親だが、常識はわきまえているので問題を認識すれば正しい対応をしてくれる。
末妹のライヤはきっちりとした対応を理解して、今も応用を効かせているのだった。




