伝授
『なに、蟠桃が欲しいと女集が騒いでおると? 一口食べれば五年若返る、伝説の果実と?』
『ぬぬぬ……なんという、なんという……千五百年以上経過しても、女集は勘違いをしておるな』
『まあよい。思えば儂の住む森もそちらの縄張りと聞いておるし、四千年の中でも儂にこれほど気遣っておる国もない』
『如何に儂が仙気を千五百年練りに練った森とはいえ、そうそう錬丹法を用いれば、さすがに枯死するであろう』
『であれば、儂がなすべきことは決まっている。儂が故郷にて学んだ滋養の技を持って、根治をなすのみ!』
『薬学鍼灸術あんま、それらの術理を持ってすれば……人体の活性などなんのこともなし!』
『ああ、湯治も考えておくか。どこかに温泉を沸かせるというのも、ありと言えばあり。場所を見繕うかのう』
元を正せば、アルカナ王国にスイボクが接触した時に、蟠桃を権力者たちに振舞ったのが始まりである。
滋養強壮の効果をもち、枯渇した体力をたちまち充実させる仙術の果実。
それを食した権力者たちは、その肌に潤いを満たしていた。
男達にしてみれば、そこまで気にすることではなかった。
肌という外面よりも、身のうちに滾る活力こそ、この術の効果だと思っていたのだ。
とはいえ同時に、女性たちにどう思われるのかもわかっていた。
スイボクもいくつもの国の権力者が欲した、という体験として女性たちの美への執着を知っている。
本人にしてみれば、そこまでありがたがるほどの効果はないと思っているのだが、それでも若さへの執着は認識しているのだ。
そして、山水もスイボクも、肌の艶とは健康的な生活によって維持されるものだと認識している。
しかし、スイボクの場合は確固たる学問として治療法を知っているのだ。
それが何を意味するのかと言えば、スイボクは誰かに美容法を教えることが出来るという事である。
「針の技もまた活殺自在。とはいえ殺しの技としては迂遠にすぎ、活かす技としては繊細であり高度な技術が求められるところである。生半な知識で針をうてば……なんの効果もないどころか、返って健康を損ねる。症状に合った処置が必要であるしな」
毎度、あらゆる知識の集う場所となりつつあるアルカナ学園にて、一人の女性がほぼ裸で台の上に寝ていた。
卑猥なところが一切ないのは、その女性に対して一切の色気を感じていないスイボクの表情と、周囲にいる女性たちの目が血走っているからであろう。
施術を受けているのは、ブロワの姉シェット。
その体の至るところに、細いとはいえ針が打ち込まれている。加えて、薬草を乾燥させたものを体の上で燃やしてもいた。
文章からいうと拷問のようだが、スイボクがやっていることがシェットにとって有益なものであることは、彼女の表情をみれば明らかであろう。
「基本、何も食わぬ儂が言うのもどうかと思うが……医食同源、偏った食事や怠惰は体に出る。それは化粧で隠せるものではない。騙されたと思って、一月儂に預けるがよい!」
女性の法術使いがスイボク指導の元、貴族の中でも特に位の高い女性たちに針治療やお灸の術を教えていった。
やすい言い方をすれば、貴族女性向けのスイボク健康ツアー、のようなものである。
貴族の女性たちからそれなりのお金をいただき、法術使いたちに学問としての鍼灸術などの経験を与え、スイボクは煩わしい糾弾を抑えることが出来る。おまけに学園長先生は新しい学問を学べてほくほく、という具合だった。
「食事、運動、睡眠を一月管理させてもらおう。それで体が良くなることうけあいである!」
ダメだったらその時は蟠桃を振る舞うよ、という保証の元、貴人たちは合宿生活のようなものを受けていた。
朝は早く起きて全身を動かす体操をし、体の関節をほぐしていく。
昼は長時間の走りこみや衰えている筋肉の鍛錬を行い。
夕方には針治療などの実験体となって、湯治を味わう。
食事は薬膳などでお世辞にも美味ではなく、肉類は制限されていた。
酒も甘味も量を制限されており、楽しいと言えるものではない。
運動による筋肉痛も含めて、貴人には慣れない生活だったと言えるだろう。
しかし、一週目で慣れてしまい、二週目で体が改善していき、三週目には苦ではなくなり、四週目には体の肌ツヤを確認しあっていた。
化粧や服で隠されることのない裸の自分を見て、あるいは同じ生活をした面々を見て、その完成具合にほれぼれとしていた。
「骨の歪み、肉の滞り、血の濁り、臓腑の負担、それらを除けばこのとおりである。肌になんぞを塗りたくる程度で、肌が潤うわけはなし。日頃の生活が出るのが肌というだけのこと! 姿勢も正せば、立ち姿も美しく見えるものである」
さすがは四千年間人間を壊すことだけ真摯に追求し続けてきた男である。
やろうと思えば人間を活かす、健康にするなど朝飯前であった。
まあ一月かけたのはご愛嬌、日頃の生活習慣そのものの改善が必要という事であろう。
一ヶ月もの間、健康的という名の禁欲生活を送っていた貴族の女性たちは、王都でのパーティーに参加し……その場の男性から驚愕を、その場の女性たちから嫉妬と羨望と憎悪を勝ち取っていた。
健康という何物にも代えがたい報酬も勝ち取ったのだが、それはともかく他人からの評価が大事だったので、副産物のようなものだろう。
伝説の果実を食って恩恵をえた、というわけではなく指導を受けた上で努力し節制したのだから、賞賛を勝ち取ったと言っていいだろう。
これでスイボクの学んだ鍼灸術などの有用性が証明されたわけではあるのだが……。
「この草を乾燥させたものを軽く焦がすのである」
「草の名前は?」
「どれだけ乾燥させればいいですか?」
「ぬ?」
「この臓腑が弱っているときは、こことここに針をうつが良い」
「臓器の名称は?」
「針を打つ場所の名称は?」
「ぬ?」
スイボクがそうなのか、仙人全体がそうなのかわからないのだが、専門用語以前に固有名詞がほとんど存在しなかった。
人体における針をうつ場所などは絵などでも精巧に描けるのだが、それを指導するとなるとなかなか上手くいかなかった。
整体の中でも鍼灸術自体が専門知識と専門技術を必要とする繊細な特殊技能ではあったのだが……固有名詞がなさすぎて非常に難航していた。
調理などはまだマシなのだが、人体に無数に存在するツボともいう部位を網羅するには、固有名詞が絶対的に必要だった。彼から学問を学ぶには、固有名詞をどれだけ準備できるかにかかっていたと言っていいだろう。
ともあれ、先日までのゴーレム騒ぎもどこふく風で、スイボクはどんどん弟子にもかつての剣にも見せていない技を披露していた。
それによって帰ってきた時に山水がどのような目で見られるかが気になるところであるが、山水自身も師匠の無体さはよく知っているところであるので、帰る場所を師匠が守ってくれていることだけを喜ぶことだろう。
そう、今の山水はドゥーウェと共にこの国を離れている。
それが意味するところは、山水がブロワやレインと離れているということだった。
「ねえ、お姉ちゃん! もうすぐ? ねえもうすぐ?」
「そうだな……その、もうちょっとかかるらしいな」




