大成
予約投稿の日時を間違えていました。
申し訳ございません。
武芸指南役の五人は、その『成長ぶり』を周囲に知らしめていた。
ただ強い剣士、というだけならここまで畏敬を集めることはない。
つまりは、自分たちの雇用者である地方領主の顔を立てつつ、その武勇を示したことにある。
あくまでも商家の集まりであるという前提を乱すことなく、余興やハプニングの範囲に収めていたことが評価されていた。
「出来れば……坊ちゃんには何をするにも準備が大事、ということを理解していただきたかったのですが」
「なに、最初からそうそう上手くはいくまいさ。君たちはまだ就任したばかりだし、焦ることはない」
地方領主と、商家の長男だった武芸指南役は二人きりで話をしていた。
もちろん叱責ではなく、賞賛のためだと言っていい。
彼ら五人は行動をいちいち説明してくれていたが、どんなときに聞いても安心できる判断しかしていなかった。
「それにだ……君たちも言っていたが、程度はともかく私が教えなければならないことでもある」
「……そう言っていただけると幸いです」
例えば『俺達は強いので、どんなときにどんな状況になっても対応できますから、ご安心ください』と言っていれば、次期領主はさぞ尊敬の目を向けていただろう。
だがそれは現役の領主としてはひたすら不安になる言葉だった。質問をするという事は、説明を求めているという事である。
理路整然と、どんな状況が考えられて、その状況に対して誰がどう対応をするのか、という説明をしてくれたほうが安心できる。加えて、自分に対してどう対応して欲しいのかを話してくれたほうが、色々と楽なのだ。
例えばあのドラ息子は最初に飲み物を薦めていたが、アレの中に下剤が入っていたのか毒が入っていたのか、あるいは単純に度が高い酒だったのか。そのいずれだったのかはわからないが、『俺達は強いので何かを飲まされても大丈夫です』と言われるよりも『何か飲まされるとまずいので、話題を誘導してください』と言ってくれたほうが安心できる。
実際酔っても強い剣士よりも、怪しい飲み物に手を伸ばさない剣士のほうがよほど信頼できる。
苦境に陥った時に速やかに離脱できることも強さの証明ではあるが、そもそも苦境にならないように対処することのほうがよほど大事である。
「それにしても、本当に用心深い。五人全員で殺しに行く意味はあったのかね? 君たちがいない間に私が狙われるとは思わなかったのかね?」
「領主様はお屋敷にいらしましたし、護衛は我らの本分ではありませんから」
「ふふ、すまないね……」
強さはカネで買えるのか。
はっきり言って、カネで買えないと困るのである。
強さがカネで買えないということは、強さをカネで売れないという事である。
強くなっても、高く雇ってくれないという事である。
そして、強さを売るという事は、雇用主の剣になるという事である。
少なくとも仕事中には、雇用主の不利益にならないように配慮しながら戦わねばならない。
だからこそ、彼ら五人に対して地方領主は満足していた。
山水が指導したのか、それとも模倣したのか。とにかく期待以上の『山水の弟子』だった。
「それでだ……何も入っていないから、一杯だけ飲みなさい」
「……では、一口だけ」
その彼に、望んでいないであろうがワインを注いで渡す。
困りつつも受け取った彼に、とても気になったことを聞いていた。
そう、非常に気になることである。
「昔の君は、君が始末したドラ息子と変わらない男だった」
「はい」
「なぜ君は、今の君になることができたんだ?」
「……」
人はそう簡単に変わるものではない。
それは彼ら武芸指南役の五人こそがよく知っていることのはずだった。
出自のまったく異なる五人が、等しく武芸指南役になれるだけの実力と品位を得ている。
それはなぜなのか、とても気になるところだった。
「父や弟には悪いことですが……昔の、俺、は……」
軽く酒が入った状態で、彼はゆっくりと語りはじめた。
「昔の俺は、好きなことだけをしていました。他人から好かれることをしようとは思っていませんでした。いいえ、他人から好かれることを考えたことがなかったんです」
商家の長男である、当然勉学や家業の手伝いをこそ頑張って欲しかったに違いない。
しかし、本来礼儀作法の範囲である剣を好んでしまっていた。
いいや、剣術というよりも暴力と言ったほうがいいのかもしれない。
「他の四人はともかく、俺は努力しようと思えばいくらでも商家のためになる努力ができました。俺は子供でもチンピラでもないちゃんとした『大人』に変わることができたはずです」
誰でも年齢を重ねれば、きちんとした大人になれるというわけではない。
人間という生物の本性が善なのか悪なのかはともかくとして、人間は学ばなければ無知なまま育ってしまう。
「ですが、俺は変わらなかった。それどころか、家のカネを持ち逃げしました」
「その君が、なぜ今のようになれたのか。こう言ってはなんだが、今の君なら商家の跡取りとしてやっていけるだろう」
「そんなことを言わないでください、真面目にやっていた弟がかわいそうだ」
「いやいや、君は段取りの大事さがよくわかっている。他の細かいことは人を使えばいいだけだからね」
人数を集めて袋叩きにする、あるいは初期条件を無視して魔法を使う。
なるほど、搦手ではある。確かに勝つことだけが目的なら、それを使うことも視野に入れるべきではある。
しかし、それはそれで手抜きをしてはいけない。人数を揃えるにしても信頼出来る相手でなければならないし、奇襲をするにも練習が必要だった。
もちろん、そうした仕込みが出来る人間が、あの状況でそんなことをするわけもないのだが。
「なぜ、そうなれた?」
「……俺はサンスイさんやソペードの当主様に厚遇してもらったことで、強くなりたいと思いました。強くなりたいと思う気持ちというのは、つまりは自分の至らないところを認めるってことです」
「自分が弱いと認めるということか……」
「俺は自分の至らないところをゆっくりと受け入れて行きました……自分が間違っているとか、今までのやり方を変えるっていうのは、そうそうできることじゃあありません。どうしても、意固地になってしまう」
自分よりもずっと強い相手と戦って負ける。
それを繰り返してなお、そうそう変えていく事はできなかった。
だが、それでもゆっくりと変わっていくことはできた。
「ですが、自分の弱さと向き合うと思うのではなく、強い相手の真似をしていくと思えば、その意固地もほぐれて行きました。俺は自分の父親は尊敬できませんでしたが、サンスイさんのことは尊敬できた。だからこそ……少しずつ変わっていくことができた」
他の四人はともかく、自分には非がある。
心底から、彼は語っていた。
「他の連中はともかく、俺は父親を尊敬するべきだった。俺の父親は、尊敬できる相手だった。にもかかわらず、俺は父親のことをつまらない奴だと思ってしまった……他の連中はサンスイさんに出会ってソペードの当主様に出会って、初めて尊敬できる相手に会えた。俺の場合は……二度目でした」
「君がドラ息子だったのは、自分のせいだと言うのかね」
「そりゃあそうでしょう。俺がドラ息子だったのは、俺が馬鹿だったからです」
自分に限って言えば、環境が悪かったのではなく自分が悪かった。
良い環境からまた別の良い環境に移っただけなのだと、彼は素直に認めていた。
「言っちゃあなんですがね、国一番の剣士と四大貴族の当主様に気に入られて、本人が大真面目に頑張れば、そりゃあ誰だって大成できますよ」
自分が努力しなかったとは言わないし、山水やソペードの当主に感謝していないわけではない。
しかしそれはそれとして、自分が幸運だったことも認めていた。
小さい村の生まれでも、貧民街の生まれでも、商家の長男でも。
チンピラでも危険人物でも馬鹿でもアホでも。
如何なる出自であったとしても、人は変わることができる。
人が変わるほどの指導者の元で、本人にやる気があり、国家の権力者に気に入られれば、たいていの人間は良い方向に変わることが出来る。
問題は、その機会を皆が得ることが出来るわけではないという事だった。
それを、幸運と言わずして何と言えばいいのだろうか。
「俺じゃなくても、他の連中でも、他の誰でも、ありえないほど成り上がれますよ」
「なるほど……」
「ええ、つまり普通なんです。周りの環境がいい上で、本人が頑張ったから変われるんです」
山水もスイボクに感謝していたが、自分たちも同じように山水へ感謝していた。
国一番の剣士、五百年研鑽した仙人から直接手ほどきを受ける。
それで上達できないとしたら、完全に本人の過失である。
「とはいえ……こうも段取りやらなんやらを考えるようになったのは、サンスイさんの教えというか……サンスイさんに指導したスイボクさんのおかげですね」
「世界最強の男かね……」
「ええ、そんな言葉で追いつかないほどぶっちぎりの御仁です」
二位以下をはるかに寄せ付けない、余りにも遠すぎる怪物だった。
おそらくスイボクの次に強いであろうフウケイをして、手も足も出ないほどの強さを持っていた。
「坊ちゃんには説明しましたがね、俺達は相手が動き始めてからそれに反応しているんじゃないんです。相手の動きをある程度予測して、あるいは誘導して、あらかじめ決めたとおりに動いているんです。それは、サンスイさんもスイボクさんも同じです」
「事前に、か」
「ええ、前回みたいにどこで誰が参加する宴、という状況なら俺達もサンスイさんの真似ができます。百回やって百回成功できます。予測していない状況でも、百回やって九十回は成功できるでしょう。まあ、程度はありますがね」
その十回が、限りなく遠い。
千回やっても万回やっても、決して失敗しない。
それを目指して、スイボクは山水に五百年を費やした。
逆を言えば、百回やって九十回成功させる程度でいいのなら、数年の研鑽でいいのだろう。
それも、スイボクが認めるほどの『完成』が直接見本となって指導するのなら、なおさらに。
「水墨流仙術総兵法絶招、十牛図第十図、入鄽垂手自力本願剣仙一如不惑の境地。やたら長い名前ですが……まあ心得みたいなもんです」
誰にも真似できないほど長い時間研鑽し、誰にも真似できない術を幾つも生み出し、最終的に到達したのが誰でも真似できる心構えというのは皮肉だった。
程度はともかく誰でもやっていることを、究極の域に高める。それこそが不惑の境地。
「総兵法、つまりは戦いに関するすべてに通じる学問であり思考法。戦闘でも戦術でも戦略でも、あるいはそれ以外に関しても応用される基礎にして基本……」
酒の勢いを借りて、夢想する。
領主は、その語りに引き込まれる。
彼は今何かを、とても大切なことを思い出している。
「……本当に強いという事は、血気に逸る相手を殺さずに抑えることも出来るという事」
『ただ……そうだな、この境地を目指して、きちんと形にして名前をつけて。それでようやくわかったんだ。僕は……誰かに褒めて欲しかった、凄いと認めてほしかった、強いと畏れられたかった』
『会ったこともない子供から英雄だと憧れられたかった、剣の道を歩む者から敬われたかった、戦って倒した相手から褒め称えられたかった』
『何かを壊したかったわけではないし、誰かを殺したかったわけでもない。羨ましいと思われたり、妬まれたかった。でも恨まれたいわけじゃなかった』
「本当に求められる強さとは、闇雲に誰かを傷つけるのではなく、きちんと相手や状況にあわせて戦い方を変えて、その上できっちりと役割を果たせること」
克己心の怪物が、克己心をこじらせすぎた化物が、もう誰とも勝負にならなくて己以外に克服する相手のいなくなった仙人が、その彼が本当に求めていた恥ずかしい心の内の告白。
それが、共感できてしまっていた。比較することも馬鹿馬鹿しい相手が、同じ馬鹿なのだとわかって、嬉しくも悲しく思ってしまったのだ。
剣仙一如、すなわち如何なる道も一つの結論に到達するという事。
「つまりは、強くても弱くても、やらなければならないことは何も変わらないという事です」
「そうすれば、それだけで、それこそが、一番大事という事。それができていれば尊敬も信頼もついてくる。そういうことなのかね」
「……その結論を、俺はすんなりと受け入れることができました。いきなり答えを知ったのなら、きっと反発していたのでしょうが……その答えを聞いた時に、俺は……」
いきなり変わったわけではなく。
誰かを斬ったわけではなく。
何かに勝ったわけではなく。
習得したわけでも、成し遂げたわけでも、到達したわけでもない。
「その答えを受け入れられるほどに、『経験』を積んでいたのです」




