反面
剣の試合だったはずが、相手が突然火の魔法を使おうとした。
それに対して一瞬たりともひるむことはなく、むしろそれを狙っていたかのように彼は剣をのど元に突き付けていた。
如何に自尊心が肥大しているドラ息子といえども、その切っ先の殺傷能力はよく知っている。自分は強いからのどに剣が刺さっても死なない、などという妄想は抱いていない。
ただただ、この状況に困惑するのみである。
「昔の俺なら……サンスイさんの生徒になる前の俺なら、もしも魔法が使えたなら、お前のようにふるまっていたからな……というか、実際にやってボコられた奴がいたからな」
なぜ一瞬たりとも躊躇せずに突き込めたのか。むしろ会話の中でそれを待っていたからに他ならない。
相手が反則的な手段を用いることも、彼にしてみれば昔の自分や同僚たちの手の内を思い出すだけでよかったのだ。
「ぐ……」
「火の魔法を使えば、相手が驚いて手を止める。そのすきに最大火力を叩き込んで、相手を焼き殺す。この場にはそぐわない手だったな」
燃え盛っていた剣が、今はむなしい。この剣を振るうことができたなら、目の前の相手を苦も無く殺すことができる。しかし、それは絶対にできない。誰がどう見ても、炎の剣よりも先に鉄の剣が切り裂くだろう。
「お前の敗因は、雑なことだ。そもそもこの場で俺たちに恥をかかせよう、という浅ましさがまず恥ずかしい。なんで商家の跡取りであろうお前が、態々俺たち五人と張り合う? はっきり言って、俺たちの収入は五人合わせてもお前の収入に及ばないぞ」
今まで五人にすり寄ってきた相手は、良くも悪くも彼ら五人にとりいって利益を得たいという者たちだった。
もちろん軽い反発もあったが、すぐにまともな対応をするようになっていた。
武芸指南役は、競合するような役職ではない。あるのはただ……。
「そんなに、他人の名誉が恨めしかったか? 俺たちが成り上がったことが、許しがたかったか? それとも、言っていたようにとってかわりたかったか?」
「う」
「お前に何が教えられる。武芸指南役は、坊ちゃんや領主様に剣を教えるのが仕事だぞ。お前に誰かへ指導できるだけの『何か』があるのか?」
理路整然と、目の前の相手を指導していく。
何が間違っているのか、何がおかしかったのか、何をしていなかったのか。
それらを極めて反論できにくい状況で突き付けていく。
「……お前は、火の魔法を使ってから切りかかろうとしたな。それが遅かった。仮に火の魔法を使いながら切りかかっていれば、ここまで鮮やかには取り押さえることはできなかっただろう。お前、戦闘中に火の魔法で剣を燃やす術を練習したことがなかったんじゃないか?」
「……そんな、そんなことは」
「加えて、お前の表情だ。疲労からくる敗北感と屈辱感にまみれた悔しそうな顔から、何かを思いついた顔になり、そこからさらに勝利を確信した顔になったな。そこからさらに剣を燃やしてから、切りかかるんだ。呆れるほど余裕をもって迎撃できたぞ」
火の魔法を使えばいいと気づく、で一拍。
そうすれば相手に勝てると確信、で一拍。
火の魔法で剣を燃やす、で一拍。
切りかかろうとする、で一拍。
たかが人一人を斬るのに、四拍も経由していた。それでは対処などされて当然だった。
「さっきの連中もそうだ。お前、あの五十人だかそこらの連中を、直接雇ったわけですらないだろ。適当な腰ぎんちゃくに『人数をそろえろ』とか言って、財布を渡しただけなんじゃないか?」
「……だ、だからなんだ!」
「そんな連中に槍やらなんやらを渡して、それでそのまま領主様の前に通したんだぞ。そのことに関して、何か思うところはないのか? いろんな意味でな」
「そ、それは……」
「お前は、商家の次期家長の身で出席して、全く身元も保証されていない人間を、全く訓練も施していないど素人のまま武器を渡して、自分が用意したといって並べたんだぞ?」
昔の自分はバカだったなあ、と後悔しながら突き詰めていく。
そう、ありえないほどの無能をさらしているかつての自分の似姿に、行動の結果を客観的に説明していた。
「お前は俺たちに恥をかかせようと思ったらしいが、お前こそが恥をさらしたんだ。お前が普段からそれなりに使える部下をそろえていたなら、そいつらに指揮をさせることで統率もできていたんだ。いいか、お前がそろえた奴らが無能だったのは、つまりはお前の無能の証明だ」
ドラ息子の剣から、炎が消えた。
それを確認すると同時に、武芸指南役ものどに突き付けていた剣を下げる。
「俺が……俺が無能だと?!」
「でなきゃあ、バカで間抜けだな」
「違う、あいつらが悪いんだ! あいつらが弱くて、何にも考えてないから、ああなったんだ!」
「アホでグズだな」
「違うって言ってるだろう! こっちは金を渡してるんだぞ、そんなこと一々言わなくてもわかるだろうが! 金を受け取ったんだから、それぐらいあいつらが自分で考えることだろうが!」
「……じゃあお前は、それを確かめたのか? 確かめてもいないのに、領主様の前に出したのか?」
「だから……!」
「お前は、お前が推薦した相手が失敗をしたら、自分は悪くないというんだな」
「そうだ! 悪いのはあいつらだ!」
「そんなお前に、どんな仕事を任せればいいんだ?」
憐れみながら、とても決定的なことを口にする。
「今後、お前とは誰も取引をしないだろう」
「あ、う……」
「なぜなら、お前は仕事を任せても適当な誰かに金を持たせて丸投げするだけで、自分はなんの責任も負わないんだからな。そんな奴に仕事なんて任せるわけがない」
彼がこの場で失ったものを、わかりやすく教えていく。
「お前は、今回の件で使ったやつらを罵倒して、俺に恥をかかせたと怒鳴り散らして、もうお前たちにはなにも任せないというだろう。それを、周囲の人間がお前にやるんだ。わかりやすいだろ?」
「お、俺は……俺は悪くない!」
「お前が悪いかどうかは問題じゃない、お前には仕事の責任というものが分かっていないことが問題なんだ」
「俺に、責任があるっていうのか!」
「お前があいつらを紹介した、奴らがこの庭に入れたのはお前が紹介したからだ。あいつらが無能なら、お前の信頼や信用が失われるのは当たり前だろう」
決定的な言葉を言って、しかし決定的な言葉を聞かないままに、武芸指南役は剣を腰の鞘に納めて背を向ける。
「お前には、人を集めることができない、人を鍛えることができない、人を確認することができない、人の責任を負うことができない。つまり、お前に仕事を任せられない。わざわざお前に任せる理由がない」
やや、角度をつけて歩いていく。
自分の進行方向に、貴人たちがいないことを確認しながら歩いていく。
誰もいない方向に向かって歩いていく。
「誰だって、誰かの代わりになれる。だから、そうならないように自分のことをきちんとやらないといけない。それができないなら、誰かと替えられるだけだからな」
何事も起きないでほしい、と思いながらも首を動かさないまま眼球だけ動かす。
その視線は、自分たち二人を見ている貴人たちに向けている。
「自分の非を認められない、自分が悪いと謝れない、誰かに頭を下げることができない、誰かにへりくだることができない。そんなお前は……出世することができたとしても、長続きなんかできない」
貴人たちが自分に向けている視線が、驚嘆とともに敗者へ向けられることを確認する。
背後に熱を感じる。
「重ねて言うが、負けてもよかったはずだ。なんでそうも勝つことにこだわる。お前は普通に俺たちと戦って、普通にその強さを認めて、笑い話にすればよかったんだ……自分に傷がつくことを認められないお前は……弱い」
「があああああああああ!」
煽りはした。挑発していたことは事実だった。
正直、もう少し穏やかに決着をつけることもできた。
だが、自分を推薦してくれたソペードの当主様や、指導してくれた山水。なによりも領主様の名誉に比べれば、自分の背中に向けて魔法を使うような短慮な輩のことなど、比べるまでもないことだった。
「死ねえええええ!」
そう、まだ彼は参ったと言っていない。
そんな言葉を、自発的に言うことができれば若気の至りで済んだ話だったのだ。
敗北を、失敗を、恥辱を、認められない。
そんな人間が、どうなるのかを山水の生徒たちは皆知っている。
「銀鬼拳」
自分の中に流れる悪血をたぎらせる。
その全身を、異常強化する。
悪血による身体活性は、仙気による強化をさらに超えていく。
背後で自分に向けて火の魔法を使い、その視界をふさいだドラ息子。
彼には見えないであろうタイミングを狙って、横へ跳ねる。
草地を爆発させながら跳躍し、向き直る。
そこには見当違いの方向へ攻撃し、勝利を確信した顔をしている間抜けな男がいた。
銀鬼拳による興奮状態の中で、武芸指南役は文字通り目にもとまらぬ速さで背後を取っていた。
「参りました、を言わないとどうなると思う?」
しゅるり、と彼の首に腕を絡める。
相手が剣を握っていることなどかけらも関係ない強さで、締上げる。
「気絶するまで、攻められるんだよ」
首を折ることもできる力で、首を絞める。
何が起きたのかもわからないドラ息子は、窒息したまま剣を手放して拘束から逃れようとするが、どうもがいても万力のように絞められているためまるで身動きができなかった。
そのまま体内酸素を使い切り、弛緩する。
「ふう……」
燃え盛る髪を納めて、首から腕を抜いて地面に寝かせる武芸指南役。
あまり楽しい戦いではなかったが、まあ順当だろう。あと一つやるべき細工があるが、それはまた別の話だ。
「習っておいてよかったのか悪かったのか、銀鬼拳」
自分の他にも、数人だけいた悪血を宿す者たち。その彼らが試験的に習った、希少魔法銀鬼拳。生粋の狂戦士であるランに比べて非常に短い時間ではあるのだが、
当然武芸指南役の全員が使えるわけではなく、よってあまり使うべきではない技ではあるのだが、この状況になるように誘導したのは自分なので、自分の未熟である。
「さてと」
もう一度、自分の同僚たちと自分の生徒である領主の息子のところへ向かう。
「いかがですか、坊ちゃん。参考になりましたでしょうか」
「凄い!」
「……いえ、その、私の凄さよりもですね、負けたほうを反面教師としてですね」
「そっちを教えて!」
状況は、悪化していた。