相手
ドラ息子とドラ息子の対決である。
同じ悪童同士の対決であるが、それでも既に両者の評価はどうしようもなく開いていた。
「……流石に、宝貝を抜きにしたら剣を抜くんですね」
「ええ、もちろん」
互いに、真剣を向けあっていた。
二人とも防具らしい物を身に着けておらず、『もしも』の事態が起きることが懸念されるところだった。
少なくとも、勝負を挑んだ側のゆがんだ笑みを見る限り、それを狙っていることはあまりにも明らかだった。
「それだけ宝貝が強力ということですか」
「ええ、未熟な私には必要な武具です」
しかし、どうにも勝負を受けた側の表情はとても平静なものだった。
果たして、彼はどのような心境で剣を握っているのだろうか。
観戦している貴人たちは、固唾をのんで緊張しつつ見守っていた。
「未熟……弱いと自覚していると。そんな貴方には、貴方たちには武芸指南役の座は重いのでは?」
「ええ、正直に申し上げて……まだ尚早かと思っています」
「それならば……」
挑んだ男は、大上段に剣を構える。
両手持ちの剣を振りかぶると、まさに必殺の気迫だった。
「もっとふさわしい者に、譲るべきなのではありませんか?」
「それを決めるのは、私でも貴方でもない。ちがいますか?」
「その通り……では、お互いの実力をここに示しましょうか!」
走り出したドラ息子は、大上段から渾身の力を込めて剣を振り下ろしていた。
兜割ともいうべきその一撃は、相手が防御しても剣ごと破壊する勢いだった。
それに対して、武芸指南役は静かに回避する。
その眼は肝が冷える剣そのものではなく、対戦相手の体全体を眺めるように見ていた。
「そう、俺の一撃は受けられない!」
「ええまあ」
一旦振り下ろされた剣が跳ね上がり、回避した相手を追うように下段から斜めに切上げていた。
「ですが、これは受けられますよ」
「……!」
剣を使う場合一番強いのは、大上段から切り下す攻撃である。
剣の重さや自分の体重を込められる一撃は、軌道こそ単純でも大抵の防御を破壊して致命傷を加える。
それに対して、下から上へ切り上げる一撃はどうしても劣ってしまう。
受けられる攻撃であると判断した武芸指南役は、実際に受け止めて見せていた。
「一撃受けたぐらいで……!」
「ええ、続けましょう」
この戦いが八百長ではないことは、攻め込んでいるドラ息子の表情と剣筋からして明らかだった。
頭に当たれば頭蓋骨が叩き潰され、首に当たれば頭が飛んでいき、胴に当たれば腸がこぼれ出る。
そうなると分かり切っている、あまりにも苛烈な攻め。しかし、武芸指南役は受け側に回りながら戦っていた。
時折反撃することはあるが、それもあっさりと受けられている。手数から言えば不利極まりないはずだが、男女を問わずに演舞のように安心してみることができていた。
「そんな軽い剣で、何が斬れる! そんな腰が入っていない剣で俺が斬れるものか!」
「ええ、そうでしょうね」
武芸指南役は反撃をこまめに行っているが、しかし全体重を込めたものではない。
如何に双方が防具を着ていないとはいえ、それでも骨を断てるほどの威力はない。
すべて防がれているが、当たっても致命傷にはならないであろう軽い剣だった。
だからこそ軽々と受け止められる。そのまま反撃に転じることができる。
ドラ息子は攻勢であることで上機嫌だった。そう、先ほどの圧倒は宝貝の性能と、集めた男たちの無能が原因だった。
宝貝抜きでなら、自分の方が強いに決まっている。そして、現状はまさにそれだった。
「これが実戦の剣……本物の剣だ!」
「……」
「お上品な剣で、一体何が斬れる!」
「……」
「お前が何を習ったのか知らないが……強いのは俺の方だ!」
「……」
だんだんと、武芸指南役の顔が曇っていく。
同様に、観戦している四人もおなじ表情になっていた。
「……」
「どうした、俺を斬ってみろ! できるものならな!」
「……もしかして、サンスイさんも同じ心境だったんだろうか」
人間には個性がある。
全く同じ人間は、双子であってもあり得ない。
そんなことは知っているのだが、武芸指南役たちは昔の自分の生き写しを見て、複雑な表情をしていた。
そうして、最低限の反撃と回避、防御だけを行って戦闘を続けていく。
それを見ている面々は、彼が何を目指しているのかわかってきていた。
※
数分後、数十合ほど打ち合った後。
その優劣は目に見えて明らかだった。
「ぜえ……ぜえ……」
「むう、狙い通りだが素直に喜べないな」
先に五十人を相手に戦った武芸指南役は、しかし呼吸にほぼ乱れがない。
しかし、ドラ息子は肩で息をしていた。顔は赤く染まり汗だくで、膝も腰も曲がり、肘は伸びきって手に持っている剣を重そうにしている。
双方ともにけがはなく、つまりただ疲れているだけだった。
「な、なんで……」
「理由は単純、走り込みが足りていないこと」
剣はなぜ物を斬れるのか。
それは鋭く、硬く、何よりも重いからである。
鋭く硬く重い物を、素早く体重を込めて振るうからこそ、剣は物を斬ることができる。
であれば、鋭く硬く重い物を、素早く体重を込めて振るい続ければ、当然とても体力を消耗する。
もちろん、体力とは若さによってある程度は補える。しかし同じ若さならば、素養以上に普段からの鍛錬がものをいう。
そして持久力は過激で過酷な鍛錬によるものではなく、ひたすら単純で冗長な基本訓練で培われる。
今の今までの会話で、彼がそれを好んでいないことはあまりにも明らかだった。
加えて、武芸指南役は受けに回り体力を温存しながら戦っていた。血気にはやって体が硬くなっていたドラ息子は、その体力の消費をさらに加速させていたのである。
時折の反撃も、相手に息をさせないため。あるいは、防げない攻撃を連発させないためでしかない。
「一人二人斬って、それで疲れて動けなくなる。そんな戦士が活躍できる戦場はどこにもない、ということです」
長く会話をしていて、ドラ息子の体力も少しは回復してきた。
焼ける喉も収まりを見せ、肺も落ち着いてきた。
数回は切り込めるだろうが、その数回で体力がまた尽きてしまうだろう。
「流石に最初は剣筋が確かなものでしたよ。ですが戦いが長引くたびにどんどん崩れていった。精神的な焦りによるもの、体力的な疲労によるもの……その二つで剣が乱れる、その未熟さを戒めることですね」
誰がどう見ても、勝負ありだった。
ここからドラ息子を斬るのに、必殺技も必要ない、普通に切りかかればそのまま切り殺されるだろう。
守勢に回って消耗を狙った、というとなんとも情けない作戦に思えるが、先ほどまでの裂ぱくの気合を見ていれば、それを前に悠々と防御できていた武芸指南役の胆力がうかがえるところである。
「ちがう……なんで、なんで俺を斬らない!」
屈辱だった。
今の疲れ果てた自分を見て、貴人たちが失笑している。
先ほどまでの調子に乗っていた自分の言葉が、そのまま自分に跳ね返っている。
その屈辱を、彼はどうしても許容できなかった。
「俺を斬る度胸もないのか!」
だからこそ、相手の甘さを攻めたてる。
こんな甘い男など、許されるものではないはずだ。
「論点をずらすな、小者が」
しかし、そんな『ごまかし』は、武芸指南役に通じない。
「俺がお前を斬らないことと、お前の修業不足は全く別の問題だ。お前はまず、俺の指摘を受け入れろ。お前は大きな顔ができるほどの実力が備わっていない、その事実を正しく受け入れろ」
「ほざけ! お前こそ、俺を斬る度胸がないことをごまかしているだろうが!」
「……」
「お前は、俺を斬っていない! どうした、人を殺すのが怖いとでも言うつもりか?! そんな度胸もない奴が、この地方最強を名乗るのか!」
最強、という言葉の認識にずれがあり過ぎた。
だからこそ、どうしようもなく話が通じていなかった。
「浅いな、お前の最強は。お前のあこがれは、お前の理想は、底が浅いにもほどがある。そして、昔の俺たちと変わらないにもほどがある」
昔の自分そのものだった。
同じような家に生まれた、同じように力におぼれた、成長していないドラ息子を憐れんでいた。
「何をバカな……戦いは、殺し合いは! 勝たないと意味がないんだよ!」
「そうだな」
「だったら、人を斬れないお前は、武芸指南役が務まるわけが……」
「人を斬れない? 本当にそう思うか?」
心底不思議そうに、武芸指南役は剣を構えていた。
その剣が、真剣であることはわかり切っている。であれば、それこそ素人が使っても切れるだろう。相手が今にも力尽きそうな相手なら、なおのことに。
「……」
「度胸がないのはお前の方だ、まったく……」
斬られるかもしれない、斬られて当然の状況。
それを再認識したドラ息子の虚勢がはがれていた。
所詮は空元気、空威張り。この街を出ることさえなかった、この街で満足してしまっていた彼には、そんな無駄な度胸などない。
「それに、俺がお前を斬らないのは度胸がないからじゃない。というよりも、この状況で人間を斬るのは度胸がある奴じゃなくて配慮ができないやつだ」
そう言って、片手を剣から放して貴人たちに向ける。
「この場は、あくまでもパーティー。俺の実家が、お前の実家も含めて商家と縁を深める交流の場。当然、ご婦人も子供も多くいらっしゃる。それこそ、領主様の坊ちゃんもな」
ついさっきまで、自分を全力で殺そうと剣で切りかかっていた相手を、まるで相手にしていなかったと告げていた。
「お前を斬ったら、皆さんが困るだろう?」
「な、なんだと……! そんな理由で、俺に恥を!」
「お前は自分のことしか考えていないな、他人を不快にさせないように気を使うべきだろう」
地方領主という責任ある立場の人間に、指導を行えると認められた男は静かに語っていた。
「確かに何が何でも勝たなければならない戦いは存在する。泥をすすり、血まみれになりながら縋り付き、何が何でも手にしなければならない戦いも存在する。だが、今ではないはずだ」
それは自分の命を危険にさらしてでもなさなければならないこと。
自分の命を危機にさらしても勝ち残れると確信しての立ち振る舞い。
「俺に負けても、お前は少し恥ずかしい思いをするだけのはずだ」
「……俺が、お前に勝てないのが当たり前だっていうのか!」
「そうだ、俺はサンスイさんやスイボクさん、ソペードの当主様に認められている。それで、お前を強いと言っているのは、お前以外の誰がいる? 酒をおごった男たちか? 金で買った女たちか? 親が雇った教師たちか? そんな狭い世界のなかで、お前に気を使った連中の、特に根拠のない称賛じゃないのか?」
哀愁を向けていた。
残酷な真実を突き付けていた。
「ふ……」
そう、なんの間違いもない。
ドラ息子をたたえる声は、武芸指南役を認める者たちに比べて、あまりにも軽薄だった。
そんな現実を、絶対に認めることはできない。
「……これは、貴方が宝貝を使わない、という条件での試合でしたね」
「ああ、その通りだ」
「ならば……!」
体力がつきる、つきかけている。しかし、魔法を使うために魔力はまだ満ちている。
「こっちが魔法を使うのは……!」
後ろに下がりながら、火の魔法を使用する。
己の剣を炎で包み、攻撃力を大幅に上げようとする。
「自由だ!」
目の前の相手に魔力が宿っていないことはわかる。それならば、自分が魔法を使えばその優位は決定的なものになる。
そう、魔法を使える者と使えない者には、決定的な差があるのだから。
「そう、その通り。おまえの自由だ」
しかし、そんなことは誰でも知っている。
そして、魔法はあくまでも攻撃のための力。防御力も再生能力も存在しない。
ドラ息子は忘れていた、相手も自分も防具を着こんでいないという単純な事実を。
「……な、なんで」
「お前が俺に対してなんと言うつもりだったのか当てて見せよう」
なんの変哲もない、鉄の剣。それが火の魔法を発動させたドラ息子ののど元に突き付けられていた。
「『武芸指南役ともあろうものが、相手が魔法を使ったぐらいで負けるわけがない』とでもいうつもりだったんだろう」
もはや、ドラ息子が炎の剣を持っていたとしてもなんの関係もない。
完全に状況は詰んでいた。あとほんの指一本分突きこめば、喉に剣の切っ先が刺さるだろう。
「その通りだ。武芸指南役に選ばれた男が、相手が魔法を使ったぐらいで負けるわけがない」