妄念
「そんなバカな……」
町のチンピラをけしかけて、化けの皮をはいでやろう。
仮に強くなっているとしても苦戦は免れないし、怪我を負うことだってあるだろう、うまくいけば死ぬかもしれない。
どうなっても、そこいらの小者を相手に不覚をとったという事実は消えない。
そこを攻めたてれば、新しい武芸指南役の名誉は地に落ちる。
加えて、その武芸指南役に名誉挽回の機会として、チンピラを用意した自分と戦うことを望めば、それこそ思うがままだった。
才気あふれる自分が彼を打ち倒せば、それで自分に栄光の道があると、そう信じていた。
この時点で、彼は客観的には幸運だった。
なにせ、相手はソペード当主肝いりの武人である。その武人の実力の真偽はともかく、恥をかかせた時点で他の四人から同時に切りかかられて殺されていた可能性もある。
とはいえ、それを彼の主観として好意的にとらえることはできなかった。
「役立たずどもめ!」
周囲に聞こえない程度の声で、口汚く自分が雇った相手をののしる。五十人もいて、たった一人を相手に翻弄されて半壊してしまった相手を侮辱していた。
五十人も雇ったのだ、それなりの出費である。それで結果として、憎い相手の引き立て役だ。これではなんのために雇ったのかわからない。
顔を蹴られたものは鼻血などを流し、頭を踏まれたものは気を失っていた。
掌底を食らったものは歯を折られ、投げられたものは土まみれになっていた。
どいつもこいつも、どうしようもない連中である。
この自分がおぜん立てをしてやったのに、うめくだけのチンピラである。
無様だった。
そう、先ほどの戦いで華麗な立ち回りがあったのは、結局五十人のチンピラが無能だったからだ。
武芸指南役たちが散々こき下ろしたように、まったくもって弱い連中だった。
だからこそ、自分は恥をかいている。
「私は以前、王都でサンスイ殿の指導を見たことがありますが……それと重なるお手前でしたな」
「私もそう思いました。サンスイ殿がどれほどの実力者であっても、お弟子がどれほどかはわかりませんでしたが、疑ったことが恥ずかしいほどです」
「なんと、私は見たことがありませんが……サンスイ殿とはそこまでのお方でしたか……」
「流石はソペードの当主様から推薦状をいただくほどの武人だ、まさに歯牙にもかけませんでしたな」
そう、恥をかいている。屈辱を感じている。
世の中には、世間が自分に注目していないことを無視と感じ、他人が称賛されると自分が侮辱されていると錯覚する人間が存在する。
ドゥーウェ・ソペードなどその典型だが、彼女は自尊心と自分の地位が完全にかみ合っていた。しかし、商家の跡取りにさえなれるか怪しい彼が、地方領主の武芸指南役と張り合えるか、というとその限りではあるまい。
「凄い……」
「ああ、強い。強すぎる……」
「五十人を相手に、一方的に蹴散らした……」
「とてもまねできない……あれが武芸指南役か……」
自分と同世代の面々も、完全に感服していた。
無理もないだろう、彼らと張り合うにはまず同じことができるようにならなければならない。
五十人を相手に、剣を抜くこともなく、傷一つ負わずに完勝する。
そんな無理難題を今の自分が達成できるとは思わないだろう。同時に、そんな偉業をこともなくあっさりと成功させられるようになるまで自己鍛錬ができるとも思えなかった。
張り合う気が失せるほどの、圧倒的な強さ。
彼らの自己申告が正確だったとして、彼らよりも強いものがたくさんいたとして、それでも追いすがる気にはなれなかった。
その諦念が、自分へ向けられていない。その事実が彼には耐えられなかった。
しかし、だからと言って、自分が五十人を相手に完勝できるとは思えない。
自分が必勝を確信してけしかけたのは、才気あふれる自分でも絶対に勝てない条件だったからだ。
目の前の五人を、自分と同じかそれ以下の生まれの五人を、自分よりも下であると思うにはまず自分がそれを再現しなければならない。
しかし、できない。再現できないが、認めることができない。
「違う、違うはずだ……!」
必死で否定しようとする。相手を下げて、自分を持ち上げようとする。
相手の失点を探し、自分の優位を維持しようとする。
しかし、そもそも現時点でどちらが上でどちらがしたかなど、地位の時点で明らか。その実力も証明されてしまった以上、もはや彼の自己矛盾はどうにもならないはずだった。
「やっぱり、宝貝は凄い!」
その彼の耳に、地方領主の息子の声が届いていた。
そう、彼の優位を証明できる可能性が、ようやく示されていたのだ。
「やっぱり、宝貝を使いこなせるようになれば、そんなかっこいいことができるんだ!」
戦いから戻ってきた自分の教師に向かって、なかなか心無いことを言う。
凄いのは使い手ではなく、仙術が使えるようになる道具そのもの。
確かに先ほどの立ち回りも、宝貝があればこそではあるのだが、だからと言って使い手を軽んじられてはたまらない。
「坊ちゃん、俺たちが見てほしいのはあくまでも立ち回りなんですが……」
「気が緩んでいる相手を探す視野の広さとか洞察力とか、冷静さを保つ胆力とかを評価してください……」
「確かに宝貝がないとさっきみたいには立ち回れませんが、この宝貝を差し上げることはできませんし……」
「まずいなあ、ますます剣の稽古を軽く見てしまうぞ……」
「格好よく立ち回りすぎたな……」
その声は、まさに挽回のチャンスだった。
ここで勝てば、何もかもが解決すると思っていた。
なので、彼は上機嫌にさえなりながら提案をしていた。
「……お見事でした、武芸指南役殿。私が用意した者たちでは相手になりませんでしたな」
「いやいや、五十人をそろえるとなると容易ならざることです。おかげでよい試合ができました」
「ですが、どうやら次期領主様は、貴方の武をまだ疑いのようですな」
そう、宝貝がすごいのであって、使い手は凄くなどない。
例えば自分がそれを手にしてそれなりに練習をすれば、同じことができるようになるかもしれない。
いいや、才気あふれる自分ならば、より凄いことができる。できるに決まっている。
だからこそ、この提案をする。宝貝さえなければ、自分の方が強いに決まっているのだから。
「……ええ、私の不覚です」
「であればどうでしょうか、その宝貝とやらを全部外して戦って見せるというのは」
「……なるほど」
「貴方の素のままの剣をご覧になれば、次期領主様も納得ができるのでは?」
「しかし、未熟な私では宝貝抜きだと加減ができる自信がありません。失礼ですが、彼らともう一度というのは……」
退散していく面々を見て、荷が勝ちすぎると口にする。
無傷な男たちもまだ残っているが、おそらく精神的に折れている。
この場でいきなり再戦とはいかないだろう。
「では、僭越ながら私が」
「貴方が直接、ですか?」
「ええ、宝貝を装備していない貴方を相手にする分には、不足がないかと存じます」
宝貝さえなければ、お前は雑魚だ。
そう口にするドラ息子に対して、この商家の長男はしばらく言葉を発しなかった。
仮にこの場で応じなかったとすれば、おそらく宝貝がなければ大したことのない相手だと吹聴するのだろう。
五十人を蹴散らしたが、しかし自分が名乗り出れば逃げ出した、とでも言うのだろう。
それは、ソペードの当主から推薦状をもらっている彼には、避けねばならないことだった。
「……」
「いかがですか?」
周囲からの視線も熱かった。
宝貝を抜きにした場合の力量を疑う者も出始めたし、宝貝を抜きにしても実力があることを期待している者も多かった。
良くも悪くも鮮やかに勝ちすぎたことが、商家の長男にとって重圧になっていた。
「……」
「どうですか?!」
しかし、その程度の重圧は彼にとってどうでもいいことだった。
所詮、地方の商家の集まりである。そんな連中を相手に、一々気張るなどありえない。
「さあ?!」
「受けましょう」
相手が一番調子に乗ったタイミングを見計らって、商家の長男は身に着けている宝貝を同僚に渡し始めていた。
それこそ、先ほどまで同様に、一切躊躇も恐怖もないようだった。
「ですが、先ほども言いましたが……」
ただ、穏やかに告げていた。
「あなた次第ではありますが、場合によっては加減はできませんよ?」