要領
どう立ち回っても、死人が出ることは確実だ。そう思う家長たちは、自分の妻をその光景から遠ざけようとしていた。
『どれ、武芸指南役の顔を見てやろう』という野心あふれる若者たちも、流石に何十人という武装した集団に臆することなく近寄っていく剣士の姿を見て、緊張を隠せなかった。
それこそ、子供でも分かる理屈だが、一人で何十人もと戦うと負ける。槍で突かれると死ぬ。
その理屈で言えば、彼は身投げをしようとしているようなものだった。
しかし、荒くれ者たちを用意したドラ息子も、歩を進める彼の後ろ姿に何かを感じずにはいられなかった。
「ねえ、大丈夫なの?」
領主の息子は不安げに、残る四人へ話しかけていた。
確かに馬車の中では百人以下なら問題ないと言っていた、加えて目の前にいる相手は百人どころかその半分だろう。
彼らの自己申告を信じるのなら問題ないが、少年は彼らを信じることができなかった。
「大丈夫ですよ、あの程度の人数なら問題ありません」
取り立てて慌てることもなく、武芸指南役たちは少年に安心材料を並べ始めていた。
「よろしいですか、坊ちゃん。確かに人数が多いほうが、少ないほうよりも強いです。ですが、あの程度の輩は『数』に勘定できません」
「切り札といわず、それなりの実力者ならほぼ確実に勝てます」
「雑魚ですよ、雑魚。そこいらの寄せ集めです」
ドラ息子が普段から付き合いのある子分どもを集め、さらにその子分たちに横のつながりをつたって集めた『戦力』。それを、武芸指南役たちは脅威と認識していなかった。
静まり返っているこの場では、よく聞こえる声だった。だからこそ、誰もがその言葉に耳を傾けていた。
「サンスイさんの嫁さんであるブロワ様やトオンの旦那当たりなら余裕ですって」
「というか、スナエの嬢ちゃん……じゃなかった、スナエ様がでっかくなれば、それだけで逃げ出しそうだしな」
「学園長の婆さんでも余裕だろ、あれぐらい」
「近衛兵の連中ならなんてことないしな、聖騎士だと決め手に欠けるけどそんなもんだろ」
お世辞にも生まれはよくないし、口調も相応に悪い。
しかし、この場の面々とは見ていたものが明らかに違っている。
ならず者を蹴散らす猛者たちを、たくさん知っているという風だった。
「あいつら、どう見てもそこらのチンピラに小銭ばらまいて寄せ集めただけですぜ」
「ちょっと気に入らないやつがいるからボコれ、とか言われてるだけですって」
「そんな奴らが死ぬ気で戦うと思いますか? ちょいと脅せばそのまま帰りそうじゃないですか」
「坊ちゃん、火の魔法で足元をいぶすだけでも逃げ散りそうだとは思いませんか?」
「それは……そうだとは思うけど」
その言葉を聞いて、誰もがそれなりに納得していた。
確かに怖いもの知らずではありそうだが、命知らずではあるまい。
最後の一人まで死力を尽くして戦うということはないだろう。
適切な指摘を聞いて、ドラ息子は自分がバカにされていると気づくが、しかしそれでも負けるわけがないと思っていた。
なにせ、数十対一である。確かに才気あふれる実力者なら覆せる戦力差かもしれないが、その才能がこれから戦おうという男にあるわけがないのだ。
「でも、あいつって魔法使えたっけ?」
「いいえ、あいつはそっちの資質はないですよ」
「じゃあ宝貝で戦うの? そんなに強くなかったような気が……」
「まあ強くはないですね」
彼らは素直に、宝貝の数値が低いと認めていた。
そして、そんなことは問題ではないと知っていた。
「そりゃあまあ、宝貝があるからって真正面から突っ込んで、全員ぶったおすなんてできませんよ」
「そんなことができるのは、それこそ切り札をやってる面々だけですって」
「他にはフウケイとスイボクさんと……ランちゃんぐらいじゃないか?」
「スナエ様の場合もそうなるけど、あれはまた話が違うしな」
パーティーを催している別荘の庭は、植木などを楽しむ庭園というよりは景色を楽しむ草原よりであり、加えて貴人たちが集まっている場所はなだらかな丘の高い部分にあり、これから一戦を始めようという面々をやや見下ろすことができる場所だった。
「俺たちは武芸指南役なんで、解説はきっちりさせてもらいます」
「なので、まずはあいつが戦うところを見てください」
彼らが意図したわけではないだろうが、その場は完全に武芸指南役たちに支配されていた。
誰もが彼らの指示に従って、ただ黙って『試合』を観戦しようとしている。
「さて……お前ら、いくらもらった?」
さほど大きな声で怒鳴ったわけではない。
対峙している数十人全員に聞こえるようには話したが、それが貴人たちに届いたかはわからない。
腰に差している剣を抜こうともしない彼は、世間話のように訪ねていた。
買収だろうか。
集められた男たちは、皆そう思っていた。
確かにこの場の面々ははした金で雇われたごろつきである。
一生遊べるほどの金銀を受け取っているわけもないし、どれだけ頑張っても継続して収入をもらえるわけでもない。
金額次第では、と思う者もいた。
二重取りも悪くない、と思う者もいた。
ふざけやがってぶっ殺してやる、と思う者もいた。
あのお方のために全力で頑張ろう、という者はいなかった。
その彼らに向かって、武芸指南役を務める男は不敵にあざけっていた。
「どうしようもない奴らだ……きっと死んでも誰も悲しまないんだろう。まさに何の価値もない連中の集まりだな」
昔の自分と重ねながら、あざけりながら憐れんでいた。
「治療費で赤字が出ないといいな」
そう言いながら、彼は剣を持たないまま走り出していた。
槍を持って並んでいる多数の敵に、走って接近するという愚。
それは槍の間合いの理屈を知っている荒くれ者たちにとっては、仕事が簡単になることを意味していた。
槍と剣なら、槍の方が強い。なぜなら槍のほうが長いから。
もちろん、ありとあらゆる状況でそれが実現するわけではない。
しかし、遮蔽物のない屋外、一人が正面から突っ込んでくる状況、なによりも複数の槍が並んだ槍衾。
さほど長い槍ではないが、当然剣よりも長い。それを無手で突破できるわけもない。
数の優位、間合いの優位。それらに胡坐をかいていた彼らは、その行動に対応できなかった。
「宝貝、風火輪」
助走からの跳躍、そして飛翔。
『前』しか見ていなかったチンピラたちでは目で追えなかった、『上』への移動。
それは高速であったことも含めて彼ら全員の視界から武芸指南役の姿が消えることを意味していた。
「わかりやすく『蹂躙』してやる」
よく晴れた空の下では、高度を稼がない彼の影で暗さを感じるもの達もいた。
しかし、全員ではない。跳躍した自分に気づかない足元のチンピラたちの頭や顔を、彼は蹴飛ばし踏みつぶしながら、跳ねるように『攻撃』していた。
「ぎゃあ?!」
「ぐじゅっ?!」
「ふげえ!」
当然、やろうと思えばチンピラたちにも反撃の目はある。手にした槍を頭上に構えて、対空防御をすればいい。前ではなく上に対して槍衾を形成すればいい。
だが、それはできない。できないというよりも、させていなかった。
『味方』という障害物に遮られて視界がふさがっているチンピラたちは、自分たちの頭上を跳ねまわっている武芸指南役がどこにいて、これからどこへ移動するのかわからなかった。
だからこそ、行動が散逸的で対処ができずにいた。
もちろん、数名は槍を上に構えて牽制しようとする。そうなると、流石に足で攻撃というわけにはいかない。しかし、する必要がない。それができない、できていない輩を選んで攻撃すればいいだけなのだから。
「す、すごい……!」
地方領主の跡取り息子は、その光景に興奮していた。
荒くれ者たちの頭上を俊敏に舞う自分の教師は、腰の武器を使うまでもなく多数を翻弄していた。
絶望や必死さなどどこにもなく、極めて一方的に踏みにじっている。
それは魔法による派手な荒々しさではなく、狂戦士や神降しの暴力的な気勢ではなく、法術の荘厳な頑強さでもない。
やっていることは、二メートルだけ浮いている人間が、目視できる速さで人間の頭を踏んでいるだけ。轟音や閃光が走るわけではないが、それでも多数を圧倒する強者の姿は『恰好』がよかった。
「これが仙術を使える者の、多数との戦い方です」
もちろん、それは彼だけではない。
他の貴人たちも、その光景に目を奪われていた。
山水を知らぬものは驚嘆する。地方領主たちを含めて、山水を知る者たちは納得する。
この余裕に満ち溢れた、それでいて一方的な『立ち回り』こそが、山水の流れを組む者たちなのだと。
「俺たちの宝貝では、数十人をまとめて吹き飛ばすような術は使えません」
「加えて、数十人を蹴散らすほどの馬力は出せませんし、鉄の槍で刺され続けて大丈夫なほど頑丈でもありません」
「全力で戦い続ければ、息切れして長くはもたない。であれば……ああやって翻弄するしかない」
観戦している武芸指南役たちは、己たちの脆弱さをむしろ誇張気味に伝えていた。
しかし、そのうえで表情には自信が満ち溢れている。語りには力があり、確かに周囲へ伝わっていた。
「確かに数が多いほうが、数が少ないほうより優位です。ですが……個人としてはむしろもろくなるんですよ」
「何十人で一人を倒すわけですからねえ……当然町のチンピラに危機感や緊張感が維持できるわけもない」
「簡単な理屈ですよ。相手は何十人といる味方の中で、自分が狙われる確率は低いと油断したうえで緊張を維持しなければならない。ですが、こっちは何十人といる中で、緊張が保てず油断している者を探して攻撃すればいい」
一対一で対峙しているとする。その場合、当然両者は互いの一挙一動に対して注意を払い、危機感を維持できる。
しかし、これが十人対一人であればどうか。自分が狙われる、という緊張感を常に維持できるだろうか。これが五十人ともなれば、自分が戦っているという意識さえ維持できまい。
さすがに、最前列の面々は緊張感を維持できるだろう。
だが、後列の面々、つまり過半数の面々は臨戦とは程遠い心中だった。
だからこそ、その後方を彼は狙う。
「自分は狙われないだろう、自分以外が狙われてほしい、自分のところに来ないでほしい、と思っているような輩を探して、頭を踏んで顔を蹴ればいい」
「そういう輩は、手に武器を持っていても行動が遅い。反射的に反撃をする、という行為さえままならない。こっちに来ないでくれ、こっちに来た。隣であってくれ、自分を狙っている。攻撃してきた、反撃するか身を守らないと。そんな風に後手後手に回っていく」
「ましてや、指揮官もいない烏合の衆。これが訓練されている部隊なら、隊長が一括して『真上に槍を構えろ』と言えばいいところですが……まあ、そう簡単にはいかない。どうしても遅くなる」
「そう、遅くなるだけです。さすがに五十人だかそこらを、ぱぱっと全滅させるなんてことはできない」
さすがに、十人も倒していればチンピラたちも行動がまとまってくる。
とにかく上に敵がいるのだ、と槍を上に構える者が増えてきた。
それができない者を倒しているから、ということもあるが、結果的に残ったものは頭上に槍を構えることができていた。
こうなると、頭上からの攻撃はできないだろう。槍の長さの方が、彼の足より上だからだ。
「そうだ……そんな理屈で勝てるわけがない……!」
ドラ息子は、上を向いてく槍に安堵していた。
そう、そんな理屈で五十対一という戦力差が埋まるわけがない。
自分のように才能があるのなら、遠距離から魔法で吹き飛ばすということもできるだろう。
だが、如何に頭部への打撃によって、一発で相手を倒せるとしても、五十発という数を速やかに出せるわけもないのだから。
「坊ちゃん……ここからが大事ですよ。今、再びチンピラどもはまとまった行動ができました。それは見るからに明らかです」
「ですがね……まとまった行動をとるまでに、何人倒れましたか?」
「大体十人ぐらいですね……残り大体四十人……まだまだ圧倒できる数です」
「敵は全員、密集しつつ槍を上に向けている……それじゃあ、次はどうすればいいのかわかりますよね」
四人の言葉を実践するように、浮いていた男は槍を上に向けているチンピラたちの中から『ただとりあえず槍を上に向けているだけ』という気の抜けた相手を探し、そのもとへ着地した。
剣よりも長い槍を、上に向けて密集しつつある集団の中へ、手に武器を持っていない男が着地したのである。
「宝貝、豪身帯」
近場の相手の頭をつかんで、振り回す。
周囲の敵を巻き込みながら、吹き飛ばしていく。
「お、降りたぞ! 叩け!」
「お、おい、邪魔だ!」
「くそ……! どけ、どけ! 広がれ!」
「俺がたたく! 前を開けろ!」
「おい、槍が当たるだろうが!」
それなりに硬い防具を身に着けて、ある程度肉体を強化している男が、長い槍をもっている集団の中で暴れている。
それははたから見て、明らかに一方的な戦いだった。
「わかりますか、坊ちゃん。相手が全員上を向いた、ということは、降りてしまえばさっきの繰り返しということですよ」
「剣ならまだしも、槍を使い慣れているチンピラなんてそうそういないでしょう。いたとしても、素手の間合いで味方が密集している状況で、十分に技量を発揮できるわけがない」
「こうなると、槍なんか捨てて殴りかかったほうがいいんですが……まあそんな判断ができるわけもないですしねえ」
さすがに敵集団の中では、高速移動も浮遊もそうそうできない。
近くの敵を倒していたからか、自然と彼の周りは倒れたチンピラが増えていった。
「囲め! 囲め囲め!」
「そのまま刺しちまえ!」
「そうだ、囲んじまえばこっちのもんだ!」
再び、チンピラたちの動きがまとまっていく。
動きがまとまるまでにまた十人ほど倒されているが、それでも三十人ほど残っていた。
「囲んだら、今度はまた飛ぶぞ!」
「飛ぶ前に刺せ!」
「飛んだら、その時はまた上を突くんだぞ!」
流石にチンピラたちも焦燥し、学習する。
宝貝を解除して一息ついている彼を槍で囲み、そのまま包囲を狭めつつあった。
加えて、飛んだ場合の対処も気構えとして準備していた。
というよりも、囲まれたなら逃げるだろうとは、流石に予測ができているようだった。
「……さて」
軽く膝を曲げて、垂直飛びのように構える。
それをみて、チンピラたちは対応が分かれていた。
飛ぶ前に刺そうとするか、飛んでから刺そうとするか、既に槍を上に向けつつあるか。
それらを確認しながら、彼はほんのわずかだけ跳躍し、着地と同時に視線と槍が上を向いている相手へ走り出していた。
「宝貝、瞬身帯」
包囲が完了するまでのわずかな時間、彼は強化を解いて少々乱れた呼吸を整えていた。
そして、余力を取り戻した彼は速度を向上させて、フェイントに引っかかった間抜けへ向けて突撃する。
そのまま間抜けの顎へ掌底を入れて、さらにその周囲の敵を吹き飛ばし始めた。
そこからさらにチンピラたちが陣形を整えるまでに、また十人倒されるのだとしたら。
残りは二十人、もはや半数を切る計算である。
「所詮は烏合の衆、あんな簡単な騙しに引っかかる奴らばかり」
「たとえ引っかからないやつがいたとしても、引っかかる奴が穴になっている時点で包囲の意味は完全にない」
「こちらに宝貝があり、機動力で上回れる以上、半端な連携はかえって油断を誘うだけ」
「これなら一対一を五十回繰り返すほうがまだましだったな」
きわめて理路整然と、目の前の行動が説明されていく。
それを聞けば、どんな素人でも納得するしかない。
そう、自分が集めた面々が、案山子のように吹き飛ばされていくところを見ているドラ息子も、こんなバカな話があってたまるかとは言えなかった。
「とまあ偉そうに言いましたがね、坊ちゃん。俺たちはそこまで強くないんですよ」
「ひとりひとりをチマチマ倒してるだけですし、時間もかかってる」
「ぶっちゃけ、真っ向勝負っていうかこういう相手に慣れてない輩の虚を突いているだけですしねえ」
「ですが、どうですか坊ちゃん……あいつはなかなかどうして、格好いいでしょう?」
武芸指南役たちの質問に、領主の息子は答えなかった。
ただ、その顔に張り付ている憧れを見るだけで、彼がどう受け止めているのかもわかってしまうのだが。
「領主様……そろそろ、止めたほうがいいですよ」
「ほらほら、もう連中やる気なくして逃げそうですし」
「む……そ、そうだな」
いつかの山水にかさなる、武芸指南役の立ち回り。
それに見とれていた領主は、今戦っている男が自分の忠実なる部下であることを思い出していた。
それをうれしく思いながら、大きな声で一括していた。
「そこまで! 実に見事な戦いぶりだったぞ、我が武芸指南役よ!」
これだけすごいことができる剣士が、五人も自分の配下にいる。
それを確認できた領主は、満足げに試合の終了を告げていた。