期待
流石に王家直轄領から、他の四大貴族の治める領地に向かうとなるとそれなりに時間を要する。
そして、流石に街灯もない道を馬車でとばすのは、それこそ自殺だ。疲労回復ができるとしても、動物を寝かせずに走らせるなど無茶が過ぎる。よって、当然の様に俺たちは車中泊をすることになる。
日中全力で走らせていたが、それでもまだ王家直轄領は出ていないだろう。日が沈んで、人里から遠い道の真ん中で、二台の馬車は止まっていた。
「道中の護衛に関しましては、我が家の聖騎士隊にお任せください」
パレット様のお言葉をありがたく受け取って、俺は早々に寝ることにしていた。
人間は日が沈んだらそのまま寝て、日が昇ったら起きるべきだと思う。
我ながら暴論だとは思うが、そういう生活を五世紀続けたので仕方ないということにしていただきたい。
少なくともレインももう眠そうにしていた。まだ暖かい季節なので、夜の草原で寝るのはとても気持ちよさそうである。
「もう寝るのか……お言葉に甘え過ぎではないか?」
「そう言うなよ……俺は日が沈んだら寝ないと、眠くて仕方ないんだ。そういうお前こそ、お嬢様の傍を離れていいのか?」
「すぐ済む話だから、それまでは起きていてくれ」
やや呆れながらも、ブロワは俺の隣に腰を下ろしていた。
カプトの護衛の皆さんが囲んでいる焚き火の火は遠く、つまりは彼女の顔は余り良く見えない。
なまじ火の明かりがあると、星の明かりで照らされるということもないのだ。その辺りは、瞳孔の開き具合によるものだったと憶えている。
だが、彼女が緊張していることは声だけでも伝わっていた。
「お前は……もしかして、パレット様のような方の方が好ましいのか?」
「そんなことはない。まあ、その、お嬢様と比べるとお察しだが」
「そんなことが聞きたいわけではないのだが……ああした清楚なお方が、お前の好みなのかもしれないと思ってしまってな……」
確かに、余り身近にいるわけではない。
レインは完全に対象外だし、ブロワは凛としているし、お嬢様は良くも悪くも女性的だ。
ああいう、聖女的なのは俺の周囲にはいなかったしな。
「私にあれは無理だ……そう思うと、怖くて聞きたくなってしまった……」
「安心しろ、今の俺はまだそういうのがないんだ」
「そうか……」
「とはいえ、尊敬に値することは事実だ。そこに偽りはないよ」
「……そうだな、忠義はお嬢様にあるが、尊敬できる人だ」
やや安堵したのか、そのままブロワはお嬢様の待つ馬車の中へ入っていく。
やれやれ、恋する乙女というものは多感だ。俺にもああいう時期はあっただろうか。
少なくとも、ああやって相手の好みを聞くことはなかったな……。
「ねえドゥーウェ」
「かしこまってどうしたの、パレット」
「男の人って、貴女みたいな人が好きなのかしら」
馬車の中でも同じ会話がされていた。確かに三人とも同じ年代だけども。
馬車の外にいて良かった、同じ部屋にいたらやりきれないな。
「そうね……そりゃあまあ、言い寄ってくる男は多いわ。私の家柄も、美貌も、どちらも殿方には魅力的なんでしょうね。そんな連中を翻弄するのは楽しいけど、結婚するとなるとちょっとね……」
「そうよね……そんな軽薄な方とはお付き合いできないわよね……」
肉体関係にはなりたいが、結婚はしたくない。
そんな女の典型例であろうお嬢様は、自分でも結構なことを言っていた。
思春期の悪女には、それなりに思うところがあるようである。
我ながら失礼極まりない思考であるが、これも適正な評価だと思っていただきたい。
「……そんな軽薄な男に惚れる私って、駄目な女かしら……」
ものすごく真剣な悩みを打ち明けられて、帰す言葉に困っているお嬢様。
まさか、聖女っぽい人からそんな恋話をされるとは思っていなかったのだろう。
漏れ出る声を聴いて、ブロワも馬車の前で硬直していた。俺と違って耳がいいわけではないだろうが、それでも聞こえてしまうものは聞こえてしまうのだ。
「あ、貴女が、好きな人? 婚約者がいたはずよね?」
「ええ、破棄したわ。色々あって……」
寝っ転がりながら気配を感じている。内密な話をしている二人の気配を感じている。
余り聞いてもいいことだとは思わないのだが、彼女の感情が必ずしも私情で満ちているわけではないのだ。
「……ねえドゥーウェ。貴女には今回大きな借りができたわ、その対価となりえる情報を、ここで貴女に教えるわ」
「情報?」
「ソペード家にはサンスイという国内最強の剣士がいるし、バトラブにも入り婿という形でサイガという神剣を持つ法術使いが所属しているのでしょう?」
「ええ……それがどうしたの?」
「カプト、そしてディスイヤにもいるのよ……絶対と呼ぶに値する、最強の切り札が」
その言葉を聞いて、俺の心中によぎったものは何だろうか。
納得、驚愕、歓喜。どれともつかない、曖昧なものだった。
少なくとも、意外ではなかった。
「こうした荒事を納めることにはとことん向かないけども、異国の男性を殺していいのならば彼に頼んでいたでしょう。それほどに、彼は強い」
「殺さずに、となると無理なのね」
「ええ、貴女はもっと彼の優しさに感謝するべきよ、ドゥーウェ。私は『彼』を得た時に剣聖を思い出したけども、その一方で剣聖の慎み深さに改めて感動したもの」
力があると使いたくなる。それはお嬢様が体現していることだ。
そして、それを抑えることは確かに難しい。
「カプトの切り札は、ソペードの切り札とはきわめて対照的なのよ……無茶ばかりしていつも傷だらけ……そこが、その可愛いと思うんだけど……」
「そ、そう……」
「貴女は自分の護衛である彼を信頼し重用しているでしょう? あの人にそういうのって任せられないから……」
確かにそうだろう。少なくとも俺は、その辺りで苦労させたことがない。
地味だとよく言われているが、それはどんな状況でも一定の力を発揮できるということだ。
もっというなら、俺を使ったせいで想定外の破壊が起きた、ということはない。
今の俺は知っている。あらゆる意味で、自分の持つ力を制御することがどれだけ難しいのかを。そして、この世界に来てから一年もたっていないならば、それを望むこと自体が間違っていると。
少なからず、祭我にはそれができていなかった。彼もその周辺も、戦う理由を求めている。それは自然なことだが、あまりいいことではない。
「……それで、私はお兄様やお父様になんと報告すればいいの? あの人とか切り札とか、そう言われても困るわ」
「でしょうね……私の切り札、その名前はキョウベ・ショウゾウ。あえて二つ名を付けるなら……傷だらけの愚者、不毛の農夫、といったところかしら。ディスイヤに関しては……そうね、こう呼ばれているらしいの。終末の審判、恐怖の権化、考える男、と」
「……貴女らしくないわね、もったいぶるなんて」
「じゃあ貴女は、剣聖に会う前に剣聖の力を口頭で語られて、信じたの?」
その言葉に、俺を含めたソペードの三人は納得していた。
確かに口で俺の戦いぶりを説明しても、眉唾極まった扱いをされていたはずだ。
「こんな言い方はどうかと思うけど、私の切り札は貴女の剣聖に到底及ばない。自分の力を全くといっていいほど制御できていない。だからこそ私達の手元から離れずにいるけども、本人にとっては悲劇でしょうね……でも、その危険性は剣聖をしのぐ。ディスイヤの切り札も同じよ、地味だとか穏当だとか、そんなものとは程遠いにもほどがある」
俺は透視ができるわけじゃない。ただ気配を濃く感じることができるだけだ。
この静かな夜に、馬車の壁を越えて聞こえてくる話声に、聞き耳を立てているだけだった。
俺は思う。果たして今の彼女はどんな顔をしているのだろうか。
彼女はいったい、何を見たのだろうか。
「ディスイヤを挑発してはいけないわ、ドゥーウェ。もしもディスイヤを追い込めば、彼らに最終手段を使わせる事になりかねない。貴女がどれだけ剣聖に対して自信があったとしても、仲間同士で争うことになってしまう」
「仲間?」
「これは貴女のお兄様やお父様なら、そろそろ察することだとは思うけども……この四つの切り札が力を合わせないといけないことになる。それが、これから先起こることよ」
人は力を求める。それは生物として当然の行為だ。
より強く、より固く、より大きく。それは進化の必然だ、生物は人間の進歩の日々を遥かに越える時間を賭して、必死で生き続けようとしている。
そして、その大きくなった体を維持するためにより多くの餌を求める。さらに強くなるために。
だが、強くなるために強さを得るのではない。あくまでも生きるために強さを得るのだ。
その意味では、そもそも強い必要さえどこにもない。無駄に争って、その結果死ねばその先など長くないのだ。
だが、それはとても難しい。特にお嬢様には。俺という切り札に自信があり、失いたくないと思うからこそ、相手のそれを叩き割りたくなってしまう。自分の切り札をぶつけてでも。
「……貴女は、自分の切り札を」
「出来れば使いたくないと思っています。彼は、余りにも有益すぎる。私が言うべきことではありませんが、度を越えた有益さは人生を縛ってしまう。彼には、愚かなままでいて欲しい。勝手な押し付けだとは思いますが、個人としては今のままの彼でいて欲しいのです」
優しい人だった。
俺はそう思いながら目を閉じる。
聞いたことを忘れるつもりはないが、今まで通り、今までの日々を信じるだけだ。
これからの日々ではなく、これまでの日々の事だけを考えて。
※
「……これはどういうことですか」
気象に大差がなく、同じ国ということでカプト家の領地も大差なかった。
強いて言えば、貧民がやたら多いということだろうか。
この辺りは施しの精神が強く、裕福ではない傷病者は治療を受けにカプトを目指すという。
ある意味亡命貴族が此処で問題を起こしたのも、その延長線上にあることなのだろう。
俺の小脇に、レインがしがみついていた。
目の前に多くの負傷者が並び、法術を含めて手当てを受けていた。
それ自体は不思議でもなんでもないが、全員が明らかに騎士か戦士の肉体だった。負っている傷も露骨に切創で、どう見ても負け戦の結果だった。
「一応聞くけど、ブロワ」
「……そこまでではありませんね」
数十人の戦士達。その姿を見て、お嬢様は何かを思い出したのかブロワに問いただしていた。
しかし、それをブロワは否定する。確かに彼らは戦闘訓練を受けているが、ブロワには劣っていた。
一人前ではあっても、一流ではないと言ったところだろうか。もちろん、倒れている彼らを見て、何もかもを知った気になるのは間違っているが。
「どういう事か聞いているのです、ヌリ様!」
「……これは我が一族の問題でもあるのです。気が逸ったものがいたとして、咎めることなどできませぬな」
あまり偏見を持たないように努めてきたが、正直に言ってここまで露骨に腐敗した貴族を見たのは初めてだった。
豪華な服を着ている一方で、体形が酷い。病気で太っているとかではなく、単純に食習慣が悪いだけだった。美味しいものを食べたいだけ食べている、そんな印象を受ける。
しかも低所得者が仕方なく安価で太りやすいものを食べているとかではなく、体形からして運動不足も露骨だった。
体内の気の流れからして、なんかの病気にもなっているだろう。
ヌリ、と呼ばれた太った貴族は、やや焦りつつも開き直っていた。
自分の手勢が『このざま』なのに、反省の色が見られなかった。
「つまり、貴方の配下が義憤によって勝手な行動をしたと?」
「そのようですな、私も彼らの心中が分かりますゆえに、そうと察することができます」
凄いな、こんな清々しい責任逃れを聞いたのは初めてだ。
「なので、どうか彼らをお見逃しください。傷ついた彼らを罰することなど、私にはできませぬ」
「そうですね、確かに彼らを咎めることは私にはできません」
パレット様、怒っていらっしゃる。
問題をこれ以上大きくしないために他所の家に頭を下げて代理人を立てたのに、勝手なことをする輩のせいで被害が増したのだから。
「ではヌリ様、貴方に責任を取ってもらいましょう」
「……なぜ?! 彼らが勝手にやったことですと……」
「つまり、貴方は自分の護衛として連れてきた兵隊の、その管理ができていないということですね。彼らの身元の保証人は誰でしたか?」
「……私ですが、しかし、悪いのは……」
「今回の一件で物的な被害が生じたと聞きました。その点に関しても補償願います」
「そんな! こいつらが勝手にやって、しかも失敗しただけの事です! しかも、被害といっても安宿と場末の酒場ですよ?!」
「カプト家の領内にあるものは、すべて私共の資産です。貴方の配下の方が私の資産を損壊させたならば、その補償は当然でしょう」
凄いなあ。悪いのは私の部下で私じゃない、が通ると思ってたのか。ここまで感動的に無様だと、笑うどころじゃないぞ。
多分、彼の国ではそれが通っていたんだろうなあ。
せめて下手人は自分とは無関係です、ぐらい言っておけよ。
「……ですから、悪いのはこいつらだと!」
「罰を与えることはできないのではなかったのですか?」
「~~!」
肉体年齢を調べることはできないが、ヌリという亡命貴族の方は自分の娘位の女の子に抑え込まれている。それも、極めて正論で。
ものすごくイライラしているな。気配を感じなくてもわかるぞ。
お嬢様腹筋を抑えてるし……。
「先に申し上げておきますが、今回の一件に関して私は当主より裁量を与えられています。今回の一件が先の事件と無関係でない以上、お父様も私の判断を支持するでしょう」
「……では、違った場合は?」
「まったく義がない行動によって、我が領地を脅かした危険人物は、無辜の民ではありません。故に、ケガの治療が済み次第国外退去となります。貴方も含めて」
「そんな、横暴だ! 許されることではない!」
「それを決めるのは私です。この一件に関して、王家さえも口を挟むことなど許しません」
やだ、カッコいい……。パレットお嬢様、実に清々しい発言である。
とはいえ、言っていることはもっともである。四大貴族の当主が裁量を彼女に与えたならば、その決定は王家にだって阻まれることは無いだろう。
そもそも、相手はしょせん亡命貴族だし。
「~~そもそも! あの男を裁きの場に連れてこれないことが問題なのでしょう! だからこそ私の配下は、危険に身を投じてまで奴を法の下に引きずり出そうとしたのです! その点に関してはどうなのですか!」
「その解決を図るために、彼の希望する相手をお連れしたのです」
なるほど、やましいところのあるヌリという亡命貴族の方は、彼が法の場にでると不都合なので引きずり出すという名目で殺そうとしたのだろう。
なのに返り討ちにあって、怒鳴られていると。
すごいなあ、余りにも雄弁に自分の所業を、部外者である俺たちにも教えてくれているぞ。
「そこにいる彼こそ、我が国が誇る最強の剣士。童顔の剣聖なのです」
腰に木刀を挿した、着流しの小僧っ子。しかも草履。
毎度のことながら、ただの浮浪者扱いされて当然の格好だ。
どどんと、この国最強の剣士ですというには、余りにも貧相だった。
「……失礼、そこのお嬢様がですかな?」
「いいえ、『彼』です」
隣にいるブロワではなく、俺ですよ、とパレット様は補足する。
それを聞いて、嘲笑するヌリ様。そうですよね、見た目からして弱そうですよね。
今更だが、お嬢様は良くもこんな男を雇おうと思ってくれたもんだ。
「……失礼、彼がこの国最強の剣士とは……驚きましたな。そんな姿で、最強とは……ええ、この私にはちっともわかりませんでしたよ」
うん、それは俺も思います。完全に詐欺ですよね。
「なるほど、さぞ高名な剣士なのでしょうねえ……彼なら確かに、あの男を法の場に引きずり出せるかと存じますなあ」
ものすごく嘲ってる……凄いな、ここまで失礼に振る舞えるものなのか。
彼は亡命貴族なのに、未だに貴族のつもりなのか。自分の領地じゃないのに、偉そうだな。
「ええ、私もそう信じています」
「そうですか……ではお伺いしますが、彼が失敗した時には、私たちに再度お任せしていただけるのですね?」
「そうなります。私には彼以上の適任者が思いつきません」
「そうですか……では、彼の戦いぶりに期待するとしましょう」
倒れている戦士達を改めて見る。誰もが複数の傷を負っていた、これは明らかに異常である。
なにせ防御創まである。相手は一人で敵は複数なのに、何度も切り付けている。それでも勝っている。
それが何を意味するのかといえば……。
「それではサンスイ様、お願いします」
「ええ、お願いねサンスイ」
「ご命令とあれば、謹んで」
いいや、何も思うまい。
前情報は確かに重要だが、それにばかり囚われるのもいい事ではない。
それに、相手は俺のことを知らないのだろう。一方的に知っている、というのも気分が良くない。
負い目があると、剣が鈍るかもしれない。
加えて言えば……相手が『剣士』なら、少し楽しみだった。