予習
「じゃあ最終確認だな」
地方領主が非公式に参加する、商家のパーティー。
それに向かう馬車の中には、領主と跡取り息子、そして武芸指南役の五人が乗っていた。
「まずはパーティー会場の確認だ。別荘の庭で行われるが……これが室内に変わる可能性はあるか?」
「ないな、今日は晴天だ。いきなり雨が降るなんてことはない」
「とはいえ、ないとは言い切れんだろう。その場合はどの部屋を使うんだ?」
「出席する人数からして……この大部屋だな」
「人が隠れられる調度品はあるか?」
「最近まで景気が悪かったからな……ないだろう。逆に言って、なんかあったら怪しいな」
狭い馬車の中で、真剣に議論する武芸指南役達。
その大真面目な顔を見て、跡取り息子はとても不満そうだった。
お世辞にも、彼らの議論の内容が格好良くないからだった。
「室内の場合は、相手の数は少なめで考えていいよな」
「さすがに室内で大挙してきたら逃げ帰っていいだろう」
「暴挙っていうか、普通にぶっ殺していい案件だよな。ソペードの当主様に伝えていいぐらいだ」
「室外の場合は……百人ぐらいだったら受けるか」
「そうだな、百人だったらな。千人単位になったら……やっぱり普通に逃げていい案件だな」
少年が考える範囲では、荒唐無稽にしか思えないことばかり心配しているからだろう。
「でもなあ……千人はありえないな。さすがにそんなに馬鹿を集めんのは無理だろ」
「何人かで出資し合えばありなんじゃないか?」
「お前どんだけ商家にカネが余ってると思ってるんだ? それに町のチンピラを千人って……」
「そうだよなあ、領地中から集めないと行けないよな」
「現実的には五十人ぐらいか……」
しかし、本人たちは大真面目だった。
それこそ、過大評価も過小評価もしないように、出来る限り絞りこもうとしている。
「他には……毒とかだな」
「飲み物とか食べ物に混ぜる、だろうな」
「毒はともかく、下剤ぐらいは入れるかもな……」
「でもなあ、パーティーだぞ? 割と真面目に犯人探しするだろ」
「全員が食べるようだったら、普通にパーティー中止だろう」
「それは俺達が気にすることじゃないなあ……勧められたもん以外は食っても大丈夫か?」
「でも食べたくないなあ、毒入ってるかもしれないだろ」
「そうだな……毒はともかく、下剤ぐらいは入ってそうだよな」
なんでこの地方最強と呼ばれるにたる男達が、真剣に下剤のことを心配しているのだろうか。
「吹き矢とかはどうだ? 毒を塗ってさ」
「いや、それは難しいらしいぞ。吹き矢ってなかなか狙ったところに当たらないらしいし、そもそもそんなに遠くへ飛ばないらしい」
「鎧どころか服に当たるだけでもダメらしいな」
「じゃあそこらのチンピラには無理だな……」
「っていうか、吹き矢構えてたらそれでアウトだろ」
武芸指南役たちが実際に戦うところを見たことがない少年にとっては、とても幻滅する光景だった。
「あとは……やっぱり宝貝を外して戦えとか言い出しそうだな」
「それだな」
「それぐらいなんとでもなるけどな」
「そうだな、一対一ならな」
彼の想像する最強の英雄は、あらゆる物を恐れずに立ち向かう戦士だった。
はっきり言って、今の彼らはそれから最も遠かった。
「……ないとは思うが、人質とか?」
「人質って……」
「俺の親はさすがにないな。同じ商家だしな」
「俺の婆ちゃんをどうやってさらうんだ……っていうか、さらってどうするんだ」
「俺の家の連中は、むしろカネをもらって、俺に負けろとか言ってきそうだな……」
「こういう時、家族がどうでもいい奴らの集まりだと便利だな」
「人質がどうなってもいいのかとか言われても、全然どうなってもいいしな」
「拷問されて殺されても、望むところだしな」
「人質がどうなってもいいのか! 俺の指示によって、お前の家族が死ぬんだぞ!」
「望むところだ!」
微妙に笑い合ってさえいる。
これでいいのだろうか、という心境だった。
嫌悪感さえ感じてしまう。
「とまあ……おおむね、意見は出たな」
「屋内なら調度品に注意、予定どおり屋外なら毒や乱入者に注意」
「飯は食わない、酒は飲まない」
「一人が相手なら宝貝を脱ぐ、百人ぐらいが相手なら倒す、千人ぐらい来たら坊ちゃんと領主様を連れて逃げる」
「八百長は無視する、人質は見捨てる」
なんともありきたりな結論に達した彼らは、そのまま大真面目に、領主へ話しかけていた。
「領主様、おそらくですが今言ったようなことが想定されますので、そのあたりには対応をお願いします」
「その辺りはそちらのほうが専門家と思いますので、ご助力ください」
「よろしくおねがいします」
なんでそんなことを……と思っている息子に反して、父親は大真面目に頷いていた。
「ああ、まかせたまえ」
その父親の反応が意外だったのか、息子は驚いた顔で父親を見ていた。
「どうした」
「……格好わるいと思います」
「そうかもしれないな、だがむしろ私は良いと思うが」
格好が悪い、ということを認めた上で全面的に肯定していた。
「私としては、お前にこうした姿の方を学んで欲しいぐらいだぞ」
「ああされたらどうしようとか、こうされたらどうしようって悩んで相談するのをですか?」
「そうだ、むしろそれが一番大事だろう」
うんうん、と五人が頷いている。
さすが領主、よくわかっているなあという顔だった。
「でも父上。本当に毒を飲ませてきたり、百人ぐらい連れてきたり、宝貝を外せとか言ってくると思うんですか?」
「来るかもしれないだろう」
「来なかったらどうするんですか」
「来なくても困らないだろう」
「それなら、無駄じゃないですか」
それこそ、子供でもわかることだ。
そんなことを実行すれば、犯人はとんでもない目に会うだろう。
なのに実行する馬鹿がいるわけがない。
いたとしても、そんな小者を問題視する意味がわからない。
「……お前は、何を言っている」
逆に、心底呆れ帰っていた。
領主は自分の息子が思った以上に幼いことで、失望さえしているようだった。
「無駄とはなんだ? 具体的に何を無駄にしたのだ」
「それは、こんなありえないことを議論している時間が……」
「馬車の移動中に他の何をすれば有効だというのだ? むしろ遅いぐらいだと思うが」
確かに、馬車の移動中に他の何をすればいいのか、と言われると何もない。
しかし、今の議論が実を結ぶことはないと思うのだが。
「でも、こんなことをしなくても……」
「いいか、無駄とはな」
その息子に対して、強く父親は言って聞かせていた。
「無駄とはな、不必要に人が死んだり、不必要に費用が発生することを言うのだ。ここで話して、何が失われたのだ?」
そう理路整然と、自分の父親に言われると返す言葉がなかった。
確かに『無駄』ではない。有効に使える宛もなく、不必要な何かが失われたわけではない。
「それにだ、今言ったことは護衛を務めるものなら、当然のようにしていることだぞ」
「……そうなんですか?」
「というよりもだ、程度や規模はともかく、軍議もこのように行われているのだぞ」
「大袈裟だと思います」
「では、想定せずに対応できると思うか?」
「一流なら出来ると思うんですけど……」
不満気な息子の言葉を聞いて、更に父親は悲しそうな顔をしていた。
とてもわかりやすく、とんでもなくがっかりしていた。
「……なあ君たち、サンスイ殿に息子を教育してもらえないだろうか」
「無理ですよ……」
「無理じゃないですかねえ」
「無茶を……」
「いやいやいや……」
「普通だと思いますし、領主様が何とか出来る範囲だと思いますけど……」
「そうか、残念だ」
何がいけないのか分からない息子に対して、父親は更に言って聞かせていた。
「……お前は、一流というものを勘違いしている。というよりも、必要なこと、基本的なこと、基礎的なことを軽く考えすぎている」
「それが強いってことじゃないんですか?」
「違う」
そう、違う。少なくとも、この場の大人たちが知っている『最強』は、そうしたことを決して軽んじることはなかった。
「お前はどうにも……格好がいい部分ばかりをみているな。私としては、格好が悪い部分をこそ真似して欲しいのだが」
「ですが、お父様……貴族には名誉と信頼が必要なのでは?」
「お前はこの馬車の中でそんなことを気にするのか? この馬車の中で彼らが真剣に警戒することを知られて、我が家の名誉に傷がつくのか?」
理路整然と説明されると、たしかに反論の余地はなかった。
確かにそうやって文章にすると、正しいことしかしていない。
「確かに、彼らの懸念していることはとても『馬鹿なこと』だ。確かに知的な計画ではないし、実行する人間がいるようには思えないだろう」
「だったら……」
「だがそれは、単にお前が世間を知らないだけだ」
そもそも、この幼い貴族は根本的なことを勘違いしている。
「いいか、この場の彼らが一流だとしても……相手が一流だとは限らないのだ。そして、相手が頭がいいと思って思考を狭めるのは、相手が馬鹿だと思って思考を狭めるよりよほど間抜けなことなのだ」
少年の考えているように、今回行動を起こすものがいるとすれば、それはとても愚かな者たちだろう。
そして、そんな馬鹿を本気で警戒するのが一流なのだと、少年はまだ知らなかった。