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波紋

「まったく、貴方って子は!」

「なんだよ、うるせえなあ」


 さすがに地方領主ほどではないが、それなりに裕福で大きな屋敷で暮らしている商家。

 その家では、全く珍しくない光景が行われていた。

 つまり、仕事を手伝わない息子をいさめる、声の大きい母親だった。


「私が何も知らないと思っているの?! 貴方が近所のチンピラに小銭をばらまいていることを!」

「別にいいだろうが!」

「貴方が稼いだお金じゃないでしょう! そんな風に使っていたら、すぐになくなってしまうのよ!」


 おそらく、誰がどう考えても、母親の意見がまともだった。

 一切働かずに家の金で下賤な輩に金をばらまいて、大きな顔をしているだけの息子。

 そんな息子にまともな反論ができるわけもない。


「うるせえなあ! いいんだよ! 俺も偉くなってこの家に貢献してやるんだからよお!」


 しかし、バカに向かってお前はバカだ、というぐらいでバカが収まるわけもない。

 ああしなさいこうしなさい、と指示したぐらいで皆がそのように動くなら、警察も徴税官も必要ないのである。


「そんなこと言って……アンタにそんなことできるわけないじゃない。大体そうなら、領主様のところへ任官できるように訓練を受けないと……」

「そんなことしなくていいんだよ! 知ってるだろ、いきなり直で武芸指南役になった奴らのことをさ!」


 息子に唯一反論できる根拠があるとすれば、それは前例がいるということだった。

 少々年代は異なっているが、今の息子と大差なかった別の家の長男が、故郷に錦を飾った話である。

 同じような奴がいたのだから、自分もそれになれる。安直ながらも、しかし否定しにくいことを彼は根拠にしていた。


「あんたって子は……何もわかってないわねえ」


 大げさに、呆れたとため息をつく母親。

 その表情には、哀れみさえ浮かんでいたのだ。


「いい? 一番大儲けできる商人ってのはどんな人だと思う? 誰も成功させたことがないことを成功させた人がなるのよ」


 己の強さ一つで立身出世、それを志す者は本当に多いが、成功するものは本当に一握りだ。


「それで、成功させた人と同じことをすれば大儲けできる、と思う商人は大損をするって決まってるの。成功している商人と失敗している商人は、同じことをしているのよ。違うのは『運』よ」


 侮辱にも聞こえる言葉ではあるが、当人たちも認めるであろうことを残酷に言い切っていた。

 そう、彼らやその同志と、『大志』を抱いて無茶をする無謀な輩は、やっていること自体に大差はないのだ。


「じゃあ俺には運がないってのか?!」

「なんで運試しをするのよ! この家を盛り立てていくのが貴方のやるべきことでしょう!」


 息子にしてみれば当然のことではあるが、この国の中でもこの商家は中流に分類され、少なくとも『一山当てた商人』よりも上位の暮らしをしている。

 きわめて客観的に、態々無駄な冒険をすることもないのだ。


「俺には才能があるんだよ! 俺は剣も魔法も、抜きんでた力がある!」

「だから何よ! そんなことよりも勉強をしなさい! なんでそんな子になったの!」


 なんとも残酷なことに、剣も魔法もある世界だったとしても、商人に求められるのは社交性と勉学だった。それが若い男子の嗜好に合わないことは、火を見るよりも明らかだった。


「剣が強くて魔法が使えても! 商売を傾かせたら仕方がないでしょう!」


 ある意味では当然なのだが、剣がすごくても魔法がすごくても、背が高いとか顔がいいとか楽器が得意とか絵が得意というのとさほど変わりがない。

 どちらかというと、商売を成功させているとか実家が大きい商売をしている、とかの方が周囲からの評価は高くなる。


「大体貴方だって、強いから周囲に慕われているわけじゃないでしょう! 貴方が自分で稼いだわけでもないお金をばらまいているからでしょう!」


 子供のころからいいものを食べていて、剣も魔法もそれなりに指導してもらえば、それなりの資質があるだけでも強くはなれる。

 それが本職の一流に達するかどうかは、また別の話ではあるのだが。


「周りに大きい顔をしたいのなら、商売で成功しなさいよ!」

「うるせえ!」


 どちらも結論ありきで怒鳴りあっているので、まるで会話になっていない。


「要は俺が強いってのを、世間に知らせればいいんだよ。そうすれば、武芸指南役だって『切り札』だって思うがままだ!」

「貴方……まさか、本当に今度のパーティーでなにかやらかす気?」

「さあ、どうだろうなあ……!」


 意味ありげに、含みを持たせて笑う息子。

 その眼には、野心が燃えていた。


「ちょっと、あなたからも言ってください!」


 空気のように何もしゃべらなかった父親へ、母親は意見を求めていた。

 普段なら自分と一緒に強く言うはずの、この家の主に意見を求める。


「……今回のパーティーには商家だけではなく、領主様が非公式に訪れる、といううわさもある」

「そうか、そりゃあ最高だな!」

「負ければ、お前は大恥をかくぞ」

「勝つさ!」


 もはや、戦う気勢を隠してもいない。

 その息子を、父親は冷静に品定めしていた。


「……これだけは、覚えておけ。お前の戦いに名誉がなければ、私はお前を切り捨てる。養子をとり、お前をこの家から追い出す。法的にもな」


 勝てとも、負けるなとも言わなかった。

 ただ、非道をするなと告げていた。

 最後通告、といってもよかったのだろう。


「名誉? 何をバカなことを! 勝ったほうがすごいんだよ!」

「そうだな……その通りではある」

「勝って勝って勝つ奴が最強なんだ! 俺は成り上がる……ソペードの武の象徴、切り札にな!」


 勝てばそれでいい、というのは商売ではそれなりに適正だった。

 ある意味では、権謀術数もまた商売に必要とされるものではある。


「……勝つだけで、切り札になれると思うのがお前の限界だな」

「なんだと?!」

「まあせいぜい無駄に悪知恵を働かせてみろ、器量の違いを痛感すればいい」


 その眼をみて、母親も息子も冷えるものがあった。

 激情によるものではなく、諦念からくる否定があった。

 お前は無価値だ、と断じる視線が確かに合った。


「……ふざけやがって!」


 自尊心を傷つけられた息子は、両親の前から去っていく。

 その息子を黙って見送ることしかできない母親は、父親に叫んでいた。


「あなた……いいんですか?」

「かまわんさ、流石に心中するつもりはない」

「そういうことではなくて……」

「アレのくだらない悪知恵が成功した場合の話か?」


 そう、息子は微妙に勘違いしているが、いかなる手段を用いてでも勝てばいい、というのは場合によるのだ。

 パーティーの場で、商家の集まりで武芸指南役を、あくどい手段によって負かせたとする。

 確かに相手は大恥だろうが、それはつまりソペードと領主に恥をかかせることになるのだ。

 それで、息子がバカなだけです、という言い逃れができるわけもないのだ。


「……安心しろ、そんなことにはならん」

「なんでそんなことが言えるんですか?」

「……私がとても後悔しているのは、アレを王都に連れて行かなかったことだ」


 この家の主人は、一年ほど前に王都へ向かっていた。その時に息子も同行を願ったが、当時でも今と大して変わらなかった息子を連れて行かなかった。

 遊興ではなく商談のために王都へ向かった彼は、付き合いで王都近くの学園へ向かったのである。


 学園長が設置していた、山水の稽古を観戦するための席。

 少々の小銭を払って肴や酒を飲みながら眺めていた彼は、しかし童顔の剣聖の凄まじさを目にしていた。


「アレをみれば、まかり間違っても切り札になるなどとは言うまいよ」

「でも、本人じゃなくて、あのドラ息子でしょう?」

「そのドラ息子がサンスイの弟子になっているところを、実際に見た」


 まさに、見間違えていた。

 そこそこ有名なドラ息子、自分の息子と変わらないはずだった男だった。


「そんなに心配することはない、恥をかくのは息子の方だ」

「でも……息子がどんなバカをするか……」

「気持ちはわかる。だが、踏み台になるだけだ。怪我を負うことさえできまいよ」


 結局、彼は挑戦した。自分の家を出て、世間の荒波にもまれて、その末に『童顔の剣聖』に認められるほどの使い手になったのだ。

 何も変わっていない男が、太刀打ちできるわけがないと確信していた。



「畜生!」


 両親の前から逃げた息子は、傷ついた自尊心をなんとか立ち直らせようとしていた。


「所詮、俺と変わらないドラ息子だろうが!」


 今この地方では、成り上がった五人のことがうわさになっている。

 その噂を聞いて、彼は自分が成り代わりたいと思っていた。

 なんのことはない、自分がうわさされたいというだけのことだ。

 名誉、名声。誰かをたたえる声が、自分をたたえる声になる瞬間を夢想している。


「要は勝てばいい! 勝てば俺が最強なんだ!」


 彼は勝つために手を選ぶ気がなかった。

 勝てば何もかもが正当化される、そう信じて疑わない。

 どんな手段を用いてでも、勝ちさえすれば名誉も名声も称賛もついてくると信じていた。


「勝ってやる……」


 あらゆる搦手を惜しまずに、必ず成功している人間を蹴落として見せる。

 それこそ、ソペードが恐れる競争主義の弊害であると、彼は知らなかった。

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