立派
人は変わることが出来る。
たとえ特別な才能や地位がなかったとしても。
それをよく知る面々は、だからこそ逆にその難しさをよく知っていた。
そして、それには外的要素と内的要素の重なりが必要だという事も。
幸運だけでも、努力だけでもダメだという事を、山水のもとで育った彼らは誰よりも知っている。
※
このアルカナ王国の人口密度は、お世辞にも高くない。
もちろん首都などの人口密集地帯ではその限りではないが、原則的に地方領主の本宅はとても広い。
五人組が仕官した本宅は、大きな城が草地に存在し、その周囲に細々とした屋敷が建っている。
当然、その周囲には壁や柵があり、その内側に入ろうとするものを拒んでいた。
「なあ、入れてくれよ!」
「いくら渡せばいいんだ?!」
「この中に、息子がいるんだよ!」
そして、普通に入ろうと思えば入り口を通る必要がある。
その入口には門番が配置されており、武装して中に入ろうとする者を拒んでいた。
「ええい! お前たちのような下賎の者が、この屋敷に入れると思うな!」
「とっとと失せろ! なんの約束も許可もないものが、この門の前にいることさえ許されるはずもないだろう!」
もちろん、門番達も『誠意』を受け取れば通すこともある。
その場合中へ案内されても、中で対応をするのは領主ではなく代理人であり、それなりにカネをせびられるだけで終わる。
とはいえ、それであっても最低限の水準というものがある。
この屋敷に貧相な格好の貧乏人を通したとあれば、せっかくの仕事を失ってしまうのだ。
「武芸指南役の方々から、お前たちのことは聞いている! 別に疑っているわけでも信じていないわけでもない!」
「我らはお前たちを通すなと言われているのだ!」
そして、門番という仕事はこういう役割である。
招かれざる客を退けるために、武装していたり己を鍛えていたりするのだ。
門番ごとき、と侮る事なかれ。それなりの実力がなければ任されることはない。
「『親戚にいい顔をしたくてカネをばらまいていたら足りなくなった』」
「『武芸指南役の友達だと言って大きな顔をしていたら、他の誰かから睨まれた』」
「『組織の残党に追われているから、かくまってもらおうと思っている』」
「『もらったカネを使い果たした』か『カネを持っていると知られて盗まれた』か『騙されてむしり取られた』」
つらつらと、門番たちは事前に言われていたことを復唱していた。
そして、誰もが気まずい顔をしているあたり、その予想は正解だったらしい。
門番たちは呆れていた。貴族の嫌がる下賎の輩の卑しさが引き起こした、身から出た錆だった。
「帰れ」
他に言うべき言葉が見つからなかった。
心底から見下しながら、追い返そうとしていた。
「そんなこと言うな! 私はここで武芸指南役をしている男の父親だぞ! 入れないとしても、ここに来てもらうように話すことぐらいは出来るはずだ!」
「『仕送り分以上は渡せない』とも聞いている! 仕送りの増額要望に対して、断りの手紙を送っているはずだ!」
事前に武芸指南役へ手紙を送っている者もいた。きちんとした手紙であれば通さない理由もなく、きちんと届いていた。
その上で、きちんと理由を書いて送り返しているのである。
「そんな薄情な?!」
「そういうお前は強欲だろうが!」
「とっとと失せろ!」
門番たちも仕事でここにいるのだ。なんで物乞いの相手をしなければならないのか、という気分になっている。
別に、目の前の彼らの知り合いだという武芸指南役達のことを好いているわけではないが、それでもこんな連中に絡まれていることは哀れに思っていた。
自分たちは時間が来れば交代するが、彼らは一生付きまとわれるのである。それを思えば、とてもではないが羨ましいとは考えられない。
「お仕事ご苦労、通してもらっていいかな」
そんな言い争いをしていると、馬車が門の前にやってきた。
当然、予めこの屋敷に入ることが予定されていた馬車である。
なので門番たちは敬礼しながら受け入れていた。
その中には、まさに武芸指南役の父親が一人入っていたのだが、それは門の前の面々には知る由もないことだった。
※
「門の前で騒ぎが起きていたぞ」
「そうか……まあそんなもんだろう」
武芸指南役の五人は苦笑いしながらも、商家の主を部屋でもてなしていた。
もちろん、門の前へ走るつもりは毛ほどもない。入れていないという事は、つまりそういうことなのだ。
家へ仕送りをしている『彼』も、給料の大半を送っている。それを使いきってなお困窮しているという事は、自分の親に問題があるのだ。
「とはいえ、気にすることはない。アレも門番の役割だからな。それに……私もさほど褒められるものではない」
商家の主人は、恥じらいながらも自分の息子とその同僚たちに、こうして会いに来た要件を口にしていた。
「皆体感しているだろうが、この地方ではお前たち五人のことで話題が持ちきりだ。なにせ、ソペードの当主様が公認した武芸指南役であり、まさに……『成り上がり』だ」
体感、というよりは痛感しているというべきだろう。
正直、分不相応な出世過ぎて、周囲がそれについてこれていない感じがしている。
「だからこそだろうな……お前に会いたいという取引先が多い。なので私が主催するパーティーに出席してほしい。出来れば、同僚である四人にも同席して欲しいところだ」
「それぐらいならいいぞ、予定ならあとで領主様に確認をすればいいだけだしな。全員は無理でも、二人か三人はいけるだろうさ」
「それでだな……先に言っておくんだが、どうにも、昔のお前の同類もかなりいるようだ」
深くため息をつく家長。
昔の己の長男を思い出して、嫌な気分になっているのだろう。
その顔を見ると、五人は全員で赤面していた。
「あらかじめ言っておくが、私はお前が『運が良かった』とは思っている。しかし、『運が良かっただけだ』とは思っていない。しかし、そう思っている輩も多いようだ」
腕に自信があるそこそこ生まれのいい若者が、この場の五人のことを知りたいと思っている。あるいは、成り代わりたいと思っている。
それは、家長よりも五人のほうがよほど理解できる事だった。
「そして、そんな連中にまともな親たちは辟易している」
「……悪い」
「別にお前が悪いわけではない。少なくとも、罪を犯したわけではないだろう」
悪い意味で有名だった商家の長男が、ソペードの当主様に強さを認められて、武芸指南役になった。
それは、同じような『穀潰し』たちにとっては、希望の星であり追い落とすべき相手なのだろう。
もちろん、どちらであっても、まともな商家の人々には迷惑千万だった。
「まあそういう事なら、俺たち全員で行くさ。予定は手紙で詰めていこうぜ」
「ああ、そうしてくれると助かる」
五人とも、既に山の頂点に立っていると言っていい。
であれば、当然同じ山に登りたい面々からすれば、さぞ蹴落としたいのだろう。
その挑戦を受けるのも、この場の五人の役割と言えた。
「まったく……いくつになっても迷惑をかける長男で悪いな」
「そういうな……私はとても嬉しく思っているよ」
気が抜けたように笑いながら、家長は自分の息子へ素直な言葉を送っていた。
「商家の家長としては……傾きかけていた家を戻してくれたことに感謝している。利益だけでしか物を見ていないが、それでも偽らざる本音だ。お前にどんな迷惑をかけられたとしても、それ一つでお釣りが来る」
人間とは単純ではなく、複雑なものである。
一人の父親としてだけで、息子と接することが出来るわけもない。
「だが……一人の父親としては、お前が立派になったことがなによりも嬉しい。強くなったとか偉くなったことよりも、自分本位で他人のことを考えることができなかったお前が、こうも周囲に気づかえるようになったことが、とても誇らしい」
立派になった、という言葉には人格的な意味があった。
立身出世による地位ではなく、精神的な成長による品位を賞賛していた。
「それもきっと、お前に指導してくれたサンスイという方のおかげなのだろう。私はお前をそんなにも成長させてくれた、その人に感謝の念が絶えない」
そして、その五人にとって、その言葉こそ他のどんな言葉よりも嬉しいものだった。
「そうか……じゃあいつか、親父にも紹介するよ」
「お前の親父さん、いい人だなあ」
「正直、ようやく褒めてもらえた気がするよ」
「言葉ってのは不思議なもんだ……こんなにうれしくなるんだなあ……」
ようやく、憧れの人が褒めてもらえた。
ようやく、憧れの人に近づけた気がした。
実力や装備や金銭や名誉や地位や役職が、なんの価値もないとは言わない。
しかし、それでもその言葉が欲しかったのだ。自覚こそしていなかったが、そう言って欲しくて故郷に帰ったのかもしれない。
「それに引き換え、ウチのババアは……」
自分の親族を引きとった『彼』は、自分の同僚の親族の品位に羨望を隠せなかった。
「……君の祖母がどうかしたのかね」
「領主様に無理言ってもらった、絵本に出てくるお姫様みたいなドレスを着て、俺達の前に来たりしてる」
「……その、老い先短いのであろうし、大切にしてあげなさい」
「そうしたいんですけどねえ……毎日顔をあわせているとちょっと……」
素敵なお屋敷で、素敵なドレスを着て、素敵なお化粧をして過ごす。
そんな夢を描いていた彼女が、遅くなっても夢を謳歌しているのだ。
正直、見ているこっちは精神的な苦痛を隠し切れないのだが。