変化
「右京は鬱憤をだいぶ貯めこんでたみたいだねえ」
「ええ、そうですね」
ドミノ共和国で夜を過ごす。パレット・カプトと興部正蔵。
戦火に焼かれた首都も大幅に復興が進んでおり、少なくとも城のベランダから眺める街には平和な静かさがあった。
ここでいう平和な静かさとは、誰もが夜を怯えながら過ごしているのではなく、耳をすませば談笑が聞こえてくるような、雪の日のような静かさだった。
右京が、なんとかして維持しようとしているものであり、同時に国中へ広げようとしているものだった。
「俺が話を聞いているだけで、どんどん上機嫌になっていったよ」
「ええ、私でもわかるほどでした」
「こんな俺でも、お役に立てるんなら……偶に会いに来るのも悪くないねえ」
「そうですね」
やり方はともかく、右京はなんとか国を支えている。
そのやり方はお世辞にも褒められないが、それは決して国民に影響していない。
国民に対しても同じように振舞っていれば、それはきっと悪であろう。
しかし、彼が行なっているのはあくまでも役人に対してだけだ。もちろん役人も国民だが、汚職をした役人を裁くのも為政者の勤めだろう。
そういう意味では、彼はテンションがおかしいだけで普通のことしかしていない。
テンションがおかしくなるほど、忙しくて大変という事なのだろう。
「……お辛い立場です」
「ああ、まったくだ。まだまだ頑張るつもりなんだから、頭が下がるよ」
右京は今まで、二回アルカナに頭を下げている。
一度目は侵攻が失敗した時、敗戦をあっさりと受け入れていた。
二度目はフウケイが攻め込んできた時、彼を倒すことは無理だと諦めて他の切り札たちに頼っていた。
右京は無理だと判断したら即座に見切って切り替える。
その切り替えの速さもまた、彼が独裁者であるがこその強みだろう。
自分がどれだけ失敗をしても、他に蹴落とされることがないという確信によるものである。
その彼は、一度もアルカナに助けを求めていない。
それが彼の姿勢をそのまま示している。
彼は、まだ頑張るつもりのようだ。
「……人は、変われないのでしょうか」
パレットは、夜景を眺めながらそう言っていた。
ドゥーウェは自分が世界で最も恵まれた女だと思っていたが、パレットも自分が恵まれた女だとは理解している。
そんな自分が何を言っても、結局上からのお説教でしかないのかもしれない、とは理解している。
「え?」
「今まで虐げられていた人々が、虐げていた人と同じ地位に立てば、今度は自分が虐げる立場になりたいと思うことは、自然なことなのでしょう」
「そうだね」
「食べ物を分かち合えないのは、誰かから奪わねば食べることができないからなのでしょう」
今ドミノにはダヌアがある。
無尽蔵に食料を生み出すという神の恵みならば、一日で食料が届くという範囲では飢えがほぼ根絶されている。
ダヌアがこの国にあり、右京に施しの心がある限り、首都近郊はほぼ問題ない。
それはつまり、首都近辺に回るはずだった食料がすべて地方にとどまるという事であり、必然地方の食料事情は大幅に改善される。
地方の働き手は未だに減ったままではあるが、それでも税率の大幅な引き下げもあって地方の農民たちは飢えが改善されていた。
もちろんヴァジュラによる気象操作によって不作になりようもなく、長雨などの被害もなく干ばつの心配もない。
国民は帝政時代から劇的に改善された食料事情だけで、右京を新しい為政者としてたたえていた。
チートと言えばそれまでだが、真面目にやって国民が飢え死ぬことを考えれば、尋常にやることなど選択肢に入れるべきでもない。
ただそれは、右京が存命の限りである。
右京は自分がまともな間に、自分がまともでなくなった時や死んだあとに備えなければならないのだ。
それには、国民全体の意識を変える必要がある。
「この国は長く圧迫されていました。それは上に立つものを驕らせ、臣民に鬱積したものを貯めこませました。上とはこういうもの、下とはこういうものだ、と凝り固まってしまっています」
「……たしかにねえ。みんな汚職してるって、そういうことだよねえ」
もちろん、汚職にも程度はある。
言いたくはないが、アルカナ王国でもカプトでも、汚職は存在している。罰せられる人間がいて、明らかになっていない水面下での悪人はいるのだ。
しかし、ドミノの場合はそれの数や深刻さが比較にならないのだ。私腹を肥やす、にも限度がある。
アルカナ王国の場合、ある程度加減が存在する。
汚職する側の人間も汚職に年季が入っているので、汚職していい範囲というものを把握している。
発覚する可能性への配慮だとかそういう面もあるのだが、私腹を肥やし過ぎて臣民が干上がり、結果として自分が損をするということを理解しているのだ。
貧乏人から徹底して搾取するよりも、金持ちからそれなりに袖の下をもらうほうがいいと、誰もが知っているのである。
しかし、ドミノの汚職は加減を知らない。
自分は偉くなったのだから、何をしてもいいのだ、と本気で思っている。
調査しに来た奴にもカネを掴ませれば、どんな無理でも通るのだと信じて疑わない。
なので、ちょっと調べると深刻な汚職が発覚するのである。
右京が怒り狂うのも、当然と言えるだろう。
「……人は生まれながらに善なのか悪なのか。それはわかりませんが、この国には悪が蔓延しすぎていた。その悪の中で育てば、悪の中で生きれば、如何なる心を持つとしても悪になってしまうのかもしれません。悪をなせる立場になれば、悪に傾いてしまうのかもしれません」
政権が代わっても、国民が皆変わったわけではない。
であれば、この国の民は皆『役』を得れば悪に走るのかもしれない。
今はこの夜の中で家族と過ごす彼らは、悪の種を植えられてしまっているのかもしれない。
それは、どうしようもないことなのかもしれない。
「貴族は、臣民を下賎と呼び卑しいと蔑むことがあります。そして、それがまったくの事実無根ではない、ということを私は知っています」
ドミノに限った話ではない。
アルカナ王国でも、成功した者に群がり甘い汁を吸いたがる者は多い。
それを卑しい、と言うのならそうなのだろう。
貴族はそれを下々の者に限ったように語るが、下々のものに限らないのだ。
もちろん、割合やそのがっつき具合は、比較にならないのだが。
「……人は、生まれで心が決まってしまうのでしょうか。人は……変われないのでしょうか」
「パレット様……何を馬鹿なことを」
真剣に悩むパレットに対して、正蔵は呆れていた。
パレットの論拠はわかるのだが、結論が突飛すぎている。
「まず俺が今みたいになったのは、こっちで過ごしてからでしょうが」
「それは……そうですね。出会ってばかりの貴方は、もっと浅慮でした。変わったのでしょうね」
「変わらなかったら、今頃カプトは壊滅だよ」
決して誇張ではない。あるいは、正蔵が殺されていた。
いきなり力を与えられ、周囲の環境がまるまる変わったとはいえ、正蔵はたしかに変化していた。
それは確かな事実だった。
「ですがそれは……」
「そうだねえ、確かに周囲の環境がいきなり変わったからだとは思う。カプトの人がいい人だったから、俺はこうなったんだと思う。もしも俺がドミノにいたら、こんなふうにはならなかった。きっと右京みたいに自分で考えて自分の判断で行動するようになってたかもしれない」
もちろん、自分の判断で自分の行動を決める、というのは良い結果になるとは限らない。
与えられた力が違いすぎる上に、素の頭の違いもある。右京よりも更に凄惨なことをしていたかもしれない。
「この国にいたままなら、右京のほうが変わり続けるのかもしれない。でもまあ……大丈夫。人は変わるよ、いい風にも悪い風にも。それは難しいし時間がかかるけど、いい方にできることだってできる。右京がずっとこの国をよくしていけば、そのうち国民も少しずつ良くなっていくよ」
そうあって欲しい、という願望はある。
そんなに簡単ではないことも、よく知っている。
「そのために、右京も王女様も、八種神宝たちも頑張ってるんだよ」
「そうですね……」
※
「俺は、殺しすぎた」
右京とステンドの夫婦生活は、お世辞にも甘いものではない。
お互いに仕事を優先する人間であるし、お互いにそんな相手のことを尊敬しあっている。
同じ職業、同じ職場であり、思想の対立もないため、関係はとても良好だった。
それでも、甘くはなかった。
「俺は殺すのが目的だったからな」
暗いベッドの上で、右京は眠ろうとしていた。
ダヌアに生活を管理されている彼は、就寝時間も決められていた。
それにステンドも付き合っていた。
二人は夫婦であるがゆえに同じベッドで寝ていたが、しかし肌を重ねることはなかった。
「俺は皇帝を、皇族を殺すために国民を利用した」
「何度も聞いた話だ、そうあらたまることか?」
「あらたまるさ……もしも俺が最初からアルカナ王国にいたら、どうなっていたんだろうな」
ドミノ帝国が今の右京を作ったのだ。
素養があったとしても、刺激をしたのはドミノ帝国だったのだ。
「今の山水になったのはスイボクさんやソペードの影響だろう。祭我は山水やバトラブの影響があったんだろう。正蔵だって、カプトに良くしてもらってる……」
昔の右京は、昔の祭我とそう変わるものではなかった。
「俺が最初からアルカナ王家に拾われてたら……と思わないでもない」
「そうなっていれば、アルカナ王国はこの国を放置できたのだがな」
下心が合ったとはいえ、右京を最初に受け入れてくれた人たちは、本当に右京へよくしてくれたのだ。
その彼らが全員殺された、そのことが右京に多大な影響を与えていた。
「……自分に何かが出来る、と思うのはチート主人公だけじゃない。調子に乗っている若い男ならみんな思ってることだ」
明かりのない寝室で、眠気に誘われながら夫は語る。
「だから……お世話になった人へ恩義を感じることも、きっと不自然なことじゃない」
例えば、主人公が奴隷を買ってやたらなつかれること。
例えば、主人公からパンをもらっただけで惚れること。
例えば、主人公に親の仇を討ってもらって忠誠を誓うこと。
それらが決して誇張ではないことも、右京は知ってしまっている。
辛い時に、誰にも助けを求めなかった。いつも神宝に支えられていた。
どんな時も怒りと憎しみで前に進み続けていた。
しかし、辛くなかったわけではないし、苦しくなかったわけでもない。
「少なくとも俺は……アルカナ王家に感謝してる」
「弱音か?」
「いいや、本音だ。負けた俺が俺の国を維持できているのは……アルカナ王国のおかげだ。一人じゃどうにもできなかった」
右京の人生に、尊敬できる人との出会い、感謝できる相手との出会いは間に合っていた。
ドミノ帝国との出会いは、決して幸運ではなかった。だが、アルカナ王家との出会いは間違いなく幸運だったのだ。
「尊敬できる人、感謝できる相手がいる人生は幸福だ。正蔵に愚痴を言っていたら……パレットと一緒にいる正蔵を見ていたら……そう思ったんだ」
互いの顔を見ることはできない。
もしかしたら、夫はひとりごとを言っているだけなのかもしれない。
それでも、夫は嘘偽りもなく本音を明かしていた。
「ステンド……」
「なんだ」
「俺は伝説の仙人に弟子入りしたわけでもないし、ありとあらゆる魔法が使えるわけでもないし、とんでもない魔力があるわけでもない。まして……パンドラに気に入られるような気質でもない。だが……俺も切り札だ。場に出せば、必ず勝つ」
感謝は功績で返す。
自信に満ちた言葉を最後に、夫婦は明日の政務に備えて眠ろうとしていた。
同じ夢を描いて、同じ顔で寝ていた。