後話
山水の卒業生を送り込んだ地方からは、色よい報告が届いていた。
中には店を燃やした後地元の裏組織を壊滅させ、その首を大量に転がらせたというものまであった。
さぞよい宣伝になるだろう、とソペードの当主は無言で喜んでいた。
その一方で、緊張している面持ちのヒータ・ウィンは直立不動で硬直していた。
ソペード当主が報告書を読む傍らで、待つように指示をされていたのだ。
「お前はもうじき領地を継ぐことになるだろう。そうでなくとも、手伝いを本格的に始めるはずだ」
ブロワとヒータの父は、場合によってはヒータにではなく末の妹が結婚する相手にでも継がせようかと思っていた。
誰に継がせるかなど領主が決めて当然であるし、その理由も納得がいくものだったのでソペードの当主は基本許していた。
なので、今まではそこまで跡取り扱いしていなかったのである。
「であれば、私はお前がへまをすれば相応の罰を下すことになる。ブロワが悲しむことになるとしても、採決にさしはさむことはない。わかるな?」
ブロワのことを大事に思っている、といったうえで、ブロワへの配慮として呼んだのだと言い切っていた。
「私がお前にしてやることは、せいぜいお前へささやかな助言をすることぐらいだ。お前の父親は、お世辞にも優秀ではなく、基本的なことを伝え忘れることもあるだろうからな」
「ありがとうございます」
「……ふん」
ソペードの当主にとって、目の前の次期地方領主など何十人もいる傘下の一人でしかない。
ブロワの実家を継ぐ兄でなければ、こうも間抜けなことなどしてやる価値もない。
そう思いながら、彼は口を開いていた。
「お前は完全に専門外であろうから、先にいくつか丁寧に教えてやろう。今回サンスイが数年指導を行い、その結果多くの男たちが精鋭と呼べるほどになっていたが、それは別にサンスイの指導能力が抜きんでていただけではない」
誰でも一流の戦士にできる、というと本質を見誤る。
そして、その本質を誤ったままでは、どうしようもないことになることも多い。
その本質こそ、ヒータという人間の立場では重要なのだ。
「まず、本人たちの資質と気質だ。サンスイは学園の生徒にも指導を行っているが、その生徒たちが出世したという話は聞くまい」
「……はい、基本的に学外からの人間が出世していると聞きました」
「加えて、サンスイに挑み敗れた者たちも、全員がサンスイに弟子入りしたわけではない。そのまま逃げ帰り、大したことなどなかったと言いふらしている負け犬も多い」
実際の勝ち負けなど、本人たちが真実を言う保証はない。
噂を聞く人間たちも、一々本当かどうかなど気にしない。
それに、山水の本当の情報を聞いて、真実だと思うのは相当珍しいだろう。
「アレは見た目が貧相だからな。アレに師事を受けることが耐えられない者も多いだろう。男の誇り、というものが邪魔をしてな」
じろり、と睨む。
「とにかく、本人の才覚以前にやる気が重要だ。サンスイは他人の意思を尊重し自分の意思を押し付けず、なによりも強いことに意味を見出していないからな。他人にやる気を出させようという考えがない」
「……やる気がない生徒にやる気を出させないのですか」
「そうだ。だからこそ、大成している弟子たちは本人のやる気で成長しているのだ」
もともと、山水という国一番の剣士に挑む気概の持ち主たちである。
それなりには修羅場をくぐっており、故郷でもそれなりには実力者だったのだろう。
山水のもとを訪れた時点でそれなりには強く、山水のもとに残った時点でやる気があったのだ。
だからこそ、強くなることができた。
「もちろん、サンスイに指導力がないわけではない。アレは意外にも論理的かつ効率的な考えの持ち主でな、なぜこう動くのかと聞かれれば誰にでもわかる言葉で説明ができる」
ソペードの当主は、おそらく辞書か何かであろう本を手に持っていた。
もちろん分厚く、それなりの重量もあるだろう。
人間を殺すには十分な凶器だった。
「これで頭をたたいても、人間は死ぬ。そこそこ力があり、相手を酔わせるなどして弱らせておけば女でも男を殺せる」
「……それは」
「そう、褒められることではない。それは戦闘ではないからな」
戦うということは、相手に抵抗されるということであり、相手もこちらを殺そうとしているということ。
だからこそ、殺すだけなら不要な技術や武装が必要なのである。
「サンスイが正しい剣の振り方を指導すると、それに反発する力自慢も多かった。俺はどんな相手が剣で受けようとしても、兜で頭を守っていても、一発で殺してきたとな。本人に経験があるだけに、なかなか強情そうだった」
「その彼も、納得したのですか?」
「ああ、サンスイはそれを認めたうえでこういった。『一人二人ならともかく、何十人もそうしていたら疲れてしまいますよ』とな」
何十人も切り殺すことが前提の、何十人でも切り殺せる男の、何十人でも切り殺すための指導だった。
これを聞いて、ヒータは閉口する。ヒータが見ていない、山水のまともではない部分だった。
「正しい振り方で切るということは、余計な力が入らずに早く強く振れるようになる。それは結果として何十人が相手でも疲れにくくなるということ。それ自体は、別にどこでも教えていることだ。奴の場合はそれが何人相手でも、何十人が相手でも、完全武装していても絶対に失敗しないところだ」
ああすればいい、こうすればいい。それは理屈ではあっても若者には納得させにくい。
しかし、自分や他の者を相手に成功させ続けていれば、それは絶対的な正しさとなるのだ。
「実際、奴が教えたのは視野の広さをもつことと、相手をよく見て動きを予想することなど、戦場での立ち回りという点が大きい。もともと場数を踏んでいる男たちがそれを学べば、強くなることに加えて『上手』になる」
「そういうことだったのですか……」
「サンスイがそれの習得に五百年も費やしたのは、単純に言ってそれをどこにいる誰が相手でも絶対に失敗しないためだ」
そのあたりは、客観視しているだけのソペード当主よりも、客観も主観もある山水の生徒たちのほうが理解しているだろう。
「例えばだ、ヒータ。お前が全身をきっちりと防具で固めて、手にやわらかい武器を持って、同様に防具とやわらかい武器を持っている相手と対峙したとする。そのうえで、相手が上段から切りかかってきて、それを冷静に迎え撃つ……というのは、練習すればできるであろう」
「はい」
「しかし、相手が完全装備で自分は手に木刀を持っているだけ。しかも相手は殺気立っていて、集団でこちらを囲んでいる。そんな状況で冷静に立ち回れるか」
無理だった、言葉にするまでもなく無理だった。
「サンスイの生徒たちもまだ無理だ。というよりも、人間の寿命ではよほど才覚がなければ無理だろう。銀鬼拳を名乗ったランはそれに近いが、あれこそ才能の塊であるしな」
考えれば考えるほど、スイボクが到達し山水に引き継いだ物が有効だとわかる。
つい先日にスイボクが直々に山水へ新しく術を教えていたが、それまで一切不足を感じさせず、底を見せなかった。
五百年も費やしたのだから当然と言えるが、まさに自信を持って送り出せる最強の男だったのだろう。
「私は今でもサンスイに初めて会った時のことを覚えているが、奴はスイボク殿同様にみすぼらしい格好をしていた。宝貝を作れるスイボクが、木刀だけを持たせて世間に送り出していた。わかるな、スイボクはサンスイには不要だと判断し、サンスイの生徒たちには必要だと判断した」
「……」
「宝貝があれば問題ない、という程度には認められているという事だ。防具である大聖翁など最たる例だが……実際、あるのとないのでは心理的にも違いは大きいだろう」
失敗したら怪我をする、というのと失敗したらそのまま死ぬ、というのでは心理的な重圧が違う。
山水はそれが問題にならず、山水の生徒はそれが枷になるのだろう。
それはとても想像がしやすいことだった。
「少し話がそれたな……ともかく、サンスイの生徒たちに対して、私達のような権力者はどう向き合うべきだったと思う」
「雇用、でしょうか」
「半分正解だな、確かに私は奴らに生活を提供した。しかし、それだけではない」
「……」
「私はその時点で、サンスイを通して間接的に、私自身が出向いて直接的に、武芸指南役やソペードの正規兵としての就職先を匂わせていた」
山水もスイボクも、なんの利益も求めずに人間の寿命の何倍もの時間、ひたすら研鑽していた。
しかし、それは飲食が不要な仙人だからこそ出来ることである。それは本人たちも理解しているところだった。
「はっきり言えば、努力の成果を認めてやる必要があった。野宿し同志と語り合うというのは楽しいが、それがずっと続くのかと思うと不安になる。だが、それを社会的な立場がある我らが保証すれば話は別だ。努力によって人生が開かれるのだからな。それは欲であり、望みだ。本人の士気を維持することが出来る」
わざわざ希望者全員を保証する必要はない。
ある程度選別した上で、その彼らに今日の生活と未来の展望を示す。
それだけで、彼らは安心して剣の道に勤しむことが出来るのだ。
「なるほど……」
「先に言っておくが、お前がこれをやろうとした場合確実に失敗する。私もサンスイがいなければ試みようとも思わなかった」
「童顔の剣聖ですか……」
「本人の強さもさることながら、あれは本当に都合のいい男だからな」
利用している、というよりは信頼しているという雰囲気が出ていた。
「人間は、具体的ではなくても憧れることが出来る。むしろ、具体的ではないからこそ勝手な期待をふくらませる」
「……今では、恥ずかしい思いでいっぱいです」
「だが、具体性を得ても、これはこれで良いと思えることもある。世間の輩はサンスイが国一番の剣士としてソペード本家令嬢の護衛を務めていると聞いて、さぞ酒も肉も女も思いのままだと想像する」
実際には酒も肉も女も、それどころか水も麦も何もかも不要な男だったのだが。
「しかし、実際に付き合ってみると我儘娘のお守りだ。お世辞にも贅沢をしているわけではないし、誰かに大きな顔が出来るわけでもない。もちろん、本人は納得しているがな」
「はい……」
「当然、妄想と現実は違う。いくら強かったところで、ただ個人としての強さで完結していれば、あれが限度だからな」
個人としての強さは、金銭的に利益をもたらさないという事だろう。
それは山水もよくわかっているので、一切不満は抱いていない。
とはいえ、それは腕自慢たちにとっては悔しい、ないしがっかりすることであろう。
「サンスイは童顔の剣聖と呼ばれているが、これは剣士として極まりつつ、人格者でもあるということ。少なくとも周囲からはそう思われている。しかし……実際付き合ってみると意外とそうでもない」
「そうですね……姉は随分ご迷惑を……」
「アレはあれで好悪はあるし、無神経なところもある。聖人、とは言えまい。それでも人格者ではあるがな」
世間の想像と実像は違う、と何度も口にする。
実際、本人も世間からいろいろと羨ましがられる立場であることも関係しているのだろう。
「だが、アレには確かな実態がある。アレが戦うところを見たものは、アレを欲しがる。サンスイが認めた弟子を欲しがる者は多いのだ」
「そうなのですか」
「お前は奴が戦うところを一度見たらしいな。奴はアレで場を読み適切な行動が出来る。貴族の前であえて残虐に殺してみせる、という事がないだろう。サンスイはな、木刀という武器の特性もあるのだが、近衛兵をまとめて相手をしても、流血させることなく治めることができたのだ」
「あの話は、本当だったのですか?」
「……やれと言われれば首を落とすこともためらわないが、あえて率先して殺すことはない。よほど慣れている者は別だが、流血をみて青ざめるご婦人は多いし、死体が垂れ流す悪臭に眉をひそめるものも多い」
卑劣、というべき手段を持つ武人も多い。目突きや金的を行う者も多い。
しかし、それは見て楽しいものではない。
「サンスイは華がない男ではあるが常に余裕があり、その戦いはとても安心してみる事が出来る。卑しさも大袈裟さもないからな」
自分の自慢の剣士が戦うところは見たいが、できれば流血は少ないほうがいい。
祝の席や宴の席が白けてしまうからだ。
「つまりだ、サンスイは模範的な男なのだ。そのサンスイに憧れるサンスイの生徒たちは、貴族たちから見れば安心して雇える男たちということになる。私が推薦状を書き、スイボク殿の宝貝をつければ、まさにブランド価値のある集団となる」
ソペードの当主直属の剣士、白黒山水。
その彼の戦い方が出来る集団が、非常に珍しい希少魔法の使い手として己の部下になる。
それは、周囲に自慢できる剣士なのだ。
「奴は最強であり、他の切り札たちと違って『真似して欲しい相手』なのだ。我が国最強の剣士が、模範的に振舞っている。それを周囲の剣士は尊敬し真似したがるのだ」
腕に自信のある者ほど、傲慢に振る舞いたがる。
しかし自分よりもはるかに強い山水が謙虚に振舞っているのなら、自分が傲慢に振る舞えるわけはない。
そして、誰かに頭を下げることが屈辱ではなくなる。屈辱ではないから、特に鬱憤を貯めこむこともない。
「サンスイは私や妹にたいして腰が低く、加えて私達も横柄に振舞っている。しかし、それでも私達の間にはきっちりと信頼関係がある。それは感じ取れるものであり、これはこれで悪くないと思う者も少なくない。そうした面々を、今回推薦したのだ」
山水が指導したもの全員が強くなれるとしても、全員が武芸指南役にふさわしくなるわけではない。
ただ、ふさわしい者を選んでふさわしい仕事を与えることが重要なのだと語る。
「それもこれも、私とドゥーウェが良好な関係を作っていたからこそだ。それがなければ、スイボク殿もここまで尽くしてくれたとは思えん」
「サンスイ殿との、関係ですか」
「これが本題だ、よく覚えておけ。これはサンスイもよく理解していることであり、つまりは共通認識だ」
睨み殺す勢いで、ソペードの当主はヒータに告げる。
「給料日におくれることなく、約束通りの給料を渡せ」
その気迫に反する普通のことに対して、ヒータは間抜けな顔をしていた。
一種、笑わせようとしているのかと思うほどだった。
「難しく考えるな、しかし軽く考えるな。別に法外に厚遇を与える必要はないが、約束通りの待遇だけは怠るな。それができないなら、最初から雇うな。できなくなればさっさとクビにしろ。それが人を雇う時の鉄則だ」
おそらく、現役の当主も心にとめているであろう真理だった。
しかし、そんな当たり前のことをわざわざ、とヒータは案の定の反応をしている。
「これは誰に対しても同じだ。仮に下の者を軽く扱えば、上の者も疑念をいだいてしまうからな。間違っても賄賂を受け取らねば生活ができない、という窮状を作るな。賃金を払っても裏切るものは裏切るが、賃金を渋れば全員が裏切ることになると思え」
一番基本的な部分こそ、一番肝心だと思え、とソペードの当主は口にする。
実際、山水がドゥーウェに対して献身的だったのは、自分の娘へ十分な養育を行うという報酬をソペードが怠らなかったからにほかならない。
「……さて、ここからはお前には関係ないことだが、新しい武芸指南役の情報を聞いて各国はどうすると思う?」
「本人たちもさることながら、宝貝を手に入れようとするのでは」
「そうだな、それを未然に防ぐために五人以上で送り込んだ。さすがに地方領主のお膝元で、武装している手練五人から奪おうとは考えにくい。それに、そこまでしても複製できない現物が手に入るだけであるしな」
スイボクも認めていたが、宝貝は八種神宝に比べれば大きく劣る。
仮に手に入れることができたとしても、そこまで役に立つことはないだろう。
「では、製作者であるスイボク殿が危険なのでは?!」
「そうだ、スイボク殿が危険なのだ……」