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猛転

 貧民街。

 それは農村から追い出された食い詰め者たちが寄り添う集落。

 華やかな町のすぐ近くに存在し、誰も彼もが明日の希望もなく過ごしている。


 しかし、そこには悪い意味での騒動がよく起きていた。

 弱いものは、叩ける者を常に探しているのだから。


「ふざけやがって! どういう了見だ!」


 山水の元を卒業した彼は、故郷に意気揚々と帰ってきた。

 自分の唯一の親族である老婆にカネでも恵んでやろう、と傲慢な考えを抱いていた。

 しかし、出迎えたのは二十年も生きていないような『ガキ』達だった。


 まず、五人ほどの集団が襲いかかってきた。

 なにか理由でもあるのかと思って、周囲へ警戒しながら倒した。

 次に、十人ほど襲いかかってきた。

 これが本命か、と思いつつも統率にかけるので別件と理解して全員倒した。

 更に二十人襲いかかってきて、その二十人の相手をしている間に倍に増えてきた。


 なんとか倒しきるも、結局警戒は無駄に終わっていた。

 ただのチンピラが、特に意味もなく襲いかかってきただけなのだ。

 実は本職の誰かが、それに紛れて襲い掛かってくる、とかそんなことはなかった。


「さすがにここまで恨まれる覚えはねえぞ!」


 周囲の小屋から、多くの視線が注がれている。

 百人ほどと戦って、その全員を殺さずに血も流させずに倒していた。

 その事実に、目撃者たちも襲撃者たちも身震いを隠せなかった。


「いったい何を考えていやがる!」


 一方でここまでの人数に襲われたことで、彼もさすがに驚いていた。

 確かに狙われることは想定していたが、ここまで不特定多数の相手に襲われるとは思っていなかった。


「なんで俺を襲った! 言え!」


 結局、腰の物を一度も抜かずに全滅させていた。

 明らかに手加減して、余裕をもって、百人以上を倒していた。

 そんな相手に恫喝されて黙っているほど、地面に座らされている彼らは覚悟ができていなかった。


「その……アンタを倒したら、金一封だって」

「え、俺はアンタを倒したら取り立ててもらえるって」

「俺はこの国一番の剣士になれるって」

「俺は……」


「ちょっとまて! どういう状況だ?! 誰がそんな大ぼらをほざいたんだ!」


 明らかに誤情報だった。

 誰がどう考えても、それこそ貧民街の子供でもわかる話だった。

 しかし、皮肉にも彼は強かった。彼を倒せば、それだけ価値があると思っても不思議ではなかった。

 

「アンタの婆さんだって人が……」

「ばばああああああああああああ!」


 騙りではない、と理解していた。

 あの強欲婆さんならそんなことを言っても不思議ではない。

 納得した彼は襲撃者達に背を向けて、苛立ちつつ歩いて行った。

 

「お、俺達は……」

「知るか、どっか行け!」


 彼はまるで相手にしていなかった。

 百人かそれ以上に襲われて、それでも歯牙にもかけなかった。

 それは貧民街のチンピラには驚愕を隠せない武勇伝だが、心底どうでも良さそうだった。


「まったく……あのクソババアが……」


 目撃者たちは、以前の彼を知っていた。

 だからこそ信じられない、これだけのことをしても忘れたいとさえ思っていることが信じられなかった。



 彼の実家は、貧民街故に掘っ立て小屋だった。

 その家には、父親も母親もいない。いるのは、高齢の祖母だけだった。


「ばばああああああ!」

「おや、帰ってきたのかい」


 そこには、貧民街の住人にしてはやたら良い服を着て、高齢にしては元気そうな老婆がいた。


「その様子だと、もう襲われたみたいだね。戦わないで、逃げてきたのかい? 情けないねえ」

「ふざけんな、全員ぶちのめしたっての!」

「んなわけあるかい、十人ぐらいいただろう?」

「百人以上いたってんだ!」

「百人相手に勝てるわけないじゃないか、何歳になっても見栄をはるねえこの子は」


 微妙に現実的なことをいう、呆れた様子の老婆。

 それに対して、いかに自分が強くなったのかを説明したかったが、そこは黙って椅子に座る。

 どうせ、口で言っても信じてもらえるものではない。


「で、なんで俺にガキをけしかけたんだ?」

「そりゃあアンタのためさ。宣伝になっただろう?」

「どこにいる誰に宣伝するんだよ!」

「この街の連中さ、アンタ道場を開くんだろ」


 武芸指南役、という役職はその地方最強の剣士という扱いである。

 その剣士は、その名前と看板で人を集めて道場、というべきものを開く。

 それによって名誉と金銭収入を得る。これは不正ではなく、正しい商売と言えるだろう。

 とはいえ、彼やその同僚にその気があるか、というとその限りではないのだが。


「道場を開くんなら、アンタの腕前が気になるだろうさ」

「ふざけるな。俺も仲間も、道場は当分開かねえよ」

「……はあ? じゃあ薄給で働くのかい?」

「薄給って……この街のどんな仕事よりも、いい所でいい飯が食えるだろうよ」


 なにやら、掘っ立て小屋の周りに人が集まり始めた。

 そちらも気になるが、有名人になっていることは知っているので、彼もそこは流す。


「だいたい、アンタも半端だねえ」

「何がだよ」

「国一番の戦士になるとか言ってただろう」

「そりゃあ、まあ……」

「どうせなら、本当に国一番になって帰ってくればいいのに」


 他意はなかった。

 あくまで、地方領主の武芸指南役という『中途半端』な役職よりも、どうせなら国一番になってくればいい。

 知らない奴は、勝手なことを言うのである。


「無茶言うなよ……本物の剣聖は、そりゃあもうぶっちぎりだったんだぞ」


 切り札やフウケイ、スイボクを知る彼である。正直、あんなのと張り合う根性などない。

 仮に努力すれば勝てるようになるかもしれないとしても、遠すぎて挑戦する気にもなれない。


「大体十分だろうが、この貧民街からは本格的に脱出できるしな」

「……詐欺じゃなかったのかい」

「疑ってたのかよ!」

「てっきり、アタシに詐欺の片棒を担げってメッセージかと」

「誰を騙す気だったんだよ! ソペード動いてるんだぞ?!」


 いや、詐欺と思われても仕方がない。

 この街でバカやってた時代の自分を思えば、詐欺と思っても仕方がない。

 彼は頭を掻きながらため息をつく。


「じゃあ本当に武芸指南役になれたのかい」

「そうだよ……ぶっちゃけ、婆ちゃんが俺にチンピラけしかけたって判明するまでは、婆ちゃんに楽をさせてやろうと思ってたんだよ」


 現実は小説よりも奇なり、であろう。

 誰かを騙すために現実味をもたせる詐欺話よりも、彼が見てきた現実のほうが神話級に非現実的だった。

 特に、スイボクの話は。


「五人まとめてだけど、屋敷に住ませてもらう予定なんだよ。婆ちゃん、でかい屋敷で暮らすのが夢だったんだろ」

「やだねえ、詐欺でも嬉しいよ」

「詐欺じゃないって……っていうか、なんかいい服着てるな。まだカネ渡してないのに……おい、誰を騙した」

「そこのそいつら」


 祖母が指さすと、そこには貧民が掘っ立て小屋をのぞき込んでいた。

 汚い格好の子供や、粗末な服を着ている男や女がいた。

 自分の子供を、武芸指南役の弟子にしたいと思っている親たちと、自分もそんな立派な仕事に就きたいと思っている子供たちが揃っていた。


「おい、お前ら! いくらこのババアに払った!」

「なんだい、もう使っちまったよ」

「俺が払うってんだ! こんなくだらねえ詐欺をしでかしたなんて当主様やサンスイさんに知られたら、ぶっ殺されちまうってんだ!」


 ぎっしりと硬貨の詰まった財布を取り出すと、親戚に借金をして『銀貨』を支払っていた両親たちが、恐る恐る指を一本二本立てていた。


「じゃあこれでいいだろう! ここにいるやつだけだろうな!」


 その指の数の倍、『金貨』を手渡していく。

 初めて見る金貨、その重さを確かめていく親たちに、惜しげもなく財布の中身を渡していく彼。


「あんたね……そんなにカネをばらまくなんて……」

「うるせえ、どうせこれからご領主様んところで厄介になるんだ。財布をカラにしたぐらいじゃあ困らねえよ!」


 大声で言い争っていたからか、さきほどまで彼にボコられていたチンピラたちも掘っ立て小屋の前に集まっていた。


「今の俺を舐めるんじゃねえ!」


 堂々と、見得を切る。


「アルカナ王国四大貴族ソペード家の切り札、アルカナ王国最強の剣士、シロクロサンスイの……生徒!」


 弟子、と言い切れないが、それでも他のことは言い切っていた。


「サンスイさんのお師匠であるスイボクさんからいくつも宝貝を作ってもらって、ソペード家当主様から推薦状を書いてもらい、これからこの地方の領主様の武芸指南役になる男だぞ! 貧民街の連中から……」


 既に、自分は貧民街の住人ではない、と言い切っていた。


「小銭をだまし取るまねなんぞするか、馬鹿馬鹿しい!」


 貧民たちが、なけなしの蓄えや親戚に頭を下げて集めたカネを、十倍以上にして返金していた彼は誇らしげに怒鳴っていた。


「婆ちゃん、これからは城下町で暮らすんだぞ! 領主様や同僚に恥ずかしいところを見せたら、分かってるんだろうなあ! みっともないことをするんじゃねえぞ!」

「……アンタ、そんなこと言うほど立派になったんだねえ」


 強欲ババアがびっくりするほど、非行少年は立派な大人になって高給取りになっていた。

 あくまでも、口調だけは今までどおりであったが。


「大体な、道場経営ってのは定期的に月謝を取るもんらしいぞ。それこそ、金持ち相手の商売だ。貧民街のガキから一回カネをもらったぐらいで、弟子になんてできねえよ。それに、俺もまだまだ未熟だ。サンスイさんが帰国するころになったら、また王都に戻って修行をつけてもらわないとな」


 山水が弟子を取ることに否定的だったことを思い出していた。

 スイボクの戦いを見るまでは、山水が『師匠には遠く及ばない』というのは謙遜か何かだと思っていたが、実際には想像以上にぶっ壊れていた。

 そりゃあスイボクに比べれば、山水は未熟もいいところである。


「ま、あと十年は修行だな。それが済んだら、サンスイさんから許可でももらって仲間と一緒に道場でも建てるさ」


 楽しそうに、未来を語る。

 十年後、自分がもっと幸せになっていると確信しているようだった。

 それは、貧民街の誰もが持っていないものだった。


「その時まで婆ちゃんが生きてるかはわからねえけどな、少なくともこれからは楽できるぜ。ここの連中を騙すなんてやめとけよ」


 珍奇な格好をしている彼は、掘っ立て小屋の窓や扉からこちらを覗きこんでくる面々に笑いかけていた。


「お前ら、ウチの婆さんが騙して悪かったな。俺を倒しても国一番の剣士にはなれねえし、弟子を募集もしてねえよ」


 そう言って、椅子を立つ。


「婆ちゃん、まだカネあるし日も高い。この際、このまま街をでて俺達の新しい家に行こうぜ。婆ちゃんが昔暮らしてた農家の家より立派だと思うぞ」


 シワだらけの手をとって、老婆を立たせて前に進む。家を出ようとする。


 その彼が、掘っ立て小屋の回りにいる貧民たちを散らそうとした。


「小屋の中のもんは好きにしていいから、どけよ。俺たちは街を出るからよ」


 しかし、誰もどかない。



「ん?」



「この子を弟子にしてくれ」

「カネを返さなくていいから、弟子にしてくれ」

「頼む、子供をこの街から出してくれ!」

「お前の師匠に、子供を紹介してやってくれ!」

「お願いよ、私達もこんな街を出たいの!」

「ウチの子だって、お前みたいに立派になれるんだろ!」


「アンタ、めっちゃ強いじゃねえか!」

「俺もアンタみたいに強くなりてえ!」

「俺を弟子にしてくれ! カネならなんとか払うから!」

「俺も武芸指南役になりたいんだ!」

「アンタの弟子になれないなら、アンタの師匠へ紹介してくれ!」



「この子に十年後をあげたいんだ!」

「俺達も変わりたいんだ!」



 そこには、昔の自分がいた。

 この街を出る前の自分がいた


「で?」


 つまりは、ただの物乞いがいた。


「お前ら、具体的に何ができるんだ?」


 助けてくれとすがってくるだけの雑魚だった。


「俺がああしろこうしろと言ったら、はいと言って従えるか?」


「ああ、もちろんだ!」

「お前の言うことには従うよ!」

「成功したお前の命令なら!」

「俺たちに命令してくれ!」


 近所のチンピラが、心の底からそう叫んでいた

 うんざりするほど、なんの価値もない真実の叫びだった。

 彼らは今そう思っていて一切嘘を言っていない、彼を裏切ろうとはかけらも思っていなかった。


「じゃあ、俺よりずっと強い奴と戦って首をもってこい、と言ったらそうできるのか?」


「い、意地悪なこというなよ!」

「そうだよ、お前より強い奴に、俺たちが勝てるわけがねえだろ?!」

「その変な武器があれば、どうにかできるんだろ?」

「俺たちはアンタに従うよ、だから守ってくれ! そう言ってるんだ」


 ああ、こいつらは鉄砲玉にも捨て駒にもなれない。

 ただ、想像力と思考能力がないだけのバカだった。

 このまま話をしていても、何の価値もない。


「嫌なことはしたくない、怖い思いはしたくない、怪我をしたくないし、死にたくもない」


 それ自体は、別に咎めることではない。


「じゃあ他を当たれ」


 ただ、それを自分に言うのは筋違いだ。


「お前らは、何とかしてくれというだけだ。はした金を払って頭を下げれば、どうにかしてもらえると思っていやがる。そんなことだから、こんなババアに騙されるんだ」


 自分の仕事は、自分の仲間の仕事は、そういう意味では変わっていない。

 仮に武芸指南役になっても、ずっと強い奴と戦うことから逃げられないのだ。


「自分の子供のことは自分で何とかしろ、自分のことは自分で何とかしろ」


 楽をしたいというのなら、安全な生活がしたいなら。自分を追うのは筋違いだ。



「戦えといわれて逃げだす奴を、俺の背中に隠れる奴を、武門の名家に紹介できるわけがねえだろうが!」


 どうにかしてほしい、と具体的にどうしてほしいのかも人任せ。

 そんな奴らだから、この街から出ることもできない。

 聖人君子になったわけでもない彼は、軽蔑を隠さずに怒鳴りつけていた。


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