怨恨
お嬢様の目的は、ついこの間まで学園で暇をつぶすことだった。だが、今の彼女の目的は婚活だった。
優雅さや華美さが一気に失われたと言っていい。
だが俺と言う不老長寿の存在を知って、自分と言う華の残り時間が少ないと認識した彼女は、慌てて青春を求めていた。
不老長寿の男を知って、慌てて交尾相手を探すというのは、自然なのか不自然なのか。
そう考えると、日本で婚活パーティーに参加していた女性や男性の方々も、笑ってはいけないほど自然な方たちだったのだなあ。
とはいえ、お嬢様は今後も学園に残ることになった。というのも、学園は王都の近くなので、何かと王都でのパーティーに参加しやすいからである。
婚活パーティーのために引っ越しをした、と言うことなのだろうか。日本的に考えると大仰すぎるし、手近なところで手を打つべきだと進言するべきなのかもしれないが、何せお嬢様は四大貴族の一角の御令嬢なので、相応の相手が限られてくるのだ。
もちろん、その前提にはお父様とお兄様の暗殺も含まれているが、それを抜きにしても難しいのである。
そして、可能か不可能かで言えば、一番確実で容易なのがお二人の暗殺と言うのが悲しい。俺もお嬢様も哀しい。
まあそれはそれとして、俺は老人特有のおせっかいをするべく、祭我に声をかけていた。
朝方に学園近くの野原でエッケザックスを素振りしていたので、声をかけてみる。
「おはよう」
「あ、おはよう」
「むむ、スイボクの弟子か」
少女の姿に戻るエッケザックス。
それにしても師匠もよく考えたら俺よりも見た目が幼いので、釣り合いの取れた二人だったのかもしれない。
「実は少し話があってな……」
「あ、それは俺もなんだ。謝りたいことがあって……」
軽く、ではなくしっかりと頭を下げて、祭我は俺に謝罪していた。
やや不快そうではあるが、エッケザックスもそれに続いていた。
「その……あんなに強い攻撃を打とうとして、すみませんでした」
「いいよ、もう気にしてない」
俺も注意したことだが、彼は俺を何だと思っていたのだろうか。
仮に当たって俺が死んでいたら、その時彼らは大喜びすることができていたのだろうか。
ゲームのキャラクターなら、強いイコール体力が多くて奥義を何度も当てないと勝てないけども、俺はゲームのキャラクターでもなんでもないわけで。
というか、そういうキャラクターなのは強くなるたびに防御力が上がっていく、他ならぬ祭我君自身である。
自分がそうなんだから相手も、という見識が彼をここまで追い詰めたと言っても過言ではない。
自分の物差しに疑問を持たないと、こういうことになってしまうのである。俺も気を付けよう。
「それよりも、一つ訂正があってな」
「訂正?」
「ああ、確かに俺と戦う分には最低限の力で十分だったが、別に今までの全てが間違っていたわけでもない。少なくとも、人に頼ることができるのは良いことだと思うぞ」
大抵のなんでもできる系チート持ちは、それこそ全部を自分でこなそうとする。
それはそれでいいのだが、自分だけを絶対視していると手が足りなくなることもある。
俺だって、ブロワがいてくれたおかげで手が足りた、と言うことも結構あるのだ。
なにせ俺は技が近づいて斬るぐらいしかないので、数が多いと対応が追い付かないこともある。
それに、お嬢様も言っていたが地味なのだ。派手な方が相手への威嚇や牽制になることもある。地味では抑止力たりえない。
祭我が俺に何度も挑んできたのも、俺が地味だったからだ。これで、俺が祭我と同じ威力が高く派手なスタイルだったならば、きっと実力差を理解して諦めてくれただろう。
「あんまりなんでもかんでも新しい力を継ぎ足していくのは良い事と思えないが、無理だと判断したらやり方を変えるのは良いことだ」
まあ、今回の場合やり方を変えていなかったからここまでこじれたと言えるのだが。
このやり方では駄目だったから、他のやり方で試みよう。それならいいのだが、彼の場合成功体験の復讐と言うかなんというか、今まで通りに新しい女、じゃなくて新しい力を得ようという物だった。
それは良くない。彼は自分と俺を見て、見つめ直すべきだったのだ。公衆の前で負けたのだから、公衆の前で勝てるように特訓するべきだったのだ。
隠している力を発揮するために、隠れて戦う。そう思った時点で、彼は何かを見失っていたのだろう。
「例えば……俺が木刀しか持っていなくて、しかもちゃんと手加減ができるにも関わらず、ああして防御を固めていたのは、俺の攻撃を受ける自信がなかったからだ」
「うう……」
「剣を燃やしたり、何度も切り込んで来ようとしたのは、普通の攻撃で、一太刀で俺を倒す自信がなかったからだ」
「……うう」
「新しい力を重ねていくのは、素のままの自分に自信がないからだ」
「はい……」
「特に利益もないのに、俺を倒すことにこだわったのは、自分が負けたことが何かの間違いであってほしいと思っていたからだ。負けを認められない君の弱さだ」
「そうです……」
俺は彼を自分の物差しで批判していくが、どうやら正しかったらしい。
少なくともそう言われると、彼は反論の余地がないようだった。
「ただ、その自信のなさは正しいともいえるし、向上心があるという事でもある。少なくとも、今君は再び立ち上がろうとしている」
「え?」
「未熟な君が身を守るのは当たり前だ。むしろ、身を守らない方が驕っているともいえる。君は俺と自分の実力差を顧みて、防ぐのは無理だと判断して防御力を上げていた。そして実際に防げなかった。なら君の判断は正しい」
「それは……」
「一撃で倒す自信が、当てる自信がないのも、そのまま正解だった。ただ、もう少し牽制や崩しなんかを覚えるべきではあった。方向としては、そっちの方が俺と戦うには好ましかった。もしくは魔法が使えるんだから、範囲攻撃を憶えて当てる努力をするべきだった」
当たらないのが問題なんだから、威力を上げるんじゃなくて当てる努力をするべきだった。いくら俺でも、広範囲を攻撃されれば回避しきれない。まあ、その場合は攻撃される前につぶすが。
あるいは、俺が高速で移動するのが問題なんだから、予知を含めて早く打てる技を習得するべきだった。
「君はRPGをしているつもりなのかもしれないが、どっちかっていうと対戦格闘やアクションゲームなんだから、威力だけ考えちゃダメだ。足りない物を探す姿勢は間違っていないが、もっと自分と相手をよく知ろうとすることだ」
「ふん……」
それはエッケザックスもわかっていたのだろう。
ただ、それを認めると最終的には師匠に行き着くから、認めたくなかっただけで。
大丈夫、普通の人間はそんな結論には至らないから。
「人生は死ぬまで修行だ。だから、ここまででいいと思うまで頑張ればいい。新しい力を得るのは快感だろうが、得ることが目的になってはいけない。俺の様な俗世と縁を切っていた仙人ならまだしも、今の君にはしなければならないことが多すぎるからね」
「山水さん……」
「敬語なんていいって、五百年生きているって言っても、五百年引きこもりのニートだったようなもんだ。それにこうやって忠告するのも、俺の失言の埋め合わせみたいなもんだしな」
自宅警備員歴五百年の俺が言うのもどうかと思うが、昨日の試合の後に俺は彼の人生を全否定してしまった。
間違ったことは言っていないと思うのだが、それを鵜呑みにするのもよくない。
「俺は俺で君は君だ。周囲の人と相談しながら、生き方をじっくり考えればいい。人間の人生はその程度には長くある」
「ああ」
「これは俺が言っても説得力がないと思うが……人生勝ち負けにだけこだわっていると息苦しいぞ。あんまり相手を負かそうとし過ぎないことだ」
「……うん」
「うん、ではないわ! スイボクの弟子からの説教などに一々感銘など受けるな! 勝たずして何が剣士だ!」
それはそれで尤もなことを言いつつ、エッケザックスが怒りだしていた。
確かに俺も師匠と一緒で、彼女を全否定しているしな。勝ちたくないなら、エッケザックスいらないし。
「お主もスイボクも! 五百年も千五百年も素振りをしているのは何のためだ! 負けたくないからであろう、勝ちたいからであろう! そのために強くなりたいからであろう!」
「それは……最初はそうだったけども……」
「他の理由などあるか!」
「いや……でもそういう理由で剣を振り続けることはできないわけで」
ウチの流派って、殺人刀でも活人剣でもなくて、ただの道場稽古に近いからなあ。試合だって一切してないし。
素振りしかしてないし、勝ったのって五百年後だったし。
「勝ちたいということは争いを求めているという事。戦うということは危険を伴うことなわけで。いいや、もちろん戦うことと生きることを切り離すつもりはないが……誰かに勝つことよりも自分の未熟さが補われていくのが楽しいというか……」
そもそも飲食が不要な仙人が、争う意味とは何だろうか。
瞑想するのと同じように剣を振っているだけなのだろう。
「そもそも、勝つのってそんなに楽しくないし……争いが起きている段階で未熟の証なわけで」
「悟ったようなことをほざきよって……!」
「いや、多分山水は本当に悟っているんだと思うけど……」
気取っている、と言われるとそれもそうだとは思う。
強くなりたいから鍛えて、負けたくないから積み重ねていく。
それならば、負けないために人との関わりを断っている仙人は、誰よりも負けることに忌避感が強い、ともいえるのだろうか。
本格的に引きこもりでニートなのだなあ。
「大体仙人になってからは負けたくないって思ったことないし。そういうのは体が力むからいい事じゃないし。もちろん勝ちたいと思うのもいい事じゃないし」
「ぐぬぬ……言いたいことがわかるだけに腹立たしい……!」
「確かに俺も、山水に負けるまではそんな感じだったような気が……」
「まあとにかく、あんまりこだわらないことだ。自分にとって大事なことやこだわりは、自分で決めるものだからな」
もちろん人間は、こだわらない、という考え方にこだわってしまうこともある。
だからこそ、修行という物はとても難しい。
そういう意味では、俺は気楽なのだろう。なにせ、俺の場合は戦う相手を決めるのはお嬢様であって俺ではないからだ。
俺が自分の身を守ること以外に戦うことがあるとすれば、お嬢様の命令に他ならない。
それはある意味気軽なことで、簡単に諦めて許すことができる。
ただ、彼がその楽な生き方を受け入れるかどうかは、また別の話なのだが。
「ただもう、俺を相手に戦おうとしないでくれ。少なくとも俺はふっかけないから」
「ああ……エッケザックスは嫌がったけど、ツガーが止めてくれたから」
「……ふん」
実に結構。剣が戦う理由を決めるのではなく、人が戦う理由を決めるのだ。
どうやら祭我の周りの女性は、彼を全肯定するだけのお人形さんではないらしい。
「ただ、我は認めたわけではないぞ、スイボクの剣を継ぐ者よ。最強の剣士に剣さえも不要であると、そう証明されたとしてもだ」
それでも、意思のある剣は俺を睨んでいた。
俺の修練よりもさらに長い時間を、使い手が現れない日々で過ごした彼女は、俺やその背後の師匠を睨んでいるようだった。
「いずれ、サイガの意思を継ぐ者もあらわれる。お前に悠久の時があるというのなら、その悠久を怯えて過ごせ。いずれ、サイガもお前もスイボクも超える者が現れる!」
「そうか、それはそれでいいことだ。今後の修行に、より一層打ち込めるという物だ」
何時か時の果て、俺がこの自然に溶け込むまでにそれが訪れるのならば、それはとても楽しみなことだ。
「……あのさ、山水」
「どうした、祭我」
「山水は……どうしてあの女に仕えてるんだ?」
微妙に反論しにくいことを聞いてくる。そりゃあ確かに色々と問題の多いお方ではある。
だがこう見えても俺は五年ほどお嬢様にお仕えしている身だ。それなりに信頼関係はある。
「いきなり失礼なことを聞くな……」
「だって、山水は凄い剣士だ。木刀どころか素手でも俺より強いし、こうやって俺に気を使ってもくれる……なんであんな女に……」
「驕りだ、それは。仮にも俺の主を『あんな女』呼ばわりなんて、到底許されることじゃない」
「それは……」
「彼女が君の婚約者と確執があることも、少なからずお嬢様の性格に問題があることも認めるが、それは君の婚約者だって同じことじゃないのか?」
微妙に論理のすり替えをしている気もするし、彼に対して攻撃的になっている気もする。
もしかして、俺は怒っているのだろうか。それは余り良い人間性とは言えないな。
「大体俺にしてみれば、君の方が問題だ。公の前で遺恨なく戦っただけなのに、ひたすら絡んで三度も挑んできた君はどうかしている」
「う……」
「俺が君に勝ったが、君は俺に勝ったとして何かいいことでもあったのか? 俺が君に勝っていいことがあったのか? こちらの事情も考えていなかった君に、俺の主を悪く言う資格があるのか?」
結果的に俺が長生きしていたことも知られてしまった。
まあ隠しても仕方のない事ではあった。まさか師匠の知り合いがいたとは。
「そりゃあまあ、君や君の婚約者の立場から見ればお嬢様はさぞ不快に映るだろうが、性格が悪く見えるだけで悪事を働いたわけじゃあるまい」
「それは……それが良くないと思う」
「お嬢様が俺の強さを自分の威にしていると? それの何が問題だ」
確かにお嬢様は配下である俺を、事あるごとに自慢して誇示している。それはあんまり行儀のいいことではない。
だが、お嬢様は俺の雇用者で、俺は武を買われてお給料をもらっているのだ。
その点に関しては、今まで一切裏切られていない。
「そりゃまあ、俺を使ってどっかの村を襲ったとか、どっかの街を滅ぼしたとか、どっかの軍隊に因縁をつけたとか……そういうことがあったなら愛想を尽かしていたのかもしれないが、今の所俺はそういうことはさせられていない」
いいや、そうとも言い切れないだろう。実際、王家直属の近衛兵と戦わされたことあったし。そっちはお嬢様の指示じゃないけど。
だがお嬢様は性格が悪いだけで、悪事を働いていないのだ。
俺はお嬢様からお給料をもらっているし、レインの教育にも力を入れてくれている。
であれば、少々性格が悪いだけなど、個人的な所感でしかない。あんまりいいことじゃないかもしれないけど。
「君は彼女の悪いところばかり見ている。もちろんそれが嘘と言うわけではない。だが、それでも君も君の婚約者も、彼女のいいところを知らない。少なくとも彼女は、俺を不当に差別したり、無意味な暴力や罰を与えたこともない」
であれば、後は好みの問題だ。そして、俺は彼女に感謝している。彼女との出会いも含めて、俺は割と人との出会いに恵まれている。
目の前の彼は別だが、悪人と言うわけでもない。
「異邦人である俺には、それで十分だ。他の何を望むというんだ」
「それは……」
「君は彼女が好きで、婚約することにも不満がないほど好きなんだろう? それは羨ましい」
本当に羨ましい。少なくとも俺は嫌だ。不満がある。
「もしかして、誘ってくれていたのか? 嬉しいが、俺はお嬢様の護衛だ。そのことに不満はない」
「……わかりました。その……失礼なことを言ってすみません」
「君も偉い人になるんだから、あんまり軽々しいことは言わないことだ」
護衛であることに不満はないんだけどなあ……。
婚約者はちょっと……。
そしてもっと言えば、俺にとってもお嬢様の後ろ盾は必要なのだ。
既に名が知られている俺は、早々好き勝手に振る舞うことなどできないのである。
特に王家は、どう動くのかまるで予想もできなかった。
※
「レポートは読んでいただけたかしら? 難しい言葉を並べてばかりだったならごめんなさいね、学者の性分だから」
「いいや、内容そのものは理解できる。加えて、そこまで異常と言うわけでもない」
「では理解していただけた様ね。現在の技術で、彼に対抗できるものは生み出せない」
祭我の身分を保証するものがバトラブ家であり、山水の身分を保証するものがソペード家である。
両者ともに個人としてはあり得ない強大な力を持ちながら、しかしそれでも尚国家が放置を許しているのは、王家に次ぐ権威と権力を持つ四大貴族の当主たちが身分を保障しているからに他ならない。
何か問題が起きればこの二つの家がそれぞれ補償する。それが他の多くの者に安心感を与えているのだ。
では、この王家直轄領にある学園のスポンサーは、つまり学園長の上に立つ者はだれか。
語るまでもない、アルカナ王家そのものである。
「つまり、敗北宣言と言う事か?」
ステンド・アルカナ。アルカナ王国第一王女は、賢者と称えられる学園長からの報告を受けて、いら立つことなく静かに受け入れていた。
「私は学者、学問の下僕。その私が、負けを認めないことは存在の否定ね」
「いいや、ありがたい。楽観は我らには不要だ」
キメラやゴーレムは、強力な兵器である。魔法を習得している騎士が数十人かかってようやく倒せる、という個体も珍しくない。
しかし、戦場の主役は相変わらず騎士である。それはなぜか。
制御が難しい、と言うこともあるのだが、端的に言って費用が凄まじいからである。
如何に無人兵器とはいえ、騎士数十人を相手にすると負ける、という程度では採算が合わないのだ。
それでも、ここ数年この学園ではゴーレムやキメラの研究に多くの費用が投入されていた。
一重に、山水を倒す為にである。
「発想の方向性は悪くなかったわね。数値的な攻撃力ならば、サンスイ君……いいえ、サンスイ様は魔法使いほどではない」
「気功剣……仙術で強化した木刀と、発勁という素手の技……それが奴の攻撃手段であり、我らの付け目だった」
山水は基本的に一撃で敵を倒す。
それができているのは、つまりは山水の攻撃力が相手の防御力を越えているからである。
「奴の攻撃力はそれが限界だった……」
「そうね、それも変わりはない。彼の攻撃力はそこまで高いものではない。騎士を数百人倒して尚余裕を持つ彼も、攻撃力が数百人分あるわけではない」
山水の気功剣と発勁を受けても、尚全く問題がない頑強なゴーレム、或いはキメラを用意する。
それができれば、山水の無敵性は失われる。そう思っていたのだ。
「でも、サイガ君が最初に負けたとき、発勁によって受けた怪我を調べた時にわかったわ。あの打撃は生物の体を揺さぶる技……生命として不自然でどうしても弱い箇所ができるキメラでは、どうしても機能不全を起こしてしまう……」
「加えて軽身功で自分以外の物を浮かせることもできる……これではゴーレムと言えども……」
「空から落とされれば、自らの重さで破壊されてしまう。勝ち目なんてないわね」
精度に欠けるキメラや、敏捷性で劣るゴーレムが、まさか山水に勝てるわけがない。そもそも攻撃を当てることができないのだ。
だが、この場合は勝つ必要はない。山水が倒せない、壊せない物がある。それが分かればそれでよかったのだ。
だが、結論は彼の絶対性が裏付けられただけである。
「『雷切』め……」
憎々し気に、王女はレポートを強く握っていた。
「研究費は惜しいけれど、騙すのも悪いと思ってね……それでどうするの? 諦めるの?」
「……諦める理由にはならないな」
「それは良いけども、少なくとも自力じゃ無理ね。彼の強さの根幹が、五百年と言う長い歳月に裏打ちされたものだとしたら……」
どれほど強力な希少魔法の使い手だったとしても、確実に倒せる方法がある。
同じ希少魔法の使い手を、十人ほどそろえることだ。これに対抗できる手段などない。
確かにどの分野にも超一流と呼ぶに値する天才は存在するが、それでもきちんと訓練を受けた一流の、一人前の術者が十人そろえば倒せないわけがない。
少なくとも戦闘ではそうなるのだ。そのはずだったのだ、あの男が現れるまでは。
「極端な話、仙術の素養のある人間をどこかの仙人の弟子に出して、彼に太刀打ちできる強さまで育てさせるというのも現実的ではなくなってしまったわね」
「五百年ではな……我が国がそれまで存続しているかどうか……」
兵士や兵科で考えなければならない点として、装備の安価さと訓練期間の長さというものがある。
どれだけ弱い兵士、兵科だったとしても、装備が安く訓練期間が短くてもどうにかなるのであれば、立派な戦力として数えることができる。
死んでも簡単に補充できる、穴埋めが容易である。それは古今東西に置いて重要極まりない事だった。
その対極に位置するのが、山水という男である。
千人に一人の資質を持つ者が、五百年修行してようやく到達できる強さの持ち主。そんなもの、兵科として計上できるわけがない。
できるわけがないその一方で、計上できる戦力の全てを賭しても対抗できないのがあの男だった。
「王女様、もう諦めた方がいいんじゃないかしら。彼は無欲で野心とは程遠い男よ? ソペードだって、お隣さんと違って態々クーデターなんて目論むことはないでしょうし」
「そんなことは最初からわかっている。私とて、国家の利益と王家の利益を秤にかけるつもりはない」
アルカナ王国にとって、王家の利益と国家の利益は必ずしも一致するものではない。
確かに大量破壊には向かない山水だが、極めて単純に敵国から仙人が刺客として送り込まれた場合、対抗できるのは彼だけだろう。
また、どうにもならない状況を覆す一手にもなりうるのが、あの男でもあるのだ。
問題は、それによって相対的に王家の格が下がるということである。
「私はあの男を殺したいわけではないし、取り返しのつかない重傷を負わせたいわけでもない。対抗できる戦力が欲しいだけだ、バトラブのようにな」
もちろん、バトラブの入り婿である祭我は神剣をもってしても敗北している。
その一方で、山水とは方向性が違う絶対性を得ている。ざっくりいえば、箔がついているのだ。
「もちろん、奴よりも強い戦士が王家に忠義を誓うならばそれに越したことはない。しかし、必ずしもそうである必要はない。太刀打ちできるかもしれない、そう思わせるだけの存在が、我が王家には必要なのだ」
今となっては、この国で一番強いものと二番目に強いものは確定してしまっていた。
それこそ、三番目以降が相手にならないほどに。
「王女様……貴女はまだあの剣聖に近衛兵が壊滅させられたことを恨んでいるの?」
「……恨んでいる、とは違うな。憎んでいる。あの男が国家の利益にならない男であれば、そのまま殺しているところだ。できるわけもないが」
『できれば戦いたくない相手でした』
童顔の剣聖を、王家やその周囲では『雷切』と呼ぶ。
王家直属にしてこの国の最精鋭部隊である親衛隊と粛清隊を、木刀一本で壊滅させた絶対強者。
王家の武威を地に落す一方で、語ることさえできぬ恐怖と共に力を示した、最強の男。
「あらあら、口調が男言葉になっているわよ、はしたない」
「失礼……だが、こうなれば私も探さざるをえません。バトラブが見つけたように、傑出した人材を」
隣の国で起きたことが、この国で起きないとも限らない。
安定を得るためには、確かな力が絶対的に必要だった。
「あらあら、王女様も大変ねえ……」
賢者は笑う。怪しく笑う。悟ったように笑う。
そう、彼女は知っているのだ。こういう時、大抵の場合既に手遅れなのだと。
「もしかしたら四大貴族のすべてが、とっくに傑出した人材を抱えているかもしれないのにねえ」