逆転
ソペード領地の、ある地方の商家の話である。
その家は何代か続いている家であり、長男は家の金を持って出てしまったため父親と次男が支えていた。
そして、特段おかしなこともなく、たまたま家業が傾きつつあった。
誰かがミスをしたわけではなく、一種の流れのように業績が悪化していった。
弱れば危うく思われるもの。
この家に金を貸していた者たちは債権の回収を急ぎ、さあ返せと言い出していた。
取引をしていた他の商家は別の取引先を探し始めていた。
別におかしいことではない。
この家にしても他の商家が弱れば、おなじ対応をしていただろう。
しかし、自分の家がそうなれば、これ以上悪化しないようにしなければならない。
父親と次男はなんとか持ち直そうと頑張っていた。
家財を売り払い借りていた金をなんとか返し、健在であることをアピールしていた。
苦しい中でもパーティーを開いて、虚勢を張ろうとしていた。
多くの家に新しい取引をお願いしようとしていた。
当然、楽ではない。
しかし、ここで持ちこたえなければどうなるのか、父親も次男もよく知っていた。
そして、一気に解決する。
借金の返済を督促する声が収まり、それどころか新しく金を借りないかと言ってくる声が聞こえてきた。
自分がパーティーを開くから、出席してくれないかと頼む声が聞こえてきた。
格上の商家の方から声がかかって、新しく大きい取引が始まろうとしていた。
父親と次男の努力が実ったわけではない。
長男が王家直轄領地でありえない出世をした結果、その地方の領主の武芸指南役に任命されたのである。
「そうか……そんなに大変なことになってたのか」
けったいな格好をして帰ってきた長男は、自分の家が困窮していたことを知って難しい顔をしていた。
父親と母親、次男とその妻を前にして、家財の減っている屋敷の大部屋で唸っていた。
「盗んだ金を返すぐらいのつもりだったんだが……さすがに足りないよなあ」
父親も母親も、次男もその妻も、使用人たちも長男のことをよく知っている。
だからこそ、困った顔をしている彼を見て逆に困っていた。
「……はっきり言うが、俺はあくまでも武芸指南役で、大して収入がない。それに五人が同列あつかいだから、そんなに大したもんじゃないんだ」
家を出た長男が本当に出世して、それを地方領主から伝えられていた家族は、長男がどんな横柄な態度を取るのかと身構えていた。
というか、実際に長男のおかげでほぼすべての問題が既に解決していたので、へりくだる準備もしていた。
どんな暴言が飛び出てくるのか、と覚悟していた。それでも耐えるつもりだったのだ。
「例えば領主様に便宜を図ってくれとか言われても、それは無理だ。そんなに無理ができない」
なのに、自分では大して力になれないと、申し訳なさそうにしているのだ。
本当に出世しているのに、身の丈をわきまえたようなことを言っている。
おかしい、一般的にも個人的にも、こんな反応をするなんてありえない。
「ソペードの当主様に顔が利くとか、そんなこともない。確かに何度か話をしたこともあるし、当主の妹君の護衛を努めたこともあるが、親しいとかそんなことはないんだ」
おかしい、ソペードの当主と直接話をしたことがあるというのは、もっと自慢になる話ではないだろうか。
少なくとも商家をしきっている父親も次男も、地方領主とさえ話をしたことがない。
「俺の師匠であるサンスイさんも、御役目としてはすごい人なんだが、あくまでも武術の指導者であって、部下らしい人もいないし取引に口を出すような人でもない」
童顔の剣聖、白黒山水。
この国最強の剣士にして、ソペードの誇りとされる武の象徴である。
その人から剣を習っていたなら、もうちょっと誇らしいと思うべきではないだろうか。
「だから、悪いとは思うんだが……この家に貢献できることはないんだ。まあ縁談を受けるぐらいはいいんだが、武芸指南役って言っても週一ぐらいで領主とかその周辺の人に指導ごっこをするぐらいで、そんなに大したもんじゃないし、嫁を出したがる家がいるかどうか……」
文章としては何も間違っていない。長男は自分を概ね正しく認識している。
もしもここで「俺はソペードの当主にも顔が利く」とか「領主に話をつけてやる」とか「俺の師匠に頼めば無理も通る」とか言い出したらそっちのほうが心配だった。
しかし、それをいいそうなのが、他でもない彼だったはずだ。こんなわきまえた発言をする男ではなかったはずだ。
「……何があった」
「おい、第一声がそれってどういうことだよ」
父親の困惑も、仕方がないと言える。
しかし、長男は困惑している方がわからなかった。てっきり失望していると思っていたのだ。
家が困窮している時に、長男が出世したと吉報があったのだ。長男に口利きしてもらって、一気に解決してもらおうと思うのが自然だと思っていたのだ。
それこそ藁にもすがるつもりで、下げたくもない相手に頭を下げてくると思っていたのだ。
まさか、自分が武芸指南役になった、という情報が流れただけで何もかもが解決している、とは思っていなかった。
「お前が、そんなに自分の立場や役割を正しく認識しているなど、ありえない」
「さすがに傷つくんだが……いくら俺がサンスイさんに稽古つけてもらって、スイボクさんに武器作ってもらったからって、立場をわきまえて行動できない奴に当主様が推薦状なんて書いてくれるわけ無いだろう」
使用人たちも全員現実を疑っていた。
確かに筋は通っているが、この男は本当にあの乱暴者なのだろうかと疑ってしまう。
「当主様と直接あったことがなかったとしても、噂は聞いてるだろう? 実際厳しい御仁だぞ」
「それは、そうだが……」
「それなりには期待されているし、それなりには信頼されているんだぜ。さすがに切り札ほどじゃあないがな」
ここで、ようやく長男の顔が自慢げになっていた。
自分以外の話題で、家族に自慢をしようとしているのである。
「そりゃあ昔は『童顔の剣聖』なんて嘘っぱちで、そいつを倒せば俺が最強の剣士だとかおもってたけどよ、これが本当に強いんだ。俺なんかとは器量が違う、強いだけじゃなくて優しいっていうか懐が深いっていうかな……尊敬できる人なんだぜ」
あの、俺が俺が、という男が自分を負かせたであろう相手を褒め称えていた。
「バトラブの切り札やってるサイガってやつも強くてさあ、神剣エッケザックスを持ってるんだけど、それがなくても強いんだよ。まああんまり言えないことも多いんだけどさ」
何やらバトラブの次期当主の秘密らしきものも知っているようだった。
「カプトの切り札やってるショウゾウってのも半端じゃなくてさ。噂じゃあ雲をぶっ飛ばすほど強いって言うだろ? これが本当なんだよ。あれが世界最強の魔法使いってのも納得だ、むしろあれより強いのがいたらびっくりするぜ。それに、王家の切り札だっていうお隣の国の新しい皇帝陛下も、すげー怖くてさあ」
世界の広さを知り、国家の頂点を知る彼は、自分などまるで大した者ではないと嬉しそうに語っていた。
「まあ一番ぶっちぎりで半端じゃないのが、スイボクさんなんだけどな。ほら、俺が着てる服はその人が作ってくれたんだぜ。あ……でも売れないんだよ、悪いな……」
彼が実際どれだけ強くなったのか、どれだけ上層部の人間と付き合いがあるのかしらない。
しかし、彼の楽しそうな話を聞いているだけで、彼が精神的にどれだけ成長しているのか、長男の過去を知っている面々は驚愕を隠せなかった。
「まあまた会いに行くんだけどな。まだまだ俺も修行が足りないし、またサンスイさんに稽古を……」
「ふざけるな!」
驚愕はしても、悪い話ではない。
家を出ていった長男が出世して、さらに立場をわきまえていて、雲の上の人間とも今後も親交がある。
それは驚くことだが、何も悪いことではない。びっくりするほど、この家にとっていいことだった。
しかし、それに納得できないのも人間である。
「……は?」
「兄さんが家の金を持ちだして、王都に向かって、僕たちがどれだけ苦労したと思ってるんだ!」
「それは、まあ悪いと思ってるぜ? だから盗んだ金も利子をつけて……」
「そんなことはどうでもいい! もうどうでもいい! 兄さんの悪い噂のせいで、どれだけ世間から笑われたと思ってるんだ!」
その時、長男の頭をよぎったのはスイボクとフウケイの言い争いだった。
いいや、あれは言い争いの体をなしていなかった。
「……そうか、苦労させて悪かったな」
「僕は兄さんが馬鹿をしたぶん、真面目に地道に仕事をしてきた! それなのに、なんでなんの突拍子もなくこんなことになるんだ?!」
「は?」
「兄さんが武芸指南役になったってだけで、みんな眼の色を変えて好意的になった。どれだけ頭を下げても金をばらまいても、まるで相手にしてくれなかったのに、剣を振って遊んでばっかりだった兄さんのおかげで何もかも解決しだんだぞ?! そんなのおかしいじゃないか! 真面目に頑張った僕が馬鹿みたいじゃないか!」
長男は、自分の父親を見る。
無言で肯定されて、弟の憤りをようやく理解していた。
「……」
「僕も父さんも、家を守るために必死だったんだ! 真面目に、地道に、コツコツ信頼を重ねてきたつもりなのに!」
「そんなことは、周囲も知ってるはずだ」
わかった上で、無駄とわかっても肯定していた。
「俺が出世しても、お前や親父がダメだったら、それこそ見向きもされなかったさ。俺が出世したことなんて、風向きが変わった程度のことだろうよ」
改めて、誰もが驚く。
次男の憤りは極めて理不尽だった。
少なくとも、長男はこの家に極めて貢献している。それは今までの失点を取り返すほどだった。
にも拘らず、次男は役に立っていることを怒っていた。それなら、正当に怒り返すかへそを曲げるべきである。
にも拘わらず、むしろ弟の憤りを肯定していた。
「今まで迷惑かけられた分、利用するだけ利用してやろうとか、そういう方向で考えればいいだろ」
「……」
「お前が怒るのもわかるけどよ、俺に怒鳴りつけたって親父も母さんもお前の嫁さんも困ってるじゃねえか」
「……」
「そういうのは、こう、二人で酒でも飲みながらだな……」
苦笑しながら理解を示し、自分への罵倒を受け流す。
言葉遣いはともかく、大人だった。普通に大人の対応だった。
しかし、長男も知っている。
こうした対応も、火に油を注ぐことになるだけだと。
「……ふざけやがって!」
席を立つ次男、それのあとを追う次男の嫁。
跡取りを追いたい一方で、長男を放置もできない両親は戸惑うばかりだった。
「まあ、こんなもんだよな」
もうちょっと、穏やかであって欲しかった。
すべての問題が解決したとしても、過去の行状のすべてが流されたとしても、心のしこりは消えないと再認識して長男は嘆いていた。




