兄妹
改めて、ここはマジャンの王宮である。つまりは神降ろしの使い手が全力を出せるように広くなっており、天井も高かった。
目の前の彼女が何処の姫だかわからないが、象ほどもある猫科の肉食獣に変身したところ、誤解もへったくれもなく近隣の国の王族だろう。
そりゃあお嬢様を殺したくもなるに違いない。トオンが騙されていると思っても無理はない。どこからどう見ても、毒婦に騙された白馬の王子だ。俺でもそう考えるだろう。
しかし、お嬢様を殺させるわけにはいかない。俺は背後のお嬢様をかばって前へ出た。
さて、目の前に迫るのは巨大な肉食獣、これを俺は退けなければならない。
少し前の俺なら、色々と打てる手が限られていただろう。だが、師匠から新しく術を授かった俺には、できることが沢山ある。
『おおあああああああああああ!』
人間のものとは思えぬ声を発する、実際人間ではなくなった女性。
その前足の爪を振るって、俺ごとお嬢さまを引き裂こうとする。
何とも驚嘆することに、背後にいるお嬢様の気配はとても落ち着いていた。
現実逃避しているのではないか、と疑うほどの見事な落ち着きぶりである。
自分の切り札への絶対的な信頼。俺が目の前の相手を苦も無く退けるという確信が、彼女に泰然とした態度を崩させない。
何とも信頼されたものである。正直どうかと思いながらも、俺はそれに応えるべく剣に手をかけながらその爪に触れていた。
振りかぶって、振り回して、脆弱な人間を殺すはずだった肉食獣。
鋭利な爪は、太く重い腕によって獲物へ向かい、そのまま切断するはずだった。
しかし、それは空振りに終わる。確かに彼女の腕は俺達二人をあっさりと破壊できた。
だが、まったく手応えがなく空を切っていた。
『?!』
お嬢様を狙った貴人は、獣の姿でありながらわかるほど明らかに動揺していた。
飛びかかって攻撃したはずが、獣の動体視力を持つはずが、手が届く所に俺達二人がいたはずが、遠くへ一瞬で移動していたのだから。
「あらあら……どうしたの? もしかして目が悪いのかしら」
俺が使った術を知っているお嬢様は、意地悪く笑っていた。
そう、俺が師匠に教えてもらった新しい術の一つ。
縮地法、織姫。
触れた相手を縮地で移動させる術だ。
相手にしてみれば、俺達が一瞬で移動したとしか思えないだろう。
なまじ、自分の動体視力に自信があるだけに、何が何だかわかっていないはずだ。
ここは王宮の廊下だが、それだけに目印になる物がない。周囲を注意して確認しなければ、自分が移動したのか相手が移動したのかわかるわけもない。
高速移動ではなく、瞬間移動。それは彼女にとって完全に未体験だったようだ。
まあ、体験したことがあるとしても、神降ろしでは対応ができないだろうが。
『おかしな術を……!』
「あら、怖いの? 逃げるの? いいわよ、その大きなお尻を揺らして、尻尾を下げながら逃げなさいな。私は優しいから、見逃してあげるわよ」
自分が何かをしたわけじゃないのに、人はここまで大きな顔ができるのか。改めて驚嘆しながら、俺は腰から木刀を抜く。
「痛い目にあいたくないでしょう? ここで引けば怪我をせずに済むでしょうね。トオン以外の男とは結婚できるんじゃないかしら? ああ、トオン以下と言った方がいいのかしら……きっとお似合いの二人でしょうね」
放火するどころか、延焼させていく。
凄いなあ、この人はどれだけ語彙があるんだろうか。
『おおおあああああああ!』
相手は、それなりに冷静だった。
いいや、怒りで魂が煮えたぎっているが、一直線に襲い掛かってくるのではなく高速で移動しながら間合いを詰め始めた。
自分の位置を探らせまいと、翻弄しようとしている。
巨体に見合わぬ速度と敏捷性ではあるが、流石にランには遠く及ばない。
「うるさいわねえ……サンスイ」
「はっ」
「悲鳴を上げさせなさい、そこらの小娘のようにね」
もうちょっと別の指示はないのだろうか。物には言い方があると思うのだが。
とはいえ、こっちが主導権を握るのもアリと言えばアリだろう。
俺は特に障害物がない前方へ大きく跳躍していた。
その俺を見て、相手は警戒しつつもお嬢様を狙う。俺が何をするとしても、お嬢様の傍を離れている今が好機だと判断したのだろう。
当初の目的を見失ってはいないが、流石にそこまで舐められても困る。
『もらったぁああ!』
「残念ですが」
縮地法、牽牛。
遠くの相手を自分の手元へ一瞬で移動させる術。
内功法、重身功。
自身や自分が触れているものを重くする術。
『ぐぎゃあああ?!』
「もらうのはこちらです」
空中から真下への刺突。
無防備な背中、それも急所を精確に突いた一撃は、神降ろしを発動させていた姫を倒すには十分すぎた。
重身功による攻撃力の上昇と、木刀を握る手への負担を軽減させた攻撃は、彼女をあっさりと倒していた。
お嬢様を狙って飛びかかった姿勢で俺の真下へ移動させられた彼女は、そのまま床を転がりながら人間に戻っていた。
俺は重身功を解除しながら、木刀を収めつつ軽やかに着地する。
「がっ……!」
「そうよ、素直に泣きなさい。そっちの方が可愛いわよ?」
戦闘能力がなくなったと認識したのか、お嬢様が歩み寄る。
相手は手負いの獣だというのに、一切怖気づくことがない。
「き、さま……!」
「怒ってごまかしているけど、貴女本当は悔しいんでしょう? 惚れた男から相手にもされなかったことが、違う女が射止めたことが」
「だまれ……!」
「ご自慢の爪と牙はどうしたのかしら? ほら、床で爪とぎしている場合じゃないでしょう? 私を引き裂くんじゃなかったの?」
這いつくばっているが、何とか立ち上がろうとしている彼女を、お嬢様は全力で嘲っている。
自分では何もしてないのに、上下関係をはっきりさせようとしていた。
しかし、仕方がないと思っていただきたい。命を狙ったのだから、この程度で済んだことを感謝するべきだ。
もちろん、お嬢様に感謝するとは到底思えないのだが。
「貴様は……何もしていないだろうが……!」
「貴女も何もできてないじゃない。貴女、何しに来たの? 私を笑わせに来たの? いいわ、笑ってあげる。あとでトオンの事を抱きしめながら、『貴方に惚れていた女がかみつこうとしてきたから、床に寝かせてあげた』と教えてあげる。私と違って彼は優しいから、きっとこういうでしょうね『そうか、それは済まない。君には迷惑をかけた』って、私に謝ってくれるでしょうねえ」
お嬢様は、このお姫様に指一本触れていない。
しかし、言葉ではぐいぐい攻めていく。
凄いなあ、言葉ってこんなに人を傷つけるんだなあ。
「ほざけ……! トオンは、騙されているだけだ! お前の本性を知れば……!」
「ぷふ……貴女自分に自信がないからと言って、私も自分を偽っていると思ったの? 貴女が惚れたトオンが、お芝居に騙されるような間抜けだと思ってるの?」
現実って、過酷だなあ。
お嬢様の性格が悪いところを、本気で好きで気に入っているんだから。
トオンに惚れている女性達にとっては、本当に残酷な現実である。
「トオンが可愛そうだわ……こんな子猫に馬鹿だと思われているなんて……」
「ふざけるな……! トオンがお前のような毒婦を気に入るわけがない……!」
「あら、貴女自分を客観視できてないの? 貴女は自分がそれだけ魅力的だと思っているの?」
実際のところ、気に入らない女を実力で排除しようとしている、というか闇討ちして殺そうとしている女性は、男性としては勘弁である。
いくら相手がお嬢様だからと言って、していいことと悪いことがあると思う。
いや、共感できないわけじゃないんだけども。怒る理由は理解できるんだけども。
「毛むくじゃらで固い体で……おまけに私へ指一本触れられないほど弱い見掛け倒しの子猫に、私のトオンが惚れるとでも思ったのかしら?」
陰湿で的確な言葉攻めによって、遂にお姫様の心が折れていた。
言葉を失い、床を涙で濡らし始めたのである。
魔法が存在するファンタジーな世界なのに、女性同士の争いは実にリアルだった。
「ああ、ようやく自分を正しく見つめられたのね。良かったわ、私を悪者にして義憤に燃えている、なんて勘違いされたままだと悪いもの。間違っていることは丁寧に教えたくなるのよねえ」
トオンは男にも好かれるイケメンだった。その相手であるお嬢様は、女性に嫌われるタイプの悪女だった。
でもまあ、そうでもないとトオンも気が休まらないだろう。
だって、自分の命を狙って襲い掛かってくる危険な女性を、大喜びで罵倒するなんてお嬢様にしかできないし。
「うふふ、親切をすると気分がいいわね」
ある意味、お嬢様はとてもポジティブだった。
私を狙って敵が来る、ぶちのめして勝ち誇れるチャンスだわ、とは恐れるべき感性である。
実に、お嬢様らしい振る舞いだった。
「サンスイ」
「はっ!」
「多少マシになったけど……地味ね」
しかも、駄目出しされた。
確かに火を出したわけじゃないし、基本的に縮地と内功法しか使ってないし、派手ではなかったとは思いますけども。
能力バトル的には、相当理不尽だったと思いますよ。空間系と重力系の併用ですし。傍目には時間操作っぽく見えたと思いますし。
「申し訳ありません」
「今から本番が心配になるわ……アルカナの総大将として、ソペードの切り札として、もうちょっと観客やトオンや、ハーン王がお喜びするような勝ち方ができないの?」
「ご安心ください、今見せた技はすべて御前試合では使いませんので」
「あら、随分魔法が増えたのね。貴方の師匠やその同門の人は派手だったから、期待してもいいのかしら」
ここ最近、馬車で移動してばかりだったが、常に馬車に乗り続けていたわけではない。
道中で夜とかに他の面々と修行をしていたりしたのだ。おかげで師匠から習った術は大体戦闘中でも使えるようになっている。
とはいえ、流石に師匠とかと一緒にされても……。
「今だ未熟な分際です。流石に師匠ほどは……」
「冗談よ……流石に国を滅ぼされてはたまらないわね」
お嬢様をドン引きさせて真面目に否定させるあたり、流石師匠である。
冗談とか通じないし、存在そのものが冗談みたいな人だからな。
「じゃあ行きましょうか、サンスイ。どうせ近くにこの女の仲間とかいるんでしょう? 放置してもいいわよね? もう傷口に塩を塗りたくるのも飽きたし」
「ええ、数名待機しております。私どもが去れば、そのまま回収されることでしょう」
普通なら、他国の王族が背中をどつかれて悶絶するとか、外交問題であり戦争の口実になるだろう。だが、この周辺ではそれはない。トオンから聞いているのだが、王気を宿している王族が病気はともかく怪我をすれば、それは王家の恥になるのだ。
公然の場で戦闘し負けたのならまだしも、夜襲を仕掛けて返り討ちにあったとなれば名誉が傷つくのは彼女の方だ。
仮に普通に歩いていたが背中を突かれた、と嘘を言っても、それはそれで背中を刺されるとは情けない奴と言われるのである。
強いというのは、褒められる分扱いが悪いのだ。誰も守ってくれないのである。
まあ法律とかで保護されている奴が強いかっていうと、それは全然違うのだが。
「ああ、そうそう。一応言っておくけど、サンスイはアルカナ王国の第七戦士。つまり最強の剣士よ。第七戦で貴女達がどんな戦士をぶつけてくるのか知らないけれど……恥をかきたくなかったら、サンスイに回る前に決着をつけることね」
飽きたと言いながら、お嬢様は倒れているお姫様に言葉を止めない。
これは一応助言なのだろうか。その場合、敵に塩を送っていることなのだろう。
傷口に追塩を塗りたくっている、というか唐辛子を塗りたくる行為に近いと思われるが。
「足りない頭で一生懸命考えて、負け犬の皆で相談すれば、一勝ぐらいはできるんじゃないの? それを目標にすれば、情けない結果になっても傷つかずに済むでしょうし」
やっぱ弱い者いじめって良くないな。
俺はお嬢様を見てそう再確認するのだった。
イジメ。駄目、絶対。
イジメっていうか、正当防衛の後の勝ち名乗りだけど。
彼女が何かの物語の主人公なら、試合までにケガを治してパワーアップするところだけど、そうはならないのが現実だった。
というか、やっぱり主人公って大分保護されていると思う。俺と彼女にはかなりの戦闘能力の差があるのだが、彼女が主人公だった場合数日で逆転してしまうのだから。
そう考えると、祭我は主人公ではなかったんだな。良くも悪くも。
「……サンスイ」
「はい」
「貴方が私の事を、妹のように思っていることは知っていたわ」
急に話を切り替えないでください、お嬢様。
「これからも、期待していいのね?」
「全身全霊にて」
面白くない兄ではあるが、我儘な妹を守る想いに嘘はない。
厄介払いができたとは思っているが、妹の結婚を喜んでいるのも本当なのだ。
まあ、人間の感情なんてそんなもんである。
綺麗なばかりではない、汚いばかりでもないのだ。




