手札
ハーン王のお見舞いを終えた後、ヘキ王子は適当な自分の女官のキレイどころを用意したらしい。
英雄色を好むを地で行くこの国では、王様の御落胤が沢山いて、それが王家とはまた違った扱いを受けているらしい。
アブラ将軍も王の弟なのでは、という話もあるそうだ。正直どうでもいいが。
「単刀直入に言うわ、スナエ。トオンを説得して王になるように言いなさい」
その話を終えた後に、俺はスナエと一緒にスナエとトオンのお母さんに会いに行った。
つまりこの国の王の第一夫人であり、王気を宿す女性達の中で頂点に立った女傑であり、その座から転がり落ちようとしている人である。
マジャン=スクリン。可愛い名前だし昔はその名前にふさわしかったとは思うのだが、流石に二人の母なので可憐さは残っていない。
「お断りします、母上。私は兄が王になるべきではないと思っています」
綺麗な人だったが、怖い顔をしていた。
正直、スナエに顔は似ているが、気性的には似ていない。
というか、それは俺がそう思っているだけかもしれないが。
「いいのかしら、スナエ。私に逆らって、そこの男と結婚できるとでも?」
「どういう意味ですか?」
「本当に、その男をハーン王と戦わせていいのかと言っているのよ」
ものすごい得意げな顔をしていた。ぐうの音も出まい、という顔だった。
小娘の小細工など、取るに足りないという顔だった。
つまり、俺が弱いと思っているのだろう。
俺がパレードの乱入者を討ち取ったことを信じておらず、盛り過ぎたふかしだと思っているのだろう。
まあ、そう思われても仕方がない。山水もそうだけど、正蔵を含めて切り札たちはそんなにぱっと見強そうじゃない。侮られても仕方がないだろう。
俺の場合、顔に引っかき傷もあるし。
「いいのかしら、それだけ惚れ込んだ男をハーン王と戦わせて。ハーン王が全快するのは遠くない。トオンが持ち帰った癒しの業と伝説の果実が有れば、それは遠くないこと」
どうやら、もうハーン王が全快して若い娘に手を出していることは知らないらしい。
まあ知っていてもしょうがないし、これに関してはこっちが騙しているので仕方がない。
それにしても、可愛そうなぐらい滑稽な人だった。色々空回りしすぎている。
それでも表情が怖いから、俺は自然と委縮してしまう。それがかえって演技になっていた。人生万事塞翁が馬である。
「……」
「スナエ、貴女にはもう期待していません。貴女は惚れ込んだ男と遠い国で添い遂げればそれでいい。トオンを全力で説得しなさい、泣き落としてもいいわ。そっちの方が優しいあの子には効くでしょうね」
「呆れましたね……そうも兄上を動かしたいのであれば、ご自分で諭すべきなのではありませんか?」
「もちろんそうします。ですが、できる限りの事を尽くします。打てる手はすべて打つ、それが獅子搏兎というものです」
その目は、正に肉食獣。獲物を捕らえたハンターだった。
「狩りとはそういうものでしょう?」
「母上……おっしゃる通りです。ですが、それは獅子が兎を捉えるときに行うもの。つまり狩りの場合の話です。王が強者を討つときには不相応というもの、そういう意味ではあの愚か者たちの方がまだマシでしたね」
スナエは全く動じていなかった。
父親を前にした時とは違う、泰然とした態度が確かにあった。
「……何が言いたい?」
「母上、貴女はこの国の女性の頂点に立つお方です。地位も、それを維持するための力も、どれもまぎれもなく最強。貴女こそ父上にとって第一の女なのでしょう、娘としてのお世辞を抜きにしても、尊敬しております」
それも本音、しかし建て前でもある。
俺は、その言葉を静かに聞いていた。
「兄上が遠い国に婿入りすると聞いて、落ち込む国民は多いでしょう。ですが、それでもあれだけの宝物を乗せた軍勢が並ぶのです。兄上が異人として不遇な扱いを受けると思う者は少ない筈、兄上がそのまま希望通りにアルカナ王国へ婿に行けば国民は悲しむだけで済みます」
「……それを、貴女は仕方がないと諦めるの?」
「兄が王になると立てば、国民の半数は確実に賛成するでしょう。これも妹としての目を抜きにしたことです。しかし、国民の半数もまた強烈に反対します。王とは最強の者であるべきだ、という考えを持つ者たちが強硬に反対します。そして……争いになるでしょう。それだけは絶対に避けねばなりません」
それは、俺にもわかることだった。
『トオンがアルカナに婿入りすると、マジャン国民は悲しむ』
『トオンがマジャンの王になると、マジャンは内戦になる』
『それならアルカナに婿入りするべきだ』
スナエはそう言ったが、割と直球でお母さんへ苦言を呈したのだ。
つまり……トオンを王に据えたいのは、お母さんの我儘であり、そんなことで国を割るなと言ったのだ。
「スナエ……大きな口を叩きますね」
「母上こそ、分かっているのですか? このままではヘキ兄だけではなく王位継承権がある兄弟全員と争いになります。下手をすればマジャン王家の血が絶えるのですよ」
「そうならぬように、私が手を打たないとでも?」
「では、兄上に懸想している各国の姫を集めていることにはどうお考えですか? 助力には対価が必要です。この国を切り分けて差し出すつもりですか、兄上の妻になることにそこまでの価値があるとでも思っているのですか」
いら立っていた。俺は仙気を持つが、仙術は使えない。だから俺は山水やスイボクさんと違って気配を察知できない。
しかし、誰がどう見ても目の前の人はいら立っていた。
「母上……兄上に王の器量がないとは言いません。しかし、兄上を王に据えるために流れる血は、兄上が王になったところで戻ってきません。そもそも王の女ではあっても王本人ではない母上に、王位継承に関して口を挟む資格はない。貴女が女王なら、父上を倒していたなら話は別でした。ですが……父上に挑まなかった貴女が、王の女であることに甘んじた貴女が、今更王の真似事とは……」
この国の王位継承に関しては、事前にトオンからある程度聞いている。
基本的に、王になるには前提として王気が必要だった。既に王になっている者に王気を宿す者が公然の場で挑み、正々堂々勝利する。それによって周囲からも王として認められる。
その理屈で言えば、スナエのお母さんにも王になる権利はあった。それどころか、スナエのお母さんはこの国で一番強い女だ。この国で一番強い男であるハーン王に勝ち目がない、とは言い切れないだろう。
「貴女に、言えたことですか」
「母上、私は貴女が思っているほど乙女でも初心でもありません。熱烈な恋に浮かれているわけではありません。きっかけは惚れた腫れたという類ではないのです」
スナエは、諭すように語っていた。
「別に恋愛を否定はしません、それはそれで楽しいのでしょう。ですが、きっかけよりも大事なことはあります。男女の仲になったあと、そのあとどうなるか。恋愛の成就は終末ではなく新しい出発点でしかない。王気を宿して生まれ、王の妻にまでなった貴女が、しかし王の母にはなれないように、です」
「私が、私が、トオンに王気を持たせてやらなかったことが悪いのですか!」
スクリンさんは、怒っていた。
トオンに対していら立っているのではなく、負い目を感じているようだった。
皮肉だが、俺にもわかる。このお母さんは、本当に息子であるトオンを愛しているのだと。
「それは違います。ですが少なくとも、兄上は貴女が悲しむことも承知でこの国を去りました。それが兄上の決心だと何故わからないのですか」
それは、トオンがスイボクさんに言ったことでもあった。
俺は知っているし、あの時スナエにも言っていたことだった。
「もちろん知っています。あの子の母です、わからないわけもない」
それは、実の妹であるスナエも驚くことだった。
「あの子は優しいのです。己がこの国にいることで、要らぬ諍いを生むことを忌避しているのでしょう」
それがない、とは言えない。しかし、このお母さんはそうだと決まっていると信じて疑っていなかった。
それ以外の理由など考えない。疑問にも思わず、想像も巡らせないのだ。
トオンが極めて個人的な感情で国を去ったとは、言われても信じないだろう。
俺はトオンの気持ちが分かった。この愛は、重すぎる。
「母上……そう考えて、何故兄上を国の王座に据えようなどとするのですか」
「あの子は王になるべき子でした。第一の妻である私の子であり、王にとって一番最初に生まれた子であり、なによりも……あの子は完璧な子です。あの子以外が王になるなどあり得ない。あの子が王になれないならば、それは国の在り方が間違っているのです」
スクリンさんは、ゆっくりと手を上げていった。
それが何を意味するのか、俺にはわかる。予知するまでもなく、何かの合図だった。
「スナエの想い人……貴方に教えてましょう。王気を宿す者たちは、寝所も大きいのです。それは巨大な獣となって互いを貪りあうため……つまり、ここは王気を宿す者が全力を発揮することができる場所なのですよ」
スナエのお母さんは、掲げた手の指を曲げた。それは露骨に、自分の手の者に対する合図だった。
それを見てもスナエは笑っている。そりゃあそうだ、王気を宿す者を俺への脅しには使えないと知っているからだ。
俺を脅したいなら、スイボクさんを連れてくるしかない。本当に連れてこられたら洒落にならないけどな
「……?」
「……?」
互いに不敵に笑い合っていたスナエとスクリンさん。
その二人は、一向に何も起きないことに驚き、何も反応できずにいた。
「この王宮は王気を宿す者が全力を発揮できる場所、それが寝所であったとしても、ですか。それは怖いですね……発揮できればの話ですが」
仮に、俺がこの場で斬りかかったなら、果たしてどこから誰が襲い掛かってくるのか。
それを予知すれば、どこに王気を宿す兵士がいるのかを知るのはたやすい。
そして、どこにいるのか分かれば戦うまでもない。
「……何をしたのです」
「大したことはしていませんよ。王気を宿す者たちも、倒れているだけです」
俺の腰には、魔法の効果や範囲を増幅させることができるエッケザックスがある。
そして、俺は相手の感覚を狂わせる酔血が流れていて、その力を使うための酒曲拳も学んでいる。
であれば、潜んでいる輩を潜んだまま『転倒』させることなど容易い。
「……その、腰の剣はもしや……荒ぶる神の剣ですか」
「ご存知でしたか……とにかく、私も披露できる力はあります。私はスナエに守られるほど弱い雄ではありませんよ」
荒ぶる神とは、おそらくスイボクさんの事だろう。つくづく底知れないお人だった。
「後悔しますよ、スナエ……」
「そう思うのであれば、せめてその顔に余裕を持たせるべきです、母上」
苦々しい顔をした母親を背に、俺たちはお母さんとの会話を終えて去った。
まさかお母さんの寝所を荒らすわけにもいかなかったし、そもそも酒曲拳はあんまり得意じゃない。晒しても問題ない手札だし、一番穏当に済んだだろう。
「サイガ……どう思う?」
「負け惜しみだったな……正直気分が良くない」
「違う、そうではない。母上には……何かあるのかもしれない」
その言葉を聞いて、俺はスナエの顔を見た。
それは俺の強さの一端を見せたことによる余裕ではなく……怪訝そうな顔以外の何物でもなかった。
「いいや、確実に何かある。あとで相談しなければならないぞ」




