義挙
この星では多くの国が興り、多くの国が滅びていった。
そして、その理由は外国から攻め滅ぼされるか、内側から自壊するかのどちらかである。
「ヘキ様は甘い、危ういのだ!」
であれば、彼の行動も決して早々見当違いとは言えなかった。
今回王が病気に倒れたことによって最も得をした勢力、ヘキ王子に属する陣営の男はトオン王子を排除するべきだと考えていた。
はっきり言って、トオンを殺すべきだと思っていた。
最初に生まれた子ではあるが、トオンには王気が宿っていない。加えて、トオンの弟妹たちの多くが王気を宿している。
スナエのように王気を宿していたとしても、自分の意思で国を出て、本人不在の状況で王位継承権争いに勝ち目などない。
つまり、先天的にも後天的にも、トオンが王位を継ぐことはあり得ない。それは本人もよくわかっていることだろう。
だが、そう思っていない連中がいる。それも、民衆だけではなく権力者たちの中にもである。
「トオン王子、万歳!」
「よくぞお帰りになりました!」
「おお、これだけの軍勢を引き連れての帰国とは、もしや一国を攻め落としたのでは?!」
「いいや、嫁をとって持参させたらしいぞ?!」
「凄い、流石はトオン王子だ!」
「トオン王子、万歳!」
おそらく、この光景を見れば誰もが納得するだろう。
国民から最も尊敬され、最も人気があり、最も称賛される王子こそ、他ならぬトオンだからこそである。
王都に近い大都市を通過するトオン一行は、さながら戦勝パレードの如く国民たちに迎えられていた。
もちろんトオン王子だから、と反射的に崇めているのではない。
聞いたこともないような遠い国から、見たこともない武装をした軍隊に守られて、想像もできない宝と共に凱旋したのである。
そりゃあ国民が喜ぶのは当然だ。それをしたのがトオン王子だから更に喜んでいる、というだけの事である。
「やはり……危険だ」
トオン王子を王に据えるべきだ、という言葉が実現するかどうかはともかく、それを本気で実行するかもしれない輩がいるのは危険だった。
重要なのは、トオンを王に据えるためなら暴力を伴うどころか、国家を割ってもいいと思っている輩がいることである。
もちろん、今の国の体勢が根本的に間違っていて滅亡の危機に瀕しているのなら、国家の体勢を変えることもアリだとは思っている。
しかし、ヘキであれ他の兄妹たちであれ、或いは今でも王であるトオンの父であれ、暗君とは程遠い。理想社会というほどではないが、普通に国家は運営されているのだ。
それを『トオンは素晴らしい王子なのだから、彼こそ王になるべきだ』という馬鹿げた主張の為に内戦状態になってはたまらない。
「国民は、目を覚ますべきなのだ……王気を宿さない者が、王になれるわけがないということを」
マジャン王国の未来を憂う有志は、トオンをこの凱旋パレード中に殺すつもりだった。
暗殺ではあるが、白昼堂々天下の往来で殺すつもりだった。
力ある者こそが王、その絶対原則が染みついている国民の前で、偶像であるトオン王子を暴くつもりだった。
結局のところ、どこまでいっても影気を宿しているだけの剣士にすぎず、神降ろしを用いた者には醜態をさらすしかない、という真理をこの大観衆の前で示すつもりだった。
国民が見ている夢を、見て見ぬふりをしている現実を、この場で明らかにするつもりだったのだ。
「そろそろか……」
無防備にも、トオン王子は周辺の面々と一緒に騎乗していた。国民の声に応えながら手を振っている。
外国の要人も近くにいるが、まあ仕方がない。聞いたこともないほど遠くの国であっても、外国の要人が死ぬというのは確かに良い事ではない。
しかし、このまま座して待てばトオン王子は王宮に入ってしまう。そうなれば、公の場で影使いの無力さを示すことはできない。
何よりも、ヘキを始めとして甘い考えを抱いている有力者たちや、トオンを引き込もうとしている陣営と接触してしまう。
その前に叩くしかないのだ。
「既に、配置は済んでいる……国のために死んでくれ」
神降ろしを使える者は、この国ではとても多い。アルカナやドミノには一人もいないが、この国では王気を宿していれば大抵国家に召し抱えられて、秘伝の技を会得することができる。
もちろん危険な任務に就くことが多いが、それでも王気を宿しているだけで出世はとても容易だった。
そして、その中には『彼』と志を同じくする者も少なからずいた。
仮にも王子を殺すのだ、命を捨てる覚悟もできている。そんな決死の神降ろしが、三人も配置されている。
馬車の列の先頭を行くトオンを襲撃する予定の場所まで、あと少しだった。
「トオン王子……貴方は何も悪くない。しかし、余りにも間が悪すぎた……!」
神輿に乗せられる前に、トオン王子を殺す。
国家のために義挙を行おうとした彼は、結果として国民たちの心を折ることになった。
※
当然、誰もかれもが深く状況を把握しているわけではない。
神降ろしを習得しているとはいえ、政治に対して深い関心を抱いているものばかりでもない。
少なくとも、群衆に紛れている三人の特攻兵は、内戦がどうとか王位継承権がどうとか、そんなことを詳しく知っているわけではない。
ただ、今ヘキが王の代行をしている。このままいけば正式に王になれる。
今国民に讃えられているトオンのせいで、それが駄目になるかもしれない。
そんな、間違ってはいないが理解が浅い三人ではあるが、命を捨てるには十分だと思っていた。
確かにヘキ王子はこんなことは望んでいないと分かっている。
分かっているが、それでも最悪の事態を避けるために、必要だと思っていた。
既に自決用の毒も準備している。自分達が運よく逃げのびたとしても、明日まで生きているつもりもない。
三方向から同時に、巨大な獣となってトオンに襲い掛かる。
それだけで、確実にトオンを殺せるのだ。
もちろん、トオンは影降ろしの使い手である。やろうと思えば分身を馬に乗せておくことはできるだろう。或いは、単に影武者が用意されているのかもしれない。
しかし、どっちにしても臆病であること、影降ろしでは神降ろしに勝てないことを理解させればいい。彼の非力さを示すだけで、国民は目を覚ますはずだからだ。
「……今だ!」
三人は、同時に動き出していた。
護衛を務めている兵士たちが駆けつける前に、民衆を吹き飛ばしながら神降ろしによって巨大な獣に姿を変える。
四足獣になった彼らは、周囲の悲鳴や絶叫を背にトオンへ飛びかかる。
その爪と牙は、トオンが何人に分身しても丸ごとかみ砕けるはずだった。
そう、王気による神降ろしとは、あらゆる希少魔法の中でも最強に近い。
スナエのような凡庸な使い手であっても、同じく戦闘に特化した悪血を膨大に宿しているランを確実に倒せるほど、基本的な攻撃力防御力機動力が上がるのだ。
もちろん、持久戦に弱いという弱点はあるし、悪血と違って自己修復ができるというわけでもない。
しかし、ただひたすら大きく強い。
ただそれだけで、王気の使い手は最強なのだった。
「がっ?!」
「ゴッ?!」
「ギャア!」
彼らは真面目だった。
トオンを殺すために全神経を集中していた。
だからこそ、トオンの脇で走っている『スナエの婚約者』が目に入らなかった。
祭我は少しだけ先の未来を予知しながら騎乗していた。そうすることによって、星血の消費を抑えながら長時間護衛が可能だった。
そして、遂にそれは訪れた。
パレードの両脇、それから馬車の進行方向。その三方向からの同時攻撃、それも神降ろしを最大に発揮した状態による最大攻撃だった。
「マキシマム・ダブル・バーニング・ヘビーナックル」
それを予知した祭我は、まったく躊躇なく腰のエッケザックスを抜いていた。
両足首に付けてある風火輪で飛翔しながら、神降ろしに驚愕して逃げ出そうとしている馬から離陸する。
二体の分身を生み出して、両脇から攻撃してくる特攻兵を、悪血や王気で自己強化し、法術の籠手を炎の魔法で燃やしながらエッケザックスで増幅させて殴った。おまけとして、重身帯で自重を増しての打撃である。
飛びかかったため空中で浮いている二頭の獣は、踏みとどまることもできずに横腹を燃やされながら押し飛ばされ、馬車の進行方向にいた三人目の襲撃者へぶつけられていた。
如何に巨大な獣になっているとはいえ、斜め前方から挟み込むように同じぐらいの大きさになっている仲間がぶつかってくれば、そのままタダで済むわけもない。
命を捨てて突撃した三頭の特攻隊は、しかし地面に転がされていた。
「マキシマム……」
何が何だかわからなかっただろう。
仮にスナエが神降ろしを使っても、一頭を抑えるのがやっとだったはず。
二人まとめてぶっ飛ばされたあげく、三人めにぶつけられるなどあり得ない。
それこそ、王になるほどの実力者でもない限り、これはあり得なかった。
しかし、それは結局のところ彼らの貧しい想像力と知識によるものでしかない。
そして、彼ら三人に指示した男も全く考えていなかった。
仮に軍勢が奇襲を仕掛けてきても、馬車の先頭を行く要人たちだけは守り切ることができるだけの戦力が、トオンの周囲を固めているとは想像できなかった。
「コメット!」
神降ろしの奥義、巨大な獣への変化。
大量の王気を消費するこの術は、使い手の攻撃力機動力防御力を最大まで強化する。特に防御力は、影降ろしの使い手に対して絶対的なアドバンテージとなる。
しかし、それは聖力による法術の壁ほどではないし、玉血による四器拳には遠く及ばない。
彼らが一人前だとか一流だとか、命を捨てて特攻していることなど何の関係もない。
エッケザックスで増幅された火の魔法、その直撃を喰らえば、三人まとめて炭になるだけであった。
※
「……ふう」
歓声から悲鳴に代わって叫び声をあげていた国民たちも、大慌てで対処しようとしたマジャンの精兵も、或いは抹殺指令を出した有志も。
誰もが、その少年の事をようやく認識していた。
本来、神降ろしとは人間を遥かに超える力を発揮できるもの。
疲れて術が解けた後ならまだしも、巨大な獣になっている時の神降ろしの使い手に勝つには、それこそ同数以上の神降ろしの使い手をぶつけるしかない。そのはずだったのだ。
「よくやってくれた、弟よ」
「流石、私の夫になる男だな」
にもかかわらず、三人まとめてあっさりとあしらわれて焼き殺されていた。
しかも、アルカナの者たちも王族の兄妹も、誰もが大してなんとも思っていなかった。
「ああ、なんてことないさ」
何よりも、それを成し遂げた彼はそれを誇らなかった。
まるで『弱い者いじめ』をしたかのように、気分が悪いような顔をしていた。
そのままふわりと浮かんで、自分が乗っていた馬を落ち着かせて乗り込んでいた。
面倒だから、襲撃者が居たら証拠が残らないように殺せ。
その為、派手に殺せるという理由で祭我がそれを担当していた。
本人にしてみれば、或いはアルカナにしてみれば本当にただそれだけなのである。
「誰だよ、あの剣士は……」
複数の八種神宝を持っているわけでもなく、凶憑きのようにあふれ出るほどの力を内包しているわけでもなく、何千年も修行した仙人というわけでもなく、神から特別な才能を授かっているわけでもない。
その程度の相手なら、彼にとっては雑兵も同然だ。相手が戦闘に優れた希少魔法の使い手であったとしても、だ。
「トオン様と一緒に帰ってきたスナエ様の、その婿だってよ……」
だが、周囲にしてみればそれどころではない。
神降ろしを使った者は、それこそ神のように絶対視されている。
それが、なんだからわからないがあっさりと片付けられた。
「スナエ様の婿……」
「外国には、こんな強い奴がいるってのか……?」
もちろん国民も、襲撃者が王だったとか王族だったとは思わない。
神降ろしの使い手の中では、下の方だったと想像できるだろう。
だが、それでもありえないし、あってはならないのだ。
こんな現実は、受け入れることができなかった。
「そんな、馬鹿な」
先ほどとは打って変わって、静寂に包まれた観衆の中で、有志は自分がしでかしてしまったことを悔いていた。
影降ろしの使い手を貶めるはずが、国家の威信である神降ろしの使い手を貶めることになってしまったのだから。