感情
当たり前だがこの世界のこの時代、隅から隅まで『国境』があるわけではない。というかそもそも『誰かの土地』があるわけではない。
もちろんここからここは『ドンジラ王国』でここから先は『マジャン王国』で、という大体の国境はある。ただ、はっきり言って地球の二十一世紀ほど明確な国境線があるわけではないし、ぶっちゃけ放置されている土地も多い。
例えば砂漠があったとして、その砂漠のオアシス間のルートのようなものには縄張りが生じても、それ以外のただ砂があるという場所を誰かが管理することはない。
基本的に、この時代の国境や土地の概念は有用な農地とかに生じるものなので、国と国の間には空白地帯というかグレーゾーンというか、ぶっちゃけなんの利用価値もない誰も管理していないような土地もある。
マジャンとドンジラが隣国同士と言ってもそれなりに仲がいいのであれば、国境のきわどいところに有用な土地があるというわけではないのだろう。
とにかく、ドンジラを出たあたりで結構な軍勢が俺達の進路へ待ち構えていた。
「どうだ、サンスイ」
「殺意はありません、王気を宿す者が多いですがそれぐらいですね」
「そうか……大体どれぐらいだ?」
「全体の一割ほどです」
「本当に多いな、精鋭という事か」
お父様とトオン、加えてスナエと祭我は、俺と一緒に騎乗してその軍勢へ向かった。
追い返しに来たわけではない、と俺は伝える。まあそんな失礼なことをするとは流石に考えられないが。
ここまで数カ月かかっているのだ、ここで追い返されようものなら、俺たちは帰りの道で如何にマジャンが失礼で狭量なのかを語ることになってしまう。
トオンもスナエも遠い国へ婿入り嫁入りすると道中で語っていたのだし、態々醜態をさらすこともないだろう。一応こっちもアルカナの軍勢が多くいるが、これはあくまでも宝の護衛である。誰がどう考えたって、これだけ遠征して一国を攻めこんだりできないので、割とすんなり受け入れてくれるはずだ。
「トオン様~~スナエ様~~!」
「おお、よく来てくれたな! 出迎えご苦労、これでようやく気が抜けるというものだ」
「よくぞ、よくぞお戻りになりました! これより先は我らマジャンの精鋭がお守りいたします!」
騎乗していた軍の責任者らしき人が、トオンに対して歓喜しながら駆け寄ってきた。
それに合わせる形で多くの軍勢がアルカナの護衛に回ろうと配置を始めている。
「皆、息災であったか」
「……その件に関しましては、道中で『ゆっくり』と」
「……そうか、ではこれが目録と手紙だ。早馬で『弟妹』に渡しに行ってほしい」
それにしても、周囲からの尊敬の念が凄い。
王気を宿していないとはいえ、流石は国一番の剣士。軍人からの敬意も半端ではなかった。
それこそ仙人ではなくてもわかる視線が集まっているのだが、お嬢様はそれを見てとても上機嫌である。
「……失礼いたしました、トオン様、スナエ様。そちらの方の紹介をしていただけませんか?」
「ふ、私の妻になる女性と、その父だ」
「私の夫になる男だ、失礼のないようにな」
「おお、そうでしたか! では誠心誠意守らせていただきます!」
一応、既に近隣の国から連絡が行っていたらしい。それでも礼儀として確認し、喜んで護衛をしようとしている。
というか、本当に男性からも人気があるんだなトオン。コイツは本気でイケメンのようだ。物凄く納得である。
「……どうやら、貴殿の国は思った以上に優れているようだな」
「お褒めに預かり恐縮です」
お父様は、ドンジラで聞いた言葉が誇張ではないと察していたようだ。
態々『ゆっくり』と言っていたし、慌てて帰ってくるなと釘を刺されているのだろう。
つまり、実際に王様になにか起きていて、しかし国家としては揺らいでいないということだった。
「本当に……自慢の弟妹です」
トオンは父である王に何か起きた時、国にいなかったことを恥じていた。それはスナエも同様である。
※
「改めまして、トオン様、スナエ様の護衛を任じられましたマジャンの将軍、アブラと申します。よろしくお願いします」
内内の話がある、ということで俺と祭我、スナエとトオン、お嬢様とお父様とハピネだけがマジャンの用意したアブラと同じ馬車に乗っていた。
アブラという男はやはり彫が深い顔をしていて、筋骨隆々だった。また、腰には短剣を下げているが、武装らしいものはしていない。やはり、王気を完全に使いこなしているようだった。
彼も王家の流れを汲む者なのかもしれない。というか、神降ろしは王家の秘伝というか国家の秘伝なのだろう。そうじゃないと周辺の国に数で負けるし。
「……ドンジラ王から話は聞いている。父が病床に伏せっているとな」
「さようでございます。王宮の医者も、祈るぐらいしかできず……」
やはり、病気ではあるらしい。
とはいえ、その口ぶりからしてそこまで深刻でもなさそうだったが。
「父上の容体は、そこまで悪いのか?」
「意識ははっきりとしておりますし、食欲も全くないわけではありません。しかし、体力も衰える一方で、最近は立ち上がることもままならず……」
「そんな、あの父上が……」
スナエがとてもショックを受けていた。トオンも口には出さないが表情で落ち込んでいる。
そりゃあそうだ、自分の父親が立てなくなって喜ぶ娘は薄情どころではない。
「トオン様、噂では遠国の癒しの技をお持ち帰りになったとか……」
「ああ、専門家を数人用意してもらった。それに加えて、目録にも書いたが蟠桃や人参果もある」
「……え?」
ものすごく素でびっくりしていた。
どうやらマジャンはアルカナより仙術について知っているらしく、アブラは素で驚いていた。
全く知らない未知の食べ物ではなく、伝説の食べ物なのだから仕方がないのかもしれない。
「し、失礼しました……本物ですか?」
「ああ、私も蟠桃の方は食べた。効果は保証してもいいが……流石にこのまま父上に食べてもらうわけにはいかないだろう」
「そうですな……」
「はっきり聞く、今この国は誰が運営しているのだ」
特に咎めるわけではなく、不安に思っているわけでもないようだった。
なにせ、トオンもスナエも悪く言えば故郷を捨てる身である。仮に後継者争いが起きているとしても、我こそはと名乗り出るつもりはないだろう。
ただ、普通に新しい王は誰になったのかと聞いているだけだった。とはいえ、それはアブラ側は違うようだったが。
「……ヘキ様です」
「やはりそうか、順当であったな。ヘキであれば、なにを心配することもない」
「はい、ヘキ様は床に伏せる前に王が直接ご指名になり、我らにも一時ヘキ様を主と定めるように命じられました。もちろん、王も意識がはっきりしておりますので、誰もが回復することを願っておりますが」
「正式に王が決まったわけではない、か。とはいえ父の事だ、仮に病気が治ってももはや自分に強者の資格なしとおっしゃるに違いない。そのままヘキが王になるのだろう」
どうやらたいそう信頼されているらしい。少なくとも、トオンは一国の王にふさわしいと思っているようだった。
「とはいえ、ヘキも父に代わって玉座にいる以上、軽々に私の貢物を受け取るわけにはいくまい。正式に王となっていれば話は別だが、病に倒れた父王に『伝説の果物』や異国の医者など軽々には見せられないだろう」
もっともすぎる言葉に、誰もが無言だった。
確かに外国の医者に、自分の国の王を診察させるとか怖すぎるしな。
下手したらその場で王様が死んで、そのまま犯人扱いされかねない。
そもそも蟠桃も食べ過ぎたら死ぬらしいし。
「……その、恐れながら、ヘキ様も奮闘していらっしゃいますが、中々王のようにはいかず」
「当然だ、偉大なる我らが父王の代わりがそうやすやすと務まるものか。父王と比べられることもあるだろうが、最初はそんなものだろう」
「……」
「なんだ、他の弟妹がヘキに異論を唱えているのか? それはそれで弟妹達の正当な権利だ。それを抑えられずして、王になど務まるまい」
「……その、申し上げにくいのですが……お二人のお母上が、その……国の法を変えてでも、トオン様を王に据えるべきではとおっしゃっていまして」
「……何を、馬鹿なことを」
この世界における一つの価値観として、希少魔法の血統を守る家でそれ以外の資質を持っていた場合、家督争いから外されるというものがある。
これが王家というのならなおの事だった。だからこそ、トオンはとても驚いていた。
「正気とは思えないな。仮に私以外のすべての王族がいないならまだしも、正当なる王の子が十人以上いるこの状況で、国を乱す以外に何の意味もないことを……いいや、母がいい気分になれるな。それだけが目的とは」
「……お母上は、貴方の事を不憫に思ってのことかと」
「よい、辛いことを言わせてしまったな。一旦下がってくれ」
恐縮しているアブラ将軍を馬車から出して、トオンはため息をついた。
その姿も苦悩する色男という感じで実に絵になっている。少なくともお嬢様は笑っていた。
「なあ山水、ドゥーウェはこれでいいのか?」
「お嬢様がこの問題に首を突っ込む方が問題です。あくまでもマジャンの国内問題であって、アルカナ王国側の人間であるソペードやバトラブが口を挟めば、余計こじれます」
祭我がどうかと思っているし、俺もどうかと思っている。
しかし、王位継承権に対して発言力を発揮しておいて、遠くの国へ帰るとか意味わからんところだ。
何事も節度が肝心なのである。余計な事には首を挟まない、これが人生を楽にする鉄則である。
「サンスイのいう通りだ。この件に関しては一切口を開くな、バトラブの娘も婿もな」
「ええ、おっしゃる通りです御父上。こんな恥に付き合わせて申し訳ない」
トオンもスナエも物凄く恥ずかしそうだった。
確かに気持ちもわからないではない。第一夫人になって第一子を産んだら王気を継いでないし、二番目を産んだら王気を宿しているけどそんなに強くない。
彼女の人生が苦難に満ちたものだとは想像がつくが、こればっかりは仕方ないと諦めてもらうべきなのだ。
「それでだ、これが実現する可能性はあるのか?」
「ありません。少なくとも、王族は望んでいないはずです」
「しかし、まったく誰も動かないならば、それこそ今の軍人が口に出すこともないだろう」
「おっしゃる通りです、まったく馬鹿なことを」
実現性も正当性もないが、それでも実行しようとしている勢力は存在している。
つまり、ほぼ確実に内戦になるということだった。少なくとも、クーデターぐらいは起こりそうである。
「兄上、おそらく母やその親族だけではなく近隣の国の方も協力しているのでは」
「違いないな、流石に国内の勢力だけで母以外の王妃たちの勢力を抑えることができるとは思えん。下手をすれば売国だぞ」
「おそらく、情と利の両方で動いているのでしょう。そうでもなければ、ここまで大胆な事には……」
「私をマジャンの王に据えたいという母や親族の想いと、私を王に据えることでマジャンに貸しを作りたいという諸外国……か」
「その上で、兄上に恋をしている各国の姫たちが暴走しているとも考えられます」
「しかし……私はここ数年この周辺から離れていたのだぞ? いくら何でも運に縋りすぎている!」
スナエもトオンも、とんでもなく焦っていた。確かにこのままだと内戦は確実である。
「もしかしたら、ドンジラの姫たちもこれを言いたかったのでは?」
「今更だ、それに今聞いても先日聞いても何も変わらない。マジャンを人質にして私を縛り付けるつもりか?」
つまり、二人の母にしてみれば『私の息子はこんなにかっこよくて人気があるのに、王になれないなんておかしいわ!』
周辺の姫からしてみれば『遠くへ旅立っていたトオン様がどっかの国へ婿入りする?! そんなの絶対許せない!』
そんな動機で、跡目争いに口を挟んでいる、と。
まあ、何時からそんな話が動いていたのか、それこそ誰にもわからないけども。
トオンが国にいた時からそんな動きがあって、トオンが去った後も続いたのかもしれず、トオンが帰ってくる前に活発化した。
そんな可能性を、俺たちは否定できなかった。
「……スナエ、客観的な意見を頼む。国民は私が王として立つとして、納得すると思うか? 諸侯の事は考えなくていい」
「全員は賛同しないでしょう、ですが半数ならあり得ます。どちらも、熱狂的に騒ぐでしょう」
「最悪の割合だな……」
しばらく沈黙するトオン。
その上で、一縷の光明を見出すように、トオンは祭我が背負っている剣形態のエッケザックスへ声をかけた。
「エッケザックス……今このアルカナ王国一行の中で、神降ろしの使い手を殺さずに倒せる者はどれだけいる?」
『ふむ……サイガ、サンスイは当然として……今ならランも勝てるであろう。宝貝を使っても良いのであれば、テンペラの里の者も勝てるぞ。ラン以外の四人は相手次第ではあるが、情報さえなければほぼ勝てる』
「十分だ……ではサンスイ殿、サイガ殿、恥を忍んでお頼みいたします」
トオンは、とても大真面目に俺たちへ懇願していた。
「私の嫁になりたい、というものを今言った八人全員で迎え撃って、全滅させていただきたい! できれば、一人も殺すことなく!」
平和的に解決するためには、暴力で解決するしかないのか……
平和とは一体……。