落涙
マジャン王国はテンペラの里と違って立派な国である。
その国のことをなぜアルカナ王国が知らないのかと言えば、単純に遠いからだ。加えて、そこまでの大国ではない、ということもあるのだろう。
例えば世界地図だの地球儀だので簡単に世界の事を知ることができた日本でも、ロシアとかアメリカとかでっかい国ならある程度知っていても、他の小さな国は位置も名前も曖昧どころか知らないことの方が多いだろう。
まして、この時代のこの世界である。そういう国があるという噂があっても、国交がないこともそれなりに察しが付く。
そもそも、日本人的にはそれが普通だしな。
何がいいたいのかというと、マジャン王国に近づくなら段々とトオンの事が有名になっていくのである。
数カ月の馬車の旅で道中の街の雰囲気や気候なども変わっていき、正に世界を旅行しているのだと実感していくと、スナエやトオンと同じ格好をしている人たちを見るようになった。
多くの国に通行料として宝物の一部を渡しながら、ようやくトオンと面識のあるマジャンと国境を接する国にたどり着いたのだった。
「ふふふ……ドンジラ王国にたどり着くとはな。我が祖国ももうすぐか」
「はい、懐かしいですね兄上」
国を離れていた隣国の王子が、大量の宝物と共に帰国しようと我が国を通ろうとしている。その報せを聞いてドンジラの国王は謁見を希望し、こっちは強く断る理由もないので王都へ向かうことになった。
すると、トオンがあの馬車の列のどこかにいる、という噂だけで凱旋パレードのような騒ぎになっていた。
隣国でもこれなのだから、祖国ではどれだけ人気者なのか、考えるのも恐ろしい。
「凄い声援だな……殆ど全員、女性の声だぞ。まるでアイドルだな」
祭我はドン引きしていた。というか、周囲からの半端ではない圧力に恐怖していた。
今は一応、一番大きい馬車に主要人物のほぼ全員が乗り込んでいるのだが、この歓迎ぶりに委縮してしまうものが多い。
というか、ツガーは改めてびくびくしていた。そりゃあ彼女にとっては特に辛い筈である。
「マジャンでの兄上はこんなものではないぞ。熱狂的な国民が、護衛の兵士と戦闘をすることもしばしばだからな」
「情熱的というか、熱狂的だな?!」
「いくら何でも、誇張よね?!」
スナエは当然、という素の顔だった。というかスナエも王族だし、同じ民族のようだし、あんまり違和感がないのかもしれない。
そして、俺は特に誇張とも思わなかった。なにせ、アルカナではトオンはイケメンではあっても異民族だった。外国人、という問題ではなく肌の色や顔つきが違う。
カッコいい、と思うことはあっても自分達とは違う、という意識がどこかであるのだ。
同じ民族で王族、ともなれば熱狂して当然かもしれない。
「うふふふ……サンスイ、この声のすべてがトオンを呼んでいるのよね?」
「はい、どの声もトオン様への憧憬で満ちています」
「そう……そんな凄い男を、私は独り占めできるのね……!」
すげえなあ、お嬢様はこの状況でも『周囲の女性への優越感』しか感じていなかった。
神経が太い、ということだろう。王族と結婚するのだから、これぐらい肝が据わっていないと駄目なのかもしれない。
「うふふ、どれだけ庶民が騒いでも、この男は私のものなのよ……!」
ここまで来ると感心するしかないな、性格の悪い女もここに極まれりである。
トオンの前でそんな笑いをしているものだから、みんながドン引きだった。
というか、トオンとお父様以外は引いている。
「あの、兄上……本当にあの女で良いのですか?」
「無論だ、ああ言う所が気に入っている。それに私もアルカナ王国で過ごすときは、ソペード本家に取り入った外国人、ということで羨望の目を集めていたのだぞ。言葉にすることこそなかったが、私も優越感を禁じ得なかった。お似合いということだ」
妹への返答も、実にイケメンだった。というか、先日トオンが胸の内を明かしたところから考えて、偽りない本心であるということを知っている。
理由がはっきりしているのだし、俺も祭我も納得していた。それでも、驚かないわけではないのだが。
「サンスイ、貴方顔色が悪いけど、何を感知したの?」
「その……」
上機嫌なお嬢様からの鋭い指摘。そう、俺はとても気分が悪かった。
これから向かう王宮から、陰鬱な雰囲気というものが漂っているのである。
もちろん、暗殺などの攻撃的な気配ではない。意気消沈とか、そんな雰囲気だった。
「ドンジラ王国の宮殿から、失恋の気配が漂っていまして……おそらく、トオン様の婚約を聞いて陰鬱な気分になっている女性が多いのかと……」
その言葉を聞いて、案の定お嬢様は喜んでいた。
その一方で、スナエはさもありなんという顔をしている。彼女にしてみれば、気配を感じるまでもないということだったのだろう。
「兄上を慕う近隣の王女は多かった。もちろん本気ではない、遊びの者も多かったが……ドンジラには兄上に対して本気で慕う王女もいらっしゃった」
「縁がなかった、それだけだ。それにこの国も、王気を宿さぬ者に王族へ入る資格はない。どのみち成就することのない恋だった。良い出会いがあることだろう」
仕方がない、とあきらめの姿勢を隠さないトオン。お父様は当然だ、と思っているようだったが、祭我は尊敬の目を向けていた。もちろん俺もである。
やっぱりちゃんと女性を断れるのも、この男のイケメンたる所以だった。
※
ドンジラ王国は、インドと中東を足したような雰囲気の国だった。宮殿も大体そんな感じである。
もちろん俺も祭我も、インドも中東の事も良く知らないし、俺に至っては完全にうろ覚えだった。なにせ五百年前の知識である、とっくに擦り切れている。こんな雰囲気だったよね、という程度だった。
とにかく、話すことはトオンとお父様にお任せしよう。俺は今回も護衛なので、一言もしゃべる必要はないのだ。
「よくぞ我が国へ立ち寄ってくれたな、トオン王子よ」
「この度は我らの入国を許していただき、誠にありがとうございます。偉大なるドンジラの国王よ」
ドンジラの宮殿は、神降ろしを前提としているのかとても広くて、天井も高い。その分一階建てで、豪華ではあるが少し簡単だなと思ってしまう。
玉座も椅子があるのではなく、下々とは違うぞ、という段差の上に豪華な座布団を重ねており、そこに国王は据わっていた。胡坐である。
年齢を重ねているからかやや肥満気味だったが、そこは王気を宿す者。贅肉の下にはきっちりと筋肉が満ちていた。
全盛期は過ぎ去っているだろうが、戦えばスナエを軽くあしらうほどの実力者だろう。
「遠い異国からの使節団も、本来マジャンへ献上するはずであった宝を一部であれ贈ってくれた。その礼を失するほど我が国は野蛮ではないぞ」
「寛大なお心に感謝を」
お父様はドンジラの国王にも礼を欠かなかった。そして、そんなお父様を見るドンジラ王も目は笑っていない。
お父様は最強ではないかもしれないが、場数を踏んだ軍人である。その辺りの事を、あっさりと見抜いていたのだろう。
強い男に、強い男は敬意を払う。それはこの時代では共通認識だった。
なお、俺と祭我はそんなに警戒されていなかった。仕方ない、どっちも弱そうだし。
「……さて、聞いたところによると、だ。トオン王子よ、お主は異国の貴人と婚約し、その挨拶として国へ向かっているそうな?」
「はい、さようでございます。こちらのドゥーウェ・ソペード殿と、結婚の約束を。その許しをいただくために、こうして恥を忍んで帰国を」
「そうであるか……では、結婚が許されれば祖国で再び王の子として職務に就くのかな?」
「いいえ、許されるのであれば妻の国に骨を埋めようかと」
ドンジラ国王、とっても困っていらっしゃる。態度にはそんなに出ていないが、言葉に詰まっている所を見ると如実だった。
というか、女性のすすり泣く声が、宮殿の複数個所から聞こえてきた。仙人の感覚ではなく、常人でも聞こえる音である。
お嬢様が、笑いをこらえていらっしゃる。優越感を隠しきれずにいる。
まあ下品なことはしないだろうが、物凄く意地の悪い笑顔だった。
こういう所がいいという男がいて、それが百点満点の色男なのだから、世の中わからんもんである。
「……そうか、寂しくなるな」
「ええ、その分も含めて孝行をしようかと。今まで父王には好き勝手にさせていただきましたから、きっちりとけじめを……」
それを察していても、鈍感主人公ではなくあえて無視して話を進めるトオン。
ここで余計なことを言ってもドツボだし、そもそも王と話をしているのにこの場に出ていない女性達へ気遣いをするのは間違っている。
「そうであるか……では、名残惜しいが早めに国へ戻ることを薦めるぞ」
「……我が祖国で何か問題でも?」
「あくまでも噂であり、公ではないが……マジャンの国王が病に伏せったという話がある」
「なんと?!」
「如何なる強者も、老いと病には勝てぬ。今日の所はこの宮殿で休んだ方が良かろうが、早めに帰国することじゃ」
これは、嘘ではないだろう。
そうなると、確かに早くマジャンに戻った方がよさそうだった。
というか……実は俺の師匠からも献上品を渡されている。その中に、蟠桃と人参果があるのだ。
これは、所謂一種の……『ありがとう、君のおかげで病気が治ったよ』というパターンなのだろうか。