男子
トオンとお嬢様、祭我とスナエ。この二人の婚約が、アルカナでは確定となっていた。
とはいえ、何事にも通すべき筋というものは存在している。具体的に言うと、マジャン王国に一切話を通していない。国交がない国だからこそ、最初の接触は肝心だった。
ということで、バトラブとソペードはそれぞれご挨拶として大量の宝物を大量の馬車に乗せて、道中の国を通り過ぎながらマジャンを目指すことになったのである。
この旅の主だった者はソペード側だとお嬢様と前当主であるお父様、それから俺である。
バトラブ側だとハピネ、祭我、スナエ、ツガー、エッケザックス。それからランとテンペラの里の四人である。
この面々に大量の護送が存在する、大名行列のごとき様相だった。というか、それ以上かもしれないが。
とはいえ、国家の威信がかかっているので当然かもしれない。下手に宝物をけちると、遠い国では『アルカナ王国はケチ』だと子々孫々まで伝えられる可能性もあるからだ。
同時に、マジャンにしても『マジャン王国はケチだ』と伝えられる可能性が有るので、返礼も相当なものであろうと予測できる。プラマイゼロ、或いは護送分こっちがマイナスかもしれないが、仮にも一国の王女と王子が婚姻するのである。それぐらいの誠意は必要だろう。
お嬢様はともかく祭我に関しては殆ど来歴がないので、アルカナ王国のバトラブという貴族にはこれだけ力があって、祭我をこれぐらい大事に思っているので安心してくださいね、ということでもある。
まさに、誠意はカネ、という哀しい現実だった。
まあ、金がないと食うにも困るので、仙人としても当然だとは思うのだが。
「いやはや、故郷にこれだけ錦を飾れるとは思っていなかったぞ!」
と、誇らしげに笑うのは馬車に揺られるトオンだった。
その辺りは、流石王子といったところである。同じ馬車に乗っている祭我など、余りの宝物の数と仰々しい護衛にビビっていた。
そうか、自分はこんなとんでもないことをしでかしてしまったのか、と戦々恐々である。
「え、えらいこっちゃ……」
「そう気に病むな、弟よ。別にこの宝もどぶに捨てるわけではない。むしろ、スナエの価値と自身の価値が此処までだったとは、と喜ぶべきではないか?」
「そ、それはそうかもしれませんけど……」
「もし仮に、スナエがまかり間違って王位を継げば、これどころではない財や権力を得るのだ。その辺りを考えれば、祭我には覚悟が足りん。慣れねばならんぞ、王家とつながるとはそういうことなのだ」
そう、思うところあるのか、トオンは祭我と俺を同じ馬車に乗せていた。もちろん、お嬢様を始めとした女性陣は別である。
ずっとこの三人が固まって動くというわけではないが、色々と話したいことがあるらしい。もちろん、俺はお嬢様の気配を常に感じてる。とても不機嫌で、退屈そうで、寂しそうだった。
レインやブロワの事を思い出しているのかもしれない。
「まあ……我が故郷に帰るということで、改めて二人には話がしたくてな。こうして女性陣の不興を買いながらも集まってもらったわけだ」
「……なあ山水、もしかしてハピネも不機嫌になってる?」
「なっています」
「そうか……そりゃあそうだよな……」
ハーレム主人公の悲哀だった。はっきり断っておけば、こんな面倒なことにならなかったのに。
自業自得とはいえ、本気で胃が痛そうにしている祭我だった。
「ふっ、我が師サンスイよ。もう少し砕けても構わないのだぞ? ここは密談の場だ、どう喋っても誰にも伝わらん」
「……なんでまた急に」
「場合によっては、もう二人と軽々しく話ができないかもしれないのでな」
しんみりと、切ないことをいうトオン。
確かに、ここから先何が起きても不思議ではないのだが。
「下手をすれば、この場の三人は遠い異国の地で隔てられるかもしれん。であれば、こうして今のうちに言いたいこともあると思ってな」
「国に、残ることになるかもしれないと?」
「場合にもよる。私の場合は王位継承権がなく、スナエにしても王として適当とは思えないが、それでも状況によっては国を守らねばならぬこともある。父は偉大な方であり、弟や妹たちの事も信頼しているが、万が一ということも起こりえる。それは、貴殿ら二人の方が承知であろう」
俺も祭我も顔を見合わせた。確かに国家を滅ぼす個人、というのは十分にあり得る。
師匠などよく滅ぼしていたらしいし、右京など皇族を根絶やしにするため精力的に活動していた。それを思えば、帰ったら国が崩壊していた、という可能性もあり得ないとは言い切れない。
「確かに、日本が近くに転移したら、とかあるかもしれない」
「いや、その場合は逆に滅びないと思うが……」
祭我の見当違いな心配を、俺が訂正する。
いくら何でも、大日本帝国あたりが召喚されない限り、他所の国を精力的に滅ぼそうとはしないだろう。
少なくとも俺の遠い記憶にある故郷は、そんなに積極的ではなかった。
「国家の一大事、ともなれば後始末のためにも一人でも男は必要だろう。その場合は、流石に我を通すわけにはいかん」
「そうだな……そりゃあそうだ。そうなると寂しいな」
「そういうことで、こうして改めて話をしているわけだ。流石に酒は問題だが、少しでも語り合えればと思ってな」
流石に祭我も、みんなでアルカナへ帰ろうよ、とは言わない。
人間誰しも、やるべきことは確かにあるのである。
「それじゃあ遠慮なく言わせてもらうが……なあトオン、お嬢様と結婚するのはいいが、故郷に女とか待たせていないのか?」
俺は割と懸念していることを訊ねていた。
こんないい男である。故郷で色気のある話がない、とは思えなかった。
「待っている女はいるかもしれないな。だが、私はそうした女を皆袖にしてきた」
聞かれると思っていたのだろう、すらすらと『俺って故郷ではモテモテだったんだぜ』という自慢話が始まった。
それでも嫌味に聞こえないのは、トオンが故郷でモテモテだったことを俺も祭我も当然だと思っていたし、当人が切なそうに語るからだろう。
いや、そんなことはなかったと卑屈になったら、返って不快に思う可能性がないとは言えなかったが。
「意外に思うかもしれないが、私は女性を喜ばせることはあっても、幸福にしたことがない。強いて言えば、ドゥーウェ殿が初めてだ」
「え……あれだけ女性の扱いを心得ているのに?」
「仕方あるまい。私にとって、女性とはいつも寄りかかってくる相手なのだ」
とても申し訳なさそうに、この場にいない女性達に謝罪しているようだった。
「私は確かに気が利くし、顔も良い。舌も回るし生まれも良い。そんな私が口説こうとすれば、大抵の女性は意のままにできるだろう。だが、私はそれを喜びに感じる性格はしていなかった」
改めて、俺も祭我も戦慄する。
この男は、非の打ちどころが見つからないほどイケメンだった。
だからこそ、とても苦しんでいるようだった。
「私には、女性がどう振る舞ってほしいのかがわかる。それは礼儀の面でもそうであるし、情動の面でもそうだ。私はそれを面倒に感じることはないが……やはり疲れてしまう」
イケメン特有の苦悩だった。
やろうと思えば沢山の女を口説き、ハーレムを作り、上手に運営できそうなのに、そういう親密な女性を一人も作らなかったとは。
いやそもそも、お嬢様のように高圧的に振る舞ってもよさそうだが、あえて相手にとって最も好ましいように振る舞っている。それ自体が高潔さと誠実さの表れなのかもしれない。
「というよりは、だ。それはただ、私が「女性の理想」を演じている、というだけなのだ。やはり、生のままの私ではない。人によっては演じられるだけ大したものだ、と思うかもしれないが……閨でまで強気でいなければならないのは、どうしても疲れる」
「トオンは、期待してくる相手に弱音がはけない性格だったと」
祭我の評価は、適切だった。
皆が理想の王子を求めるから、トオンはそう振る舞う。
しかし、プライベートでぐらい素のままでいたいのだろう。
トオンの場合、素でも相当のイケメンではあるのだが。
「誠実と言えば聞こえは良いがな、女性達にしてみればたまったものではない。サイガのように、多くの女性に愛を振りまくべきだと思ったこともあるが、そんな義務感で女を抱くには私は若すぎた」
「いくらなんでも、難しく考えすぎなんじゃ……」
「もっと正直に言えば、私はツガー嬢のような卑屈な女性が苦手なのだ。私には、ああして崇拝してくるというか、何時棄てられるのか怯えている女性を愛でる器量はない」
「え……ツガーが苦手?!」
確かにツガーは、あらゆる意味でお嬢様とは対極に位置する。
しかし、まさか直球で苦手だと言ってくるとは思っていなかった。
これがぶっちゃけトークという事か。
それにしても、完璧なイケメンにとっては『そういう女』は苦手な相手になってしまうのか。
昔俺は祭我の取り巻きを見て『なんてハーレムっぽい女たちなんだろう』と、失礼なことを考えた。
そして、実際そうだった。ある意味では、今でもそうだ。あの三人は、祭我のことを持ち上げている。
もちろん、それだけ祭我も成長していると思う。これはとても客観的な評価だ。
しかし、真のイケメンには、理想の王子様には、そういう相手は重荷のようだ。
トオンは本当に理想の王子様であり、実在する等身大の男だ。
だからこそ、どうしようもなく実在するが故の悩みを抱えている。
それを、彼女たちは見たいと思っていない。あくまでも『理想の王子』の『良い面』だけ見たいと思っている。トオンはそれが分かるからこそ明かそうとしない、見せようとしないが、それはやはり負担なのだろう。
「男を立てる淑女、と言えば聞こえは良いが、私は女性の前でぐらい座りたいのだ。怯える女性を安心させるよりも、自分がくつろぎたいのだ。私も男なのでな、女性にそういう夢を持っている」
「俺はツガーのことをそうは思わないけど……でもわかるな。確かに女の子の前ではカッコいい自分だけ見せたいし、恥ずかしいところを見せることに抵抗もあるし」
「俺は全面的に同意するぞ。俺だってブロワがあんまり卑屈になられると困るし、そういうことがあると面倒に思うことだってある」
俺とは違う意味で、トオンも大分気を張っているらしい。
贅沢な悩み、と本人も自覚しているのか、中々口に出せないことだった。
「俺がブロワと結婚していいと思ったのは、なんだかんだ言って対等な関係だからだ。お互い、遠慮なく口にできるしな」
「それは羨ましいな、サンスイ殿。私はそういう女性をずっと求めていた。だからこそ、自信に満ち溢れたドゥーウェ殿がまぶしく見える。彼女の前では、弱音も吐けるのだ」
なるほど、お嬢様とは別ベクトルで望みが高かったのだ。
そうしてみると、お嬢様はまさに運命の相手だったという事か。
なるほど、ようやく納得できた。
「引く手数多だろうに、態々お嬢様を選ぶとは物好きというか大器というか、と思っていたんだが……そういうことだったのか」
「山水、お前結構失礼だな」
「仕方ないだろう、俺だってお嬢様には思うところがあったんだ」
実際、悪人ではないというだけで趣味は悪いし、性格だって悪い。
そんなお嬢様と結婚するとか、どんな罰ゲームだと思っていたが、こういう相手が見つかるとは奇縁である。
「ははは……こうして気軽に胸の内を明かせる相手も、遠い異国でようやく得た。私は多くの者に恵まれているよ」
そこまで言ってから、とてもまじめな顔になっていた。
「ドゥーウェにはもう言ってあることだが……私の母についてだ」
王位継承権とか、そういう固い話題だとさっして、俺も祭我も緊張していた。
「私の父には王気を宿す妻が幾人もいる。当然、腹違いの弟妹が沢山いるのだが、私とスナエは母を同じくしている。というよりは、我らの母にとって子供は我ら二人だけなのだ」
そういう大事なことは、もうちょっと早く言っていただきたい。
「当然、母にとって王位継承権があるのはスナエという娘だけ。実際、女王が玉座に座ったことも多い。しかしスナエにそれは無理だ。はっきり言って、他の弟妹の方が強いからな。だからこそ、安易に国外へ出たり婚約を決めたりしたのだろうが……」
なるほど、トオンにとってもスナエにとっても、王位など最初から無理だと諦めていたのか。しかし、二人の母にとってはそれどころではないと。
「もちろん、いきなり私が影気を生まれ持ったと分かったわけではなく、妹が突然弱くなったわけでもない。だが、それでも今回の件は決定的だ。何もないとは思えない」
困ったものだ、とため息をついていた。
「余り母を悪く言いたくはないが、私とスナエの母は普通の女性だ。偉大な父王とは違い普通の第一夫人なのだ。その意味が分からないほど、子供ではないだろう」
「つまり、王位継承についてもめると?」
「サイガ、それだけは絶対にない。我が王家の玉座には、常に最強の者が座る。如何に母自身が王気を宿すとはいえ、その決定に異論を唱えるなどあり得ない。国民も諸外国の者も、誰もが納得しない」
「そりゃそうか……王気を宿す者同士の殴り合いだもんな……」
「その通りだ。だからこそ逆に言って、面倒なことにはならない。というか、仮に謀略によって王になったとしても、その末路は悲惨だ。王は挑戦者を一人で迎え撃つ義務がある。弱い者が玉座に座れば、腕に自信のある者に倒されておしまいだ。母もその程度はわかっている」
ちょっとしたご家庭にトラブルに巻き込まれることはあっても、王位継承とかそんな御大層なことに巻き込まれることはない、と。
「母が心からの歓待をすることはない、その程度に思ってくれ。なんであれば、叩きのめしても構わない。母も父の閨に入るために、骨肉の争いをしたというしな」
男も女も、王気を宿す者は強くなければならない。すごいシンプルな世界観だな。まさに強者こそ全て、という価値観である。
とはいえ俺も祭我も、師匠ほどではないが強者である。強くあるためには勤勉でなければならず、膿腐る暇がないということはわかっている。
その仕組みで国家が安泰なのだから、それなりには正しいのだろう。
「あのさ……そんなしょっちゅうケンカしてばっかなのか? 流石に政務ができないだろう」
「もちろん、規定はある。例えば重要な祭事の際には挑戦が許されず、無理に挑めば罪人として他の兵士が相手をする。女王の場合は、妊娠中は戦うことを拒否できる。挑戦者が重なった場合は、互いに殺し合って勝者の方だけが挑めるとか、そうした決め事も多い」
俺の質問に対して、すらすら答えるトオン。そうか、そりゃあそういう決め事が必要だよな。どっちみち、物騒であることに変わりはないのだが。
発言力が腕力と直結している国、マジャン王国。
なんというか、今から心配になってしまっていた。
「そう構える必要はない。確かに我が国にはそうした風潮が色濃いが、無秩序でもないし治安も悪くない。貴殿たちにも自慢できる素晴らしい故郷だ」
そう笑う『友人』の顔を見ると、その不安も吹き飛んでしまうのだが。
俺たちにとってもトオンは、頼りになる理想の王子様だった。