無欠
その場の誰もが、息を呑んでいた。
切り札を含めた、この国でも屈指の実力者四人に囲まれた必死の状況。
その中で木刀を右手に掴んでだらりと下げているだけの男。
その彼が、山水の師であり世界最強の男でなければ、誰もが戦闘になるとさえ思わなかっただろう。
「……まあ、まずは私から」
誰の目にも明らかなほど、山水以外の三人は委縮していた。
無理もない話である、スイボクがすべての手札を晒して戦うところを見れば、そうなっても仕方がない。
師が如何に懸絶した存在なのかを理解したうえで、山水は前に進む。相手がどれだけ強かったとしても、結局自分にできることは変わらないのだから。
「その意気や良し、と言ってほしいか? 褒めて欲しいか?」
「子供じゃないんですから……」
「ふっ、儂から見ればお前は若輩者であるよ。未だに教えることが多すぎる」
大きく踏み込みながら、山水は木刀を振り下ろそうとした。
それに対して、スイボクは抜き胴を打とうとする。
それ自体は当然の剣術であるが、しかしスイボクの速度が尋常ではない。
無強化の山水とは、倍速ほども違う速度で攻撃の動作を行っている。それがどんな決着になるかなど、考えるまでもないことだった。
「!」
「遅い」
しかし、山水には縮地がある。どんな体勢であるとしても、地上空中を問わずに瞬時に移動することが可能だった。
瞬身功が如何に早いと言っても、それは高速であるだけのこと。それもランに比べればはるかに遅い。山水が反応して縮地を行うには十分だった。
だが、それはスイボクも同じこと。如何に山水がスイボクに認められた剣士とはいえ、山水の縮地はスイボクに追いついているだけ。山水の回避とスイボクの追撃、両者の縮地はほぼ同時だった。
「が、正しい」
ここで終わるはずだった、スイボクの相手が一人なら。
山水にとって唯一の優位は、移動する先を選べること。山水が縮地した先は、予知が可能な祭我の真横だった。
自分の横に縮地で移動してくる、それを予知した祭我は既にエッケザックスを振りかぶっていた。
そして、その振りかぶる動作をランは見逃さなかった。祭我の攻撃する動作を見て、既に駆け出していた。
「おおお!」
「はああ!」
「速い、が及ばぬ」
その二人の予兆を、当然スイボクも見切っていた。
というより、山水が祭我の横に縮地することなど、最初からわかっている。それを追撃したのだから、既に回避方法は存在している。
重身功を使用し、己を重くする。加えて、地動法の基礎である潜地行を使用していた。
スイボクの両足が、一気に地面へ沈み込む。
体勢が低くなったことで、二人の攻撃は完全に空振りしていた。
だが、そんなことは二人にとっても特に驚くことではない。
元々、スイボクが地面に沈みこめることは知っている。加えて、そもそも自分達の攻撃をすんなり受けるはずもないと承知だった。
空振りに終わってもたたらを踏むことなく、下段蹴りを打てば頭に当たるような、そんな姿勢のスイボクへ追撃を行おうとした。
「?!」
「ちっ!」
しかし、何かが起ころうとした。
それを察知した祭我は大きく飛び退いて距離を取り、ランもそれに習う。
二人の足場となっている地面の一部を『回転させて』、攻撃の軌道をそらそうとしたスイボクの地動術。それを予知した祭我と、祭我を見たランは即座に対応していた。
「ほう、よく動く」
それを黙ってみているトオンではない。
彼は三体の分身を斬りかからせていた。予め動作を決めて動かす分身ゆえに、自分の隣へ縮地で移動されても対応は可能である。
「だが、これはやはり遅い」
しかし、トオンの分身は遅い。
スイボクはその三つの分身の攻撃軌道を見切り、地面の上へ立ち上がりながら悠々と回避していた。
「それは、お前もである」
そのスイボクへ、山水は再び斬りかかる。
隙があるなど思っていないが、打ち込んで切り崩さねば、一向に状況は動かないのだ。
加えて、瞬身功でも反撃できぬ機を得ての攻撃だった。スイボクはそれを実際に木刀で受ける。
「気功剣法、導勁からの……発勁法、鯨波」
打ち込んだはずの山水が、全身に衝撃を受けていた。
握っている木刀を通して、全身が揺さぶられて体の機能がマヒしていた。
「からの……」
「させるか!」
スイボクは動けなくなった山水へ止めを当てようとしている。それを見てランは突っ込みながら殴った。
芯を通していた、回避できなかった、既に拳はスイボクに触れていた。
「軽身功法、虚芯転」
殴ったはずのランが、一番驚いていた。
だが、周囲の面々もランに殴られたはずのスイボクを見て驚愕するしかなかった。
ランが殴った頭は孤を描きながら地面へ向かい、反対に足は空を向いて伸びていた。
まるで腰の部分に芯が通っていて、その場で回転する玩具のようにスイボクは攻撃を吸収していた。
「発勁法、饅頭」
調度一回転して天地を取り戻したスイボクは、体勢を崩し切っていたランと動けなくなっている山水の首をそれぞれ掴んでいた。それだけで、既に完全に勝負はついていた。
「相手が防具を着ておらんのなら、まあこの通りである。とはいえ、やはり短刀で喉を掻っ捌くのが手っ取り早い」
首から下が完全に効かなくなっていた。二人はそのまま地面に力なく崩れ落ちる。
その一瞬を、祭我は見逃せなかった。
どう動いても、どう予測しても、すべて上回れると分かっていても、ランと山水が崩れ落ちる瞬間を直視して動かざるを得なかった。せめて、と法術の鎧で防御しながら斬りかかる。
同様に、大量の分身に紛れながらトオンも斬りかかる。
これは試合であり、優しくやんわりと倒されているだけ。それでも彼らにとっては人生の大一番だった。
「縮地法、牽牛」
しかし、スイボクにとっては掌の内である。
本来、縮地とは非常に繊細な作業で、相手を移動させる牽牛は殊更に集中を要する。
これを戦闘に使えるのも、動いている相手を二人同時に寄せることも、スイボクだからこその絶技だった。
「外功法、投山」
トオンの首は掴まれていた。その時点ですべてが終わっていた。
同時に、祭我も腰を掴まれていた。
何時かされたように軽くされたと理解しながら、祭我はそれに対応できなかった。
主が地面に倒れつつ、しかし放たれたトオンの分身はまだ動いていた。
それに向かって、祭我を放り投げる。山水の軽身功の場合、手元から離れると重さは戻ってしまう。それとは違い、祭我はまだ軽いままだった。
分身たちに激突する寸前で、その重さが戻る、を通り越して更なる重さを感じていた。
「重身功によって、威力は飛躍的に増す。しかし、それはつまり攻撃するこちら側にとっても反動が増すということ。儂も若いころは、自分で作った宝貝を良くへし折っていた。まあ武器であれば新しいものを調達すればよいが、これが指ともなるとそうはいかん」
自分の体重が十倍になりながら相手に激突するとする。その場合、自分への痛みも十倍に跳ね上がる。
加えて、単純な鈍撃は鎧でも防ぎきれるものではなかった。
トオンの分身はあっさりと消滅し、祭我も身動きが取れなくなっていた。
祭我は、全身が重くなるということがどういうことなのか理解していた。単純に、自分の上に重しが乗ってくるということではない。体の内部の内臓に至るまで重くなるということなのだ。その負担は、著しかった。
「やはり、相手を重くして投げ技とするのが好ましい」
手放していた木刀を拾いつつ、倒れている祭我の鎧越しに打ち込んでいた。
それも、祭我には懐かしい感覚だった。二度目に山水と戦った時も、法術の鎧越しに急所を突かれたのである。
「さて……全員良く戦ったが……今はここまでであろう」
想像した以上に、余りにもあっさりと勝負はついていた。
その光景に、単純なスイボクの戦闘能力に、改めて誰もが息を呑むしかなかった。
※
当然ではあるが、アルカナ王国の内部に存在するテンペラの里も、フウケイによる暗雲で日光を遮られていた。
領民は不安に震えるが、それ以上に頭を抱えていたのが亀甲拳の面々だった。
彼らは予知をしてしまっていた。二千年前、全盛を極めたこの里を真っ向から壊滅させた仙人が、更なる力をもって『この里へ訪れるかもしれない』という未来を。
無害とかそういう問題ではない。比喩誇張抜きで荒ぶる神が訪れるのだから、何があっても避けねばならない。
お願いしますから何もしないでください、来ないでください。そうお願いするほかに、できることはない。
というか、単なる事実としてスイボクはこの地で信仰の対象となっている。スイボク自身が建てた、朽ちぬ性質を与えられた宝貝の社が、普通にお供え物をされていたりしている。
この里を滅亡させた男が、滅亡させてごめんねと建てた社に、その末裔がお供え物をするという異常な状態。これに当人が更なる謝罪をしに来るというのだから、子孫としてはノーサンキューである。
ということで、亀甲拳の面々はランの取り巻きだった四人を、少々修行を切り上げる形で送り出すのだった。
「あの、サンスイの師か……」
「エッケザックスの前の主だったという……」
「暗雲を作った奴をやっつけたとか……」
「どんなバケモノなんだろう……」
四人にしてみれば、山水の師だというだけでありえないほどの化物である。
その化物がこの里に戻ってくるかもしれないから、丁重にお断りして、お前達はもう帰ってくるな。
まさに人身御供という他ないが、四人はすんなり引き受けていた。里での生活が肩身の狭いものであったし、そうされるだけの負い目もあったのだ。
まあどうにかなるだろう、という楽観があったことも事実ではあるのだが。
スイボクの弟子だという山水は、話は通じるし雇用主の事を尊重してもいた。ランが危険ということで、山水自身はテンペラの里出身者を殺すべきだとは思っていたが、それでもランを保護しているバトラブの意向を優先していた。
山水がまともなのだから、スイボク本人も今はまともだろう。そんな楽観によって彼女達は学園に戻っていた。
「「「「ランとトオンとサイガがやられてる?!」」」」
その楽観は、あっさり裏切られていた。
エッケザックスを装備した祭我を含めたそうそうたる顔ぶれが、学園前の青空剣術教室で打ちのめされていた。
「「「「というか、サンスイまで?!」」」」
この世に並ぶ者なき達人、そう思われていた山水も地味に転がっていた。
柔らかい草原に立つ一人の男は、山水同様に極めて質素な姿をしている。
「我が友との戦いを含めて、評価せねばな」
周囲にいる面々は、畏怖と驚嘆を込めてその彼を凝視していた。
その男が、誰かなど既に知っていることである。
「サイガは予知に甘えて読みが足りん。影降ろしによる分身操作に関しては脅威という他ないが、余分な選択を深読みし過ぎているせいですぐに星血を使い切る。経験を重ねればそうした無駄がそぎ落とされるであろうし、予知のみならず通常の読みを学べば星血が切れた時も対応力が変わらずに済むであろう。それが亀甲拳の神髄に違いあるまい」
改めて見ると、全員地面に倒れているが意識はあるし、目立った外傷もない。
極めて丁寧にやんわりと、優しく倒されていた。
「強大な敵との戦いに心を置きすぎている。多数の敵や、長期の戦いをおろそかにし過ぎるな。せっかくの才気が曇ることになるぞ」
「はい……」
「ランに関しては、心技体ともに特に言えることはない。読みが浅いと言えるが、それも補われつつあるようである。おそらく、現時点で既に歴代最強の凶憑きであろう」
「うう……」
「お主の場合、悪血の可能性に関して模索した方がいいのかもしれん。体技に関してはともかく、悪血をもちいた術理を突き詰めれば、更なる境地があるやもしれんな」
この光景だけで、うんざりするほど強さが伝わってくる。
この男こそ、スイボクに他なるまい。
「トオンとサンスイは数値が足りんな。儂の動きをある程度見切ることができても、それに対応しきれておらん。儂の瞬身功はさほど早いとは言えんし、豪身功もまたランに遠く及ばん。だが、それでもお主たち二人よりは早い。技量面、精神面では双方ともに文句なしであるが、ここで諦めては余りにも寂しい」
「ま、参りました……」
「流石です、師匠……」
「サンスイ、お主が瞬身功を学び我が物とすれば、それだけで今のように無様を晒すことはない。重身功を学べば、エッケザックスを持った祭我にも有効打をあびせられるようになる。儂とお主の差は、もはや習得している術の量でしかない。課題は明らか、故に励め」
呆然としていたエッケザックスが、慌てて人型に戻って主を確認する。
身動きは取れなくなっているが、それでも傷はないようだった。
「トオンに関しては……いよいよ、鍛えるべき余地がなくなっている」
「……」
「剣術や肉体に関しては言うに及ばず、影降ろしも既に先人が開拓した分野でここから新しい術を生み出すのは容易ではあるまい。であれば、もはや道具にこだわれ。他に改善すべき点はない」
うつぶせになっていたトオンを仰向けにして、麻痺を解く。
その上で、その手に二つの手首用の帯を握らせていた。
「お主は既に一定の段階に到達しておる、これを与えることに何の迷いもない。これを得ることによって、お主は更なる修行の段階に突入するが……余り女を待たせるものではない。これはサイガやサンスイにも言えることである」
うむうむ、と頷きながら他の面々にも麻痺の解除を施していった。
「余り男の都合で女を待たせるものではない。更なる高みを目指しても構わんが、それよりも先にすべきこともある。儂に追いつこうとするあまり我を優先してくれるな、さもなくば……」
好々爺のように、無邪気な子供のように、剛毅な青年のように、その男は笑っている。
「儂がお前達の女に刺されてしまう、そうなれば笑えんぞ」
ひとしきり笑うと、その男は四人を見た。
今しがた戻ったばかりの、テンペラの里からの使者だった。
「お主たちが、テンペラの里の末裔か……エッケザックスから話は聞いておる。たいそう済まなかったな、あの里が生き残ってくれたことは儂にとっても僥倖である。なにせ、あの里の者は本当に強かった……滅ぼすには惜しかった。当時の儂には、エッケザックスをもってしても殺さずに治めることはできなんだが……」
腰に木刀を刺しながら、その男は親切心から口にしていた。
「今なら、見ての通り稽古を付けられるぞ」
四人共、断ったことは言うまでもない。