実演
「まず重要なことは、己を知ることである」
改めて、俺の師匠は学園の外で俺が指導している剣士たちにも講義を始めていた。
学園長先生や教員の方たちは、師匠からもっといろいろ話を聞きたいらしく、メモを片手にスタンバイしているが、師匠は見て見ぬふりをしていた。
その一方で、剣士や生徒たちには朗らかに笑っている。
「己に何ができて何ができないのか、それをまず知る必要がある」
相手が百年も生きられない普通の人間相手だからこそ、とても丁寧に言葉を尽くして師匠は説明する。
とはいえ、言葉というのは非常に誤解を生みやすい。解釈のしかた、読解力に違い、考え方によって大きく歪んでしまうからだ。
その辺り、他ならぬ師匠自身が一番よく知っているのだろう。悪い意味で。
「魔力を持たぬ者は魔法を使えぬし、仙気を宿さぬ者は仙術を使えぬ。加えて言えば、魔法でできることは仙術ではできぬし逆もまた然り」
師匠は自分の失敗と成功を元に、皆へ指導を行おうとしていた。
少なからず、俺への対抗心があると思われる。
「とはいえ、適性に合わぬ武を目指しても良い。己がやりたくないことをやっても身につかぬし、己の理想にあわぬ行為をしても仕方がない。ただ、意固地になって既存のやり方にこだわることはない。己の理想の中で、試行錯誤することも武の面白さである」
そう言って、師匠は俺の事を話題に出した。
「我が弟子には剣技の事ばかり教え、仙道の心得を説いたが、仙術に関してはおろそかになってしまった。この場の者たちに剣を教える、という事には儂も許可を出したが、仙人としては甚だ未熟であると言わざるを得ぬ」
そう言って、師匠は剣を振るった。
居合抜き、とは少し違う。木刀なので鞘はないし、ただ帯から抜きながら無駄のない動作で引き抜いただけだった。
それでも、それだけでも俺の師匠であることが周囲には伝わった。
「最適な身体操作、機を得ることによる機先を制すること。それらは結局、攻撃を当てるためだけにある。相手がきっちりと武装をしていれば、それだけでどうにもならなくなってしまう」
腰の帯をほどいて木刀の柄に結び、仙気を通した。
すると柔らかい筈の帯は直立して一本の棒となり、そのまま木刀を切っ先とする槍になっていた。
「屈強な大男が重い鎧を装備していれば、当然不意を当てても倒しきれるものではない。雑兵の群れが相手でも、ただ槍をもって並んでいるだけで、剣が届くことはない。ましてや、相手が魔法を使うなら、法術を使うなら、どうしても技だけでは及ばぬ。術に頼るか、或いは……道具に頼ることも、一つの手ではある」
帯と木刀で作った槍を鮮やかに振るって見せる。
それはしっかりとした基本のある、俺が見たことのない槍の技だった。
おそらく、フウケイという人がヴァジュラを使う時にも、こうした技を使ったのだろう。
「むろん、我が弟子も儂も、道具に頼ることを良しとはしていない。見ての通りの布の服に、木を削った木刀を使うだけ。しかし、それを最上とし絶対とし、理想とすることは悪しきことである。それは我が友と戦った三人や、その戦いを見た者にはわかる話であろう」
トオンもランも、祭我も固まっていた。
そう、俺の師匠が倒したフウケイは、無限遠を目指さなかった一方で、また別の最強を目指した戦闘を前提とする仙人だった。
一方的に機を得られる相手だった故に、三人は油断をしてしまったという。
「相手に敬意を持ち、自己の強さを正しく認識すること。それが必勝不敗への第一歩と心得よ。職務として戦うのではなく、理想を目指した同志を見下すなど、心の未熟さそのものである」
難しい事だった。戦闘では相手の死角や虚を突くことを目指さねばならないが、それは相手の悪い点を探すことである。
相手の悪いところを探しつつ、相手に敬意を持つ。そうでなければ、相手の強さや自分の弱さを見ることができなくなってしまう。それが、結果として無限遠から遠ざけることになる。
「まずは死なぬ事、勝つ事、怪我をしない事。それが肝要である。無論我らの在り方を肯定し目指してくれることは嬉しいが、儂がたどり着き弟子が追いついた境地はそんな狭量なものではない。道具を使おうが術を使おうが、儂の理想は失われない。それはサイガが体現してくれたしのう」
エッケザックスを使い、未来予知や筋力強化を使い、魔法攻撃や法術防御も行う。
祭我はこの場の誰よりも優れた道具を使い、多くの術を使用して戦う。
しかし、俺と張り合っていた時とは雲泥の違いだった。それは彼がそれらに甘えているのではなく、使いこなしている証拠なのだろう。
「確かに心は大事であるし、技も大事である。しかし、それでは当てても倒せない相手や、間合いの広い敵と戦う時に、どうしても勝てない状況が生じる。いいや、手も足も出ない状況が生じる。それでも良い、と思うのならばそれで良い。しかし、それが嫌だと思うのであれば……一つの指針を示そう」
木の皮で作った腕輪だった。
師匠が取り出した簡素な細工品は、なにがしかの宝貝だと察せる。
というか、俺は既に知っているのだが。
「豪身帯、瞬身帯という宝貝である。悪血を宿すランが、高速で移動し圧倒的な筋力を持つことは周知であるはず。これはそれと比べてはるかに劣るものの、ある程度使い手を強化できる道具である」
身体能力の強化に関して、悪血に勝る物はない。
加えて、狂戦士は悪血を宿す者の中でも天才中の天才。
であれば、祭我のように複数の力で自己強化しない限り、彼女とまともに戦うことはできない。
それでも、魔法使いと法術使いしかいないこの国では、身体能力の強化は大きなアドバンテージだった。それが確かな技量で使われるのならば、尚の事である。
「この中で、一定の水準に達している、といっていい者にはこれを与えようと思う。まだその段階に到達していない者はこれを習得できるように修練し、これを得た者はこれを使いこなせるように修練して欲しい。そして、これを使いこなせるようになった者には、儂とサンスイからソペードの当主へ推薦させてもらう」
修行に終わりはないが、人生には終わりがある。それは仙人である俺と師匠にとっても同じであるし、俺達が指導している面々にとっては更に当然の事だった。
「サンスイの主であるドゥーウェの護衛に取り立てられることもあるであろうし、ソペード傘下の貴族の元で指導者になることもあるであろう。剣術の指導においては機を教え、必要とあれば宝貝を用いて戦えば良い」
それは、世間に対して分かりやすく「サンスイとスイボクの弟子」であることを示す、免許皆伝のようなものだった。
それが彼らの人生を豊かにしてくれれば、と願いながら送る証だった。
「とはいえ、突然サンスイの師であると現れた男が訳知り顔でこうして語っても、何が何だかと思う者は多いであろう。我が弟子が剣で己の強さを証明したように、儂もまた己の強さを剣で証明せねばなるまい」
祭我、ラン、トオン。その三人が生唾を呑む。
同時に師匠の戦いを見た面々も、緊張をあらわにしていた。
「サイガ、エッケザックス、トオン、ラン、それから我が弟子サンスイよ。全員まとめてかかってこい、儂が直々に稽古をつけてやろう」
帯を締め直した師匠は、好々爺のように笑いながらとんでもないことを言い出していた。
まあ、師匠にとっては当然の事ではあるのだろうが、少々心臓に悪い。
「自力本願剣仙一如。心技体、気剣体、天地人、一切憂いなき無限遠を披露しようではないか」
俺の理想が、一つの到達地点が、初めて俺の前ですべてを晒そうとしてくれていた。
それが、正直うれしくもあった。