本末
ひとまずこれにて一件落着。
現場の仕事は終わり、これから報告に向かう必要があった。
さしあたりノアの乗せられている森の真下の街には、正蔵の護衛である風の魔法使い四人が、パレットを連れて赴いている。
とりあえず、この場の面々はノアが起きるか朝になるまで森の上で待機ということになっていた。
「むにゃ……」
すっかりねこけているスイボクは、気が抜けたのか児童の姿に戻っていた。
夜は寝るものだ、というのが山水の言葉ではあったが、それは師匠も同じらしい。
「三千年の復讐者を歯牙にもかけぬか……化け物め」
ダインスレイフの言葉は、その場の全員の代弁だった。
スイボクの言うように、殺そうと思えばいつでも殺せたのだ。しかし、それをスイボクが忌避していたというだけの事で。
本人にしてみれば不本意だろうが、スイボクは自分以上に長く修行している者にも負けないという言葉を証明していたのだ。
「まあそうしょげることはあるまい、ダインスレイフよ。別に復讐という行為が貶められたわけではないはずだぞ!」
「それは、そうだが……」
「結局、生きる気のない者が成し遂げられることなど程度が知れる、それだけの事だ。そういう意味では、フウケイは真の復讐者ではなかったのだろう!」
聖杯エリクサーが、同僚を慰めていた。
確かに、復讐者のために存在している彼女からしてみれば、余りにも残酷な結果だったのだろう。
復讐の対象は不惑の境地に達し仙人としても武人としても完成し、磨き上げた技を使うまでもなく首を差し出してきた。その上、戦ってみれば相手にもならなかった。受け容れられない結末にもほどがある。
「フウケイが真に復讐を、一騎打ちによる勝利を望むのであれば、それこそ一旦引き下がり更なる精進をするべきだったのだ。スイボクが言うように、フウケイは負けぬことに専心するあまり勝利を見失っていたのだからな。我が主なら、納得のいく復讐のために引き下がることをためらわぬであろう!」
国家を転覆させた右京は、別に百戦百勝だったわけではない。
ただ強いて言えば、ドミノ帝国の各地で成否を確認するよりも先に、とにかく反乱を起こしまくっていた。
どれだけ国民が死に国軍が勝利するとしても、最終的に処理能力を超過すればそれで勝てると思っていたのだ。
その果てが、国家転覆であった。しかし、上手くいかなかった場合はどうしていただろうか? また別の方法を選んでいたに違いない。
「復讐を達成するという目的よりも、復讐のための修行を重んじてしまったが故の末路だ。仙人としても武人としても、負けていたのでは勝ち目などない。いいや……剣仙一如がスイボクの最終的な境地ならば、極めれば同じところに達するのであろうな! よくぞここまで磨き上げた。呆れるほどの克己心である!」
千年の怨恨よりも、三千年の準備を重んじてしまった。それがこの顛末の原因だ。
相手が強くなっているとしても、首を差し出すほどに非を認めていたのである。スイボクが言うように、勇気さえあればこの結末を避けることはできた。
そう、己の心に縛られさえしなければ。
「エリクサー、簡単に言うけどそれはとても難しいんだよ。俺には、フウケイさんの気持ちがよくわかる」
先ほどまで必死で戦っていた祭我は、もはやフウケイのことを犯罪者とも極悪人だとも敵だとも思えなかった。
それこそ、尊敬すべき先人であり、自分の先輩だと思っていた。
自分の修行を確認するための、都合のいい敵ではなかった。自分の強さを誇示するための、倒して気持ちが良い気分になれる『ボス』ではなかった。
「俺は、昔山水に、山水さんに三回も挑んだ。公共の場所で試合をして、卑怯な手段を使われたわけじゃないのに恥をかかされたと思って、馬鹿なことに山水さんへ戦いを挑んだ」
蟠桃を食べたことで気力体力共に充実している。
しかし、気分はどうしようもなく沈んでいた。
「俺はフウケイさんと違って、山水さんに恨みなんてなかった。フウケイさんと比べるのが恥ずかしいぐらい、ちょっと工夫したり努力した位で自分は凄いと思っていた。それは、今だってそうだ。俺は……ちっとも成長してない」
自分が未熟だと認める。相手が強いと認める。結果を受け入れる。
それが、どれだけ辛い事なのか、祭我は知っている。
フウケイが引き下がらずに、今この瞬間に固執したことを誰が咎められるだろうか。
「もしも俺が昔のスイボクさんからいろいろ腹が立つことをされていたら、それが一回だったり一日だったりしても、きっと許さなかった。それどころか、特に恨むことがなくったって根に持っていたと思う」
祭我は強くなった。少なくとも、それは誰もが認める所だろう。
仮に祭我の代わりに山水がこの場にいたとして、ランやトオンを守ることができただろうか。もちろん山水なら独力で立ち回ろうとするが、仮にブロワと一緒に戦っていれば守れただろうか。
そういう意味では、祭我はほぼ完ぺきに立ち回っていた。
予知の内容に硬直することなく、予知が難しい状況に追い込まれても対応し、千五百年前のスイボクを凌駕するに至っていた。
ただ、まだ弱い。或いは、未熟だった。改善すべき点は多く残っている。
「その点も含めて、今のサンスイ殿やスイボク殿が至った場所こそが、己を高めるものにとっての理想なのだろう」
そう言ったのは、近衛兵に属する者たちだった。
王の前で恥をかかされた、山水の踏み台となった、この国一番とされていた者たちだった。
「殺す必要があれば殺すが、殺さなくてもいいならば殺さない。戦う以上は恨まれることは仕方ないとしても、できるだけそれを避ける。己の力を誇示するのではなく、謙虚に振る舞い相手を立てる。そうした処世術も含めて、第十図、ということなのだろう」
近衛兵の誰もが、山水を憎んでいる。もちろんそれを命じたソペードの事も嫌っているが、どうしようもなく山水という強者に憎悪を募らせてしまう。
それは、憎んでしまうぐらい山水が強者であるということもさることながら、憎み切れないほどに山水の振る舞いが正しいと分かっているからなのだろう。
矛盾するからこそ、どうしても割り切れないのだ。
「利害が対立すれば殺し合うしかないとしても、そうでないのなら極力相手を傷つけないように戦う。相手が引き下がる余地を、諦めて認められる余地を残す。決定的な決裂を防ぐ。言葉にすると、改めて高みなのだと分かってしまうがな……」
もしも、山水が粛清隊や親衛隊を一人でも殺していれば、今の関係はなかった。
総隊長は隠居を決断したが、それはあくまでも敗北に由来するものであって、ケガを負ったというわけではない。
全力で殺しに来た相手を、殺す必要がないならば気絶程度に納める。例え誰が何人いたとしても、一切失敗せずに完遂する。
それこそが、苦悩の果てにスイボクが到達した理想像なのだろう。
「これほどの男が、最強だと認めて送り出すほどの強者が、我らの良く知るサンスイなのだとしたら」
そしてそれは、過去に罪を重ねた者には不可能だった。
そういう意味では、とっくに取り返しがつかなかったのだ。
「我らは確かに、幸運なのだろう」
スイボクが友に奉げた禁じ手の数々。確かに凄いとは思うが、それはスイボクが既に第十図に至っているからこその凄まじさだった。
本人も言っていたが、ありのままの自分の強さに自信があるのならば、『解脱掌』も『天蓋乃刃』も『剣、交えるまでも無し』も『問答三昧』も一切必要がない。
殺す必要がある相手は、必殺の技を用いるまでもなく斬ればいい。
相手が一人の人間であるならば、防御不能の剣を用いるまでもなく普通に斬ればいい。
自分の技に自信があるのならば、不可避の速攻などせずとも悠々と斬ればいい。
相手と話をしたいならば、絶対防御などせずとも普通に話しかければいい。
もちろん、フウケイを殺すには『解脱掌』が必要だったとは思うが、それはあくまでも結果論だろう。
「切り捨てることにさえ、意味はあった。だからこそここまでの高みに、今のスイボク殿は立っている。そして、それは確かに共感できる真理だった」
本人から語られた、最強の求道。
それが何を意味するかと言えば、すぐそこにあるはずだった答えを、必死になって探して見つける旅だった。
少なくとも、この時代に生きる面々からすれば、敬意を抱くしかない結論だったのだ。
「果たして、スイボク殿がどこかで妥協していたならば、どこかで区切りを作っていたならば、我らの知るサンスイ殿になっていたのかわからない」
スイボクの失敗を、弟子である山水が繰り返す。
それは、確かに悪夢だっただろう。他の誰にとっても。
「……すべて、必要なことだったのであろうな」
エッケザックスは、己を捨てた男の事を哀し気に見つめていた。
既に和解した相手ではあるが、自分と出会う前に何があったのか、自分と別れてから何があったのか、すべてを知った今更に複雑な相手となった彼を見ていた。
「故郷ですべての仙術を学ぶことは、その地で学べる全てを得るまでは何処にも行けぬ、という意味で必要じゃった。そこから我を得て戦う日々も、大地のすべてを踏破することも、実戦による経験を重ねるためには不可欠であった。そこまでしてから、我を手放して修行に没頭するための下地が、ようやく今の高みに至るための下地が出来上がったのであろう」
まずはしっかりと、学び舎で座学を行い訓練を積む。
野に出た上で実戦経験を積み、世界にどんな相手がいるのかを学ぶ。
その上で、更なる高みを目指すために自己研鑽するべく森へ籠る。
なるほど、必要な手順はきっちりと踏んでいたのだ。
そういう意味では、スイボクが今の強さを得たことも、まったくもって不思議ではない。
「フウケイは……おそらく今の境地に達するまでは故郷で生真面目に修行を続けていたのであろう。そういう意味では、確かにスイボクよりは俗世へ迷惑をかけることはなかったが、実戦経験が致命的に不足しておった。実際に戦ったことがほぼないにもかかわらず、修行の最終目標を決めてしまった。それが敗因と言えばそうなのであろうな」
フウケイはスイボクが解脱掌を使用するまで、それこそ炭化した死体になっても自己修復を行っていた。
無尽蔵の供給源を得る、ということが目標ならそこまで『自動的』である必要はないが、スイボクに即死させられるということの備えとしては、最低限必要なことだったのだろう。
スイボクが称賛したように、仙術の習得難易度という意味では、フウケイの会得した技の方がはるかに上だったのかもしれない。
しかしそれは、スイボクが指摘したように持久戦での泥仕合、という前提からして負けている境地だったのだ。
「てかさ、まあぶっちゃけ……」
正蔵は、自分が砕いた大地が更に異常になった光景を見る。
そこには、文字通り原形さえ残っていない。これ以上ない破壊の後には、更なる破壊で上書きがされていた。
「とっくに手遅れだったんだろうさ。どんなにスイボクさんが強くたって、そのスイボクさんよりも強くなるまでは修行しようって時点で、フウケイは大分おかしいんだ」
既に、とっくに、村を滅ぼしてしまった最強の魔法使いはそう口にする。
その言葉を聞いて、残っている聖騎士たちは静かに頷いていた。カプトは正蔵に対して、そんな訳の分からないことはしていない。
確かに、スイボクはフウケイの思うように悪を成したが、フウケイはフウケイでそれを看過したのだ。
自分が追いつくまでの三千年間、スイボクが何をしたとしても仕方がないと切り捨てていたのだ。
そして実際に、スイボクは千五百年間やりたい放題だったのだ。
仮に今のスイボクが未だに暴れていたとしても、三千年間の暴虐は既に取り返しがつかない。
「フウケイは……スイボクさんを止めたかったんじゃない、スイボクさんに勝ちたかったんだ。そうじゃなかったらどんなに邪険に扱われても、故郷を出たスイボクさんにくらいついていっただろうさ。どれだけ疎ましく思われたって、近くで諭し続けていたはずだ。少なくとも、俺は……周囲の人から、そうしてもらったよ」
スイボクが今どれだけ人格者だったとしても、過去の罪は決して消えない。
同様に、フウケイがどれだけ修行したとしても、その間にスイボクが犯した罪は決して消えない。失われたものは返ってこないのだ。
「スイボクは反省して、森にこもった。俺といっしょなんだ、この人も。そういう意味じゃあ、最後まで反省しなかった分、フウケイはさらにタチが悪かったな」
フウケイもスイボク同様に、したいことしかしていなかった。それが真実だった。
傷だらけの愚者は、晴れた夜空を見て安堵のため息をつく。
改めて、自分の力が及ばぬ強者に寄り添ってくれる、カプトの人々に感謝しながら。