結論
ノアを丸ごと浮かせたスイボクは、ゆったりとした速度で自分が浮かせている森へ進ませていた。
その上で、疲れ切った顔でノアの甲板に座り込む。その表情には嘆きがあり、哀しみがあった。
戦うことを極め、不死者さえ葬り切った絶対者は、失意に沈んでいた。その理由は、今更語るまでもないだろう。
妥協を知らずに武を極めた男は、結局恩人を止めることも首を差し出すこともできなかったのだから。
「救えなかった……」
その嘆きは道に至り後進を得て、いつ死んでも惜しくはないという男の本心だった。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。
苦悩の果てに満足な答えとそれの後継者を得た彼は、本心から過去の罪を償うために、友人に首を差し出しても良かったのだ。
「儂は……兄弟子に、恩人に仇で返し続けた……」
苦悩は理解できる。この男がどれほど苦しみ、何とか救おうとしたことを、誰もが理解している。その一方で、それが一種滑稽なほどに、ずれ切っていたことも明らかだった。
スイボクの振る舞いは、山水の師にふさわしいものだった。だが、山水自身がそうであるように、強者として見るには余りにも威厳が欠けていた。
だからなのかもしれない。スイボクの願ったように、スイボクに勝利することを諦めて、ただ罪を裁くことを受け入れられなかったのは。
「彼のすべては……儂が駄目にしたのだ」
「それは違うだろうぜ」
復讐を達成した右京は、そう言っていた。
ヴァジュラを手元に取り戻した革命家は、スイボクに対して気に病むなと言っていた。
「俺が見るに、あのおっさんは……復讐に酔ってた。俺もそうだったからな、分かるんだよ。復讐のための準備をするってのは、とっても楽しいもんだ。もちろん、俺の行為が不当だったわけでもないし、アンタだって復讐されて当然のことをしたんだろうが……少なくとも、三千年間苦悩してたようには見えなかった。むしろ……」
「やめてくれ」
山水がそうであるように、当然スイボクも仙人として完成に至っている。相手の気配から、その思考や感情をある程度くみ取ることは可能だった。
ましてや、あの激昂しているフウケイである。はっきり言って、余りにもわかりやすすぎる。
少なくともスイボクは、自分の知るフウケイと一致しない、歪みのようなものを感じ取っていた。
未熟だったころは感じ取れなかったものを、確かに感知していたのだ。
しかし、それは余りにも下世話だった。
「我が友は、命よりも矜持を優先した。我が友が口から出した言葉は真摯に受け止めるが、もはや何を思っていたのかなど邪推でしかない。どうか、我が友の心中など探らんでくれ」
フウケイとスイボクの関係など、事実だけで十分だ。
右京が言うように、スイボクは恨まれて当然の男であり、フウケイは正当な報復をしようとして、結果的に世間へ迷惑をかけただけだ。
フウケイの心の中に、良からぬものが潜んでいたとしても、それも結局はスイボクの過去の行状が発端であることは確実だった。
であれば、その事実だけで十分だった。これ以上、友人に泥を塗りたくなかった。
「分かった……俺たちは返り討ちにあいかけていた。結局アンタが全部のけじめをつけた。だったら偉そうなことを言うつもりはない」
「それは助かる……」
「礼を言うのは……まあお互い様ってことにしておこう。とにかく、アルカナ王国に報告する必要がある。それぐらいは付き合ってくれ」
「無論だ、友が貴殿に迷惑をかけたことも、すべては儂の不始末。その弁解をすることも、儂の義務である」
つくづく、山水の師であった。
なるほど、フウケイにとってはひたすら手のかかる弟弟子だったが、山水にとっては仙人としても武人としても完璧な師だったのだろう。
基本的に世間に迷惑をかけたがらないし、非があればきちんと謝れる。加えて、自然の道理よりも国家の道理を優先してくれるのだ。
「あ、あのさ……その、スイボクさん。貴方は……その、どうしてその……」
武門の名家、バトラブの令嬢であるハピネは、余りにも鮮烈を極めたスイボクの全力に虚脱していた。
山水がしきりに師と自分は違う、次元が異なっていると言っているだけの事はある。
なんか、おかしいぐらい強い。意味不明なほど強かった、切り札以上の力を持った敵を、一切ものともしなかった。
だからこそ、よくわからない。
なんであんなに強いのに、鍛えた技を通過点として更なる高みを求め続けたのかがわからないのだ。
「あんなに凄い技を、教えなかったの? なにか弱点でもあったの?」
「理由はいくつかある。まず単純に難しい、教えるとなればそれこそ五百年では追い付かぬ」
それに関しては、誰もが納得していた。
確かにスイボクもフウケイも、前提として千年間仙術を学んでいたうえで、更に独自の境地を三千年間目指したのだ。
山水が至っている境地は、仙術を主体としているというよりは、剣術を主体としている。あくまでも比較的、という意味だが、必要な時間という意味では短くても済むのだろう。
「それにまあ、弱点がないというわけでもない。というよりも、単独の技としては破たんしておる」
「……弱点、有るの?」
「まず、最初に会得した解脱掌であるが……あの技を覚えようとした段階で、既に儂は答えに片足を突っ込んでいた。というよりは、エッケザックスを手放して深い森にこもろうと決断した時点で、というべきであろうな」
単純な数値的な強さではなく、仙人としての高みを目指そうと思った。その時点で、フウケイが知るスイボクとは違う道を選んでいた。
今までのやり方ではだめで、ある意味普通のやり方をしようと思った。それがスイボクの選択だった。
「その段階で、儂はこの森の波長、呼吸というべきものを感じておった。同時に、それが自分の呼吸とあっていないこともな。そして、それとの差を感じるうちに、仙人が自然に帰るということがどういうことなのかを理解した。理解した後で、有る考えが浮かんだ。発勁とは仙気の波を打ち込む技であるが、この仙気の波を応用して、相手を自然に返せないかと思ったのだ」
祭我、正蔵、右京はなんとなしに『心臓マッサージ』みたいなもんだな、と思った。
実際、心臓が正常に動いている人間に、心臓マッサージを行うと極めて危険だとされている。
電気ショックであれなんであれ、心臓を動かすということは波を打ち込むということだが、正常に動いている心臓に波をぶつければ最悪止まってしまうこともあるのだ。
「つまり、まず相手の呼吸と正反対の波をぶつけ、段々と穏やかにして平坦にしていく。それが既に死を意味するが、そこからさらにこの星全体の呼吸ともいうべきものと同調させていく。そうすれば、例え相手が凶憑きであったとしても、確実に殺せるのだ」
なるほど、とんでもない高等技術である。
同時に、なんで悟りの境地みたいなもんを攻撃手段にしようと思ったのかがわからない。
「しかし、完成してみると問題があった。二十秒ほどかかる」
なるほど、確かにそれは大問題だった。それこそ、素人でもわかる理屈である。
「暴れる相手の波長を止めて、そこからさらに自然へ同調させていくわけだが……はっきり言って意味がない。なにせ、普通に発勁を叩き込んでも気絶はさせられるし、その間に何をしても殺すことはたやすかろう」
誰でも確実に殺せる技を編み出したはいいが、その技を使える段階になったらそんな技を使うまでもない。
確かに、今回のような相手でもなければ、使う意味がないと言えた。
「なので、この技を終着とすることはなかった。解脱掌と名付けたこの技を一応完成させた後で、次に踏み込まねばならなかった」
「……我を、越えようと思ったと」
「然り、エッケザックスへの依存が残っておった証よな。我は牛を見失った、理想を、答えを見失ったのだ」
強い剣が欲しいと思ってしまった。
必殺技を編み出したはいいが、発動までに時間がかかりすぎる。
であれば、単純に強力な剣を作ればよい。
それはそれで、一つの回答ではあった。
「天蓋乃刃はなんでも切れると言っていい技になったが、フウケイに語ったように一度しか使えず長時間持ち運ぶこともできぬ欠陥を抱えておった。完成し改良の余地がなくなったところで、儂は別の技に着手するほかなかった」
携帯性だとか、運用性で言うのなら、ヴァジュラを用いたフウケイの方が上だったのだろう。スイボクも言っていたが、あの剣で何を斬るつもりだったのか、本人にもわかっていない。
とにかくエッケザックスよりすごい剣を作ろうと思考停止した結果だった。スゴイは凄いが、とにかく扱いづらかった。
「では、相手が防御できぬ技を、回避できぬ技を作ろうと思った次第じゃ。つまり、あの縮地じゃな。あれは最悪であった……仮にアレをサンスイに教えていたらと思うと、儂は頭を抱えてしまう」
それは、よくわからない。
少なくとも、前の二つと違って弱点らしい弱点は見当たらなかった。
解脱掌は相手を気絶させてからでないと使えず、天蓋乃刃は準備に時間がかかって一度しか使えないという弱点がある。
しかし、『剣、交えるまでも無し』と名付けた技に関しては、縮地の上位互換にしか見えなかった。
「友への礼儀として、一応あれは使ったが……しかし、使う必要があったと思うか?」
ない、まったくない。
恥ずかしそうに尋ねるスイボクの問いに関しては、誰もが頷いていた。
なにせ、スイボクは純粋な戦闘術や剣術に関しては、フウケイを遥かに超えている。
あの縮地は、確かに不可避の速攻だった。しかし、多分普通に縮地して攻撃しても、不可避の速攻だっただろう。というか、スイボクの攻撃は全部不可避だった。
避けられない、という意味では山水が習得しているレベルの縮地で十分すぎるのだ。
フウケイが習得していた縮地を、山水が習得したレベルに引き上げ、そこからさらに次元の違う技に引き上げたが……全く必要ではない。今のスイボクにとって、ではない。今の山水にとってでさえ、である。
あの技の習得難易度がどの程度かわからないが、確かに意味がない。
「そう、無いのだ……。不可避の速攻と言えば聞こえは良いが、要するに『自分の武が相手に及ばぬ』と認める行為に等しい。この技を習得しようと思った時点で、既に心が負けておる」
スケールのデカい話だった。
散々苦労して技を得ても、よく考えたら要らなかったと切り捨て続けていたのだ。
確かに、仙人らしいし求道者らしい。如何にも山水の師匠らしい。
「その時点で、儂はある程度森に籠ってから習得した技に新しく名を与えた。つまりは、生滅滅已寂滅爲樂、解脱掌。天上天下唯我独尊、天蓋乃刃。悪因悪果悪因苦果、剣、交えるまでも無し。とな。というのも、天蓋乃刃が駄目過ぎて、天を握ろうと思った自分の不遜さを戒めるために天上天下唯我独尊と名を付けたはいいが、それだと他の二つが哀れに思えてな……まあ他の二つにも八字を加えたわけである」
なんか、頭の痛くなってくる話だった。
確かに彼からしてみれば、大地と接続して不死身にして無尽蔵となる技もまた、通過地点にしかならない欠陥品だっただろう。
戦闘が長期化することや、自分が被弾することを前提とした、志の低い技だと。というか、この男が志高すぎるだけだと思うのだが。
「それからは、ただ心のままに剣を振るいながら思案した。フウケイと共にカチョウ師匠の元で修行した日々や、エッケザックスと共に過ごした日々を思い出しつつ、自分の戦歴を見つめ直して、自分に必要なものは何かを問うた。そして、心のままに剣を振るっていたある日……防御技を編み出してみようと思った。ただ、なんとなくな。なにせ必ず倒す技もなんでも切る剣も、避けられない技も編み出してしまった後ゆえに、他に思いつかなんだ……」
なるほど、それは確かにそれぐらいしか思いつかない。
同時に、スイボクはそこまで悩まなければ、防御技というものには至らなかったのだと感心してしまう。
そういう意味でも、フウケイとは違うのだろう。
「そして、完成した技に『問答三昧』と名付けようと思ったとき……ようやく儂は、自分が何をしたいのか、それに気づいたのじゃ」
「……友を得ることですか」
トオンの言葉は、スイボクの言った言葉だった。
色即是空空即是色、問答三昧。それがあの技の名前だったが、前の八字は技の性能そのものである。しかし、後半の四字はその技で何をしたいのかを表しているに他ならない。
「うむ、恥ずかしいが……儂は仙人にあるまじきことに、いや、そもそも最初から仙人らしからなかったが、とにかく友人を求めていた。いいや、友人ではないな。自分を称賛する誰かを求めていた。強くなりたいと思っていたことも、単に『友人』に対して優位に立ちたいという浅ましさでしかない」
少なくとも、山水の指導を受けている男たちは、その苦悩を笑えなかった。
そんな当たり前の、自分が何をしたいのかという考えさえも、気づくのに三千五百年もかかった男の事を笑えなかった。
「そう気づいた時、儂は今までの技がどうして気に入らないのかを理解した。確かに先ほども言った欠陥はある。これらの技を最大限に活用した場合、行き着く先は技の堕落であるとは思っていたが、そうした実利的な問題だけではなく、単にこれで戦って勝ってもちっとも面白くないということだった」
相手を自然に返す技も、相手を絶対に切断する剣も、相手に反応も許さない技も。
どれも、結局使って楽しいものではない。それで勝っても、ちっとも面白くない。
「儂は勝ちたかったのではない、殺したかったのではない、戦いたかったのだ。自分と同じように、剣を振るい強さを求める者と競い合いたかったのだ」
苦悩の果てに、答えへたどり着いた。
その人生に、カプトの面々も敬意を示す。そうするしかない、彼が得た答えとはつまり、自分の過ちと向き合うことだったのだから。
「儂の人生は、全て間違っていた。そう悟った儂は、今まで会得した技のすべてに十牛図の名を与えた。一時牛を見つけ、一時牛を見失い、一時すべてを見失い、ようやく自分や自分の理想や、自分が生きていた世界に気付いた。故に、水墨流仙術軽身功法絶招、十牛図第九図“返本還源”色即是空空即是色、問答三昧と、なったのだ」
安らかだった。
彼は自問自答の果てに答えを得たのだ。
「とはいえ、先ほども我が友に語ったように、あらゆる攻撃を虚空へ受け流す問答三昧ではあるが、この技を使われたからと言って相手が矛を収めるかと言えばそれは否であろう。圧倒的優位に立ち、相手の刃が届かぬ場所でふんぞり返って、さあ話そうと言われて、問答などできまい。魔法なども受け流せぬし、パンドラの機能から逃れられるわけでもない。欠陥品と言わざるを得ん」
「とはいえ、自分が何を欲していたのかを理解したのであれば、もはや何を迷うこともない。開眼した儂の手には、理合いが既に握られていた。水墨流仙術総兵法絶招、十牛図第十図“入鄽垂手”自力本願剣仙一如、不惑の境地。生のままの己を受け入れた儂は、今のサンスイに並ぶ技が扱えるようになっていた」
まさに結実だった。
千年の仙術修行、千五百年にもわたる俗世での戦闘経験、千年に及ぶ自己研鑽。
その果てに、気づけばスイボクの手には回答があったのだ。
間違ってはいたが、無駄ではなかった。スイボクは何とか、本当に自分がしたかったことに気付いていたのだ。
既に、自分にはその資格がない事も悟った上で。
「人生のすべてが間違っていると認められた時、心が楽になることを感じていた。同時に、今までの罪深さで悶えたが……既に手遅れであった」
ランは、改めて共感する。
そう、自分もそうなのだ。祭我と競い合い、高め合うことが楽しいのだ。
蹂躙することよりも、殺戮することよりも、最強であることよりも、ずっとずっと楽しいのだ。
「儂は、弟子に正解だけを託した。サンスイは儂が教えた境地の名前も知らんし、それでよい。水墨流仙術総兵法絶招、十牛図第十図“入鄽垂手”自力本願剣仙一如、不惑の境地。そんな長々とした文句は、儂だけが覚えておけばよい」
右京も、正蔵も、祭我も、彼の言葉を重く受け止めていた。
つまり、彼は生まれながらに怪物だったわけでもないし、何か運命を背負っていたわけでもない。ひたすら単純に、一途に己を追求し続けていたのだ。
今のスイボクがあるのは、つまりは結果であっても過程をすっ飛ばしたものではない。
そう、自分達とは違うのだ。
それは、山水にも言えることだったが、彼の場合は更に違うのである。
「儂は、信じておる。儂の弟子は儂の失敗をなぞることはなく、己で自分のやりたいことを探していくとな。間違えるとしても儂ほどに間違えることはなく、フウケイのように末期で見失うこともない。そう信じている……サンスイは、もう十分最強じゃ。儂の描いた最強に至っているのじゃ」
その証明が、この船に乗り込んでいる男たちだった。
スイボクにとって、友人へ申し訳なく思うほどに、救いとなる『孫』たちだった。