第六
戦いは終わった。
戦いになっていたのかも怪しかったが、誰もが望んでいない決着になっていた。
しかし、仕方がない事だったのかもしれない。スイボクという男とフウケイという男の物語が、めでたしめでたしで終わるなど虫のいい話だったのだろう。
「フウケイ……」
スイボクはエッケザックスと和解することができた。
それはつまり、最終的にはスイボクがエッケザックスを捨てたとしても、それまでの千年間は友好的だったからなのだろう。
剣と主は共に千年の旅をしていた。例え千五百年の断絶があったとしても、その千年間の思い出の何もかもが否定されたわけではない。
楽しいからこそ辛かったが、それでもなお日々は輝かしかったのだ。
「フウケイ……!」
翻って見るに、スイボクはフウケイに対して千年間迷惑をかけ続けていた。
フウケイの主観を抜きにしても、カチョウの教えを抜きにするとしても、スイボクの行状は決して褒められたものではない。憎まれ恨まれ、殺したいと思われて当然のことをスイボクはしてきたのだ。
それが、三千年ぶりに再会して、スイボクが立派な仙人になっているとしても、謝罪されたとしても許せるわけがない。
千年もの間迷惑をかけられた男が、一度謝られたぐらいで許せるわけがないのだ。
「僕は……僕は……本当に、君に、酷いことをしてばかりだった……!」
既に掌中に天の剣はなく、握っているヴァジュラを使うつもりはない。
故に、復元を始めていたフウケイの体に優しく掌を当てる。
「本当に、すまない……」
水墨流仙術発勁法絶招、十牛図第六図“騎牛帰家”生滅滅已寂滅爲樂、解脱掌。
エッケザックスを手放したスイボクが、最初に目指し到達した境地。
素振りをしながら思案し、時間をかけて到達した境地。
「……せめて、安らかに眠ってくれ」
膝をついて、冥福を静かに祈る。
この魂に安らぎあれと、悔やみながら送るのだ。
「色はにほへど、散りぬるを」
少なくとも、エッケザックスを捨てた。それは仙人として正しい道だった。
最強の剣に甘える己を捨て、自分を讃えてくれる女と別れて、誰とも争わずに深い森へ籠った。
「我が世たれぞ、常ならむ」
その時点で、既に牛を得ていた。牛と共に、森にこもるという原点に返っていた。
そこからさらに迷いはしたが、それでも一時牛を得た。
「有為の奥山、今日越えて」
発勁の奥義。それは波として相手に境地を伝える技。
地脈と一体化し、微塵となっても復活するフウケイを葬ることができる、スイボクにとって唯一の技。
「浅き夢見じ、酔ひもせず」
つまりは相手を強制的に解脱させ、自然に返す技である。
「どうか、魂だけは安らかに……」
不死身の肉体が、薄れていく。
四千五百年間生き続けた、その内のほぼすべての時間を憎悪で過ごしていた肉体が消えていく。
この世から消滅するのではなく、この世界に還っていく。
この世界で生まれ、この世界で過ごし、この星の力をため込んでいた男が、仙人としての結末に至っていた。
「……さて、改めて悪かったな、ヴァジュラ。怖い思いをさせてしまった……というか、神宝も気絶するんだな」
神宝が気絶した、という異常事態にある種の感動を感じながらスイボクは緩やかに浮かび上がり、そのままノアの元へ向かっていく。
というか、ノアそのものも完全に気絶していた。船の姿のまま、意識を失っていたのである。
「いやあ、年寄の諍いに巻き込んですまなかったのう、皆の衆よ!」
山水をして次元が違うと言い切っていたスイボク、その真価を余すことなく見ることになった幸か不幸かわからぬ一団は、余りの事に気が抜けきっていた。
この男が敵でなくてよかった、今の境地に至っていてよかった。心底から安堵しつつ、なんとか会話をしようとする。
「それにしても、驚いたぞ。サイガは我が縮地の極みを完全に見切っておったし、他の面々も少なからず剣士としての観察眼で我が恥部の意味を見切っておった……サンスイめ、これほど多くの者に我が境地を伝えるとは……本当に大した弟子だ」
案の定、旧友との戦いの中でもノアに守られた面々を感知していたらしい。
その彼にしてみれば、自分の十牛図第八図がどういう技なのか、客観視したとはいえ見切られたことは驚愕の一言だった。
「それから……ほれ、確かに返したぞ。我が友が貴殿から奪った天槍ヴァジュラをな」
「ああ、確かに返してもらった」
槍の姿のまま意識がないヴァジュラを、右京は受け取っていた。
もう凄すぎてあらゆる感情がマヒしている状態ではあるが、とりあえず奪われた物は帰ってきたのだ。それは良い事である。
「儂と戦うために、フウケイはヴァジュラを奪った。これは儂の罪も同然じゃ、どうか謝らせてほしい」
「……はあ、まあいいけどよ。お前さん身辺整理した方がいいぞ。また誰かが殺しに来るかもしれないだろ」
「うむ、その通りだ。フウケイの結末も含めて、故郷に顔を出すべきであろうな。まあ……首を出すことになるのかもしれぬが」
流石に今の自分の境地を第十図として、更にそれを伝え終えていることを確認しているだけに、今のスイボクに未練はないらしい。
フウケイへしきりに自分を殺せと言った言葉は嘘ではないらしく、故郷で殺されるかもしれないと思いながらも、右京の薦め通りに一度戻るつもりのようだった。
「……おい、ちょっと待て。今自分で身辺整理しろと言っておいてなんだが、お前の故郷はお前が滅ぼしたんじゃないのか?」
「うむ、儂が術の練習で滅ぼしたが、確実に復旧しておる。なにせ当時のフウケイは儂と違って師の術以外は使えなんだ。それが使えるようになっておったということは、儂に術理を教えてくれた先達が生きておったという事であろう」
まあそりゃあそうだ。
確かにスイボクと同じことができているフウケイがいる時点で、少なくともフウケイが一定の術理を学び終えるまでは故郷は存在していたのだろう。
「それに、儂が故郷を滅ぼしたと言っても、追いかけまわして全員殺そうとしたのではなく、仙人が暮らしておった浮き山を術で吹き飛ばしただけであるしな。おそらく、ほとんど全員逃げておったのだろう」
うむうむ、と故郷で何が起きていたのか、概ね理解したらしいスイボク。
しかし、誰もがそのうむうむ、を呑み込めるわけもない。
「三千年ぶりに故郷へ帰るか……それはそれとして、この辺りの者に詫びねばな。随分土地を荒らしてしまった」
「……あの、フウケイさんが浮かせた土地が、まだ浮いたままなんですが」
「当然であろう、そういう術じゃぞ」
一体、この土地にどんな呪いが仕掛けられていたのだろうか。ここまで原形をとどめていない大地は初めてである。
正蔵が耕した土地は、フウケイによって無重力空間の如き様相を見せていた。
まるで宇宙の小惑星帯のように、大小さまざまな土が浮かび上がっている。
とても幻想的であり、観光名所としては価値が上がっていた。
周辺の住民であるパレットとしては、とても不安だろうが。
「何が当然なのかはわかりませんが……それはそれとして、先ほどの一撃が街に当たったとかはないでしょうか……」
「うむ、それは安心して構わん。人里を斬った手ごたえはなかった、きっちりと水平線の彼方まで認識したが、誰も困らせてはおらんよ」
「……あの、地平線の彼方ではなく、水平線の彼方と申しませんでしたか?」
「そう言ったが? 地の果てではなく海の果てまで切り込んだぞ」
何を言っているのだろうか、この化け物は。カプトはアルカナ王国において内陸部に位置する。ここから直線距離で海を目指す場合、まず王都の方面を目指して通過し、更にディスイヤを目指して国土を横断することになる。
スイボクの行っていることが本当なら、彼は国土を真っ二つにしたに等しい。
というか、したのだろう。なにせ、二つの国の土地を覆う暗雲を凝縮して放ったのだ。その威力が一国を両断しても不思議ではない。
「フウケイとヴァジュラが作った雷雲が大きくてのう、これほどの威力になった。まあ細く深く切り込んだゆえに、通行の邪魔になることもあるまい」
「そ、そうですか……」
歴史に残るというか、地図の書き換えが必要な戦いだった。
下手をすれば、アルカナ王国が滅びても神話として残りそうな勢いである。
少なくとも、目の前でふよふよ浮いている土地は、この世の光景に思えなかった。
「それはそうと……蟠桃は食わんのか? 美味いぞ」
「あ、はい……」
「い、いただきます」
「……旨い、本当に旨いな」
今更、思い出したかのように蟠桃を食べる三人。
体に活力がみなぎり、疲弊していた気力体力が一気に復活していた。
加えて、とても味が良い。瑞々しい一方で、自然な甘さが口の中に広がっていく。
においだけでも美味そうで、周囲の面々は口からよだれが出るのを感じていた。
「まあ、この場で長々話すのもなんであるしな。一旦近くの街へ行こうではないか。ちょうど、我が森を浮かせてあるしな」
まるで、近くに自家用車を止めておいたような、そんな軽いノリでとんでもないことを言い出していた。
改めて、目の前にいる仙人の化物さに震撼しつつ、その場の面々は戦場を後にするのだった。