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第八

「友よ、兄弟子よ、フウケイ……僕は、この剣で何を斬りたかったんだろうか」


 迷走していた。

 ひたむきに己を鍛え、迷いを振り切ろうとしている過程だった。

 通り過ぎた場所であり、この技を生み出すための労力や時間は無意味だった。

 無駄だった、こんな技に価値はない。

 しかし、意味はある。少なくとも、スイボクは答えに至っていた。通過点と見定めるのであれば、意味はあったのだ。


「なんでも切れる剣を生み出そうとした、その結果この技に至った。しかし、この剣に何の意味がある?」


 雷雲を剣の形に押しとどめていた。

 皮肉にも、スイボクが作る木刀同様の形をしており、薄い刃はなく鍔もない。

 すなわち、ただひたすら単純に、膨大な力を一点に集中させただけの境地。

 ただ一度しか振るえない、あくまでも『すべてを斬るための剣』にこだわった一撃。


「この剣で、これから君を斬る。おそらく、他の誰であっても斬れるだろう。あの……シュンと呼ばれた彼を除いて」


 子供のような発想だった、ある意味ではエッケザックスを求めた時と変わらない自分だった。

 エッケザックスと袂を分かち、それでも尚捨てきれなかった『剣』という形への依存。

 剣術ではなく、刀剣という物体に縛られた己の未熟さ。


「君がどれだけヴァジュラを強化しても、君がどれだけ肉体を強化しても、どれだけの防具で身を固めても、この一振り(ひとふり)は全てを切断する」


 どんな奴でも殺せる、最強の剣が欲しかった。

 それを浅ましいと認めた時、過ぎ去った過程だと認識できた時、スイボクは更なる高みにたどり着くことができた。


「それで、僕自身が凄いと思えるかい?」


 スイボクの四千年に及ぶ生涯の中で、会得し開眼したあらゆる術理。その中でもこの術こそが最強最大の一撃に他ならない。

 そして、それがあくまでも『忘牛存人』でしかないと断じたことが、スイボクの答え。

 最強とは何だろうか。最強を求め最強を問い最強を探し最強を捨てて最強を描き最強を疑い最強を極め、自分が本当にしたかったことにたどり着けた男は、過去の罪と向き合う。


「この術を、弟子に託せると思うかい?」


 脇構えに移行する。

 中段の構えでも上段の構えでもなく、半身になりながら刀身を隠す構えだった。


「この術を託された弟子は、どう戦うと思う? ことあるごとに一々海や湖に赴いて、雲を生み出し凝縮させる。その上で、こうして形にして、ただ一回だけ全てを切り裂く。それが、剣士だと思うか?」


 自分が馬鹿だった。スイボクは、赤裸々に認めている。

 こんなものが、最強なわけがない。

 そんな間抜けが、自分の求めた最強の剣士であるわけがない。


「この剣を一度振るって、その後襲われれば逃げるしかない。この剣を学んでも、剣術など身につかない。これは剣の形をしているだけで、剣ではない。エッケザックスがヴァジュラを槍ではないというように、だ」


 空は晴れ渡った。或いは、すみ切っている。

 今の刻限は夜だった。天には星が輝き、大地を穏やかに照らしている。

 歪に重なっていた暗雲は過ぎ去った、この国を覆う天蓋は一人の男の手に握られている。


「修行に終わりはない。この剣に至った時点で、なんでも切れる剣を生み出すことこそが終わりだと思っていたら、今の僕はここにいなかった」


 地脈と一体化し、無尽蔵に力を受け続ける。

 それ自体は素晴らしい、尋常ならざる努力の結果だとは思う。

 しかし、それで修行が完成したと思い上がったことこそが、フウケイの限界だった。

 フウケイは、自分の限界を勝手に決めてしまっていたのだ。


「僕の到達地点は、既に君に見せた。これから君が見るのは、僕が通過した地点でしかない。僕にとって始まりだった君に……それを晒そう」


 だが、それを果たして誰が咎められるだろうか。

 意のままに大地を操り、不滅の肉体を得て、無尽の仙気を放つ。

 その境地が通過地点であり、それを捨てて更なる高みを目指すなどありえない。


 しかし、スイボクはそれでも納得できなかった。

 全てを斬る剣を生み出す境地が、所詮は牛を見失っただけとしか思えなかった。

 どうすればいいのかわからなかったからこそ、思いつく技を形にしていくしかなかったのだ。


「水墨流仙術縮地法絶招、十牛図第八図“人牛倶忘“」


 そして、これから行う技も、結局は捨てた技であり通過地点。


「悪因悪果悪因苦果」


 迷走の中にあった、己が勘違いした歪な最強の形でしかない。


(ツルギ)、交えるまでも無し」


 そして、スイボクは今でも自分の未熟さを呪っていた。

 どれだけ積み上げて積み重ねて、本当に自分が目指していた高みに達して尚、成り果ててしまった旧友を救うことができない自分が情けなかった。


「この技は、僕の至った技の中でも最悪の境地だ。こんな技になんの意味がある」


 戦いとは、命の奪い合いである。

 であるならば、自分だけ安全を確保して一方的に殺すことなどあってはならない。

 あくまでも、当たりさえすれば殺される、()のままの己でなければならない。


「不可避の速攻。それを極めたこの技は、相手に死を伝えない。この技は、相手を殺す為だけにある。こんな技を覚えるぐらいなら、普通に寝込みを襲えばいい。この技には戦いがない、競い合いがない、ただ殺すためだけの技。戦いを否定する、省略する技だ」


 牛を失い、己を失った境地。

 理想から最も離れた境地、自分を完全に見失った境地。

 最も使いたくない技だった。ましてや、過去散々迷惑をかけた恩人を相手に、使うなどありえない。


「だが、この技を使わないことが君への侮りだと言われれば、それを否定することもできない。だから、この技で君を斬る。これが、本当に最後だ。友よ、僕はこれ以降君に言葉を贈ることさえできない」


 スイボクは、常に圧倒的な強者だった。

 如何なる時代を切り抜いても、個人を相手に苦戦を強いられることは稀で、軍隊や国家を相手にしてさえ圧倒することがしばしばだった。

 その彼をして、悟りの名を関する五つの境地に達したのは千年に及ぶ森での修練。

 それから五百年間弟子を鍛えてきたが、その弟子と試合をすることもなかった。

 つまり、正真正銘『今のスイボク』にとって初めての戦いだった。


「いつか、遠からず僕もそこへ行く。待っていてくれ、フウケイ……」


 倒すべき敵がいなかった、地上のすべてを彷徨いすべてを越えてきた。

 それでも自分で勝手に迷い、自分で勝手に苦しみ、自分が納得する為だけに鍛えてきたスイボクは『今の自分』をよくわかっていない。


「スイ、ボク」

「さよならだ」


 絶対強者に達した己が、どう振る舞うことが正しいのか、よくわかっていなかったのだ。


『スイボク……お前!』

「ヴァジュラ……思えば君には酷いことをしてばかりだったね」


 ヴァジュラもフウケイも、言葉を発することができなくなっていた。

 先ほどまで暗雲のすべてを掌握していた二人である、それが根こそぎ奪われたことの意味が分かっていた。

 全てを斬る剣。それが星をも斬るかと言われれば否であろうが、少なくとも自分達をこの大地ごと切断することは容易に思える。

 それを持っている男が、『普通』に戦ってさえ余人を寄せ付けぬスイボクである。つまりは、スイボクがこれから何をするとしても、特別なことを一切しないとしても、まったくなんの関係もなく斬り殺されるということだった。


「あの時は済まなかった、せめて君だけは……助ける」


 腰を下ろした。

 そのまま、無言で雷雲の剣を握りしめる。

 もう、どうにもならない。

 戦闘を重ね、お互いがたどり着いたものを晒し合った二人は、どうしようもなくなってしまった。

 それを確信したからこそ、これ以上の説得は侮辱と非礼の上塗りだと判断して、スイボクは縮地の極みを行おうとしていた。


「……!」


 フウケイは理解するしかなかった。自分は死ぬのだと認識するしかなかった。

 三千年積み重ねた力は、しかしスイボクにはまるで届かなかった。その失意のままに、自分がつかんでいた天のすべてを用いて斬られる。

 そうした、自分の人生の惨めな結末云々は、脳裏から消え去っていた。

 師匠であるカチョウが予言したように、スイボクは自分で勝手に止まって勝手に答えを得ていたとか、自分こそが自分の答えを間違えさせていたことを理解する余裕もなかった。


 剣の形をした災害を握りしめて、人の形をした災害がそこに立っている。

 その力のすべてを用いて、自分を殺そうとしている。その事実を前に、一個の生命として怯えるしかなかった。


 守らねばならなかった、己の命を己の力で。

 この瞬間、不死身の復讐者は災害を前にした獣の如く怯えていた。

 しかし、逃走はあり得ない。もしかしたらその無様、素直な対応を見てスイボクが剣を収めた可能性はあるが、哀しいことにフウケイの脳内にはその選択肢が消えていた。

 なにせ、スイボクが弟子に託した縮地は、予備動作が一切存在しないどころか自分が縮地を行う前に先回りして、縮地が終わった自分を真っ向から叩きのめすほどだったのだ。

 回避しても殺される、逃げても殺されると思ったことは間違いではあるまい。


「~~!」


 この化け物を相手に、先手を許して迎え撃つ。

 それがどれほどの難行か、想像もできなかった。

 だが、それでもそれ以外に手はない。

 フウケイは武に関しても積み重ねてきていた。それはスイボクも認める所であり、己と己の愛弟子である山水を除けば無双を名乗れるほどだった。

 だからこそ、ヴァジュラを握りしめる。仙人としてではなく、武人としてスイボクに抗おうとする。

 しかし、それは、遅かった。

 フウケイが、自分の選択によって既に閉ざしてしまっていた。


「嘘だろ……」


 そうつぶやいたのは、ノアに乗り込んでいる祭我だった。

 予知能力を得ている彼は、それ故に今までのスイボクの絶技を、皆が驚くよりも先に驚いていた。

 しかし、今まで見たものが児戯や『こけおどし』に思えるほどに、スイボクが行う技は『次元』が違っていた。


「……勝てるわけがない」


 己の師である山水が、絶対に勝てないと言い切っていた根拠を、ようやく理解した。

 この技を会得している者に、勝てるわけがないのだ。

 ましてや、それを通過地点と断じた者が、敗北するなどあり得ない。


「終わっている、終わっている……!」


 ノアの上に乗る誰もが、その一瞬を見逃すまいと目を皿にしていた。

 瞬きをせずに凝視する一同、しかしそれは無意味に終わる。

 そう、終わっているのだ。スイボクが斬ろうと思った時点で、既に終わっている。


「……」


 最初から、やろうと思えばこうできた。

 迷走の末に答えを得たスイボクが、恩人である兄弟子にできたことと言えば、無意味に傷つけ打ちのめし、失意のままに殺すことだけだった。

 ならばせめて、最初から殺すべきだったのではないだろうか。

 そう後悔しないわけでもなかった。


 フウケイは今、ヴァジュラをすがるように強く握っている。

 自己強化によって握力も向上している彼から、ヴァジュラを奪うことは簡単ではない。

 だからこそ、スイボクは待っていた。如何に不死身で無尽蔵だとしても、人間でなくなったわけではない。

 かつて祭我が敗北を晒した時のように、フウケイがヴァジュラを握る力が緩む、その一瞬を待っていた。


 スイボクは(・・・・・)縮地を行った(・・・・・・)

 反応を許さずに間合いを詰めて、左手でヴァジュラを奪い取りながら、右手の剣で頭頂部から股下にかけて一気に振り下ろす。

 スイボクは(・・・・・)縮地(・・)()終えた(・・・)


 当然のように一切予兆なく行われたそれは、予知能力を持たない祭我以外にはいつ起こるのか見切れない技だった。

 しかし、トオンを始めとして山水から教えを受けている者たちは、正しく認識したがゆえにスイボクの恐ろしさを理解してしまっていた。


「きゃああああああ!」


 少女たちが悲鳴を上げた。

 聖騎士たちや正蔵の護衛達は、貴人を閃光からかばう。

 スイボクが解き放った、雷雲の刃は当然のように先ほどと同規模の輝きを放って、大地をどこまでも切り裂いていく。

 アルカナ王国の東端であるこの荒れ地から、アルカナ王国の西端であるディスイヤの海岸線へ向かい、そこからさらに水平線の彼方まで走った斬撃は、一瞬の余韻を残して消えていた。

 残った者が見ることができたのは、真っ向から両断され地面に分かれて倒れる黒焦げの死体と、それを前に剣を失ったスイボクと、その手に握られているヴァジュラだけだった。


(ツルギ)、交えるまでも無し……これが縮地の極み……」


 祭我が予知した光景は、山水から指導を受けた面々にも見えていた。

 フウケイの縮地は、つまり本来の縮地は、ある程度予兆があるうえで姿を消し、移動するという技だった。

 それに対して改良されたスイボクの縮地は、一切予兆なく移動し、そこから攻撃するという技だった。


「化け物だ……」


 ランがそうつぶやいていた。

 山水の縮地にさえ対応できなかった彼女は、スイボクの縮地に言葉を失っていた。


 終わっていたのだ。縮地によってフウケイの懐に飛び込んでいたスイボクは、既にヴァジュラを奪いながら天の剣を振りぬいていたのだ。

 縮地による移動が終わったときには、縮地による攻撃が終わっていたのである。

 それはもはや、完全に別の技になっていたと言っていい。


「……なあ、おい。何が起きたんだよ」


 正蔵は閃光しか見えなかった。

 しかし、予知によってコマ送りのように認識することができた祭我は、正しく伝えることができていた。


「ワープ中に攻撃したというか、時間を止めて攻撃していた」


 移動時間をすっ飛ばすのが縮地なら、スイボクは攻撃時間さえもすっ飛ばしている。否、戦闘時間さえすっ飛ばしている。

 それはまさしく、時間という次元に囚われた者には抵抗できない技だった。


「本当に、次元が違う」

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