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第七

「別に、無敵になるというわけじゃあない。ただ、受けた『力』を拡散させているだけだ。原理的に言えば仙術と通常の物理攻撃に対して最大の効果を発揮するが、それが目的というわけでもない」


 スイボクは、長い時間悩んでいた。

 ああでもない、こうでもないと苦しんでいた。

 どうすれば自分はもっと強くなれるのか、どうすればあらゆる敵に勝てるのか。

 それこそ、地上を歩きつくしても、あらゆる敵を倒してもまだ満足できなかった。


「ただ……そうだな、この境地を目指して、きちんと形にして名前をつけて。それでようやくわかったんだ。僕は……誰かに褒めて欲しかった、凄いと認めてほしかった、強いと畏れられたかった」


 とても、単純でありきたりで、珍しいどころか世界中の人間が思っていることだった。

 しかし、最も強いとはそういうことなのだろう。同じ分野、同じ競技、同じ範囲で最も優れているというだけなのだろう。

 違う、異なるのであれば、そもそも比較対象として間違っている。


「会ったこともない子供から英雄だと憧れられたかった、剣の道を歩む者から敬われたかった、戦って倒した相手から褒め称えられたかった」


 誰でも持っている欲求を、スイボクは素直に認めていた。


「何かを壊したかったわけではないし、誰かを殺したかったわけでもない。羨ましいと思われたり、妬まれたかった。でも恨まれたいわけじゃなかった」


 故に、問答三昧。

 防御のためではなく、対話のための境地。

 自分がしたかったことを、認めた境地。

 もう、通り過ぎた境地。


「こんな技は、必要ない。無敵になって相手が諦めるまで待つ必要はないし、疲れ果てるまで話続ける必要もない」


 競い合い、語り合いたかった。

 その為に、長い時間を賭した。

 その欲求に気付くことに、どうしようもなく時間をかけていた。


「話がしたければ、普通に話しかければよかった。戦いをするとしても、殺す必要はなかった」

「……馬鹿な」


 スイボクの言葉が、フウケイには届かない。

 ただ一重に、自分の攻撃が届かないことへ呆然としていた。

 あらゆる攻撃を虚空へ流す、その防御術を捨てて更なる境地に踏み込んだ、スイボクの精神性が信じられなかった。

 この技を通過点とした意味が、彼にはわからなかったのだ。


「だから、この技は託さなかった。僕の弟子には、こんな技は必要ないんだ。殺さなくてもいい相手、殺したくない相手は殺さずに済ませることができる。その後にゆっくりと話ができる。……僕の自慢の弟子は、それができる、できている」


 だから、嬉しかったのだ。

 千五百年の断絶の後、どれだけ変わり果てたかもわからない世界へ送り出した弟子。

 その弟子が自分の元へ案内させた、自分の流れを継承したいという男たち。

 その彼らの存在が、どれだけ嬉しかったのかなど、伝える必要がない事だった。


「あの子は、僕の理想を引き継いで形にしてくれた。僕にはその理想を形にする資格がないことは、君にはよくわかることだろう。結局、僕の過去は決して変わらない。僕の行いは、無駄であり大罪だ。その僕にできることは、弟子に夢を託すことだけだったんだ」

「馬鹿な……馬鹿な!」


 フウケイは恐怖から大きく飛び退いて、周囲の大地を操ってぶつけていく。風の刃を放っていく。

 スイボクはそれを無防備に受け入れる。そして、スイボクに命中した如何なる攻撃も、まったく無音で停止し、大地に落ちていく。

 それはあらゆる大前提を覆す結果だった。この技が発動した時点で、もうすべて終わっていたのだ。

 フウケイは、当たりさえすればスイボクを倒せると信じて疑わずに戦っていたのだ。

 しかし、しかし、しかし、しかし。

 フウケイの攻撃は、当たってもなお傷一つ付けることができなかった。


「僕は昔、月を斬りたいと思っていた。君にも昔そう語ったと思う、でも月になりたかったわけじゃない。月がなぜ切れないと思う? 大きいからか、硬いからか? ちがう、遠いからだ。それで斬れないなんて、当たり前すぎる。そんな物になっても、ただ狡いだけだ」


 強さを手段とする者には、勝利を目的とする者には、無傷でいたいと思う者には、決して理解できないことを語る。


「お互いの剣が届く所で戦ってこそ、お互いの命に手が届く所で戦ってこそ、お互いの技を競い合える。こんな技は必要ない、邪魔なだけだ。でも……」

 

 一つ、禁じ手を晒した。それだけで、絶望に歪む兄弟子を前に悲哀を向ける。


「全力で戦うことが礼儀だということも、分かる」

「ふざ、ふざけるな!」


 巨大な氷塊を落下させ、スイボクの頭上に落す。

 風を切って落下する音さえ恐怖を誘うそれが、スイボクの髪に触れるだけで揺らすこともなく静止する。

 当然のようにスイボクは不動であり、氷塊はしばらくスイボクの頭の上でバランスが保たれ、完全に停止していた。その上で落下し、ようやく音を立てる。


「君が決着を、自分の死を望むならそれを与えよう。他人と競い合いたい、その理想に気付いた今では、使うべきではない技のすべてを賭して」

「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 このままでは、千日手だった。

 スイボクは先ほどまでフウケイを殺しきれなかった。それだけが心のよりどころだった。

 だが、今のフウケイはスイボクを殺すどころか、髪を揺らすこともできなかった。

 傷を負ってから復活するフウケイと違い、スイボクは傷を負うことさえないのだ。それが何を意味するのか、もう考えたくもない事だった。

 思考が停止したからこそ、最大の技にかける。


風景流仙術、天動法絶招、九天応元雷声普化天尊。


「そんなわけが、あってたまるかああああああああああああああああああああああああ!」


 天上に蓄積されていた、膨大な負の電荷。

 それが一点に集中して光の柱となる。


「お前に、お前に、これが受けられるか! 斬れるか! 避けられるか!」


 途中に存在した、正蔵の生み出した太陽を切り裂いて、暗雲のすべてでため込んだ力を叩き込む。


「雷より早く動く者など、雷を切り裂ける者など、いるものかぁああああああああああ!」


 一瞬だけの輝きという、細い光が走るというレベルではない。

 ほとばしる雷電が、大地と天空を繋いでいた。



 アルカナ王国とドミノ共和国の国境で行われている戦闘。

 しかし、そこでヴァジュラを用いているフウケイの生み出した暗雲は、両国全体を覆っていた。

 それはつまり、遠いソペードの領地で休暇を楽しんでいる山水も、そのまま不穏な空気を感じ取っていた。


「仙人がヴァジュラを使用している、だったか……」


 国全体が、朝も昼もなく日光の届かない暗闇に閉ざされている。

 余りにもわかりやすい異常事態に、状況を山水から聞いてるブロワは心配そうに、実家の窓から空を見上げていた。


「本当に、大丈夫なのか」


 ブロワの質問は、彼女の兄妹全員にとっても共通の懸念だった。

 なにせ、今が朝か夜かもわからないほどの暗雲が空をふさいでいるにも関わらず、一滴の雨も降ってこないのだ。

 また、季節外れなことに湖面へ薄く氷が張っているという報告も入っていた。

 これで不安にならない方が間違っている。


「あらあら、大丈夫よブロワ」

「そうだぞ、ブロワ。少しは婿になる男を信じてあげなさい」


 しかし、ご両親は泰然としていた。

 なにせ、原則指示待ちの人間である。ソペードの本家からはあらかじめ『何があっても山水は休暇だから』と言われていたし、状況を教えてくれた山水自身も落ち着き払っている。それで自分が心配しても、と思っているのだろう。


「……ねえ、パパ。本当に大丈夫?」

「ああ、大丈夫だぞレイン。なにせ相手は仙人だからな、確実に師匠のお知り合いだ。俺が気付いているんだから、師匠がとっくに動いている」


 なにせ、国土全体を覆う暗雲に、仙術の気配が混じっているのだ。そりゃあ仙人が関わっていると山水が悟るのは当然である。

 自分が察するのだから、師匠はより早く察するだろう。なにせ、確実に師匠のお知り合いであるはずだし。

 そして、この世でもっとも強い己の師匠が動くならば、他の切り札たちが動くのが無駄に思えるほどである。


「師匠は次元が違うからな、戦闘になっても負けることはない」

「いや……しかし、これは……」


 ブロワの心中は穏やかではない。

 なにせ、本来の仙人は周囲の気象条件で使える術が増えると聞いたことがある。

 そして、それにヴァジュラが加わっているこの状況では、このまま世界が滅びても不思議ではなかった。


「私の風魔法など、遊びのようなものだ」


 対人程度のブロワでは、空を覆う暗雲には太刀打ちできる気もしない。

 いいや、いつか見たカプトの切り札さえ超えている。

 これだけの事ができる、というだけでも仙人の恐ろしさがわかる。


「そんなに卑屈にならなくても……」

「とにかく、本当に大丈夫なのか?」

「落ち着いて座れよ、今は護衛とかじゃないんだし」


 娘も嫁も腹が立つほどに、山水は泰然としていた。

 確かに今のブロワもサンスイも、ドゥーウェの護衛でもなんでもない。

 しかし、いくら何でも落ち着きすぎである。危機感を持ってほしいところだった。


「お前の師には、スイボク殿には、あの暗雲をどうにかする術があるのか?」

「ある、なんでも切れる剣という術がな。名前は知らないけど、そういう必殺技を生み出したことがあるらしい」


 なんでも切れる剣。なるほど、単純ながらも確かに凄そうな術ではある。

 しかし、そんな対人仕様の術で、この暗雲をどうにかできるというのだろうか。


「お前は王家から『雷切』と呼ばれているが……お前の師匠は暗雲さえも切り裂くのか?」

「いいや、そんなことはしない。俺と同じ次元で師匠を考えない方がいいぞ、師匠が俺に引き継がなかった術は、俺の戦闘方法とは全然違うからな」


 詳しい説明をしようとしたところで、窓の外が光った。

 今まで不気味なほどに沈黙を保っていた暗雲から、膨大な雷がほとばしっていた。

 それどころか、静止していた雲が南東に向かって急速に動き出していた。


「……本当に、大丈夫か?」

「大丈夫、師匠は負けないよ」



『ぎゃああああああ!』


 目の前に降り注ぐ、雷の輝き。その閃光は、他ならぬノアの感覚を焼いていた。

 電撃そのものは防げているが、その輝きで前が見えなくなりそうだった。

 それは、乗り込んでいる面々も同様だった。長時間持続する雷で、何も見えなくなっている。

 本命中の本命であろう、天を操る術の最大奥義が放たれていた。


「こ、これは……俺でも無理だ! なんてインフレだ!」


 正蔵は天空のすべてから落ちてくるエネルギーの量に愕然としていた。

 この世界では、流石に自分の破壊力が最高だと思っていた。それが、こうもあっさり塗り替えられるとは思っていなかった。


「スイボクへの恐怖が、ヴァジュラの力をより増大させたのか?! クソ、どうなってるんだ!」


 本来雷の大電流は人間をあっさりと即死させる。

 それこそ、魔法使いの一部が操る風の上位属性である雷でさえ、人間を一人殺すには過剰なほどなのだ。

 それが、本物の雷である。それが通常よりもはるかに強大な形で発揮され、それが持続しているのだ。

 消し炭さえ残っていないだろう、普通なら。

 しかし、今のスイボクは絶対防御にも見える術を使っていた。それとの拮抗なのか、膨大な雷は休むことなく大地へ降り注いでいる。


「スイボクさん……スイボクさん!」


 負けるとは、思っていない。

 雷を操る術そのものは、スイボクも使えるであろうし想定していないわけがない。

 だがその想定が、これほどだとは想像できただろうか?

 祭我は彼の身を案じる。これほどの力を前に、人は平常心を保てるのかわからないのだ。

 平常心が乱れれば、そのまま術が解けかねない。


「スイボク~~~!」


 エッケザックスが叫んでいた。

 その言葉が、スイボクに届くわけもないと分かった上で。

 そう、誰もがこの状況に困惑していたのだ。ただ一人、スイボクを除いて全員が。


『……馬鹿な』


 その呟きは、フウケイに握られているヴァジュラの物だった。

 彼女は理解していた。自分を操るフウケイが、目の前のスイボクに対して尋常ならざる恐怖を抱いていたと。

 それが更なる力を自分に与え、最大規模の大電流を空から降り注がせていた。


『そんな、馬鹿な……』


 そう、それは事実なのだ。だが、本来雷とは一瞬だけほとばしるものであって、こうも長時間大地に落ちるものではない。

 加えて、はっきり言えばフウケイもヴァジュラも、とっくに術を解除していたのだ。


「……まさか、まさか?」


 大地とつながっているフウケイは、大地に雷が注がれればそれを感知することができる。

 しかし、それがまったくない。同時に、自分の放った落雷が虚空に消えている感触もない。


「そんな……馬鹿な話があるわけが……」


 雷光が収まったとき、そこには別の柱がそそり立っていた。

 黒い柱が、大地と天空を繋いでいた。


「フウケイ、やはり僕と君は同門だ。考えることは変わらなかったらしい」


 当然のように、まるで怯みもしないスイボクの声が聞こえてきた。

 悲しげではあっても平常で平静で、死力を賭して命を繋いだようには聞こえなかった。


「天を動かす仙術は強力であるが、天候に左右されてしまう。自分で雲を生み出すとしても、時間がかかりすぎる」


 上に登ったものが、下に落ちる。それは自然の循環、水の循環である。

 ある意味では、フウケイはヴァジュラと仙術で、無理矢理雲を維持していた。

 今回の落雷の術に合わせて、スイボクは自然の流れを後押しした。

 上空で無理矢理維持されていた雲が、大地へと落ちていく。

 雲は雲のまま、風は風のまま、雨は雨のままに大地へ注がれていく。


「だから、こう思った。『天候を持ち運べばいい』。我ながら、不遜な話だ」


 スイボク以外の全員が、黒い柱を仰ぎ見た。

 それは黒煙に似て、しかし逆だった。大地から空へ登り充満していくのではない。天空に満ちていた暗雲が、凄まじい速度でスイボクの真上に集まり、そのまま直下のスイボクに向かって落ちていく、吸われていく。


「これは、未練だ。エッケザックスを捨てておいて、エッケザックスを越える剣を生み出そうとした、僕の心の弱さだ」


 国家全体を覆っていた暗雲が、一点に集中していく。

 欠片一つ残すことなく、一人の男の手元へ集まっていく。


「水墨流仙術気功剣法(きこうけんほう)絶招、十牛図第七図“忘牛存人”」


 木刀を腰に差し戻したスイボクが、雲一つ残っていない満点の星空の下で、一本の剣に凝縮された『天空のすべて』を握りしめていた。


「天上天下唯我独尊」


 それは、傲慢を悔いた戒めの名前だった。

 天空のすべてを己がものとして、それを掌中に収めた己の愚かさを自虐した名前だった。

 剣の形、剣の大きさに押し縮めた暗雲を、スイボクは静かに掴んでいた。


天蓋乃刃(テンガイノヤイバ)


 そしてようやく、フウケイはスイボクの事を理解していた。


 こいつは、人間じゃない。

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