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固執

 体術の技量で勝る相手に対して、接近戦を仕掛けない。

 精密な一点集中の攻撃ではなく、面制圧の技で回避可能な場所を残さない。

 方向性としては、とても正しかった。真上から落ちてくる空気の塊。それは人間がやり過ごす隙間を残していない。

 その攻撃から逃れる術を持たなかった、否、逃れなかったスイボクは、攻撃を受け入れていた。


「凄まじい……」


 そうつぶやいたのはノアに乗り込んでいる、元々近衛兵に属する男だった。

 アルカナやドミノでは、魔法は一般的に広く普及している。当然、風を操る魔法は存在し、風の圧力による攻撃も存在していた。

 しかし、文字通り規格が違う。風というものは、早いが軽い。人間を押し飛ばすことはできても、押しつぶすことはできない。

 まして、それが地表を変形させるほどの力を持つなど、人間技ではありえない。

 戦闘に特化している山水の仙術とちがい、本来の仙術とは自然現象を操る術だという。それが何を意味するのか、誰もが体験していた。

 

「ヴァジュラをここまで使いこなすか……!」


 同じくヴァジュラの使い手だった右京は、改めて理解する。

 気象を操る仙人が、何故ヴァジュラを求めたのかを。本来ヴァジュラも仙術も、気象を操るという大規模な術ゆえに個人に対する戦闘には不向きだった。

 しかし二つが合わさることで、ありえないほどの即効性を得ている。少なくとも、素人である右京は、今の攻撃が不可避なのではないかと疑っていた。


「なんで、縮地で機先を制さないんだ?!」


 祭我の疑問は、バトラブとソペードの人間には当然の発想だった。

 確かに攻撃そのものは不可避でも、攻撃の始まりは見えていた。スイボクではなく山水ならば、相手が空気を落とすよりも早く攻撃を妨害しているはずだった。

 フウケイの縮地と違い、山水に引き継がれたスイボクの縮地は、一切予備動作が存在しない。それは一瞬で移動する縮地を、更に不可避の速攻に変えている。

 スイボクが、それをしない理由が思いつかなかった。


「それは……おそらく受け止めようとしているのではないでしょうか」


 スイボク同様に、フウケイの事を哀れむパレットはそう感じていた。

 余りにも哀しい両者の衝突は、彼女にとっても悲劇である。

 だからこそ、受け止めねばならないこともあるのだと感じていた。


「昔はどうあれ、今のスイボク様はとても成熟していらっしゃいます。自分の罪を認める余り、フウケイ様の行動を妨害し続けることができないのでしょう」


 やろうと思えば、何もさせずに封殺できる。そしてそれは既に実演されている。

 だが、フウケイが不死身であることを差し引いても、無尽蔵の仙気を宿すとしても、心理的にそれが難しいのだろう。

 だから、あえてフウケイに攻撃を許している。フウケイに攻撃させて、それに対処しているのだろう。彼女はそう感じていた。

 もちろん、そうした気遣いがフウケイの抱える怒りの炎により一層の油を注ぐと、スイボクもパレットも理解しているのだが。


「……おそらく、スイボクは地中に潜って難を逃れたな」


 エッケザックスは、そう解説する。

 説明を受ければ、なるほどと理解できる。確かに仙術ならできそうだった。


「仙術には水へ潜るように地中へ潜る技がある。当然、高速移動などできるわけではないが、一旦潜れば大地のすべてを防御壁として使える。こうなると、仙術でも引っ張り出すことは難しい。拮抗状態にしかならんがな」

「それならば、ここからさらに畳みかけるはずだ」


 エッケザックスの言葉に、ダインスレイフが付け足す。

 そう、双方ともに仙術使い、仙人である。お互いに何ができるのか、わかり切っているはずだ。

 少なくとも、フウケイはスイボクを倒す為に準備してきた。上空から地表への風圧攻撃に対して、地面に潜って回避するという展開は、想定していて当然だった。


「そうだ、そう避けると思っていた!」


 その言葉に応えるように、フウケイは術を続ける。

 相手は地面に潜った、なるほど手出しはしにくい。

 しかし、それは通常の仙人の話。今のフウケイには該当しない。

 彼はその無尽蔵の仙気によって、周辺の大地を支配している。

 それはつまり、大地に潜んだスイボクの位置を補足できると共に、その周辺の大地を浮かび上がらせることができるということである。


「どうだ、もう逃げられまい!」


 スイボクの潜んだ大地、その周辺だけを浮かび上がらせて持ち上げる。

 それはつまり、スイボクの移動の枕を抑える行為だった。スイボクがどれほどの天才だとしても、ここから行動するにはまず隔離された大地から抜け出ねばならない。

 つまり、くりぬいた大地から出さなければフウケイは勝てるということだった。


「風景流仙術天地法絶招、“盤古(ばんこ)”天地混沌!」


 ヴァジュラと仙術によって、大地を削る剛風が吹き荒れる。

 一切くりぬいた地表を高速で小さくしていくその風の檻は、人間が抜け出る隙間を一切残していない。

 それはつまり、遠からず逃げ場を失ったスイボクが、風の餌食になることを意味していた。


「もう逃がさん! 無駄口も叩かせん! このまま削り切ってやる!」


 フウケイは、確かにスイボクの気配を感じ取っていた。

 くりぬいた大地の中に、スイボクはいる。囮でも偽装でもなく、本人が土の中にいる。

 このままいけば、確実に殺せる。フウケイが三千年の時をかけて作り上げた必勝の型は、正にスイボクを殺そうとしていた。


「硬身功で凌ぐか?! だが一度でも風でとらえればそのまま削り殺してやる! 人参果の術で延命しても、追いつかぬほどに粉砕してやる!」


 スイボクの強さ、その根幹は戦闘センスにあった。少なくとも、三千年以上前からそうだったのだ。

 スイボクには、まず攻撃を当てねばならない。それが途方もない難行であり、苦悩だった。それさえできれば殺せる、そういう境地にフウケイは立っていた。

 今の状態に至るために、フウケイは三千年を費やしていた。


「さあ、どうする! どうするのだスイボク!」


 これで勝てる、これで殺せる、これで終わりだ。

 長く、永く、遥か昔から目指していた偉業を達成しようとしている。

 こんなにもあっさりと、憎んでいたはずのスイボクを殺せる形に入った。

 おかしい、こんなに容易く殺せるわけはない。

 これなら殺せると思い、必死の修練を重ねてきたにもかかわらず、こんなにもあっさりと死ぬわけがないと心が逸る。

 

「さあ、どうする、どうする!」


 フウケイの表情は、勝利を確信した笑みではなく、もしも長年研鑽してきたこの技が破られたらどうしよう、という恐怖がにじんでいた。


「この形に入ってしまえば、お前に活路はない!」


 さながら、竜巻に包まれたが如き土の塊。フウケイは想像の中のスイボクと戦いながら、その『形』を維持していた。


「フウケイ……」


 土中は暗闇であった。暗雲の下に現れた太陽が届かぬほどに、土中は無明だった。

 その中で沈むスイボクは、耳に届く轟音が不快に思えないほど浸っていた。


「すまない……本当に、すまない……」


 外側に在って、土中のスイボクをフウケイが感知しているように、土中に在ってもスイボクはフウケイを感じていた。

 どこにいるのか、何をしているのか。それをすべて感じ取っていた。


「君を、そんなに変り果てさせてしまったのは、僕の……僕の罪だ」


 殊更に哀しいのは、フウケイの精神だ。完全に病んでおり、自己矛盾で身動きが取れなくなっている。

 スイボクをいさめることを目的としていたはずなのに、スイボクを殺すことに執着している。それをしない理由を、脳内から排除していた。


「ああ……ああ……」


 見えているのに見えていない振りをして、聞こえているのに聞こえていない振りをして、気づいているのに気づいていない振りをしていた。


「なんて未熟なんだ、僕は……」


 滲む涙を土に吸わせながら、スイボクは仙術を使用する。

 それ自体は、たわいもない術だった。土を固めて石に変える、そんな些細な術だった。


「ははは! 今更石牢の術か! 遅い、遅いぞ! その術でこの猛風から身を守れるほどの大きさの岩を、今から作れるものか! 絶対に間に合わん!」


 スイボクがつぶやいた言葉は、猛風に遮られてフウケイに届かない。しかし、土の内部に集中しているフウケイは、削られていく土の中で、いくつもの石が出来上がっていくのを感じていた。

 なるほど、土よりは石の方が削ることに時間がかかる。しかし、それは延命にしかならない。

 仙術は無から有を生み出す術ではない。既にある土を石に変えることはできても、いきなり鉄などを生み出すことはできないし、内部で土塊を増やすこともできない。

 土を縮めて石に変えることができても、それで身を守っても、それは数秒数分延命するだけだった。

 

「認めろ、お前はそのまま太陽を見ることもなく息絶えるのだ!」


 フウケイは忘れようとしていた。この結果が、自分の実力だと思い込もうとしていた。つまりはスイボクが、先ほど首を差し出してもいいと言っていたことを考えないようにしていた。

 それは自分の修行を否定することに他ならないからだ。


「君に殺されてもいいとは思っている」


 会話をしているわけではない。しかし、土の中のスイボクはフウケイを感じていた。

 彼が何を考えているのか、察していた。


「だが、君を相手に、殺されて『見せる』つもりはない……」


 スイボクは、律儀だった。

 戦うと決めたからには、殺されてやろうとは思っていなかった。

 もしもそうならば、先ほどの攻防で『斬られてやっていた』はずである。

 それがフウケイにとってどれだけ不本意な結果になったとしても、戦うからには最善を尽くすつもりだった。


 そして、今のスイボクにとってこの状況は欠片も窮地ではない。

 この状況は、形である。形には必然があり、意図がある。

 如何にこの術が、神宝や常識外の仙気によって行われているとしても、結局自然の力を用いていることに変わりはない。

 なるほど、フウケイはスイボクを殺すために三千年を費やしてきた。仙人として、如何に仙人を殺すかを考えてきた。

 その執念には頭が下がるし、自分とは違うと思っている。

 その一方で、スイボクもまた仙術に対する理解は深い。仙人を如何に攻略するかを考えたことはないが、仙術で如何に人を殺すかは考え続けていた。

 その中には、当然こうした術を使うことも入っている。


「友よ、君には足りない物がある。それは……」


 スイボクは、土塊の中でいくつもの石を作っていた。

 しかしそれは掌の中に生み出したのではなく、自分から離れた場所に、土塊の外側に生み出していたのである。

 それは身を守るためではなく、攻撃のための準備だった。


「沢山ありすぎて、一言では言い切れない」


 土の中で、発勁を放つ。

 当然だが、土の中でも発勁の振動は伝わる。その伝達力は、空気中よりも上だった。

 押し出す波は、高速で広がっていく。土を素通りしていくそれは、当然のように石にも届く。

 そして、土よりも削られる速度が遅い石は、弾丸のように発射されていた。


「フウケイ、君は天を手にしているのかもしれないが……それを不遜だと僕に教えてくれたのは君だったじゃないか……」


 大気を操作することによる掘削。それは風の壁を攻撃的に使用しているということである。

 魔法でも仙術でも、風による防御壁は存在している。どちらも原則として、攻撃を受け止めるというものではない。

 どれほどの強風を操るとしても、相手の攻撃を真っ向から受け止めるということはない。あくまでも相手の攻撃を弱めたり、方向を逸らすものだ。

 強風の中、矢が遠くまで飛ばなかったり狙いがそれることはある。しかし、空中で突然止まることはないし、反対側へ向かっていくということもないのだ。


「苦し紛れだ!」


 フウケイは猛風の檻を突破して放たれた石の弾丸を見ていた。

 見ていたうえで、無視していた。確かに石の弾丸は、脱出不可能に見えた風を突破した。

 フウケイもスイボクも、お互いの位置を観測できる。狙いを定めることは可能だろう。

 だが、土塊の周りを削っている風は、発射された石の軌道を変えていた。定めていた方向に飛ぶことはない。

 

「……がっ?!」

「苦しんでいるのは君だ、紛らわせようとしているのも……君だ」


 魔法で生み出した風ではなく、ヴァジュラや仙術で生み出した風ならば、それは自然の風である。それは仙人であるスイボクには容易く読める風だった。それこそ、土の内部からでも、どう動いているのか読めるほどに。


「長々攻撃してくるから、どの方向へ、どの速さで打ち出せば君に当たるのか考えるのは容易だった」


 人間の頭の半分は有ろうかという石が、フウケイの横っ面に激突していた。

 それは完全に不意の一撃だった。例えば数度撃って軌道を補正すれば、命中するかもしれないと危機感を感じたかもしれない。大量に発射すれば、一発は当たるだろうと考えたかもしれない。

 だがまさか、四方八方へ放たれた石の弾丸のすべてが、顔や膝、腹部などに全弾命中するとは、考えていなかった。


「時間をかけることが、必ずしも良い事とは限らない。そうも君は教えてくれていたよ」


 フウケイは不死身である。しかし、攻撃を受ければ怯みもする。術を使っていれば、中断することになってしまう。

 大地を浮かばせる術は継続されていたが、ヴァジュラを使っていた関係もあって風の檻は収まっていた。

 それを読んでいたスイボクは、悠々と土塊の底から脱出する。

 

「安易な考えに逃げ込むなとも教えてくれたし、自然の観察を忘れるなとも言ってくれた」


 急いで地面に降りることなく、あえてゆったりとしながら無防備に落下していく。

 余りにも遅くなった、遠くなった言葉を語り掛けながら、哀しみの目を向けていた。


「行き詰って途方にくれた時、思い出したのは君からの苦言だった。君と別れてから千五百年も経って、僕はようやく君のありがたさを思い知った。そこから千五百年、僕は君の事を忘れたことはない」


もはや、皮肉にしかならない感謝の言葉を述べる。

 今更過ぎるが、感謝を伝えたかったのだ。


「君の言葉の多くを、弟子に伝えたよ。だからだろう、僕の弟子はとても素直な仙人に育ってくれた……本当に、君には感謝しているんだ……」

「スイボク……スイボク! スイボク!」


 フウケイの遠のいていた意識が、ゆっくりと蘇る。

 受けた怪我は治療され、既にフウケイは復帰していた。

 だが、スイボクを必ず殺すための形は破られている。

 特に何のこともなく生還された。必勝必殺を謳った技は、磨き上げた絶招は、初見で破られていた。特に苦労もなく、危機感を与えることもなく霧散していた。


「お前は……ああ、そういう男だった!」

「君は、変わらないな。根の部分で、とてもまじめだった」


 フウケイは激昂していた。

 憎悪をぶつけているのに、哀愁を返すのみ。

 殺意を向けているのに、あしらわれ続けている。

 神の名を与えた技は、しかし悟りの名を持つ技に破られていた。


「そんなお前を、己は……!」


 余裕をもって降りていくスイボクに向けて、当たるはずもない風の刃を放つ。

 平静とは程遠い怒りの一撃は、フウケイをして当たると思っていない。

 どう回避されるか、その次の行動を見て対処するつもりだった。

 風によって上に避けるか、重身功で下に加速するか、体勢を変えてその場にとどまるか。

 それによって追い込んでいこうとするフウケイの眼前から、スイボクは消えていた。


「馬鹿な……空中で縮地だと?! 隠形の術ではないのか?!」

〈流石に土中からでは無理だが……空中でなら縮地は使えるようになったよ〉

「山彦の術だと……?! 姿を見せろ!」


 仙人も、人間ではある。特有の知覚、気配を感じる能力はあるが、基本的に視覚に偏ってしまっている。それは、戦闘中なら尚の事だった。

 そもそも、仙人は戦うことを目標としていないため、気配を感じる能力はあくまでも自然を感じるためにある。

 フウケイも基本は同様である。よほど強烈な気配を感じているか、或いは『そこにいるはずだ』と目に映らなくなった相手を強く意識していれば、視界に存在しなくても感じることはできる。

 しかし、視界でとらえていた相手がいきなり消えれば、気配の探知も難しくなってしまう。

 山水がランと戦っていた時も、観戦している面々の気配を区別しながら把握できているのは、戦闘のためにスイボクが到達した境地を模倣しているからに他ならない。

 つまり、それはそれでスイボクの絶招であり、独創である。いきなりフウケイが真似しようと思ってもできることではない。


〈どれほど力を付けても、正しくなければならない。正しさに勝るものはないと、君は何時だって教えてくれたのに〉

「お前が……お前がほざくな! 己が正しくあろうとしても、お前を正そうとしても、一切合切を打ち破ってきた、お前が言うな!」


 人間は、というよりは単眼の生物は、基本的に遠くを見ようとすると視野が狭まる。特定の物を凝視する場合も同様であり、全体を見ることがとても難しい。

 誰かと会話をするときも、その会話に集中するあまり他の音が聞こえなくなったり、よほど大きな音を出さなければ注意が向かなくなることがある。

 気配の探知も同様で、戦闘中に興奮していればどうしても雑になってしまう。

 広い野外で相手を見失い、広範囲を探知しようとすればどうしても見つかりにくくなる

 

「だから己は、私はお前になろうと思ったんだ!」


 そんなことは、フウケイもわかっている。スイボクが本気になって隠れれば、見つけることは困難を極める。

 だからこそ、接近を警戒する。探知を諦めて、襲撃に備える。

 それも三千年前、よく受けた屈辱だった。


〈懐かしいね、昔は僕を見失った君に小便をひっかけて馬鹿にしていたが……いや、本当にごめん。なんというか、ずいぶん僕は君との思い出を美化していたようだ……謝ることが多すぎて困るな……〉


 昔の思い出を語ろうとして、相手を怒らせることしか思い出せないことを恥じているスイボク。

 遠くから語り掛ける山彦の術によって、その位置はまるでつかめない。


〈君との付き合いも千年あった……千年分、つもりにつもっていたのに、それを一言二言の謝罪や、僕の首一つで許してもらえるわけがないな……〉

「黙れ!」

〈君は僕に勝利したいようだが……全力で戦い、討ち破りたいようだが……僕はそれもできない。本当に、ままならないものだ……〉

「……!」


 焦ってはいけない、冷静にならねばならない。

 こうやって翻弄されるのは、今に始まったことではない。

 三千年以上昔も、よくこうやってからかわれたものだ。


「……」


 落ち着こうとするが、落ち着かない。

 他の誰かが相手ならともかく、今のフウケイはスイボクを殺す為だけに鍛錬を重ねてきた。

 それこそ、スイボクが言ったように、フウケイにはスイボクへの恨みが大量にある。

 それを修行の原動力としていた彼は、スイボクに翻弄されているこの状況で冷静になることができなかった。

 それこそ、何から何まで憎い弟弟子(おとうとでし)の愚行蛮行が脳裏をよぎる。

 そう、昔も……


「まさか?!」


 この時、フウケイがスイボクを探すことに『集中』していなければ、或いは気付けたかもしれない。

 ノアに乗り込んでいる面々が、フウケイの頭上に潜むスイボクへ注目していた、その意識の流れを感じ取っていたかもしれない。

 顔を真っ赤にして腹を抱えていた、ドゥーウェの気配に不快さを感じていたかもしれない。


「僕は昔、よく君の頭を踏んづけていた」


 フウケイが頭上を見上げた時、正蔵が作り出した太陽は人の影によって遮られていた。


「正直懐かしくなって踏みたくなったが、それは流石にまずいと思って……」


 空を見上げるフウケイの顔を、逆立ちしているスイボクの掌が覆っていた。

 第三者の目線からはフウケイの上にスイボクが、木刀を掴んでいない手で片手倒立をしているようにしか見えないだろう。


「結果的に、これはこれで失礼な形になってしまった」

「おま……」

「すまない」


 重身功。

 山水が使えないそれを、スイボクも当然のように使うことができる。

 大きくのけぞりながら見上げようとした姿勢のフウケイは、常時重身功を発動させている。その重さに加えて、軽身功から一気に重身功へ切り替えたスイボクの体重が頭に発生する。

 踏ん張りがきかない体勢で、頭にかけられた重量。首がつながったままとはいえ、フウケイの頭部が地面へ落下することを意味していた。


「処罰として、報復として殺したいというのなら受け入れるが……戦闘の結果として勝利を君に与えることはできない」


 スイボクがつかんでいた頭は、ぐしゃりと潰れていた。

 足の裏は接地したまま膝が曲がり、後ろへ倒れた姿勢のフウケイは、高速でその損傷を修復していく。


「君は強くなったが、間違っている。間違った強さに、僕は負けないよ」


 その修復が終わるよりも早く、崩れた顔から手を放したスイボクは軽やかに浮かんで体勢を整えつつ、ようやく地面に降り立った。

 

「君は、間違えた。そして勘違いをしている。だから……勝てない」

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