翻弄
「トオン、無事?」
「ああドゥーウェ、大丈夫だ。情けないことだが、命を救われた」
ほんの一細工、一工夫で敵との優劣を覆す。それは本来自分だけではなく相手にもあるものだ。
少なくとも、本気になったフウケイはその一工夫を全く怠らなかった。そういう意味でも、フウケイはとてもまともで強かった。
最初、或いは粛清隊との戦いでも、基本的に体術やそれを補助する仙術だけで立ち回っていた。つまりは、本命であるスイボクとの練習のつもりだったのだろう。
「情けない……本当に情けない……サンスイ殿に、もっとしごいていただかねば。エッケザックス殿、貴女からも警告をいただいたにもかかわらず、無駄にしてしまった」
「それを言うならば、三人全員だ。少なくとも私は、そう思う。この辺りの隙が、サンスイや……あそこのスイボクとの間にある差なのだろう」
ノアに乗り込んでいる面々は、改めて戦慄していた。少なくとも、あの場に先ほどまでいた三人は、ほぼ隙なく立ち回っていたように見えた。
しかし、それでもどうしようもなく劣勢になってしまった。この三人でもこれなのだから、自分達ではどうにもならなかっただろうと察してしまう。
「エッケザックス……その」
「……おそらくではあるが、大丈夫であろう。それに、スイボクは既に我を捨てておる。この場に身を投じることは許されまい」
スイボクの剣として、戦うべきではないか。
そう思っていた祭我を遮って、エッケザックスは首を横に振る。
というよりも、この戦いは既に段階が変わっている。
フウケイはそれこそ、スイボクの流れを汲む者を皆殺しにするつもりだった。
しかし、今のスイボクを見てそれをするつもりは失せているだろう。
「スイボクが勝っても負けても、どのみちフウケイの旅は終わりを迎える。そういう意味でも、我らにできることは見守ることぐらいじゃ」
『そ、そんなことより逃げないと!』
ノアは船体を揺さぶろうとしていた。
はっきり言って、仙人同士の戦いに巻き込まれるなどごめんである。
「あほか、この俺が乗っている船だ。それはつまり、この戦いを見届ける義務があるってことだ」
現時点で既に、この国に冷害が発生している。
それはつまり、右京の判断によってこの国に多大な被害が生じたことを意味している。既にここで結果が出ることが確定している以上、右京は最後まで結果を見届ける義務があった。
もちろん、勝手な理屈ではあったのだが。
『ああ、もう! なんでこんなに八種神宝が揃っているのに、パンドラだけいないの?! パンドラがいれば、不死身でも仙人でも殺せるのに!』
避難船らしからぬ過激発言が飛び出していた。
実際、いて欲しい時にいないのがパンドラであった。
「無いものねだりなんぞするな、それよりも戦いを見届けるぞ。こっちは義務を振りかざして仙人と戦ってたってのに、結局筋道を通そうとする仙人に任せちまったんだ。せめて報告できるようにしとけ!」
右京の言葉に、誰もが頷く。そう、これから始まるのは切り札以上の戦闘能力を持つ者たちの激突だ。
まさに、末代までの語り草となるだろう。
「ああ……私もあの四人に語れるように見届けねば」
かつて自分の里を壊滅させた男、その彼が更に修練を積んでここにいる。そして、同等の年数を重ねた相手と向き合っている。
テンペラの里に生まれた者として、これを見逃すことはできない。船の上の誰もが、船そのものの意見を無視して観戦の構えをとっていた。
※
「おおおおおお……!」
この時、初めてヴァジュラとフウケイは同期していた。つまりは、目の前の相手に対する恐怖である。
今の姿のスイボクに、どうしようもなく怯えてしまう。天槍を雷で破壊したこの男を、幾度となく自分を叩きのめしたこの男を、どうしようもなく恐怖する。
その恐怖こそが、天に挑む者の心中なのだろう。
「……凄い気迫だな、ヴァジュラを含めて」
その威風を見て、達観に至っているスイボクは共感をすることができなかった。
その上で、迎え撃つ。それが礼儀というものであるがゆえに。
少なくとも、数値としてはスイボクをフウケイは凌駕していた。生半な凌駕ではなく、圧倒的な凌駕である。
攻撃力、防御力、機動力、持久力。どれをとってもスイボクに劣るものはない。
それを目指した三千年であり、それを成し遂げた今があった。
「さて、流石はフウケイ。当たると死ぬな」
「がああああああ!」
斜めに切り込んでくる、渾身の一振り。
その攻撃にさらされて、背後に避けるか前に踏み込むか。
さてどうしたものかと思う前にスイボクは膝を折っていた。
非常にスムーズに、腰が落ちるように正座をする。
必死の形相で放つ死の刃を前に、次の動作へつなげられない正座の姿勢をするその度胸は大概であった。
相変わらずばつが悪そうな顔をしているあたり、対峙しているフウケイは沸き上がる苛立ちを鎮めることができなかった。
「おおおお!」
渾身の袈裟切りを回避されて、尚フウケイは下段気味に横へ薙ぐ。
気功剣によって鋭利さを増しているヴァジュラは、硬身功を一切使用していないスイボクを抵抗なく切断できるはずだった。
しかし、振りぬいたその場には、死体も残っていない。
「座ったまま、予兆なく縮地だと?!」
『ち、違うぞ! おい、フウケイ!』
「その通りだ、フウケイ。こっちだぞ」
軽身功によってヴァジュラの上に立つスイボクは、自分の方を見ようとしたフウケイの顔を手でつかんでいた。
「発勁」
当然であるが、波によって揺さぶる性質の発勁は硬身功による強化を施した相手にも通じる。もちろん、部位によってその有効性は異なるが、顔面を掴まれた状態で喰らえば無事で済む道理はない。
「があっ!」
「……気が充実しているとはいえ、体が崩れた顔を捉えてこれか。ここまで鍛えるとは、流石はフウケイ」
本来なら、そのまま地面に倒れて痙攣するところである。しかし、それでもフウケイは踏みとどまっていた。
その理由を察しながら、スイボクはフウケイの頭から手を放して、地面に降りていた。その上で、やや距離を取る。剣では届かず、槍でも届かない微妙な位置。仙術で対処するには、やや近い間合いを選んでいた。
「スイボク……スイボク!」
『貴様、我を踏みおって!』
「それもそうか。ヴァジュラよ、済まないな。フウケイの打ち込みが鋭くなっていてなあ」
スイボクがこちらを誘っている。そんなことはわかっていた。
フウケイはある意味で、この状況になることをひたすら考えてきた。
そして、スイボクは数値的にフウケイに攻撃が通じない。
これで勝てる、と思うほどフウケイは阿呆ではない。それで倒せるのなら、とっくに誰かが倒しているし、そもそもフウケイがここまで恐れることはない。
「相変わらず……お前は他人を馬鹿にしている!」
「そうか……すまない。改めたつもりだったが……君がそう怒るのなら直っていないのだろう」
スイボクの立ち位置は、つまりはフウケイへの誘いである。
スイボクの狙いは明らかだった。前へ踏み込むフウケイの刺突などの踏み込みを引き出して、そのタイミングで喉や眼窩に気功剣で突きを入れる。
あえて迷う間合いにしているのは、こちらに選択肢を与えていると見せかけるため。
もちろん、今のフウケイにとって致命傷などあり得ないが、それでも無様に喉を潰され目を貫かれるわけにはいかない。
「今日まで待ってきた……急ぐ気はない!」
あえて、間合いを広げる。大きく飛び退いて、距離を作る。
仙術で、天を操る術で立ち回る。それを主体にするべきだった。いいや、そのつもりだからこそ、ヴァジュラを求めたのだ。
「そうだな、互いに最善を尽くそう」
当然だが、人間は前を向いたまま後ろに下がるよりも、前を向いたまま前に進む方が早い。
まして、相手が打ち込んでくるわけがないと思って下がった男と、相手が下がったときは打ち込もうと思っていた男で、一拍の差が存在していた。
その一拍の差を突いて、槍と剣の間合いを埋める。加えて、深く踏み込む必要は一切ない。ただ速く、精密に両目を木刀の切っ先で撫でる。それだけで、一瞬視界を奪えればそれでよかった。
「フウケイ、君は相変わらず素直で真面目だ。問題があれば回答は一つだと思ってしまう。僕は別にどちらでもよかった、君が踏み込んでも、下がっても」
視界を一瞬奪われた、それだけだ。一瞬で回復する、復帰できる。
だが、その一瞬で何度殺されるかわからない。それができるのがスイボクだと、フウケイは知っていた。
「踏みとどまっても、のけぞっても、かがんでも」
視界が奪われたとしても、仙人ならば相手の気配を感じることができる。スイボクは確実にそこにいる、目を失っても見失うことはない。
剣の間合いで槍を振るう。それも十分に重ねてきた修練だ。
覇気を込めて反撃する、命を奪う一撃を放つ。
「反撃されても、別によかったんだよ。僕はどれでもよかったんだ」
スイボクはそこを動かなかった。攻撃はしていたが、フウケイの攻撃を回避してもいなかった。
フウケイの右手、ヴァジュラを掴んでいた片方の手の指がそぎ落とされていた。気功剣による、痛みを感じる暇も与えない速攻だった。
両手に指が揃っている。それが前提だった一撃は、必然乱れて軌道がずれる。
「君がどう動いても、僕は必ず対応する」
フウケイは、痛覚を遮断していない。必ず、自分の指がそぎ落とされていることに気付く。その指も、瞬く間に再生する。
そして、スイボクにはその瞬く間があればいい。
「君が目指したものが無尽蔵なら、僕が目指した境地は無限遠だ。君は決して僕に届かない。一歩先、一手及ばず、紙一重、一拍遅れ。しかし、その一は君にとって無限に等しい一。永遠に届かない一だ」
そっとフウケイの胸に掌を当てる。そのまま、連続で発勁を打ち込み続ける。
当然、スイボクにも仙気の限界はある。いつかは疲れて離れるだろう。だが、フウケイはそれを待つつもりはない。
自分の体の中に流し込まれた波に流れを作る。打ち込まれ続ける波を、指が復元した、槍を握っていない手へ誘導していく。
そして、その手でスイボクの腕をつかむ。自分の中の力も含めて、渾身で注ぎ込む。
「それが僕の絶招、それが自力本願剣仙一如、それが十牛図第十図、入鄽垂手」
スイボクの木刀を持っている方の手、右手は、人差し指を立ててそのままフウケイの臍へ突き刺していた。
もちろん、深々と刺さる訳はない。しかし、その指先の一点から発勁をさらに流し返す。
「つまりは僕が弟子に託した技だ」
発勁を注ぎ続け、それを跳ね返してくる一瞬でさらにもう片方の腕を急所に当てて、そこから注ぎ込む。
熨斗を付けて返したはずの発勁が、威力をさらに増して急所に注がれる。
苦悶するフウケイから、スイボクは余裕をもって離れていた。