激突
拙作のイラストを描いてくださる方が決定しました。『シソ』様です。
主人公を含めて、どんなキャラクターを描いてくださるか楽しみです。
カプトの西端にしてアルカナ王国とドミノ共和国の国境に位置する要塞都市。
今は『傷だらけの愚者』がドミノの軍隊を壊滅させた跡地を訪れる観光客も多く、そこそこの賑わいを得ている町だったが、再び切り札たちが集結しているということで緊張状態だった。
加えて急激に気温が低下していることや、空の暗雲が街を暗闇に落していることもあり、誰もが不安を感じていた。
誰もが恐怖を感じながら、しかし身を寄せ合って耐えていた。
その彼らが、正蔵の生み出した小型太陽の輝きを目の前にした時、ようやくそれに気づいたいのである。
「馬鹿な……」
空を見上げると、そこには大地が存在していた。この要塞都市はかなりの大都市なのだが、それをすっぽりと覆うほどの大地だった。
正しく言えば、木の根や土と言った、地面の裏側とでもいうべきものが天蓋となって街をふさいでいた。
まるで街を潰そうとしているかのようにも見えたが、その割には微動だにしていない。
幸い、数名ほど飛行可能な魔法使いがいたため偵察に向かわせた。その結果は、何とも言えない物だった。
「森でした。うっそうと生い茂る森が、どこまでも広がっていました」
この都市そのものよりも巨大な森が地盤ごと浮かび上がって、そのまま空中で待機している。その異常事態に、誰もが思考停止しかけていた。
しかし、ここは正蔵の暮すカプト領地である。そうした異常事態にはある程度の耐性が備わっていた。
「それから……これは森の中で見つけた物なのですが……」
「大きいな、氷の塊か?」
「はい、大量に木や地面にめり込んでいました。おそらく、雹ではないかと……」
「……つまり、あの森がなければこの街にこの雹が降り注いでいたと?」
おそらく、天空を覆う暗雲は天槍ヴァジュラによるものだろう。それを奪われたという話は、ある程度聞かされている。
その敵がこの雹を降り注がせたのだとしたら、この森を浮かべている何者かはこの街を守ろうとしているのだ。
「無茶苦茶すぎる……ショウゾウでも、ここまで安定させて森を浮かべることなどできるわけがない」
何者かが、この街を既に守っていた。
天から降り注ぐ災いを、大地さえ覆す術者が遮っていたのだ。
「……一体、どれほどの使い手がここにきているというのだ」
※
『ぎゃあああああああ! スイボクだああああ!』
自分の背中に、自分を破壊した男が乗っていることを把握して絶叫するノア。
当然であろうが、大パニックに陥っていた。
「おお、ノアか。考えてみればお前に乗り込むのは初めてであるな」
『降りて~~~! 助けてよダヌア~~!』
「その節は済まなかったな、お前やダヌアのことを百年以上も追いかけまわしたあげく、大破させてしまった。許してくれ」
さらりと、とんでもないことを謝るスイボク。昔のスイボクがどれだけ恨まれるような男だったのか、今の一言だけで万人に伝わるだろう。
とてもではないが、許せる所業ではない。ノアが小心であることを抜きにしても、トラウマになって当然である。
「エッケザックスやヴァジュラもそうだが……ダインスレイフやエリクサーにも迷惑をかけたようだな」
改めて、知己である他の神宝にも挨拶をする。
その態度はとても友好的で、荒々しさなどどこにもない。
そういう意味では、初めてスイボクに出会った面々はどうかかわっていいのかわからなかった。
「お前が弟子を取っていると聞いて、とても嬉しく思っていたぞ! 元気そうでなによりだ!」
エリクサーは、いつものようにとても楽しそうだった。
本人が全く戦闘向けではないこともあって、特に遺恨はないようである。
「弟子を見た時から察していたが……ずいぶんと変わったな、スイボク」
「思うところあって、千年ほど森で過ごしたからな。性格なぞ変わるであろうさ」
警戒しつつも驚いているダインスレイフにも、朗らかに応じる。
その言葉は通常なら説得力があるのだろう。千年経過して一切人間的に成長しないことは、どう考えてもあり得ない。
しかし、千年の付き合いがあったエッケザックスやフウケイにしてみれば、千年でまったく人間的な成長がなかったことは今更なのだが。
「というか……もしやヴァジュラはこの場の誰かから、フウケイが奪ったものなのか?」
「ああ、俺からな」
どうやら、何もかも全てを把握しているというわけではないらしい。
自分の同門が世間を騒がせていることに驚いたスイボクは、改めて申し訳なさそうに右京へ頭を下げていた。
「そうか……すまぬ」
「謝罪はいいから、さっさとあのバケモンを治めてくれ」
「違いない、では急ぐとしよう」
とんとんとん、と軽やかにノアから飛び降りると、そのまま照らされている大地の上に立っていた。
その上で、呆然としているヴァジュラとフウケイへ話しかけていく。
ゆったりとしたしぐさで、荒らされた大地をゆっくりと歩いて行った。
「久しいな、フウケイ。我が懐かしき友よ。それからヴァジュラ、我らの諍いに巻き込んで申し訳ない」
自分を殺すために三千年を費やした仙人に対して、ただ三千年ぶりに友人と再会できただけだ、と言わんばかりの話し方をするスイボク。
山水を知る面々にとっては、その在り方を思い起こさせるものだった。
「儂が……僕が学び舎を滅ぼしてもう三千年だ、時が経つのはあまりにも早い。でも瞼を閉じれば、君が僕を散々叱ってくれたことを思い出せる。どれだけ僕が君を軽んじても、君は決して僕を見捨てずに諭してくれたね。昔はうっとうしく思っていたが、ここ千五百年間、君の言葉ばかりを思い返していた」
余りにも壮大を極める会話に、人間たちは思いをはせることもできない。
しかし、船の上から彼らが見たものは、先ほどまで暴威を振るっていたフウケイの、その愕然とした顔だった。
そこには困惑だけがあり、恐怖は欠片もうかがうことができなかった。
目の前の現実を、どうしようもなく受け入れかねていた。
「別に、君に限った話じゃない。僕は沢山の人に迷惑をかけていた。だが、今更悔い改めたところで、僕の顔なんて誰も見たくはないだろうと思っていた。だからこそ、あの森で修練を重ねていたが……今の君を見るに、それは間違いだったようだ」
その言葉を聞いて、ランは自分と彼を重ねていた。
そう、もはや許されたいと謝罪することさえ、罪になるほどに暴虐を振るってしまった自分と彼を重ねていた。
「……君が望むのであれば、僕の首を差し出そう」
この場で最も古くからスイボクを知るフウケイは、それこそ仙人になる前のスイボクを知るフウケイは、目の前の彼を見て混乱の極みに至っていた。
「やめろ……」
「或いは、故郷に帰り裁きを受けよう。その程度で許されるとは思えないが、僕は相応の報いを受けよう。だからもう、そのヴァジュラを手放してくれ。君が散々僕にいってくれたことじゃないか、仙人が俗世を脅かすなど、あってはならないと」
「やめろ、やめろ、やめろ……!」
そこにいるのは、スイボクだった。
修行が一定の段階に至り、仙人として恥じることのない振る舞いをしているスイボクだった。
その段階に至るまでにどれほど世を騒がせたとしても、もはや止める必要も諫める必要も、殺す必要もない一人前の仙人がそこにいた。
「やめろ! スイボク、なんだ、その姿は……なんだ、その振る舞いは! まるで、まるでお前は……!」
「そうだ……僕は仙人として至っている。我ながら随分と迷い悩んだが……それでもなんとか、悟りを得るに至ったよ」
「ふざ、ふざ……ふざけるな!」
喜ぶべきことだったのかもしれない。
安堵するべきだったのかもしれない。
しかし、フウケイは拒絶していた。
今のスイボクを、どうしても受け入れることができなかった。
「フウケイ……今の君を見ればわかる。僕は自分が迷うだけではなく、君の事さえ迷わせてしまったようだ」
「ふざけるな……己が、私が! こんな風になってしまったというのに! お前は、お前だけが勝手に修行を完成させただと?! そんな馬鹿な話があってたまるか!」
スイボクを討つ。その為ならば、如何なる悪鬼羅刹にでもなって見せる。
その為に費やした三千年が、音を立てて崩れていく。
「未だに、君が迷いの中にいる。それは僕が君を傷つけたせいだ」
「違う……違う、違う! 戦え、戦えスイボク! 己は今更、謝罪の言葉など聞きたくない!」
もはや、懇願に等しかった。
頼むから、戦ってくれとスイボクに願っていた。
他の一切を、彼は拒んでいた。
天槍ヴァジュラを構えた彼は、スイボクを相手になんとか立ち向かおうとする。
あるいは、目の前の現実をこそ否定し、違うと言い切りたいようだった。
「……」
哀し気な顔をするスイボク。
果たしてその心中は如何に。
「分かった。ここから先は剣で示そう、友よ」
山水がそうであるように、スイボクもまた心境が形に現れることはない。
力みに力んでいるフウケイと違い、その立ち姿には一本の芯が通っていた。
「できることなら、僕は……君と競い合い、君と分かりあいたいと思っている」
「黙れ」
「争いや戦いではなく、まして殺し合いでもなく……」
「黙れ……」
「わだかまりを解きほぐしたい。これが僕の本音だ」
「黙れと、言っているだろう!」
もう遅い、もう手遅れだ。
既に、数千年単位で遅かった。
どちらも、どうしようもなくずれ切っている。
「風景流仙術、集気法絶招! “斗母元君”我龍転生!」
既に、お互いが望んだ結末に至るには、数千年単位で遅かったのだ。
ああ、それでも双方はずれ切った結末を求めて戦う。互いが培った三千年の総決算を賭して、迷い惑いながらもぶつかり合う。
互いに、変わり果ててしまった同門の在りようを呪う。復讐を求めた男と、最強を求めた男の、人生を費やした戦いが始まる。
「……君がそれを望むのならば、僕も君に応えよう」
丹田に力を込めて、千五百年以上の歳月を越えてスイボクが戦闘形態に突入する。
「錬丹法、金丹の術……!」
まるで小さい木が成長するように、とても自然にスイボクの体が伸びていく。
少年の手足が、未熟な肉体が、目に見える速さで青年の姿になっていく。
「君の人生、君の修行、君の絶招に、僕も僕の絶招で応じよう!」
腰に差していた木刀を抜き、だらりと下げて哀し気にフウケイと対峙する。
「水墨流仙術総兵法絶招、十牛図第十図、入鄽垂手自力本願剣仙一如」
迷い、惑い、その果てに得た境地を懐かしき友へ晒す。
それは、皮肉にも友の語った仙人のあるべき姿だった。
「……不惑の境地!」




