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天槍

『スイボク、お前は何を考えている! カチョウ師匠の元を離れて、他の仙人の元で修行を積むだと!?』

『ああ、錬丹法を学んでくる。仕方ないだろう、我らが師は錬丹法を不得手としているのだから』

『そういう問題ではない! お前には仙人の何たるかがわかっていない! お前は、仙人を仙術を操るものだと勘違いしている! 真の仙術は、仙道は、自然との和合を目指すのだ! お前は素質に溺れ技に溺れている!』

『はっはっは! 素質もなく溺れる技もない奴が負け犬の遠吠えか。見苦しいぞフウケイ! そもそも僕は……じゃなかった、俺は最強の男になるために仙術を学んでいるのだ! お前の寝言に付き合うつもりはない!』

『ふざけるな、仙術を争いなどという下賤なことのために使うお前を、このまま行かせるわけにはいかない! 我らが師、カチョウの名誉にかけて、お前を止める!』


『はっはっは! フウケイ、お前は……俺に勝てるとでも思っているのか?』



 バトラブの切り札、瑞祭我の圧倒的な戦闘力。それを目の当たりにした、ノアに乗り込んだ面々は言葉を失っていた。

 ある意味、正蔵以上にありえない存在だった。彼が持ちいた技のどれだけが、周囲の人間に見えたのかわからない。しかし、少なくとも彼は法術の他に火の魔法や影降ろしを使っていた。

 加えて、圧倒的な運動能力を発揮し、どう考えても素の人間を遥かに凌駕し、フウケイという仙人さえ圧倒していた。


「これが、サイガよ。あらゆる魔法の素質を持つがゆえに、法術だけではなくあらゆる希少魔法を発揮できる。魔法を覚えれば覚えるほど、際限なく強くなっていく。それにエッケザックスが加われば……」


 威力はともかく、難しい技は使っていない。

 初歩的な技を組み合わせただけではあるが、それでもそれを増幅して、すべてを並行して使えるのなら、それはまさに万能の強さを発揮できる。

 占術の予知もあって、手段の豊富さの優位がいかんなく発揮されていた。


「祭我は、正に切り札というべき力を発揮できるわ」


 ハピネは戦況を見守りながらそう言っていた。

 そう、ようやく自分の婚約者は、その強さを衆目に晒したのだ。

 思えば、自分も祭我も焦りすぎていた。見た目の年齢が幼い山水に劣ることを気にしていたが、今となっては焦りすぎていたと思う。

 山水の元で腰を落ち着けて基本の稽古を行い、更に多くの希少魔法を体得したことで、祭我は見違えるほどに鮮やかな戦い方ができるようになっていた。

 他の二人とも連携がとれており、見ていてとても安心ができた。今の彼なら、それこそバトラブの切り札だと胸を張れるだろう。

 

「なあ、正蔵。これってアレじゃないか?」

「うん、これはアレだね」


 一方で、客観視している日本人二人は背筋が凍るものを感じていた。

 はっきり言って、この流れは嫌な感じだった。物語的な都合ではなく、相手の行動が余りにも不気味すぎる。


「トオン一人さえ攻めきれない状態で、フウケイってのは一度もその場を離れようとしなかった。縮地とかいう技があるにもかかわらずだ」


 戦闘の事では素人である二人でも、フウケイの行動の不自然さはわかる。

 相手は態々気象操作能力があるヴァジュラを盗んだにもかかわらず、空の暗雲を一切使用しなかった。

 苛烈な攻めによって妨害されたのではなく、一切そのそぶりを見せなかったのである。

 それこそ、単なる試運転程度のつもりで様子見をしているようだった。自分が絶対に負けない根拠を持っているようにしか思えなかった。


「俺さ、これと似たような展開漫画かラノベで読んだことある。高レベルの魔法使いが、低レベルの戦士のフリしてる奴。所謂手抜きの舐めプ」

「ああ、今までは第一形態でこれからが本番だって奴だな」


 良くも悪くも、正蔵も右京もこの世界の常識には囚われていない。

 つまりは、『常識的に考えてもう勝負はついている』という考えが脳裏にも浮かばなかった。


『……うわあ?! 本格的に仙術が発動してきた! 周囲の気圧が下がって、その上温度もどんどん下がってきてる!』


 彼らを乗せているノアも、同様に危険を観測していた。

 炎上して倒れているフウケイの肉体は、しかし既に戦闘へ復帰しようとしていた。



「……予知が通じる相手で良かった」


 はっきり言って、強敵だった。

 数値的に『強い』敵だった。少なくとも、ランさえも凌ぐ数値を持っていただろう。

 少なくとも、祭我は荒く息をしていた。流石に全力で戦闘していたので、どうしようもなく疲労していた。

 それは祭我だけではなく、トオンも同様だった。


「私の蹴りを受けてもあっさりと耐えるあたり、硬くはあった。だがそれだけだ。流石に対応できないほどではない」

「何度も思ったが、一拍遅い。サンスイ殿に比べて、どうしようもなくこちらに対応を許している。視野が狭く、気配の感知も活かせていない」


 もしかしたら、自分達も山水から見れば似たようなものかもしれない。

 ある意味では、仙人が強いのではなく山水やスイボクが強いのだと三人は理解せざるを得なかった。


『……我が主よ、お前達は強い。おそらく、我と別れる前のスイボクであれば、今の一撃で十分葬れたであろう。お前達は強い……だが、ここからだ!』

「……来る!」


 祭我は自分を含めて全員をカバーできるほどの『天井』と『壁』を生み出していた。

 その直後まるで水桶をひっくり返してきたかのような巨大な水の塊が、周辺一帯に『落下』してきた。

 それはノアの上にも、祭我達三人の上にも、炎上しているフウケイの上にも降り注いでいた。


「ぐぅ……!」


 単純に自分の壁にのしかかってくる重量を、必死で支える祭我。

 仮に自分がその重みに負ければ、そのまま三人共膨大な水の圧力と流れによって、あっという間に死んでしまうだろう。

 それを予知したからこそ、祭我は必死で巨大な水の塊からの圧力に耐えていた。


「これが、仙術? 人間が扱える規模の術とは思えないが……ヴァジュラの効果なのか?」

『両方じゃな……もともと仙術は仕込み次第で自然を揺るがすことが可能じゃ。ヴァジュラを用いることで、その利便性が大幅に増しておる』


 非常に今更だが、天候気象とはそもそも星全体の大気のうねりであり、それを御するということは人間が内包できる力を逸脱した力を動かすことが可能だった。

 それに天槍が加われば、もはや人間の力で抗える領域を超えている。


「だが、燃えた体を冷ますとしてもこれはやりすぎだ。慌てていたとしても、ここまで水が多いと……」

『それはない。スイボクもそうであるが、仙人は魔法による不自然な火や風でなければ、環境の変化によって肉体が損傷することはないのだ。じゃからこそ、先ほどの火の魔法による攻撃では傷を負ったはずじゃが、この雨水の塊では傷を負うことはない。他人の攻撃的な意思による仙術の場合は、また別であるがな』


 元々、フウケイも雲を構成する膨大な水を消費しきるつもりはなかったのだろう。

 周囲を覆っていた莫大な水の落下は収まり、圧殺は免れていた。


「不味い……聖力を消費しすぎた……」


 それでも、祭我は消耗していた。大慌てで、消費の激しい光の壁をすべて消す。

 彼があらゆる魔法を使いこなすとしても、エッケザックスで増幅できるとしても、それでも内包しているエネルギーに限度はある。

 もちろん、通常の使い手と違って聖力が尽きても無防備になるわけではない。他の力で他の魔法を使うことはできる。

 しかし、それでも最も防御に優れた法術を使えなくなることに変わりはなかった。

 例え広範囲攻撃を予知できたとしても、今後は対応できなくなる可能性が高かった。


「随分と、よく鍛えられている。様子見のつもりだが、ここまでやれられるとは思っていなかった。人の技も、決して怠っていたわけではないのだがな」


 仮に、三千年という膨大な時間を過ごすことがあるとしても、その間たゆまぬ修練を積まねばすぐに腕が錆びつく。そんなことは、武術を修めている者なら誰もが知っていることだった。

 そういう意味では、目の前の彼も敬服すべき相手に他ならない。

 何事もなかったかのように立ち上がったフウケイは、ヴァジュラを手に余裕を保っていた。


「三対一とはいえ、異能があるとはいえ、ここまで圧倒されるとは思わなかった。やはりスイボクの弟子に認められただけの事はある」


 この場の三人のように際立った者だけを弟子にしているわけではない。

 というかランは山水から薫陶を得たことはあっても、弟子入りしたことはない。

 しかし、『特別なものだけ弟子にした』と思われても、さほどの不思議はない。


「とはいえ……やはりスイボクはそこまで落ちたか」


 トオンと祭我にとって、今のスイボクを知る二人にとって、聞き逃せない挑発を聞いてしまっていた。


「どれほど腕を上げたか知らないが、俗世で名を売り、仙人にあるまじき地位や名声を得たか。未熟な分際で弟子を取り、その弟子まで得て国に取り入ったか」


 軽蔑の混じった言葉は、しかし訂正の難しい言葉だった。

 確かにトオンも祭我も、自己申告したようにスイボクの流れを汲む者だ。山水を通してスイボクの教えを受けた男だ。

 加えて、二人の良く知る仙人観から言えば、権力と手を組む仙人というのは確かに好ましいものではない。

 だが、スイボクも山水も、どちらも仙人として素朴で尊敬のできる人物だった。

 少なくとも、一国の城へ攻め込んで、宝を奪う男に邪悪扱いされるいわれはない。


「……やはり、討つしかない。奴は、この手で討ち取るしかない」

『不味い! 全員全速力で奴から離れろ! 礫寄せの術じゃ! こやつ、竜巻を起こすぞ!』


 スイボクの同門、その事実を知るがゆえにエッケザックスは彼がヴァジュラと仙術によって何をしようとしているのかを理解していた。

 その言葉に従って、三人はフウケイに背を向けて走り出す。

 身体能力で劣るトオンの事は、祭我が手を引いていた。


「くっ……耳が痛い! 何が起きているんだ?!」


 ランは耳を抑える。高感度である彼女は、今自分の周囲で環境が激変していることを感じ取っていた。

 とはいえ、分かったところでどうなるものではない。フウケイを中心に竜巻が発生し、天の暗雲が猛烈な速度で回転を始めているという事実を前に、一人の人間でしかない彼女にできることはなかった。


『良いか、背後の事は気にするな! あの竜巻そのものは攻撃が目的ではない! 周辺の大気は、あの竜巻に向かって流れ込んでいる! その流れに乗せて、雲の中で育てた雹を降り注がせて来る筈じゃ!』

「どおりで冷えるわけだ……!」


 元々、数日にわたって国全体を覆い隠していた暗雲が、日光を地表に届かせなかった。

 それによって、アルカナ王国もドミノ共和国も、どちらも気温は下がっていた。

 その下がっていた気温が、国家全体にわたって更に下降していく。その寒さに、トオンは息を白くしていた。


『気温の変化は奴に利するぞ! 凍結させることは不可能でも、体を鈍らせることは容易じゃ! とにかく今は、竜巻から離れろ!』

「……エッケザックス! 予知したら、地面が浮かび上がって、足場ごと吸い寄せられていく!」

『そんな馬鹿な?! 浮遊群島じゃと?! アレは長期間滞在した土地でしか使えぬはずの大規模な術の筈じゃ! 蟠桃を食っているとしても、物には限度があるはず!』


 エッケザックスの困惑を他所に、予知した通りに地面の一部が浮かび上がっていく。

 全体が丸ごと浮上するのではなく、人間が乗れる程度の塊になって浮かび上がり、それの上に乗っていた人間を竜巻の周囲へ寄せようとしていた。


『とにかく離れろ! そろそろ本命が……』

「来た!」


 人間の頭ほどの氷が、前方上空から降り注いでくる。

 流石に雨あられと降り注いでくるわけではないが、それでも先ほどの大量の水でぬかるんでいる地面は、浮かび上がりつつあることもあっておぼつかない。


『ぬぬ……ええい! 浮かび上がった地面が元あった穴に飛び込め! この術は深く掘り返す術ではない! 一度地面を掘り返せば、その部分は安全地帯となる!』


 この状況では使えない、あり得ぬ術ではある。しかし、術そのものは知っている。

 エッケザックスは刻一刻と変わっていく状況の中で、祭我が選べない未来を見つけ出していた。


「……しかし、この術の『穴』は、敵も熟知している筈では?!」

「そうだぞ、ここからさらに畳みかけてくるんじゃないか?」

「いいや、どのみちこのままじゃ無理だ! とにかく飛び込むんだ!」


 全員で、同じ穴に飛び込む。そのまま天井代わりに薄い光の壁を置いていた。

 当然のように巨大な雹が降り注ぐが、しかし見た目通りの威力しかない氷のつぶてである。光の壁を打ち破ることはなかった。


「危なかった……あのままだと、まずトオンさんがやられてました」


 最悪の予知を免れたことに安堵している祭我だが、状況は一向に好転していない。

 ある意味、ヴァジュラを持っている相手と戦うのであれば、という状況ではある。

 しかし、それでも限度というものがある。少なくとも同じヴァジュラの使い手である右京はここまでの事はできると教えてくれなかった。


『ともあれ、色々おかしいが、奴も本気を出してきたの……これだけの術を二つも使っておるのじゃ、それこそ自分の術で誰をどの程度倒せたかなどまるで把握できておるまい』

「……つくづく、人間を相手にしているとは思えないな」


 エッケザックスの言葉に、寒さから体を震えさせているトオンは泣きごとを言いそうになっていた。

 格闘術では三人掛かりである程度追い込めていたが、一度敵が本腰を入れ始めれば子ネズミのように逃げ出すしかない状況だった。

 調子に乗っていたことが、恥ずかしくなるほどの規模が違う。当初からあった、エッケザックスの慌てようも納得というものである。


「彼を素通ししていたら、王都近くでこれをやっていたのか……」


 祭我は、この周辺にあるカプトの街を思うとやりきれなかったが、しかし王都へ通すよりはマシだと思っていた。

 ここまでの規模の術である、周辺被害は甚だしいことになっていただろう。


『何を呑気なことを……仙術やヴァジュラで、そこまで精密なことができるわけもあるまい』


 過去幾度となく国家を滅ぼしたスイボクと、同等以上の規模と威力で気象を操作しているフウケイである。仮にこの場の三人を攻撃するためとはいえ、この周辺一帯に雹を振らせようとしているとはいえ、その影響が周辺に全くない、ということはあり得なかった。


『周辺一帯に雹が降り注ぎ、そうでなくとも国中に寒波が襲っておるぞ。このまま放置すれば、冬の積雪どころではなくなる』

「テンペラの里が壊滅するわけだ……」


 余りの状況に、狂戦士になったままのランが嘆いていた。

 とてもではないが、拳法でどうにかできる規模の術ではない。

 仮に操っている個人を殺せば止まるとしても、こんな自然災害と戦うなど冗談ではない。


『テンペラの里の時は、天候が良かったのでこの手の術は使えなんだ。よって、我を除けばほぼ自力じゃったぞ。とはいえ……おかしい、天候操作はヴァジュラの力があるとしても、初めて訪れた大地をここまで揺るがすとなれば、活性化している火山地帯でもなければできぬ筈じゃ』


 仙術は基本的に自然の力を利用する術である。

 空に雨雲があれば雨をある程度操作できるし、近くに火山があればその力で大地を意図して揺らすこともできる。

 しかし、周辺一帯の地形を操作するには、ここは余りにも平地過ぎる。


『先ほどの再生もそうじゃ……いくら人参果を食っているとしても、蘇生に限りがある以上、本命であるスイボクを倒す為に無駄な蘇生をせずに戦おうとするはず……何故一度は致命傷を喰らってから悠々と気象を操り始めた?』


 三人は、沈黙してエッケザックスの話を聞いていた。

 確かにおかしい。天候操作には仙気を殆ど消耗しないとしても、自分から離れたところの土を、大量に浮かせるなど疲れるはずだ。

 大地を揺るがす力、自分を治す力は何処から持ってきている。なまじ仙術で可能なことであるだけに、意味が分からないことだった。


「……まさかとは思うけど、無尽蔵に蘇生出来て、無尽蔵に大地を揺るがせるんじゃないか? それこそ、無尽蔵の仙気によって」

『それは原理的に不可能じゃ、少なくともスイボクは無理だと言っておった。じゃが、だとすれば、それが奴の勝算なのかもしれん』


 祭我は、思い出したようにこの状況に適したチート能力を口にしていた。

 物語の中ではよくあった、インチキ極まりない能力が、自分の敵として現れたのならばこの状況にも納得がいく。


「この三千年で、そういう方向に伸ばしたと? 体術ではなく、ありえざる仙術を会得したと?!」

「道理でいくらぶちのめしても、余裕綽々ってわけだ! くそったれ!」


 トオンもランも、相手の余裕と勝利への確信に理解が及んでいた。

 確かにそこまでありえない能力でもなければ、身体能力や技量で圧倒できない自分達を相手に、数的不利のまま戦おうとはしなかっただろう。


『仮に、奴が真に無尽蔵の蘇生が可能なら……奴が言うように、スイボクでも奴を倒せん。ショウゾウでもどうにかできるかどうか』


 いつの間にか、外で吹き荒れていた雹は止んでいた。

 誰ともなく立ち上がり、三人は穴から這い出る。

 その上で、自分達の近くに来ていたフウケイと対峙する形になる。


『我が知るかぎりにおいては、呪術でハメるか、パンドラをぶつけるしかない』


 誰がどう考えても大規模な術を使ったにもかかわらず、相手はまるで余裕だった。

 五体満足で、一切怪我を負っていない三人を見ても、まるでどうじていなかった。


「ふむ、良く凌ぐ。天変地異を起こしても、お前達は回避したか……エッケザックスとか言ったか。お前はスイボクから多くを知ったようだな」

『スイボクを殺す準備を終えているとは、あながち大法螺でもないようじゃな……』


 竜巻の中から出てきた術者を前にしても、三人の顔色は優れない。

 今現在、悠々とこちらを見ている彼の周囲には、大量の土の塊や雹が衛星のように浮かんでいた。

 それが何を意味しているのか、確認するまでもなく予知するまでもない。


「人の技、地の理は我にあり。なれば、天の槍がこの手にある限り敗北はあり得ん」


 一段と冷え込みが増してきた。光が届かぬ暗雲の元、更なる寒波が大地を満たしていく。


「己が、奴を討つ。そのために、三千年を費やしてきた」


 雪だ。

 大地に降り積もる雪は、彼らの足場をさらに悪化させていく。

 ただでさえ視界の及ばない暗雲の下で雪が更に視界をふさぎ、人が三人はいるほどの穴が大量に空いた大地で戦う。

 それがどれだけ絶望的かなど、考えるまでもない。


「貴様らに、返礼をしよう。我が武、仙術を味わうが良い」


 周囲で浮遊している岩を、発勁で押し飛ばして攻撃する。

 それをさらに目くらましとして、縮地で間合いを詰める。

 ああ、考えたくもない戦い方だ。

 軽んじるべきではなかったのだ、彼の三千年を。

 一人の敵を討つために、時間を奉げた彼の人生を。


「そして知れ、仙術こそ唯一人間が天地を揺るがす力であると」


 仙人ではない者など、敵ですらない。

 そう確信している彼は、バトラブの切り札を前に勝利を確信していた。

 相手の能力が如何にあっても、天をも揺るがす今の自分には負けることなどないのだから。



「国ごとは無理でもこの周辺を照らすぐらい、俺ならできる」



 しかし、この場にはもう一枚切り札が存在する。

 八種神宝の中でも最高の防御力を誇る箱舟に乗り込んでいた、このカプトを守るための切り札が存在する。

 最強の魔法使い『傷だらけの愚者』興部正蔵。

 彼が生み出す炎の魔法こそ、彼が立っている大地を耕した破壊の力に他ならない。


「……馬鹿なっ?!」


 自分が熱による不快さ、ダメージを負うということは頭上に出現した炎が不自然な、魔法の炎であることは間違いない。

 しかし、天空にあって大地を焼き積もりつつあった雪を一瞬にして蒸発させ、更に三人の視界を照らす『日輪』が、人間の魔法とは信じられなかった。

 暗雲の下に放たれた極大の炎は降り注ぐ雪を蒸発させ、彼が信じていた天を掌握していた。


『もう一度焼き殺せ! その隙に、ノアに乗って逃げるぞ! アヤツが炎の魔法を使っている限り、雨による鎮火はできぬ筈じゃ!』


 もはや、この地へ向かっているパンドラの適合者にすべてを託すしかない。

 エッケザックスの指示によって、三人は灼熱に耐えながらも走り出していた。

 正蔵の魔法の熱が、彼ら三人にも苦痛を与えていた。しかし、それは先ほどまでに比べればまだマシだった。

 お世辞にも、炎天下の砂漠のような視界は良好ではない。それでも、大きな穴を見分けることは簡単だった。


「まだスイボクの弟子が居たか……!」


 この世の不条理の根幹は、すべてスイボクに帰結するとでも思ったのか。

 予定通りに行かぬことへ苛立ちながらも、フウケイは肌を焼かれながら周辺の衛星を発勁で飛ばし始めた。

 おそらく、当たれば常人はひとたまりもない。その攻撃を、ランは飛び乗りながら回避していく。

 既に炎天下の視界に慣れた彼女は、鋭い動きで浮いている他の土さえ足場にしてフウケイへ襲い掛かる。


「もう一度、焼いてやる!」

「遊びは、終わりだ!」


 一瞬、死が脳裏をよぎった。

 とてもではないが、ヴァジュラが届かない間合いでの一振り。それが振りぬかれるより早く、ランは空中で回避を行っていた。

 その直後、彼女の背後に浮いていた土の塊は両断されていた。


「言ったはずだ、人の技も手にあると!」

「だが、一拍遅い!」


 懐へ飛び込むことに間に合った祭我が、燃え盛るエッケザックスをかざしていた。

 余力は乏しく、少々遠い未来を予知する余裕もない。

 それでも、攻撃ができる手段までは予知できていた。


「遅くは……ない!」


 エッケザックスに、武器としては劣るヴァジュラで。

 複合した魔法に、個人戦闘としては劣る仙術で。


「風景流仙術内功法絶招(ぜっしょう)

「ぐっ……!」

「“蚩尤(しゆう)”……天下、無双!」


 全身から放出される発勁を推進力として、全身に満ち溢れる気功法によって、炎を弾き飛ばしながら、祭我自身をも押し飛ばしていた。

 しかし、未だに法術で身を固める祭我は、既に体勢を整えつつあった。

 もうすぐ力尽きる、しかしまだ戦える。それは上空で体勢を整えつつあったランも同様だった。

 

「誰も、逃がさん!」


 無尽の仙気、不死身の肉体。

 それはつまり、最善を選び続けても無為に終わることを意味している。

 祭我は見てしまった。予知してしまった。


「ま、待て!」


 一拍の後、縮地。

 そして、未だに走っていたトオンの、その脇を捕えていた。


「スイボクの影響を受けた者は、誰、一人もな……!」


 間に合わない。

 トオンは既に反応しているが、ここからどう動いたとしても絶対に対応できない。

 決して素早くないトオンは、決して硬くないトオンは……。

 この場では、一番弱いトオンは、この状況で、できることなど何一つなかった。


「師を、スイボクを呪え」

「……」


 トオンは、無様を晒さなかった。

 己に迫る白刃を、三千年の怨念が込められた一撃を、その目に焼き付けながら受け入れていた。


「無念だ」

次章 牛探し編

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