挽回
夜明けとともに、俺は素振りをする。
ダイエットも学業も剣術も、大事なのは続けることだ。
継続は力なり、どんなに才能がなくても、五百年素振りをしていれば必ず強くなれる。
とはいっても、昨日相手を怒らせてしまったあたり、今の自分は大分足りないところがある。
事実を並べるだけではまだ足りない。相手に伝わらなければ、言葉は意味を持たない。
仙人ならば悠久の時を越えて理解できることも、一般人にはかなわない。
それでは、意味がない。
とはいえ、そもそも違う道を歩む者に苦言を呈する資格が、一介の護衛でしかない俺にあるのだろうか。
相手は仮にも、四大貴族のお嬢様の、その婚約者だというのに。
「いかんいかん、修行が足りん」
他人の悪いところばかり目につくのは、つまりは相手を下げて自分を優位に立たせたいからだ。それは修行と違うものであり、自分を大きく思わせてしまう。人は人で、自分は自分だ。
その辺りをお嬢様に言うと、ろくなことにならないから黙っておくけれども。
朝日が昇る中、自分が自然と一体であることを思い知りながら、素振りに没頭する。素振りに没頭しようとする。
まあ、その時点で大分没頭できていない。
寝たくて寝たくて寝ようと力んでいる時と同じで、それは良くないものを生むのだから。
「しかし……」
実際、どうなのだろうか。
俺は彼らに正しいことを伝えるべきだったのだろうか。
そもそも、俺に勝とうということ自体が間違っているのだと、そんな不遜なことを言ってよかったのだろうか。
「そんなことを言う資格が、俺にあるとは思えないしなあ……」
俺が彼らに言うことは、中々認めがたい事なのだ。
彼の強さを全否定するようなもので、はっきり言って口にしていいのか悩んでしまう。
別に俺に勝ったところで、なんかいいことがあるというわけでもないしなあ。
別に俺は伝説の魔王でも世界を亡ぼす邪神でもないんだし、放置していいと思うんだが。
それができないのも、男の子だとは理解できるけども。
「一々上から目線だ……良くない、毒されている、と思うことも錆び付きだな」
同じ形をした石がなく、しかし同じ石であるように、人間だって仙人だって、そう変わるものではない。
お嬢様にしたって同じことで、少々形が人と違うというだけで、それは毒でもなんでもない。
お嬢様を悪者にして、自分を維持するのも間違っている。それは良くないことだ。
人と関わるということは、常に影響を受けるという事。
たかが数年人の世に関わったぐらいで、気が緩む時点で既に修行が足りないのだ。
とはいえ、一度の出会いや一度の敗北が、人生の転機になることもあるのだけども。
※
「え、バトラブ家の一行が学校を出て行ったの?」
朝食の席で、俺はお嬢様にそう伝えていた。もちろん俺は護衛なので、一緒に食べることない。というか、仙人だからそもそも食べない。
一緒に豪華な朝食を食べているのは、俺の娘であるレインだけだ。
「虐め過ぎたかしらね……」
「惨敗でしたから……」
少しだけ後悔しているお嬢様。からかう相手がいなくなって、寂しそうというか、些かの罪悪感も感じているようだった。そりゃまあ、そう思うだろう。
お嬢様は傲慢だが愚かではない。あの場の四人が信じていたものが、打ち砕かれるあの瞬間に、自分を重ねてしまったのかもしれない。
他人を傷つけることで、優しさを学ぶこともあるのだなあ。
お嬢様の成長を見て、俺は少しばかり感動していた。ささやかであっても、成長は微笑ましい。
「本当に地味だけど、貴方って最強なのねえ」
「お嬢様を護衛する仲間としては、この上なく思います」
「やっぱりパパは、凄いんだね!」
うむ、そうだよ娘よ。パパは強いんだけど、あんまり人気がないんだ。
凄いっていうか、凄い人気ないんだ。最強はなってみると、全然楽しくない。
「再三言いますけど、俺の師匠の足元にも及びませんけどね」
「貴方の師匠って、頭おかしいわね」
「……正直、尊敬していいのかどうかも……私にはわかりません」
そもそも仙人って、余人から見たら訳の分からん境地だからなあ。
俺も昔はそうだったし、実際説明しろと言われても困るし。
ただ、修行に終わりはないとしか……。
「ただ、俺に言えることがあるとすれば、今のままでは彼は俺に一生勝てないでしょう」
「そうね」
「そうだろうな」
「そうなんだ~~」
うむむ、これは信頼と言うか倦怠の様な気がしてきたぞ……。
やっぱり、ちょっとはピンチになった方がいいんだろうか?
でもそれは大分失礼なような気が……。
「正直に言うけど……全ての魔法を使えるという彼には期待しているわ。貴方が勝つことは疑っていないけど、貴方が苦戦するところはそろそろ見たいもの」
それは見て楽しいのだろうか。
お嬢様とは対照的に、俺はそんなに期待していなかった。
「そういえばレイン、君はこうあれだ、昨日は学校で何してた?」
「お友達ができたの!」
そうだよな、学校ってそういうところだよな。
微笑ましい我が娘は、俺にこれからどうするべきなのかを教えてくれていた。
勉強は家庭教師がいればどこでもできるけど、お友達は学校じゃないと作れないよな。
「ハピネの事、少し煽りすぎたわね。次来たらやさしくしてあげましょう」
「それがよろしいかと」
実際のところ、お嬢様は俺の強さに関しては一切関係ないからな。
色々英才教育したブロワが勝つならまだしも、最初から強い俺が勝ってもカタルシスもないわけで。
「サンスイ、ちょっと今日は学園長先生のところ行くのやめなさい。私の護衛として、本来の役割を果たしてちょうだい。今日は学内をいろいろ回るつもりだから」
※
これは師匠が教えてくれたことなのだが、狭い意味での魔法、正しく魔力を持つ者だけが扱える魔法が、こうも普及しているのには人数の多さよりも、その有用性にあるという。
人によって得手不得手はあるのだが、『地』『水』『火』『風』の四大属性を操れることは普通に強く、普遍性と便利さがあった。
仮に、仙術の資質を持つ者が大量にいたとして、その彼ら全員が何十年も修行できるだろうか、と言う話だ。
本気で専門家並みに習得しようと思えば話は別だが、原則的に数年間習えば普通に魔法は使えるようになるらしい。
もちろん、その数年間学業に専念しなければならないという意味では、十分狭い門だ。
とはいえ、基本的に貴族やその子供は全員魔法を使えると思って間違ってはいない。
特に軍人は、貴族でなくともある程度は魔法が使えたりする、らしい。
「こうしてみると……如何にあの子達が希少だったか分かるわね」
国の最高学府なのに、希少魔法に関しては法術の使い手ぐらいしか専門家がいない。
期待の星だったあの三人は、二日目で姿をくらませてしまった。
魔法を覚えたいと思っても、指導者がいないと憶えることなんてできるわけもないし、その理屈で言うとあの三人はこの学校に骨を埋めるべきだったのではないだろうか。
まあ、それはそれで勝手すぎるとは思うのだが。
「まあそのうち帰ってくるでしょう。」
どうだろうか、その辺り俺にはさっぱりわからない。
大抵、ああいうハーレム主人公はまず負けないからだ。ひたすら快調に敵を倒していくだけである。
そんな彼が負けたのならば……どうするんだろうか。
とはいえ、他人の事に気が向くのも未熟な証拠ではある。
「それよりも、この学校では剣術も教えているそうだけど……ブロワ、顔を出してみる?」
「はっ、承りました」
この学校はカリキュラムと言うものがほとんどない。
何故ならこの学校に通う生徒は、一般常識や義務教育と呼べるものを一定以上学んでいるからだ。
それは俺の娘であるレインさえ同じことで、本人は面白そうだ、という幼年部の授業に首を突っ込んで気ままに授業を受けていた。
よって、お嬢様も自分が何処で授業を受けるのかは自分で決めようとしている。
「それで、貴方はしばらく大人しくしていてちょうだい」
「分かりました」
なにせ俺が剣術を教えるとなると、色々問題があるからなあ。
俺の剣術って、実戦向けじゃないし。
※
俺はハピネ達と一緒に、王都に向かっていた。
王家直轄領にある学園から王都に行くので、それほど時間は経っていなかった。
「みんなごめん、せっかくの学園だったのに」
「いいのよ、あのままだと私も諦められなかったわ」
「そうだな、私も悔しくて座学どころではない」
「……」
相変わらずツガーは馬車のなかで黙っていた。
彼女は俺があいつにもう一度挑むことに、どうしても否定的だった。
無理もないことだとは思う。だってあいつは、本当に強すぎた。
この国最強の剣聖、白黒山水。
もう認めるしかない、今の俺じゃあ絶対に勝てない。
でも、負けたままじゃ悔しすぎる。
「俺は、法術を習ったり魔法を習ったり、神降ろしを習って呪術を習って、占術を学んでここにいる。その全てをぶつけても、俺は全然勝てなかった……それは、俺がこの世界に来て積み重ねてきた全てが間違っていたということになる。俺があいつより弱いっていうのは……俺の繋がりが山水に劣るってことなんだ」
もしかしたら、この世界に来て初めて思ったことなのかもしれない。とても強く勝ちたいと思うことが。
でも、このままじゃ勝てない。それこそ、何度挑んでも一太刀で負けてしまうだろう。
「俺は新しい力が欲しい……」
「きっと、お父様なら何か良い知恵をくれるわよ」
俺はこの世界に来て日が浅い。
大抵の魔法や希少魔法を操れるけど、それだけだ。この世界の全てを知っているわけじゃない。
だから、この世界の事をたくさん知っているであろう、ハピネのお父さん、バトラブ家の現当主様にお話を伺いに行っていた。
「ここが我が国の近くであればな、とは思う……無念だ」
「あら、貴女は強い婿が欲しいだけなんでしょう? だったらあいつでもいいじゃない」
「そうはいかん。そんな尻の軽く義理のない女と思われるのは不快だ。確かにサンスイの実力は認めるところだが、私に勝ったのはあくまでもサイガだ。そこを曲げる気はない。お前こそどうなのだ、因縁のあるソペード家の護衛如きに負けたのだろう、婚約を破棄するべきではないか?」
「私はサイガがいいの!」
負けて無様を晒したのに、二人とも俺を見捨てないでいてくれる。
それがとてもうれしかった。負けたら見限られるんじゃないかって、少し心配だったから。
「とにかく、王都に滞在していらっしゃるお父様なら、きっといいアイディアをくれるはずよ!」
俺はだんだん近づいてくる、巨大な城壁に囲まれた王都を見て、新しい力を得るという期待を持っていた。
※
「よく来たな、婿殿。それから異国の王女、スナエ殿」
丁度仕事が空いていて、お屋敷にいたハピネのお父さんと、俺たちは話ができていた。
ツガーはとても恐縮しているけど、無礼打ちなんてしない立派な人だ。得体のしれない俺のことだって、娘の婚約者として認めてくれている。
「それで……やはりソペードの剣聖と戦ったのかね」
俺達の気分が沈んている所から、敗戦を察してくれたお義父さんは、俺をねぎらってくれていた。
そして、少し傷つくことだけど……どうしようもなく俺が負けたことに驚いていなかった。
「はい、俺は手も足も出ませんでした。最初は法術と占術だけで戦って、その後は呪術以外全部使って戦って……」
「お父様ごめんなさい、私、どうしても悔しくてドゥーウェにサイガの秘密を……」
「それでも勝てなかったか……」
嘆息する、諦めている、そんな反応をしているお義父さん。
多分、俺に少しは期待していて、それが裏切られてがっかりしているんだろう。
「……彼は最強だ。君が持てる全てをぶつけて尚勝てなかったのだとしたら、それは正真正銘最強なのだろう」
何をされたのか、それはよくわかっている。
ある意味ずるいのはこっちのほうで、相手はひたすら普通に剣術で戦っているだけだった。
確かにあれは、剣聖と言うしかない。
「確か、サイガ君に剣術の心得は無かったんだったね」
「はい、この国に来るまでは素人でした」
俺はこの世界に来てから、剣術を学んでいた。
とはいっても、身体能力の底上げと反射神経の増大で、すぐにマスターしてしまっていた。
とはいえ、それでも全然勝てなかったのだけど。
「剣術にはある程度の段階と言うものがある。単純に言って、大きい男が大きな声を出して、威圧しながら大きく剣を振り下ろせば、それだけで大抵の相手は斬れる。なぜかわかるかね?」
「威力があるからですか?」
「違う、相手が怖がるからだ」
ソペード家と同じで武門の名家であるバトラブ家の当主であるお義父さんは、静かに剣の事を語り始めていた。
「相手を恐怖させ、委縮させるというのは最大の効果であり、大多数での戦争でも同じことだ。良いかね、君ももしかしたら彼を相手に経験したかもしれないが、一瞬体が鈍くなればそれだけで十分勝てるのだよ。なにせ相手がある程度武装していたとしても、こちらに質のいい武器があるのなら、そのまま叩き続ければいいからね。これは魔法を併用した場合でも一緒だ」
ものすごく単純な理屈で、実際そうなのだと思う。
相手を叩き伏せるために大きくなり強くなる。
それは神降ろしにも言えることだ。もちろん、見た目以上に強力で、こけおどしでもなんでもないのだけど。
「だが、君の様に才能が有れば話は変わってくる。つまり技と言うものが絡んでくるのだ」
そうだった。俺は色々な魔法剣の技を習った。
それによって、どんな相手でも倒してきたんだ。
でも、あいつには通じなかった。
「そして、彼だ。はっきり言って、私はなぜ彼があんなに強いのかさっぱりわからない。理解を越えた存在と言っていい。ただひたすら、剣の技量がありえない領域に突入しているだけなのだ」
そうだろう、一瞬で移動する技なんて添え物みたいなものだ。
山水はそれこそ、まるで名人や達人のように剣術が巧みなのだ。
「まるでこちらの心を読んでくるように、受けようと思えば別の場所を叩かれ、先に叩こうと思えば合わせて叩かれる。てっきり君から聞いた占術とやらが関係しているのかとも思ったが、それとも違うようだ」
占術はそこまで万能じゃない。それを使える俺自身が、彼と戦って学んだことだ。
「つまり、彼が強いのは技量なのだろうと察することしかできない。その彼に、君は勝ちたいかね?」
「はい!」
「そうか……いい眼だ。正直私は不安だったのだよ、君は欲がなさ過ぎた。そのまま行けば、せっかくの才能を腐らせてしまうのではないかとね。強くなりたいと思う欲こそが、若い君には必要だったのだ」
朗らかに笑い、お義父さんは地図を渡してくれた。
「彼は強いが、君と同じであくまでも個の強さだ。おそらく、彼の高みに達することができる者など、今後一人も現れまい。それこそ、彼がどれだけ指導したとしてもだ。つまり、国家単位で見れば脅威ではないし、そもそもソペード家は我が一門と同じくこの国を守る家系。敵ではない彼を、そこまで倒す理由などないが……私自身、欲が出た。ソペードのわがまま姫の護衛よりも、私の息子の方が強いのだと信じたい」
「お父様、この地図は何ですか?」
「この地図が示すものは、ある深い洞窟に眠るとされる神剣の在処だ。この国が生まれるはるか以前に、最強と呼ばれた剣士が自ら封じたとされている、意思を持った剣。それは持ち主の魔法を強大にし、最強の力を与えると言い伝えられている」
俺は体が震えていた。
そんな凄い剣があるなんて、想像をしたこともなかった。
その剣があれば、俺は山水に今度こそ勝てるかもしれない。
「その剣は気難しく、生半な者には扱えないそうだ。しかし、君なら或いは……」
「サイガなら大丈夫よ!」
「そうだな……正直もうソペード家には頭が上がらないと思っていたが、私の夢を勝手に託すよ。どうかこの剣に認められ、再度の戦いを……そして勝利を」
「はい、分かりました!」
俺は地図と一緒に夢を受け取る。
負けられない理由がまた一つ増えていた。俺は、震える鼓動を抑え切れずに興奮していた。