女心
「そうか、未確定情報か……」
学園前の稽古場で、まさか祭我の占術を明かすわけにもいかない。
とりあえず、そういうことにして、切り札を動かすことになっていると説明していた。
なにせ切り札がどれほど強くても、たった一人でしかない。その一人を動かすだけで良いのなら、予算の事などは心配しなくても良いのだ。
「切り札級の敵……なるほど、サイガ殿が動くのも当然であり、最後の切り札であるディスイヤの『考える男』とやらを動かすことも当然か」
エッケザックスを含めて、山水を呼び戻す話はなかった。
祭我はともかく、『考える男』を、パンドラをぶつけさえすればすべての問題が解決する。
山水を呼び戻すまでもなく、或いは山水よりもさらに『一人』を殺すことに優れている。そう思われているようだった。
「改めて凄い国だな、アルカナ王国は。そうは思わないか、スナエ」
「そうですね……」
もちろん、全員外国人であるし、ある意味では連続しない傑物が現れただけなのだろう。山水を除いて、全員が百年後には死んでいるだろうし、その強さを完全に引き継ぐことはできないが、それでも彼ら五人をきちんと御している。
ドミノ帝国のように、突然現れた傑物によって、国家が滅びるようなことになっていない。確かにアルカナ王国の各有力者たちは強大な手ごまを掌中に収めたが、それを御しているのが各家の当主達の器量だった。
称賛するトオンは、しかし落ち着いていた。
「先んじて言っておくが、私はその戦いに参加するつもりはない。私はこの場に残る」
まだ同行する云々の話をしていないにもかかわらず、トオンは皆の前で断言していた。
しかしそれは、一同納得するところである。ランなどは既についていく気に満ちていたが、トオンがそうして逸る男ではないことがわかっていた。
普段ならともかく、今のトオンにはドゥーウェを守るという使命があったのだ。
「この場に来て私に声をかけてくれたのだ、そういうことなのだろうとは思う。だが私には師匠から預かった大切な貴人がいる。例えご当主やドゥーウェ殿が許しても、私はそこに行くことはできない」
「そうですか……そうですね、すみません」
「気にしないでくれ。それに、何を焦ることもない。私だけではなく、この場の誰もが何時でも君やサンスイ殿に挑戦し、戦うことが許されている。それでどうして焦ることがあるだろうか」
本音ではない。それは皆がわかっている。
確かに山水に鍛えられている身ではあるが、結局のところそれをぶつける相手に飢えていることも事実。
まだ見ぬ強敵に対して、せめて一目みたいという想いがないわけでもないのだ。
それはこの場の面々も同じことだった。仮に八種神宝の一つでその敵を殺せるとして、国家としては良くとも武人としては面白くない。
伝聞で聞くよりも、己の目で見たいのだ。国家を恐怖させるほどの個人の力を。果たしてどのようなバケモノなのかを。
「吉報を楽しみにしている。妹の夫になる男だ、ここはディスイヤの切り札を待つこともなく倒してほしいが……無理はしてほしくないな」
「大丈夫ですよ、俺も強くなりました」
トオンは知っている、一部の者も知っている。
祭我は劇的に強くなっていく、今後もきっとそうだろう。
少なくとも、先日山水に負けた時よりは成長している。
あるいは、負けたからこそある程度自負が過信にならずに済んでいた。
エッケザックスを手に入れた祭我は、ある程度自分を客観視している。
自分に何ができて何ができないのか、弱点は何なのか分かるようになっていた。
「危ないと思ったら、すぐ逃げます」
「ふっ……そうだ、君はそれでいい。君はまだやることが沢山あるのだから」
実際、常時発動できる法術の鎧と、亀甲拳の未来予知、加えて狂戦士の力があれば逃げることぐらいはできそうである。エッケザックスの増幅を前提とすれば、だが。
もちろんそれができると判断されたからこそ、上層部は前座扱いであっても祭我を投入するのだ。
「吉報を待っているよ」
「あら、トオン。貴方は何時から自分の予定を決められるようになったのかしら?」
それまで話を聞いているだけだったドゥーウェが、話に首を突っ込んでいた。
その表情には、相変わらず嗜虐の笑みが浮かんでいる。
「貴方は私の護衛でしょう? それなら貴方の予定を決めるのは、私の行動じゃないかしら?」
「……いや、まったくその通りだ! すまない、ドゥーウェ殿。君の事を思うあまり、差し出がましいことをしてしまった」
「まったくよ、護衛としての自覚を持ってほしいところだわ」
言っていることは、とてもまともだった。
少なくとも、それはおかしい、とは誰にも言えないだろう。
少なくともヴァジュラを保有している時点で、一国を落した男からヴァジュラを奪っていたのだから。
トオンと立ち会う面々は知っている。彼が強いことも、才能にあふれていることも、影降ろしを極めていることも。
しかしそれでも尚、剣術一つさえ山水に及ばず、それどころか自分達を相手に打たれることもあるのだと。
「私が行きたいところに私は行く、貴方は私の傍にいればいい」
その傲慢極まりない言葉を聞いて、誰もが理解する。
彼女がこれからどこに行きたいのかを。山水がいれば命じたであろうことを、山水の代理に申しつけようとしていた。
「サイガ、ラン。貴方達二人はもう一度王都に戻り、そこから早馬でカプトの東へ向かうのね? トオン、貴方はこの場の中から腕利きを募り、私の壁にふさわしいものを選別なさい。大人数が早馬で向かうのは無茶だけど、数日遅れで到着する程度の日程なら無茶ではないはずよ。それでも、ディスイヤの切り札がつくよりはずっと早い筈。上手くいけば間に合うでしょうね」
無茶だった。
無茶苦茶極まりない言葉だった。
しかし、彼女はその言葉を曲げる気は一切ないようだった。
「私はブロワやサンスイを従えていたから、苦戦だとか拮抗だとかを見たことがないのよね。バトラブの切り札サマが、どの程度の敵と戦うのか見てみたいわ」
その暴言を、果たしてどう受け取るべきなのだろうか。
誰もが硬直する。確かに見てみたいとは思うが、それでも限度があるのではないだろうか。
とはいえ、彼女が一度決めたことを曲げるとは思えなかった。
「私が間違っていたよ、ドゥーウェ殿。確かにこういう時、男子は女子の我儘に従うものだ」
命令を受けたのではない、命を預かったのだ。トオンは苦笑しながら頷いていた。
普段己の師匠が、どれだけ彼女に悩まされているのか、ようやく理解していた。
彼女は負けるつもりがない、自分の選んだ男が負けるわけがないと信じ切っているのだ。
呆れた傲慢さだが、自分の命も賭けている。であれば、男が怖気づくわけにはいかない。
「それでこそ私の護衛ね。それで、ハピネ。貴女はどうするの? また学園に残る?」
それは、先日のカプトでの反乱を思い返すものだった。
あの時はスナエの背を見るだけであったし、今回はそのスナエと一緒にランを送り出すところだった。
しかし、そう挑発されては仕方がない。
「行くに決まってるでしょうが! バトラブだって武門の名家よ!」
「そうこなくっちゃね。貴女の切り札がサンスイと戦った時のように無様を晒すのか、サンスイの指導を活かして立ち回るのか、楽しみにしているわ」
「なによ、その言い方は! 狡いじゃないの、どっちでもサンスイの手柄みたいに!」
「あら、それが事実でしょう? 楽しみにしているわよ」
あくまでも、ドゥーウェとハピネの護衛。
その形で、この場の面々も参加を許可されている。
恐怖と、困惑。それ以上に高揚がこの場の面々を満たしていた。
「サイガ、貴方は道中でカプトに私達が向かうことを伝えておきなさい。それぐらい、貴方でもできるわよねえ?」
「……わかった! 必ず言っておくよ!」
「サイガ、必ず追いつくからね!」
正直、あんまり信頼されていないようで嫌だったが、仕方がないと言えば仕方がない。
それに、自分の未熟さはよくわかっているつもりだった。
ランがいるだけでも心強いが、トオンが加わるのなら更に心強い。
「それじゃあ、ラン。一緒に王都へ行こうか」
「あ、ああ……」
何故か、ランは嫌だった。
何がどうとは言えなかったが、このまま話が進んでいくことが嫌だった。
しかし、それでもこれから自分が、早馬で旅をするという事実は変わらない。
だからこそ、彼女はサイガの後に続く。
ほんの少し、髪の色が銀に染まりそうになることをこらえながら。