悪夢
一日を終えた祭我は、自分一人のベッドで眠ろうとしていた。
この世界に来る前は、一人で寝るよりも女の子と一緒に寝たい、という思春期らしいことも考えていたし、実際そういうことをしていた時期もある。
しかし、それが楽しかったのも一時である。いまは一人で寝ていた。正直女性陣から不満に思われているが、それでも頼み込んでいた。
英雄色を好むというし、この世界でもある程度は肯定されているし、自分には英雄としての力も備わっている。それなりの努力もしている。
だが、精神的には英雄には程遠い。多分、祭我が理想とするであろう『男性像』は、トオンのはずだ。
そしてそれは、おそらく周囲の女性陣も求めているものだろう。
もちろんトオンに惚れたいとかそういう意味ではなく、もっとどっしりと、女性を不安にさせない立ち回りをして欲しいのである。
「トオンさんも言ってたけど……女の子との関係が複雑すぎる……」
よく考えなくてもわかり切っていたことである。
大して女性経験があるわけでもなく、なにがしかの役者や脚本家だったわけでもないのに、そんなに女性達と上手く接することができるわけもない。
トオンの言うように、彼女達にも失礼だ。自分の力量を越えた相手と関係を作りすぎである。
極めて端的に言って、自分が処理できない状況を抱え込みすぎたのだ。
「修行が足りない、か」
端的に言えば、そうなる。
自分がトオンの半分も器量があれば、彼女達を不安にさせることもないしケンカさせることも無いだろう。
もしくは、彼女達を袖にすることで処理能力を超えないようにすることもできた。
それができていないのは、自分の能力不足か判断ミス。つまり修行不足だった。
「皮肉なもんだ、俺は何でもできるのに……いいや、違うか。むしろ逆か……」
なんでもできるとしても、何もかもを抱え込むことはできない。
万能であっても、一人では一つの仕事しかできない。
そんな当たり前の話でしかないのだろう。
責任が取れないことはしない、それだけの事だった。だから山水はトオンほどの器量がなくとも、なんとかできているのだろう。
安請け合い、或いは流されるだけ。それではだめなのだ、いろんな意味で。
少なくとも、スナエのいうように取り返しのつかないことも起きている。いいや、自分が起こしてしまったのだ。
少なくとも、今背負っている分は何とかしなければならない。というか既に大分重いものを背負っている。それを背負えるように、強くならなければならないのだ。
「さ、もう寝るか……」
もう眠気は強い。元々、いっぱい運動したので眠いのだ。
明日の為にも、祭我は寝ようとしていた。
※
暗雲が立ち込めている。比喩ではなく極めて視覚的に、それを捉えている。
朝なのか昼なのか夜なのかがわからないほどに、天には分厚い雲が覆っていた。
漆黒の闇の中に、人が佇んでいる。
身長も体格もわからない、しかし確実に見えるものがある。
見覚えがある物を、誰かが持っている。
その道具だけは、確かに憶えている。
そう、その道具は自分のエッケザックスと同じ、八種神宝であり……。
天が轟き、その男の顔が見えた。
こちらに対して、なんの興味も持っていない目だった。
その眼光に、射すくめられそうになってしまう。
そう、その姿は……。
※
アルカナ王国は他国から『あの国は統一王朝ではない』という意見がある。
それはアルカナ王国が他国と比べて王の権力が低く、『中央』の権力が極めて弱く、四大貴族は王家とさほど変わらない広さの領地を持ち、ほぼ独立国家の様な強い権利をもっている。
つまりは五つの国からなる連合である、という見方もある。
しかし、それは違うと各家の当主は思っている。少なくとも、国難という者に対しては全体で危機感を共有するからだ。
「バトラブ家を通じて、亀甲拳の資料はもらっている。加えて、占術が絶えた理由に関しても理解できた」
アルカナ王国国王は、四大貴族を招集したうえで祭我の話を聞いていた。
祭我がもたらした国家への利益、六つの希少魔法。遠からずテンペラの里から帰還する四人の使い手、ランという少女が創始する可能性を持った悪血の流派、そして亀甲拳。
殊更に、かつて失われた占術と同じ効果がある亀甲拳に関しては、各家が非常に注目していた。
「そして、バトラブ家からの、君が見た予知夢に関しても報告を受けた。大変……尋常ならざる事態だ。こうして四つの家の当主を集めることに一切躊躇いを持たぬほどにだ」
誰もが祭我と、その脇に立つエッケザックスを見ていた。
その表情には、緊迫感だけが満ちていた。
「もう一度、君の口から説明して欲しい。君は今朝、どんな夢を見た?」
「カプト領地の東端で、空を埋め尽くす暗雲の下、天槍ヴァジュラを持った男が立つ姿を見ることができました」
誰もが無言だった。
それは、祭我の言葉を信じていないからではなく、祭我の言葉が深刻を極めていたからだった。
天槍ヴァジュラ、権力者にとってこの上ない脅威となる神宝である。
「神剣、エッケザックス。君に聞きたいのだが……確認したいのだが、神宝とは、例えば所有者を殺して奪うことは可能なのか?」
「可能、と言えば可能じゃし、不可能と言えば不可能じゃな」
当然ながら、現在の天槍ヴァジュラの所有者は既にわかっている。
つまり、アルカナ王家の切り札にしてドミノ共和国の独裁者、風姿右京である。
そして、夢で現れた男は彼ではなかった。であれば、彼が差し出したか奪ったのである。
「例えば我の場合、所有者と合意の上で戦い、納得の元で殺し合えばその結果を受け入れる。逆に言うと、我はその場合以外では受け入れぬ。そして、それが我の機能でもある」
エッケザックスは千五百年以上、スイボクが手放して以降この世界にとどまり続けていた。にもかかわらず、祭我が現れるまでは誰も使うことができなかった。
「我は認めぬ相手を拒絶することができる。これは魔法を増幅する機能とはまた別で、ダインスレイフが復讐対象を探る機能があることと同じものじゃな」
道具でありながら、人間を拒む機能。それが彼女の武器としての力と別れたもう一つの機能だった。
「逆に言って、他のすべての道具は原則として『手に入れた者を拒むことができない』という性質を持っている。これは道具の義務感の様な物でな、これに抵抗したのは我らの中ではダヌアだけじゃ」
その言い方では、右京を殺せば誰でも五つの神宝を手に入れることができるようである。しかし、それは違うようだった。
「じゃが、我らには使用者と認めた相手が死んだときに、神の元へ戻る権利もある。所有者の意向を汲むこともあるが、大抵の場合所有者が殺されればそのまま神の元へ帰る。だからこそ、四つの神宝はウキョウのもとへ集まったのじゃろう」
では、右京の持つヴァジュラを奪うことはできないのか、という話になる。
それも違うようだった。
「じゃが、仮に……ヴァジュラを持つ者が一時的に誰かへ預けたとすれば、ヴァジュラに拒否権はない。当然、ヴァジュラは気位が高いゆえに不満を持つであろうし、今の我がするような助言を与えることもない」
八種神宝は、各々が経験を蓄えている。だからこそ右京は曲がりなりにも国政ができているし、この会議の場でもエッケザックスは確実性の高い意見をしていた。
「ダヌアに農耕や栄養に関する情報があるように、ヴァジュラにはある程度天候を操作する際の『目指す結果』へ助言ができる。例えば……乾燥地帯を富ませるために、雨を降らせるとする。それは乾いていた地盤を崩壊させ、状況を悪化させることもあるじゃろう。これは天気予報とは別の、蓄えた知識じゃな。無論、人間側で補うことも可能ではあるが」
例えば、相手の城を水攻めにしたいとする。それをするには何時どの程度雨を降らせればいいのか、彼女は知っているのだろう。
そうした知識が所有者に無くても、彼女は目的へ至らせることができるのだ。
「では本題に移るが……一番肝心な『譲渡された人間はどの程度天候操作できるのか』じゃな。その譲渡された人間が、使用者と同様にどの程度意思を持っているか、による。つまりヴァジュラの場合……天に挑む意思が強ければ強いほど、天を動かす力も強くなる」
そう、それが問題だった。
アルカナ王国が右京を取り込む際に気を使ったのは、身内の人間とは言え『天に挑む意思』即ち野心のあふれる人間にヴァジュラを使わせたくないからだった。
右京の場合、既に天に挑み終えていることが確認できた。その結果天候操作能力はかなり下がっているが、自分の行動に対して責任を果たそうとしている彼は、アルカナ王国に反旗を翻すことがないと確認できた。だからこそ取り込んだのである。
「天に挑む意思、とはやはり国家の滅亡か?」
「そう、とは言い切れぬ。我はヴァジュラではない故にはっきりと言えぬが、『個人の力ではどうにもならない事』に挑む心が、アレの動力源らしい」
アルカナ王国の面々は、黙して情報を整理していた。
道具であるエッケザックスの解説は、実にわかりやすかった。
そして、ここから先は自分達が推測し判断することである。
「これは私見だが……おそらくウキョウは、奪いに来た『何者か』に敢えてヴァジュラを差し出したのだろう」
アルカナ王国の国王は、険しい表情で自分の娘を送った相手の思考を追っていた。
本来なら会議の場で冗談を言うな、というところだが、この場の誰もがそれを笑わない。
一人で城に殴り込みをかけて、そのまま国王へ『宝をよこせ』とほざける男はいるのだ。
少なくとも、祭我でもエッケザックスがあれば十分可能である。
「奴は既に国主だ。切り札に匹敵する力をもった何者かが自分の城に侵入し、ヴァジュラをよこせと言えばあっさり応じるだろう」
彼は頭を下げることができる、助命嘆願ができる男である。
矜持と心中するつもりだけはないだろう。それはエリクサーの主であることで証明している。
もちろん、そのまますんなり許すことはないだろうが。
「国を守るために、ですな。そうなるとドミノが不安ですな……」
バトラブの当主は、切り札が大暴れした状況を想像して青ざめていた。
カプトの領地を見れば誰でもわかることだが、個人でも想像を絶する力を持った者が意思をもって暴れれば、その結果は凄惨なものになる。
正蔵や祭我が、城を落とそうと暴れればどうなるかなど考えたくもない。
「国一つ落とした男が、無能とも思えん。奴もヴァジュラを渡す前から奪い返す準備はしているだろう。少なくとも、こちらへ伝達はしているはずだ。それよりも……確認するが、カプト領地の東端で間違いないな?」
ソペードの当主は問いただす。
位置情報が特定できていることは、とても重要だった。
それこそ、山水の広域知覚に匹敵する情報だった。
ドミノでヴァジュラを奪い、その後アルカナへ向かっているのだとしたら、つじつまは合う。合うからこそ、確認が必要だった。
これが間違っていれば、これから決める方針が全て間違ったものになってしまう。
「はい、俺、私が見たあの光景……『傷だらけの愚者』が耕した場所に間違いありません」
なるほど、間違えようのない光景だった。
暗雲の元、一瞬の雷光しか周囲を判別できる灯りがなかったとしても、その場所だけは判別できるだろう。
この場の全員が、彼の暴威の成果を知るだけに納得だった。
「……ヴァジュラの回収は、前提ですかな?」
カプトの当主が確認する。ヴァジュラを破壊してもいいのなら正蔵の出番である。相手が個人だとしても、周辺を既に破壊し終えているのであれば、いくらでも攻撃は可能だった。
祭我が予知すれば何時現れるかはある程度推測できそうであるし、正蔵の護衛として祭我を付ければ、地上で正蔵が魔法を使ってもほぼ問題はないからである。
「……いや、ヴァジュラは回収する。少なくとも、それを今は諦める必要はない」
アルカナ国王の言葉に、誰もが無言で頷いていた。
そう、それができないのであればそうするが、それが可能なら取り戻すことにためらいはない。
絶対に勝てる手段があるのだから、諦めないのが当然だ。それは祭我でも正蔵でも、休暇中の山水でもない。
「ディスイヤ……お前の切り札の出番だ」
「ほっほっほ……我が家の家宝を使えと?」
「神宝を持っているとはいえ、『一人』ならぶつけない理由がない。絶対に勝てる上に、確実にヴァジュラを回収できるはずだ」
「しかし……殺すことになりますぞ?」
「ドミノを襲った時点で、既に殺すしかあるまい」
アルカナ国王の言葉に、ディスイヤの老人ははぐらかす。
しかし、会議の空気はそれを許さなかった。
祭我以外の全員が、ディスイヤの老体を睨んでいた。そこには、一切の妥協が存在しない。
「神剣、エッケザックスよ……この老体は怖いのじゃよ、あの小僧っ子を失うのがのう。そこで一つ保証が欲しいのじゃが……本当に大丈夫かのう?」
最強の神剣に、老人は訊ねていた。
自分の主を差し置いて、推薦されたディスイヤの切り札への確認。
それは不安よりも、むしろ優越感を得たいがためだった。
「神宝を持っている故に確実とは言い難いが……それでも問題あるまい。殺して問題ないのであればな」
「それは安心……良きかな良きかな……それでは、既に放った早馬をとどめる必要もあるまい」
ディスイヤの御老体は、なんとも意地の悪い顔をしていた。
既に領地へ連絡を行っているとは、迅速な判断だった。少々性格が悪いと思うが、それでもこの場の無能は死に値するので看過する。
そもそも、態度が悪いからと言っている場合ではない。
「しかしのう……儂の切り札、シュン坊はディスイヤの西端の海岸線で仕事をしている筈じゃ。国のど真ん中から西の果てへ連絡させ、そこからさらに東端へ移動させるとなると、時間はどうしてもかかるぞ」
「なぜそんなところに?!」
「仕事と言ったはずじゃ、他国から密偵が送られると読み、海路からの敵を寄せてもらっておる。あの子が居ると、本当に仕事が楽で助かっておる。これはこれで国家の大事であるしな。しかし、ヴァジュラを奪取するほどの個人、パンドラとシュン坊以外では被害が大きかろうて。他の切り札を守るためにも、他の者に踏ん張ってもらわねばな」
カプトの驚嘆を、ディスイヤの老人があしらう。問題の解決は達成された。会議室の空気は、ほぼ完全に緩んでいた。
少なくとも、山水並みに強い個人がこの国を荒らしまわる、ということはなくなったのだ。
ディスイヤの切り札をぶつけることができれば、何が起きても問題ではないと安堵していた。そう、エッケザックスさえも。
「ということは……後は間に合うかどうかですな」
カプトの当主は、被害を真っ先に受けるであろう自分の領地を心配していた。
ディスイヤの切り札が間に合えば被害なく収まるが、そうではない場合の被害にうんざりしていた。
何分、カプトにとって切り札とは正蔵である。切り札同士との戦いなど想像もしたくなかった。
「確か、予知能力は行動によって変えられないものであれば、より精度が増すのだったな。つまり、今我らがどう動いてもドミノは襲われることは回避できず、或いは既に襲われているという事だろう。相手が徒歩ならば、逆算して到着できる最悪の日数は予測できるが……パンドラの使い手が到着するまで放置というわけにもいくまい」
ソペードの言葉は、そのフォローをするものだった。
国の端から端まで移動することになるディスイヤの切り札を待つ間、カプトが放置というのは国家として間違っている。
打てる手はすべて打つべきだった。
「『傷だらけの愚者』を迎撃に回さぬ以上、もう一つの切り札を動かすべきであろうな」
「それは……」
ソペードはバトラブを睨んだ。
つまり、この場にいるバトラブの切り札も先に向かわせるべきだというものだった。
それに対して、バトラブはやや口を詰まらせていた。つまらせていたが、その上で振り切る。
「サイガ、君にはディスイヤの切り札が到着するまでの間、カプトの東端で国境を守ってもらう。単独では心もとないというのであれば、援軍を頼んでも構わない。もちろん、相手が君達四人に匹敵する相手と分かった上での戦力を、だ。もしも接敵すれば、その時は倒せるなら倒していいが、エッケザックスの指示に従ってくれ」
「……わかりました! 今すぐ準備して、カプトへ早馬で向かいます!」
まず優先するべきは国益、であれば切り札を信じることがこの場の当主達の義務だった。
そして、それに応えることこそが、切り札である祭我の役割に他ならない。
「では少し待ってほしい、私が一筆書いておこう。カプトを守る以上、聖騎士が動くことは当然だ。君へ全面協力するように指示書を書く、準備が済めば一度王都に戻ってきてくれ」
「ああ、それから……」
自分の領地を守ってもらうカプトは、速やかに手配をはじめようとしていた。守りと癒しの力に優れた聖騎士は、切り札の性質次第では有用になるだろう。
そして、最後になるがソペードの当主が中々厳しいことを指示しようとしていた。
「ランを連れていくことは、狂戦士を連れていくことはほぼ確定だろう。その上で、トオンを現場に行かせるかどうかは妹と本人に確認しろ。サンスイの代理であるあの男だが、そこまでする必要はない、『必要』はな」
それは、妹の婚約者への嫉妬ではないようだった。
「どうしても行きたいと駄々をこねるなら、同行を許せ。その穴は埋めてやるとな」
「はい! 分かりました!」
一国を攻め落とすか、という切り札級の敵を前に、果たして剣を収めたままでいられるだろうか。
山水ならば抑えるであろうが、それは長命ゆえの理屈である。
もしも自分なら、と思えばソペードの当主は止める気はなかった。