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到達

 非常に今更だが、トオンは学園の中で影気を宿す生徒に対して影降ろしの指導を行っている。

 法術使いを祖国へ持ち帰ることへの交換条件であり、当然手を抜くつもりはなかった。

 しかし、生徒たちのうち数人は、さあ授業をはじめようと思った時に浮かない顔をしていた。

 それがなぜなのか、他ならぬ影降ろしの使い手は察していた。


「……授業を始める前に、少し話をしよう」


 およそ、男子の求めるものを、求められるものをすべて手に入れている彼は、目の前の生徒たちへ朗らかに笑っていた。

 彼らが受けた心無い言葉や、或いは今後向けられる言葉に対しての、必要な言葉だと信じて。


「君達はやはり、魔法や法術が良かったかな?」


 それは、自分も思ったことだった。

 彼の国には神降ろしという強大な力を持つ術理があり、それを持つ者だけが王位を継ぐことができた。

 だからこそ、それが使えない我が身が哀しかった。


「気持ちはわかるとも、私もそう思っている。魔法の派手さや、空を自在に飛ぶ姿は羨望を覚えるとも」


 非常に高い攻撃力と射程を持つ魔法使いにとって、神降ろしの使い手も倒せる敵でしかない。

 その力が自分にあれば、と思わないでもなかった。

 自分がこの学園に訪れた時、学園長が自分へ花を持たせてくれたことへ感謝しなかった訳でもない。


「法術という力も素晴らしいな。ケガや病気を癒す力だ、どこでも重宝されることだろう」


 影降ろししか使えない自分。国を出て広がった世界のなかで、自分が意外にも弱くないことに喜びを感じながら、しかし非才の身を呪うことも多かった。

 この国に集まった傑物たち。切り札と呼ばれる、己の師と並べられるほどの存在。

 自分もそうなりたいと思っている。自分にもあれだけの資質が有ればと思っている。

 思っているが、しかしどうにもならない。才能は、どうしても変えられない。


「逆に呪術が忌避される理由もわかる。あれは確かに、軽々に憶えていいものではなく、使っていいものではない」


 仙気があれば、と思ってしまう。悠久の時を、山水やスイボクと共に越えたいと願ってしまう。

 限られた時間の中でしか生きられない自分を呪わしく思う。


「然るに、影降ろしはそれらほどではない。私も昔は、神降ろしが使いたかった。君達も私の妹が巨大な雌獅子に姿を変えるところを見ただろう? そりゃあ憧れるさ」


 影降ろしを習っている生徒たちが、全員頷いている。

 確かに、希少魔法を習う機会を得たことは幸運だ。

 だが欲を言えば、もっと良い希少魔法が良かった。それどころか、ありふれた資質である普通の魔法でもよかった。


「だがそれでも、私は影降ろししか使えなかった。だからこそ、神降ろしを習えない気持ちの裏返しとして影降ろしを必死で憶えようとしていた。剣だって同じことだ、神降ろしを学べないから仕方なく頑張ったのだよ。もちろん、今ではどちらも好きだが、最初から好きだったわけではない」


 そう言って、剣士の掌を見せる。自分の師と同じ、誇らしい掌だった。


「君達が影降ろしを好きになるとは限らない。もしかしたら、嫌いになってしまうかもしれない。私だって、もしかしたらそうなっていたかもしれない」


 トオンは、目の前の子供たちと視線を合わせる。合わせた上で、今の自分が幸せであることを隠さずに、にこにこと笑っていた。


「だがね、だからと言って腐ってはいけない。今の私があるのは、嫌でもなんでも、まず頑張ったからだ」


 遠い国に訪れて、自分と同じ資質を持つ者たちに語り掛ける。

 目立って素晴らしいわけではない力を宿し、そこから抜け出せないことが決まっている者たちへ笑いかける。

 人生は、資質や素質だけで決まるものではないと、トオンは笑っていた。


「今君達が影降ろしを学ぶことを放棄しても、きっと困ったりしない。だが、家に帰って何をする? 枕を濡らして、そのまま眠るか? それを明日も明後日もずっと続けるのか?」


 望んだ才能がない、望まれる才能がない。

 だから何もしない、では今の自分はなかった。


「他にやりたいことがあるわけじゃない、他にできることがあるわけじゃない。それなのに、嫌なことから目をそらす。それはしてはいけないことだ。少なくとも、今ここにいる君たちは、役に立つかどうかもわからないが、それでも努力して力を身につけようとしている。それがとても大事なことだ」



「とまあ、そんな話をしてもだ。実際には私が此処にいる時点で、頑張ってなどいないがな」


 トオンはソペードの屋敷で自分の女になる女性に胸の内を明かしていた。

 師が不在ということで酒を断っているが、ドゥーウェはその話をゆったりと楽しそうに聞いている。

 夜の長話は、彼女の人生では中々なかったことだからだ。


「武者修行と言えば聞こえはいいが、私は国のために尽力していない。確かに私一人が離れたところで影響はないが……結局私はこうして自分の都合で異国に来てしまった」

「おかげでいい女に会えたんだもの。良かったじゃない」

「それは確かに! 師に会えたことは幸運だが、君に会えたこともそれ以上に幸運だ。こうやって弱音を気楽に話せる相手など、私の故郷にはいなかったからな」


 トオンは女性に多くを求めないが、ドゥーウェとは噛み合っているものを感じていた。

 基本的に相手の上に立とうとするドゥーウェであるが、高く評価しているトオンに対しては甘やかそうとしている雰囲気がある。

 それが中々どうして心地よく、肩の力を抜いて自然に話すことができていた。


「自分で言うことではないが、私は周囲から期待されていたし、その重圧を受け止めるだけの力もあった。だが……やはり疲れる。私が仮に王位を継げるならば、それにも終わりはあった。或いは、目標が」


 王の跡を継いで、立派な王になる。それはまさに王子としての目標だろう。

 だが、優秀ではあっても、長男ではあっても王位継承権のない自分には望めないことだった。


「結局……私は逃げた。周囲から向けられる、実体のない期待に耐えかねたのだ」


 なまじ王気を宿していないからこそ、誰もが『王気を宿していれば』と思い、『王気を宿していないのに凄い』と考え、『王気を宿していなくても』と感服していたのだ。

 そして、どうしようもなく、国一番の剣士という到達地点にたどり着いてしまった。まだ人生に先がある、この若さで。


「私はそんな男だ、王族に生まれながら国の利益など考えてはいない。君の父や兄には、恥じる気持ちでいっぱいだ」

「貴方は国の花だったのね?」

「女子ならそれでも良い、特に私の国ではな。だが男子に生まれた身でありながら、私は国に実益をもたらさなかった」


 皆の期待に応え続けてはいた。しかしそれはドゥーウェが言うように『花』でしかない。

 もちろんそれはそれで、王家に貢献していただろう。だがそれは実利を伴うものではなかった。

 あくまでも、周囲からもてはやされていただけだった。確かにトオンは影降ろしの達人であり国一番の剣の使い手であり、顔もいいし体格も恵まれていた。なによりも頭が良かった。そして、頭が良いからこそ、彼は自分が誰の役にも立っていないと思うようになっていた。


「影降ろしでは神降ろしに及ばず、王にも成れない。それは以前話した通り、どうしようもなく私の心にこびりついていたものだった。それを忘れることができたのは、何かに没頭して快く眠れる時だけだった。必死で剣を振り、迷いを捨て、そのまま眠る。それが私の日々だった」

「それは今でも変わらないのかしらね」

「そうだな、今でもそうだし、これからもそうなのだろう」


 トオンは、素直に認めていた。

 自分の心に染みついたものが、決して消えない物だと認めていた。


「だが、昔よりも楽しいことも事実だ。もちろん、今でも周囲からは期待されているし、剣を振るって迷いを視ぬようにしている。だが……何故だろうな、この国での期待は重荷である以上に嬉しく思えるし、ここでの剣の日々は確かな切磋琢磨を感じる」


 国一番の剣士として、一国の王子として、友と競い合うということはなかった。

 それが、山水の元で剣を振るうことで拭えていた。

 人生を賭して尚足元に手が届くかという師がいて、その影を共に追う仲間たちがいる。

 とてもではないが、迷ってなどいられなかった。


「ここで、私は花ではなく剣になることができた。それがやりがいを感じている。思うことや願うことのすべてが叶うわけではないし、心に染みが残っていることも事実で、故郷への後ろめたさもある。だが、私はここで生きていきたい。異国の男として、異邦に骨を埋めたい」

「あらあら、もう戦死を前提に話をするのかしら。男の人はすぐ先を急ぐからいやだわ」

「はっはっは! すまない、君と話をしていると、ついつい口が回ってしまう。君は本当に聞き上手だ」


 トオンはずっと、自分の言葉ばかり話している。自分が思ってきたことや、自分がこれからしたいことを、ずっと独り言の様に話していた。

 ドゥーウェがそれを楽しそうに聞いている物だから、ついつい自分の都合ばかりを話してしまう。


「では君との将来の話をしよう。私は妹と共に法術使いを連れて故郷へ帰る。その時君との結婚を父や母、弟妹たちに許してもらう。法術使いという癒しの業をもたらすことが、私の故郷への報恩であり実利実益だ。それから先は……君の夫としてここで暮そう」

「まあ、夢のような日々が待っているのね」

「ああ、ようやく見つけた私の夢だ。必ず君と形にして見せる」


 一人の男として、尊敬できる師の元で剣を学び、愛する女と生涯を共にする。

 剣を競う友と肩を並べ、育む子にその背を見せ、その暮らしを守るために日々汗を流し、その果てに散る。

 男子の本懐、良き夢であり善き人生だ。『これ』を得るために今日までの日々があったのだとしたら、それは本当に何とも誇らしいことだった。


「二人で幸せになろう、ドゥーウェ殿」

「あらあら……私を独り占めしたいなんて、欲張りさんね。お兄様やお父様でさえ、そんなことはしなかったのに」

「そうとも、私は欲張りだ。国王の第一子として生まれ、美貌と才覚と環境のすべてに恵まれ、影を極め剣の頂点に立ち、それでも尚……君という女性を独占せずにはいられない、本当にどうしようもないほど欲張りだ」


 もしも自分に王気が有ったのなら、そのまま王になっていたのなら、今の場所にはいられなかった。

 それを怖いと思うほどに、今の居場所が愛おしい。


「もうすぐ君は私の女だ、ドゥーウェ殿」

「どうかしら、貴方が私の男になるかも知れないわよ?」

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